Category Archives: Anni di piombo

『鉛の時代』: イタリアのもっとも長い1日、ブラックホールとなった1978年3月16日

1978年3月16日、イタリアが歴史の重要な断片を喪失する、『モーロ事件』が起こる2日前のことです。『キリスト教民主党』のリーダーであるとともに、ローマ大学サピエンツァの教授だったアルド・モーロに、「次の卒業論文の採点が最後になりますね。共和国大統領になられたら、大学にはいらっしゃれなくなるでしょうから」と、助手だったフランチェスコ・トリットが、何気なく話しかけたそうです。するとモーロは「愛情のこもった言葉をありがとう」、といつも通りに微笑んだあと、「しかしわたしは、大統領にはならないと思うよ。おそらくジョン・ケネディと同じ最期をたどることになるだろう」と付け加え、トリットをギョッとさせた、というエピソードがあります。アルド・モーロはその頃、最有力の次期大統領候補とみなされていました(ジェーロ・グラッシ)。 Continue reading

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『鉛の時代』: 「蛍が消えた」イタリアを駆け抜けた、アルド・モーロとは誰だったのか

1978年に起こった『アルド・モーロ誘拐・殺害事件』は、イタリアの「ダラス」、あるいは「9.11」として、イタリアの近代史における大きな転換点となった事件と言われます。今のイタリアからはまったく想像できない、常軌を逸したテロが、凄まじい勢いで荒れ狂った『鉛の時代』。その悲劇は55日もの間、イタリアの社会を恐怖と緊張に陥れ、人々を絶望の淵に突き落としました。のち、犯人たちは逮捕され、司法で裁かれましたが、事件の詳細の辻褄が合わず、現代に至るまで全方向から調査が継続されるとともに、アルド・モーロという人物が、イタリアにとって、どれほど重要な人物であったかが、繰り返し語られることになる。その事件の重大さを理解するため、アルド・モーロとはいったい誰で、何をしようとしていた人物であったかを、まず知っておきたいと思います。 Continue reading

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『フォンターナ広場爆破事件』から50年、『鉛の時代』がイタリアに遺したもの

社会に渦巻いた憎悪、恐怖と不信。15年間377人犠牲者を出すに至った、イタリアの『鉛の時代』原点となった『フォンターナ広場爆破事件』は、2019年12月12日50年のメモリアルを迎えることになりました。それを機にジャーナリストや検事、歴史家が次々と本を出版。TVでは複数のドキュメンタリーが放映された。半世紀を経てもなお、公正な審判を求め、調査を続行するイタリアの執念を感じると同時に『100000サルディーネ』の出現に遭遇し、『鉛の時代』に打ちのめされた『革命』の魂は、その形を変え、静かに、ゆるやかに生き延びたのではないか、と思うようになりました。 ●タイトルの写真はAgenzia Fotogrammaより転載。Piazza duomo – funerale delle vittime della strage di piazza fontana ードゥオモ広場で開かれた『フォンターナ広場爆破事件、犠牲者の葬儀 (fotogramma / Treves/ Fotogramma, Milano – 1969-12-15) Continue reading

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貧しき者たちに寄り添い、『インテグラルなエコロジー』を世界に訴えるフランシスコ教皇

最近のイタリア政治には少し暗雲が漂っていますが、まもなく教皇が日本を訪問されるので、キリスト教やローマ・カトリック教会のこと、そしてフランシスコ教皇が日頃おっしゃることなど、改めて考えたり、調べたりしてみました。なにより深く感銘を受けるのは「貧しき者たちによる、貧しき者たちのための教会を」とおっしゃって、社会で最も弱い立場にある人々に常に寄り添い、消費主義=『廃棄文化』に誘発された環境破壊と気候変動が、地域社会、ひいては世界の均衡を大きく崩している、とご指摘なさることです。わたしはカトリックの信仰者ではありませんし、一神教には懐疑的ではあっても、教皇のおっしゃることには強い共感を覚えています(写真は、いつの頃からかローマの地下鉄スペイン広場駅に描かれたグラフィティ)。
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『鉛の時代』拳銃とパンと薔薇、’77ムーブメントと『赤い旅団』

何回かこのサイトでも書きましたが、イタリアに慣れた頃、最も非常識に思ったのは、日本では1970年まで続いた学生運動以後、すっかり廃れてしまった『占拠』という現象が、あちらこちらで日常茶飯事に起こっていたことでした。荒れ果てたまま置き去りにされた古い劇場や映画館、営業を停止したホテル、広大な工場跡や廃屋となった議員宿舎が、文化スペース住居として、ある日突然有志たちに『非合法』に、しかし堂々と『占拠』され、当然のように普通に機能する。もちろん、『非合法』ですから強制退去の危機と常に背中合わせではありますが、退去になればまた占拠、と人々は『占拠』を諦めない。そしてこの現象のルーツは、武装学生たちが発砲しながら荒れ狂い、『市民戦争』レベルにまで発展した’77のムーブメントにありました。 Continue reading

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『鉛の時代』国家の心臓部へとターゲットを変えた『赤い旅団』と謀略のメカニズム

現在、イタリアが置かれた政治状況から、共産党の大躍進と共に生まれた70年代『鉛の時代』の騒乱を俯瞰すると、感慨深い気持ちになります。もちろん思想、インターネットを含む情報環境や時代背景などはまったく異なりますが、昔『共産党』、今『5つ星運動』と市民が一丸となり、既存の政治にNOを突きつけるという有り様は、大戦中のアンチファシスト・パルチザンを経て60~70年代に育まれ、現在に至るまでイタリア市民に根づく『反骨精神』とも言える。ああ言えば必ずこう言う、権力への服従にはほど遠い、この『予定不調和』こそが特筆すべきイタリアの精神性のひとつです。

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『鉛の時代』 イタリアの知の集積 フェルトリネッリ出版と『赤い旅団』の深い関係

2018年3月16日、戦後イタリアの民主主義の構築を根底から覆した、と言われる『アルド・モーロ元首相誘拐・殺害事件』の40年目のメモリアル・デーを迎えました。長い時間をかけ、重要なポジションにいる検事、数々のジャーナリストたち、歴史家たちにより、あらゆる側面から、この大事件の詳細、背景が調べあげられ、もはやどこから手をつけたらいいのか分からないほどの、幾万の情報が積み上げられています。(この項は、『赤い旅団』誕生の背景  からの続きです。写真はジャンジャコモ・フェルトリネッリとフィデル・カストロ。movieplay.it 、feltrinellieditore.itより引用) Continue reading

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機が熟すとき: 『鉛の時代』の幕開け、そして『赤い旅団』誕生の背景

イタリアの70年代、つまり鉛の時代へと遡るうちに底なしの闇に迷い込み、「このまま先に進むことで何かが見えて来るのだろうか」、そして「これらは果たして本当のことだろうか、もし本当なら、こんなことが許されるのか」という不信感が交互に湧き上がり、なかなか踏み込んでいけなかったのが、欧州最大の極左テログループ『赤い旅団』にまつわるエピソードでした。一方で、自分とはまったく関係なさそうな遠い次元の話に思えても、わたしたちの生活そのものが、個人、社会、世界、と多次元のレベルで構築されていて、それを認識するしないに関わらず、実はあらゆる次元を同時に生きている、ということを再確認した次第です。

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『鉛の時代』パソリーニ殺人事件の真相と闇:「唯一」の犯人の死

地中海の明るい太陽輝く、陽気で美しいイタリアには、絶望と悲しみに彩られた深い闇も同時に存在することを、ふいに感じることがある。米国CIAとイタリア国家の一部により、戦後画策された『グラディオ作戦』『フォンターナ広場爆破事件』からはじまった『緊張作戦』に煽られエスカレートした政争で、イタリアを血の色に染めた『鉛の時代』ピエール・パオロ・パソリーニの無残な死もまた、確実な証拠は上がらなくとも、『緊張作戦』の一環と捉える人々が多く存在します。その事件の真相を知るであろう、パソリーニ殺人の犯人として、たったひとり刑に服した当時17歳の少年、ジュゼッペ(ピーノ)・ペロージが今年7月20日、59歳でひっそりと病死しました。 Continue reading

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『鉛の時代』諸刃の剣 Gladio

多くの無辜の市民の生命を奪い、若者たちの人生を狂わせた、陰謀と流血、虚栄と野望と絶望が渦巻くイタリアの『鉛の時代』。その物語を現在から俯瞰するうちに、先進国と言われる国々に住むわれわれが、かつて『終戦』を迎えた、というのは、実は幻想なのではないのだろうか、という感覚に陥ります。第二次戦争大戦ののちの冷戦下、朝鮮半島、ヴェトナムなどアジアの国々、南米各国、東欧、中東、そして『ベルリンの壁』崩壊後は中東、アフリカへと戦火の矛先は集中していく。われわれの日常からは遠くとも、爆音と燃え盛る炎は、この地球上から消えたことがありません。 Continue reading

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