真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part2.

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わたしの周囲の人々の多くは、少なくとも表面上、亡霊超常現象、あるいはエクソシズム、あるいは降霊術(spiritismo)の話をすると、笑い飛ばす傾向にあります。それはおそらく、弁証法的唯物論主義とする人々が多くいるからだと思いますが、ひょっとすると、本当に恐ろしがって話さない人々もいるのかもしれず、特にエクソシズムや降霊術の話をすると、「そんな危ない話題に近づくべきではない」と慌てた様子で諭されることすらあります。もちろん『ゴーストハンターズ』のようなマニアックな青年たちが存在しても、彼らもまた、超常現象を、あくまでも「科学的な姿勢で調査している」ことを強調している事実は前項の通りです。それでもアンダーグラウンドには、やはりいまだにエクソシストが存在し、降霊術のグループも活動を行なっているようでもあり、ローマの廃墟群の片隅に謎深き神秘世界が広がっている気配は確かにあります。しかしながら、ローマの亡霊伝説 Part2.では、その方面にはあまり近づくことなく、街で語り継がれたオーソドックスな亡霊伝説を追いかけてみよう、と思います(タイトル写真はイメージです)。▶︎Part1.はこちらから

サンブーチ、テオドーリ城の亡霊伝説

ところで降霊術、といえば1978年に起こった『アルド・モーロ事件』で、当時、若き大学教授であったロマーノ・プロディ元首相が、友人たちとともに開いた降霊会に参加し、出現した亡霊に、誘拐されたアルド・モーロの居場所を尋ね、「グラドリ」という地名を得たことは有名な話です。プロディをはじめ、他の参加者すべてが、「降霊会などはじめてだったが、われわれは正真正銘、その名を降霊会から得た」と口を揃えるにも関わらず、当時も現在も、その告白を真に受ける人存在しません

なお、降霊術(spiritismo)に関しては、ローマにも「亡くなった人を呼び寄せ、会話をする」グループが存在しており、その本部は意外と中心街にあって、たとえば幼い息子さんを亡くしたお母さんや、恋人を亡くした娘さんなどが訪れ、霊媒を通じて死者と会話をするのだそうです。もちろんこのグループは、寄付を募ったり、高額な報酬を得ることなく、最愛の人物を亡くした人々に希望を与えるために活動していると言いますが、降霊術=スピリティズムは、現代のカトリック教会からはサタニズムの一種として強く拒絶され、糾弾されています。

亡霊超常現象、そしてスピリティズムは、すべて悪魔の仕業です。悪魔は狡猾で、その人を支配するためであれば、真実を語ることもあり、親切にしてくれることさえあります。そしてそれこそが危険なのです」

これは2016年に亡くなった、『最後のエクソシスト』として有名なアモルフィ神父の言葉です(もちろん現在でも多くのエクソシストの神父の方々が存在します)。なるほど、はじめはにこやかに近づいてくる詐欺師的な人間にも当てはまる、普遍的洞察だとも感じます。いずれにしても、エクソシストとしてのアモルフィ神父のお話や悪魔祓いの現場の動画はかなり衝撃的で、信仰のある方々は心底怖い!と思うのかもしれません。悪魔の存在を信じる、信じないは別として、最近では、悪魔祓いの儀式の前には、心理セラピストの診断を受けなければならない決まりになっているそうです。

さらにアモルフィ神父の動画を、Youtubeであれこれ見ながら意外に思ったのは、エクソシスト以前の神父の経歴でしょうか。神父はなんと戦時中、武器を手に、ファシストたちに猛然と抵抗したカトリックパルチザンだったそうで、戦後、郷里で知り合いだった、イタリアの政界に長く君臨した魔王、ジュリオ・アンドレオッティの仲介で(アンドレオッティはキリスト教民主党でしたから、教会に知人が多くいたのでしょう)、ローマのサン・パオロ教会へ配属されることになり、そこでエクソシストとしての修行を積んだと言います。

インタビューに答えて、「ソ連ではスターリン時代でさえ、人々は平等に分け合って(しあわせに)生活していた」という爆弾発言もあり、かなりのカトリック左派でいらっしゃったのだ、という印象を持ちました。わたしには信仰がないため、「悪魔」を形而上の存在として捉えるほかありませんが、僧院質素な生活を送りながら、狡猾な悪魔と闘い、多くの信者を救ってこられた生涯には、敬意を表したいと思います。考えようによっては、人々を悪魔から守る、まさにパルチザンの人生を送ってこられたのだ、と感慨深くもありました。

さて、このように、亡霊のリサーチや降霊術、エクソシズムなどが、アンダーグラウンドでは、どうやら活発に繰り広げられてはいるようでも、なかなか口の端にのぼらないローマですが、同じラツィオ州でも、ローマ市を離れると、多少様子が変わってきます。

つい最近、ローマから車で1時間30分ほどのスビアーコにある、「サン・ベネデットの小さな湖=Laghetto di San Benedetto」に、友人たちと出かけた時のことです。この、川に造られた小さい人工の湖は、なぜか「ラツィオのカリブ海」と呼ばれていて、透き通った水が、痺れるほど冷たいとはいえ、いつ出かけても超満員で、狭い湖畔で座る場所を見つけるのもひと苦労の人気スポットになっています。

サン・ベネデット(480年~547年)といえば、イタリア全国のカトリック教会で実践される、Legora Benedettiana(ベネデットの規律)を創設した、カトリック教会の重要な聖人で、スビアーコの断崖絶壁の山にある洞窟で3年間、瞑想の日々を送ったのち、その周辺に12の僧院、教会を造っています。また、イタリア各地で多くの奇跡を起こしたことでも有名な聖人です。

ちなみにサン・ベネデット僧院は、聖人が3年間瞑想した洞窟の上部、険しい断崖絶壁の、「イタリアにこんな場所があったのか」と感嘆する絶景に建造されており、どこか原始的で、強いて例えるならヒマラヤを彷彿とする(行ったことはないのですが)、神秘漂う聖域となっています。このサン・ベネデット僧院には、イタリアに1枚しか存在しないと言われる、サン・フランチェスコ(フランシスコ)の肖像画が残っているそうです。

本項には直接関係ないのですが、「サン・ベネデットの小さい湖」の水は、真夏でも信じられない冷たさで、怖いもの知らずの若者たちが大騒ぎしながら飛び込んで、水浴びしています。ここもまた、サン・ベネデットが奇跡を起こしたことで有名で、サン・ベネデットの奇跡の力を借りたサン・マウロが、湖上をするすると歩いて、溺れかけた別の神父を助けた、という逸話があるそうです。

と、こうして気持ちよく、スビアーコを語っていますが、実は今から語ろうとしている物語は、スピアーコにはまったく関係なく、湖に行く途中に寄ったの話です。というのも、「せっかくここまで来たのだから、今までに行ったことがない街で昼食にしよう」ということになり、Googleマップであれこれ探して、結局、サンブーチという中世の小さい街に立ち寄ることになったという経緯があったからです。

標高434mといくらか高い位置にあるサンブーチですから、多少涼しいのではないか、と期待していましたが、いざ街に到着すると、容赦なく照りつける太陽のせいで陽炎がゆらめいて、むしろ地上よりも暑く感じてガッカリもしました。しかも休日のせいかどこもかしこも閉まっていて、広場を歩く人影もなく、閑散としています。

しばらくうろうろするうちに、たったひとつだけトラットリアのシャッターが開いていたので、「助かった!」と躊躇なく飛び込んだところ、実は開店していたわけではなく、店主のご家族のお誕生日会が開かれている最中だということで二重にガッカリし、大きくため息をついて、踵を返そうとした瞬間です。汗だくのわれわれを気の毒に思ったのか、店主の方が「今日は叔母さんの90歳の誕生日で、客用の料理は何にもないけど、簡単なものでいいなら」と、親切にテーブルを作ってくれることになったのです。

店に集まっていたご家族は、というと、90歳のお誕生日を迎えた叔母さまと、92歳のそのお姉さま、88歳の妹さん、お孫さんらしい30歳くらいの夫婦、そしてラファエッロが描く天使によく似た、驚くぐらい綺麗な顔の7、8歳のふたりの少女が、バースデイケーキを切り分けていたところでした。聞くところによると、実際ラファエッロは、ローマからサンブーチの周辺あたりの街までモデルを探しにきていたそうです。

とにかく、92歳のお姉さまを筆頭に、誰もが元気でおしゃべりで、いつの間にかわれわれもすっかり仲間に入れていただき、一緒にちょっとしたゲームをしたり、ケーキをお相伴したりと、いまやローマではなかなか味わえない、まさに砂漠のオアシス、とも言うべき小さいトラットリアで、アットホームでしあわせな時間を過ごすことになりました。

そうこうするうちに、少女がわれわれのテーブルに近づいてきて、悪戯っぽい顔をしたかと思うと、「サンブーチには亡霊がいるんだよ」と囁き、すると後ろに座っていた92歳のお姉さまも、「そう、いるんだよ」と表情を変えないまま、しかし少し声を顰めながら相槌を打つのです。「本当?」と聞き返すと、「そう、霧がかかる日は、亡霊が歩き回るから遊びに出かけてはいけないの」と少女は面白そうに笑いました。ちょうど亡霊のリサーチ中、さらに詳しく聞こうと身を乗り出したところ、彼女の妹の携帯から音楽が鳴り響くや否や、ふたりで仲良く踊りはじめ、ご家族の手拍子が賑やかにはじまったため、結局その続きを聞くことができないまま、われわれも出発する時間となってしまったわけです。

そこで、亡霊のことをさらに詳しく知りたいと、後日、再びサンブーチを訪問することにしました。相変わらず暑い石の街を、汗だくになりながら歩いて、トラットリアのある広場へ向かいます。すると確かにわれわれが幸福な時間を過ごしたトラットリアがあったはず建物は朽ち果て、雑草まで茂っており、呆然と立ちすくむことになりました。はて、道を間違えているのだろうか、と通りすがりの老人に「このあたりにトラットリアがあったはずですが」と尋ねると、「おかしいねえ。ここはもう何年も前から廃墟だし、この街にはトラットリア一軒ないよ」と笑いながら答え・・・・。

続けたいところですが、残念ながら、それから一度もその街を訪ねたことはありません。そうではなく、あのとき少女が囁いた、亡霊の物語を調べてみようと思い立ち、ネットを放浪すると、この小さい中世の街には、やはり有名な亡霊の物語がありました。

サンブーチの中心には、この亡霊物語の舞台となる、広々とした庭を抱くカステッロ・テオドーリという中世の立派なお城があります。そのお城の存在の記録は1052年からあるそうですが、時代時代で領主が変わり、何代めかにテオドーリ一族の所有となったため、いつしかカステッロ・テオドーリと呼ばれるようになったようです。なお、テオドーリ一族というのは、第一回目の十字軍遠征に赴いたフェデリコ・テオドーリから続く、3人もの枢機卿を輩出したローマの名家です。

中世のいかめしさと、のちに建て増しされたらしいバロック様式建築の優美さを併せ持つ、そのお城には次のような伝説が残っています。

その昔、街で1番の美女と謳われた娘は、テオドーリ城の要塞の中で働いていました。領主は多くの財宝を持つ権力者で、嫌がる娘にしつこく言い寄っていたそうです。しかし娘にはすでに意中の青年がいて、彼と結婚することだけを夢見ていましたから、日々の辛い労働にも、しつこい領主にもじっと耐え、陽気に働いていたのです。一方、傲慢で居丈高な領主は、けなげに愛し合うふたりを妨害しようと、着々と策略を練っていました。

やがてふたりは婚約し、間もなく結婚式を迎えようとしていた時のことです。とんでもないニュースが舞い込んできました。領主が「ius primae noctis」を発令した、というのです。ius primae noctisとは、フランスやスペインにも存在した、領主であれば、自分の領土で結婚する女性の結婚式の前日に、領主がその女性と一夜を共にする権利を有する(!)という、現代においてはありえない、女性の尊厳を踏みにじる野蛮極まりない法律で、しかし中世には本当に存在していた、との多くの証言がある「領主の権利」です。

そのニュースに狼狽したふたりは途方に暮れ、遂に勇気を振り絞っての領主暗殺企てた青年は、反対に領主に殺されてしまいます。娘は、あまりの絶望で嘆き悲しみ、非道な領主に永遠に復讐することを誓いながら、城の要塞で自害しました。やがて気が遠くなるほどの長い時間が過ぎ去って、城の領主であった貴族の系譜は途絶えてしまいましたが、娘の亡霊だけがその城に残ることになったのです。

それが「サンブーチには亡霊がいるんだよ」とラファエッロが描く天使によく似た少女が言っていた亡霊です。標高が高く、霧が深く降りる日が多くあるサンブーチには、領主を探しているのか、それとも殺された恋人を探しているのか、今もなお、あの娘が音もなく彷徨っています。

とはいえ、あまりロマンティックではない考え方をするならば、見通しの悪い霧の日に子供たちが遊ぶのは、標高が高いサンブーチの崖の上から落ちる可能性もあって危険なので、街の人々は子供を外に出さないために「亡霊が来るよ」と脅かしたのかもしれず、どちらかというと、そちらの可能性が高そうでもあります。しかし、サンブーチのような中世の小さい街でなら、誰もが寝静まった霧の夜、美しい亡霊が音もなく彷徨うのも、あまり不思議な光景ではないように思うのです。

素晴らしく整備された庭から見たカステッロ・テオドーリ。繰り返し修復され、バロック様式の影響も見られます。街の人と話した際、この城は第二次世界大戦が佳境を迎えた頃、ドイツ軍SSのケッセリング隊長がなだれ込み、武器庫として占領していたということでした。ケッセリングはサンブーチを拠点に、南イタリア全土を占領するつもりだったと言います。これは亡霊伝説よりも恐ろしい話でした。

▶︎ローマに残るオーソドックスな亡霊伝説

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