2023年7月のローマは、10日を過ぎたあたりから地獄の番犬「サーベラス(Cerbero)」、および冥界の渡し守「カローン(Caronte)」の名を持つ、サハラ砂漠から押し寄せる熱嵐がダブルで吹き荒れて、最高42℃+という酷暑に見舞われました。それらはその名の通り、まさに絶望的と言える灼熱地獄をもたらし、シチリアに山火事を頻発させたり、北イタリアにテニスボール大の雹を降らせたり、いまだかつて体験したことがない暴力的な高気圧でした。「これからはひと夏ごとに暑くなる、もっともっともっと暑くなる。それが現実です」、と涼しい顔で語る気象学者の話を聞きながら、感染症といい、戦争といい、地球温暖化といい、まるでわれわれはSF世界に住んでいるようだ」と考えた次第です。そこで、そんなSF世界につつましく暮らしながら、ここ数年、ペンタゴンやNASA、米国議会から、突発的に、しかしけっこう頻繁に流れてくるUfo関連の話題のうち、米国のエリア51に保管されている(と言われる)、1933年にイタリアに墜落したUfo、及び地球外生命体と思われる2体の亡骸について、軽い気持ちで調べてみようと思います。 Continue reading
Category Archives: Storia
今だからこそ、あえてシルヴィオ・ベルルスコーニという人物について考察する
政治力という観点からは、もはやその権威は消滅しつつあるように見えたシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相の訃報が流れた瞬間から、TVを含め、あらゆるすべてのメディアがベルルスコーニ一色に染まったことには、正直、非常に驚きました。しかも、生前のあらゆるスキャンダルと失言、暴言、さらには70件もの脱税、汚職、未成年売春などに関する裁判、過去のマフィアとの親密な関係の可能性を、誰もが知るところであるにも関わらず、その評価のほとんどが「時代を牽引したスーパー・シルヴィオ」という称賛であり、過去のスキャンダル、違法行為、特にマフィア関連の事象に詳しく触れたメディアは、主要紙以外の2、3紙にしか過ぎません。世界でも指折りの大富豪であるベルルスコーニ元首相が、支持者にとっては確かにカリスマではあっても、国営放送Raiを含め、所有する民放局以外のTV局、新聞及び各種メディアに、これほどの影響力を持っていたとは想像しておらず、多少興醒めした、というのが率直なところです(タイトル写真は、Il Foglio紙に掲載された写真を加工しています)。 Continue reading
マルコ・ベロッキオ監督映画、共有された悲劇としての『Esterno Notte(夜のロケーション)』
イタリアでは2022年5月にPart1、6月にPart2が劇場で短期公開、11月に国営放送RaiでTVシリーズとして放映されて「最高傑作!」と絶賛された、巨匠マルコ・ベロッキオ監督の『Esterno Notte(夜のロケーション)』が、2023年5月7日、イタリア映画祭(東京会場)で公開されるそうです。当時のイタリアで最も政治的影響力があった『キリスト教民主党』党首アルド・モーロが極左武装グループ『赤い旅団』に誘拐されたのは、『鉛の時代』まっただ中の1978年3月16日。45年前のちょうど今頃の季節、イタリアは緊張と恐怖に打ちひしがれ、混乱し、翻弄されました。ローマのカエターニ通りに駐車された赤いルノー4のトランクで、モーロの亡骸が見つかったのは、誘拐から55日を経た5月9日のことです。『Buongiorno, notte(夜よ、こんにちわ)』から20年を経て、ベロッキオ監督が再び「アルド・モーロ事件」をテーマに、6つのエピソードで構成した、この330分のオムニバス超大作映画の背景を探ります。個人的には劇場で観て、TVシリーズで観たあと、Raiplay(イタリア国営放送Raiオンラインサイト)で連続して2回観返すほど夢中になった映画です。 Continue reading
映画「La scuola cattolicaー善き生徒たち」が描く、ローマのもうひとつの70年代
プリーモ・レーヴィ、クラウディオ・マグリス、とイタリアの深層を描く作家たちの作品を世に問う、気鋭の翻訳家、二宮大輔氏の寄稿です。社会、あるいは人間の本質に、日常の感性からさらりと食い込む、氏の視点にはいつもハッとさせられます。今回選んでくださった映画『La scuola cattolica (邦題:善き生徒たち)』は、ローマで実際に起きた「チルチェーオ事件」の犯人たちと、当時同窓だった作家、エドアルト・アルビナーティの同名の小説(2016年プレミオ・ストレーガ受賞)が映画化された作品です。この、あまりに衝撃的な事件については、多くのドキュメンタリー、映画、書籍が発表されていますが、「善き生徒たち」は事件そのものというより、その背景から、事件の原点へと導きます。浮き彫りになるのは、市民戦争にまで発展したイタリアの70年代という特殊な時代を生きた、裕福な家庭の青年たちの欲動と退廃。かなりヘビーな映画ではありますが、これもまたイタリアの真実です(タイトル写真は、「善き生徒たち」の一場面の写真ーcinemaserietv.itーをGlitch Imageで加工しました)。 Continue reading
地中海のカタストロフ、静かに聞こえてきたジョルジャ・メローニ政権の不協和音
2月26日日曜、イタリアに暮らすわれわれは、凝視できない酷いニュースで目覚めることになりました。事故が起こったのは、午前4時すぎだったそうです。カラブリア州、クロトーネ市のステッカート・ディ・クートロの砂浜から、わずか100mの海上で180人の密航者を乗せた木造船が座礁して大破。幼い子供たち、未成年35人を含む88人の犠牲者(3月19日現在)を出す海難事故が起こりました。この事故は、2013年10月、368人の犠牲者を出したランペドゥーサ島沖で起こった、移民・難民の人々を乗せた船の沈没事故以来の重大海難事故です。彼らは確かに違法密航者と位置づけられますが、アフガニスタン、イラン、パキスタン、パレスティーナ、トルコ、シリアなど、戦禍、紛争、あるいは天災に見舞われ、生き抜くことが困難となった故郷を離れ、生きる希望を胸に船に乗り込んだ人々でした。 Continue reading
ジョルジャ・メローニ新政権 : たちまちカオスと化した、イタリアのFar-Right politics
いずれ状況は、少しずつ悪化するのだろう、と朧げには予想していましたが、こんなに早く、しかも立て続けに「なにこれ?」と驚く出来事が次々と起こることになるとはまったくの想定外でした。『右派連合』連立与党内の激しいいざこざを経て、上院、下院議会における信任も終了し、ジョルジャ・メローニ女史を首相とする新政府が稼働する運びとなった際は、若く、勢いのある女性が首相の座についたことが喜ばしく、一瞬ではありますが、「意外とソフトで思いやりのある中道右派政治が繰り広げられるかもしれない」との好意的な空気が流れたことも事実です。しかしそれは虚しい幻想であり、新政府がまず着手したのは「誰もが一刻も早く」と渇望していた、切迫したインフレから市民を救済する経済政策ではなく、体制には何ひとつ影響を及ぼさない、緊急性のない社会現象を叩き潰そうとする、挑発的な法律の立案、そして2018年の「サルヴィーニ法」を彷彿とする、難民の人々を国内外のプロパガンダに使う残酷な仕打ちでした。 Continue reading
極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part2.
今までは「当たり前」、と改めて考えることも、ありがたく思うこともなく使っていた、ガス・電気という現代生活の基盤でもあるエネルギーが、ウクライナ危機の勃発とともにみるみる高騰し、われわれが生きる世界が甚だしく脆弱なシステムの上に構築されていることを、ひしひしと実感する毎日です。個人的には、あまり納得できない人選でしたが、上院、下院の議長が、ようやく決定したにも関わらず、懸念の組閣はなかなか進んでおらず、連立与党『右派連合』の『イタリアの同胞』『同盟』『フォルツァ・イタリア』間では、重要な閣僚ポストを巡って、熾烈な争いが繰り広げられ、憎悪まで噴出しはじめました。イタリアの市民、企業にとって一刻を争う緊急時、10月23~25日あたりに樹立する予定とされる政府が、早急に、確実なメンバーで構築されることを願います。ただし、新政府につきまとう不安として、国家主権主義を謳う『イタリアの同胞』及び『同盟』の人権問題への姿勢、そして無謀な『憲法改正』の提案があることを、まず強調しておきたいと思います(タイトル写真は2018年、イタリア全国パルチザン協会A .N.P.I.ローマ集会の1シーン)。 Continue reading
極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part1.
パンデミック、エスカレートする戦争、核兵器使用の可能性、エネルギーの高騰、インフレと、世界中に暗雲たちこめる乱世ですから、イタリアの総選挙が「エポックメイキング」と表現される、このような結果となっても、それほどの驚きはありませんでした。しかし、イタリアの戦後から『鉛の時代』に暗躍した極右政党『イタリア社会運動ーMSI』を出自とし、ポストファシスト、ネオファシストと表現され続けた『イタリアの同胞』が、共和国憲法に明記されたアンチファシズムの精神が根強いはずのイタリアで、まさか第1党に躍り出るほどの支持を集める時代が来るなんて、幻覚のようではあります。懸念の組閣すら終わっていない現在、これからイタリアに何が起こるのか、意外と何も起こらないのか、まったく予想できませんが、現在イタリア国内で語られるあれこれや、今までに得た情報などを、ざっと整理してみようと思います。
真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part2.
わたしの周囲の人々の多くは、少なくとも表面上、亡霊や超常現象、あるいはエクソシズム、あるいは降霊術(spiritismo)の話をすると、笑い飛ばす傾向にあります。それはおそらく、弁証法的唯物論を主義とする人々が多くいるからだと思いますが、ひょっとすると、本当に恐ろしがって話さない人々もいるのかもしれず、特にエクソシズムや降霊術の話をすると、「そんな危ない話題に近づくべきではない」と慌てた様子で諭されることすらあります。もちろん『ゴーストハンターズ』のようなマニアックな青年たちが存在しても、彼らもまた、超常現象を、あくまでも「科学的な姿勢で調査している」ことを強調している事実は前項の通りです。それでもアンダーグラウンドには、やはりいまだにエクソシストが存在し、降霊術のグループも活動を行なっているようでもあり、ローマの廃墟群の片隅に謎深き神秘世界が広がっている気配は確かにあります。しかしながら、ローマの亡霊伝説 Part2.では、その方面にはあまり近づくことなく、街で語り継がれたオーソドックスな亡霊伝説を追いかけてみよう、と思います(タイトル写真はイメージです)。▶︎Part1.はこちらから。 Continue reading
真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part1.
実際に、出会ったり、体験したことが一度もないので、信じる、というわけではありませんが、そもそもわたしは、亡霊や魔術、錬金術の類の話が好きです。いや、好きでした、と過去形にすべきかもしれません。というのも、ここかしこに亡霊に溢れていそうな佇まいのローマだというのに、誰からも亡霊や超常現象の話を聞いたことがなく、ここ数年にいたっては、その存在(非存在?)すら忘れかけていたからです。そこで近場の人々数人に、「ローマに蠢く亡霊の話や超常現象の話を、何か知っている?」と尋ねると、そのつど呆れたような顔をされ、「生きている人間のほうがよっぽどオカルトじゃないか。ご覧、現実を。まったくゾッとする世の中だ」と軽くあしらわれることになりました。それでもあまりに暑い倦怠の真夏、巷の諸問題から逃亡し、思い切ってローマの亡霊伝説を追ってみることにします。街角のバールでのおしゃべり気分で、さらっと読んでいただけると嬉しいです(タイトル写真はイメージです)。 Continue reading