イタリアの人々は、主要メディアの報道に対して、かなり不満を持っているようではありますが、外国人であるわたしには、イタリアのジャーナリズムには「禁忌となるテーマ」が、ほぼ存在しないのではないか、という印象を持っています。闇のなかに埋もれ語られずにいた「不都合な真実」に光をあて、徹底的に暴き尽くし分析する、なかなか気骨のあるジャーナリストがイタリアには多くいて、スクープのたびに国じゅうが大騒ぎになることも少なくありません。 Continue reading
Author Archives: HirashimaMiki
テアトロ・ヴァッレ 役者Mario Migliucci
このサイトの初頭あたりで「占拠」の一例として紹介した、イタリアだけでなく海外においても、新しい文化モデルのひとつとして大きな評価を受けたテアトロ・ヴァッレ・オクパート。2014年8月に「占拠」が終わったのち、現在に至るまで、メンバーたちは次なるアクションを模索している最中です。 Continue reading
イタリアの Anti Fascismデモ
立憲主義を蔑ろにした政治の暴走に、きっぱりと異議を主張する、いかにも2015年らしい、ヒップでパワフルなデモが、日本でも毎日のように繰り広げられる昨今、イタリアでは日常のデモ風景が、日本のあちらこちらで一気に盛り上がる様子を、わたしは頼もしく思っています。 Continue reading
映画館の「占拠」から生まれた、ローマの夏 、サン・コシマート広場の夜毎のチネマ
ローマでは毎年夏になると、あちらこちらの広場や公園でコンサートやチネマ・アペルト(オープンチネマ)が開かれ、そのイベントの数々は夏の風物詩でもあります。しかし去年あたりからローマ市財政危機のせいか、夏のイベントもぐんと縮小。残念、と思っていたところ、トラステヴェレの広場で、素敵なチネマのフェスティバルが開催されました。 Continue reading
『鉛の時代』:ANSA通信特派員 ベニアミーノ・ナターレに聞く
イタリアの通信社ANSAの特派員、ベニアミーノ・ナターレ氏。長期間に渡ってインド、中国、イタリアを往復するアジアのエキスパートに、ご自身も大きく巻き込まれた『鉛の時代』、ドラスティックな変容を遂げた政治闘争について語っていただきました。 Continue reading
参考:ピエール・パオロ・パソリーニ 伝説の記事 Io so 「僕は知っている」
パオロ・グラッシーニがインタビューで語った、1974年、12月14日にコリエレ・デラ・セーラ紙に寄稿されたピエールパオロ・パソリーニの、冒頭、詩のごとくはじまる記事 ”Cos’è questo golpe? Io so(このクーデターが何なのか、僕は知っている)”は、時代を超え、伝説にすらなっています。 Continue reading
『鉛の時代』:革命家から映画監督へ パオロ・グラッシーニ Ⅱ
自らのそばにいた友人がネオファシストに射殺される、という凄まじい政治闘争の真っ只中を生きた映画監督、パオロ・グラッシーニ。話の節々に、Kakubo(角棒)であるとかGebabo(ゲバ棒)などという特殊な日本語が飛び出して驚かされました。 Continue reading
『鉛の時代』:革命家から映画監督へ パオロ・グラッシーニ Ⅰ
マシンガンのような人物です。とどまることなく言葉が発射され、その言葉を遮るには、強力な防弾ベストが必要でもあります。ローマの70年代、活動家として激動の時代を知り尽くす、映像作家、パオロ・グラッシーニに話を聞きました。 Continue reading
『鉛の時代』かけがえのない記憶 P.Fontana Ⅳ
1969年に起こった『フォンターナ広場爆発事件』の一連の捜査が、大きく方向転換をすることになったのは、事件から、なんと20年以上が経った1990年のことでした。
『鉛の時代』深い霧のなかへ P.Fontana Ⅲ
ロレンツォンの告発に基づいた捜査は地道に続けられ、事件から1年と2ヶ月が経過した71年3月、事件の核心に存在する、と見られる2人のネオファシスト、フランコ・フレーダ、ジョヴァンニ・ヴェンドゥーラに、ようやく検察の手が及ぶことになりました(写真は69年12月15日、ミラノ、ドゥオモで開催された爆発事件犠牲者の葬送に自発的に訪れた夥しい市民)。