極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part2.

Anni di piombo Deep Roma Società Storia

今までは「当たり前」、と改めて考えることも、ありがたく思うこともなく使っていた、ガス・電気という現代生活の基盤でもあるエネルギーが、ウクライナ危機の勃発とともにみるみる高騰し、われわれが生きる世界が甚だしく脆弱なシステムの上に構築されていることを、ひしひしと実感する毎日です。個人的には、あまり納得できない人選でしたが、上院、下院の議長が、ようやく決定したにも関わらず、懸念の組閣はなかなか進んでおらず、連立与党『右派連合』の『イタリアの同胞』『同盟』『フォルツァ・イタリア』間では、重要な閣僚ポストを巡って、熾烈な争いが繰り広げられ、憎悪まで噴出しはじめました。イタリアの市民、企業にとって一刻を争う緊急時、10月23~25日あたりに樹立する予定とされる政府が、早急に、確実なメンバーで構築されることを願います。ただし、新政府につきまとう不安として、国家主権主義を謳う『イタリアの同胞』及び『同盟』の人権問題への姿勢、そして無謀な『憲法改正』の提案があることを、まず強調しておきたいと思います(タイトル写真は2018年、イタリア全国パルチザン協会A .N.P.I.ローマ集会の1シーン)。

ジョルジャ・メローニは本当に危険なのか

「Dio、Patria e Famiglia(神、祖国、家族)」という、ほのかにファシズムを想起する、自身のモットーについて、ジョルジャ・メローニはこう語っています。「『神、祖国、家族』は政治的なスローガンではなく、何世紀にも渡り継続する、最も美しい『愛』の宣言だ。そのルーツはキケロの『pro Aris et Focis』、つまり神と祖国のため(あるいはわれわれの祭壇とわれわれの炉のため)という精神が、常に西洋文明の基礎であった事実に拠る」

保守とは、自分自身が歴史の相続者であると感じること。つまり、伝統、文化、アイデンティティ、帰属意識受け継ぐという歴史認識を持つことである。変化そのものに反対することではない」「わたしは保守的な人間だ。『神、祖国、家族』というスローガンが『現代性』と衝突するとは思っていない。それはアイデンティティを守るという意味であり、祖国、家族、そして宗教的なアイデンティティこそが基本だ」(コリエレ・デッラ・セーラ紙)。

この「神、祖国、家族」というメローニのモットーは、イタリア統一の三傑のひとりとされる人道主義者ジゥゼッペ・マッツィーニ(1805-1872)による、歴史上はじめて、有機的に考察された法哲学の論考、『人間の義務』の中核を成すコンセプト(あるいはインデックス)です。

その原文でマッツィーニは、義務と権利は対立するものではなく、互いに補いあう、と考えていますが、その思索は、ムッソリーニのイデオローグである思想家ジョバンニ・ジョンティーレ、政治家アルフレド・ロッコにより、ファシスト党の綱領の都合に合わせて大きく改ざんされることになったのだそうです。ちなみにマッツィーニは、民主主義の父と呼ばれ、その理論は、共和制国家による民主主義の確立を目指す近代ヨーロッパの形成に重要な役割を果たしています(Wikipediaーイタリア語版参照)。

メローニの、このモットーについては、「ファシストのモットーだ」「いや、違う、マッツィーニはファシストではない」との論争が巻き起こりましたが、たとえばボローニャ大学現代史教授ロベルト・バルザーニが「ヴェンテーニオ・ファシスト(ムッソリーニが権力を握った1920年代)に遡るなら、その言葉は、イタリアの建物の、あちらこちらの壁面に書かれており、紛れもなくファシストのものだ。いくつかのマッツィーニの概念を超国家的に捻じ曲げたもの」と断定しています。一方、人道主義者であるマッツィーニの「Umanitàー人間」の概念は、ムッソリーニのファシスト党の綱領では完全に否定されたそうです(butac.it)。もちろんメローニのモットーからも、やはりマッツィーニの論考で最も重要な「人間」というコンセプトが抜け落ちていることが指摘されています。

このような解説を読みながら、現代のイタリアの人々の多くが『イタリアの同胞』を支持するのは、もちろんジョルジャ・メローニの魅力もありましょうが、いまや破綻の兆しすらあるハイパーキャピタリズムを背景に、資本のみならず、異人種が(難民の人々も含め)国境を超えて行き交うグローバリズムののち、突然訪れた未知の感染症と戦争が醸す恐怖で、倫理的にも、経済的にも傷ついた人々(わたしも含め)の、曖昧になりそうなアイデンティティを取り戻すための補償行為なのかもしれない、との感想を持ちました。

しかしながら、だいたい確固とした「アイデンティティ」というものが、生きるうえでそれほど重要なものかどうか、はたして本当に存在するのか否か、わたしにはまったく判断がつきません。

ところでメローニが、なぜそう呼ばれるか、出自であるMSI(イタリア社会運動)が、どのように過激危険な政党であったかを明らかにしないままに、外国メディアがこぞって「ファシスト、ポストファシスト、ネオファシスト」と、安直に断定していたことには、多少の疑問を感じました。また、中間選挙を前にしたジョー・バイデン大統領までが、民主党の議員を前に「油断しているとイタリアのようになるぞ」という発言をして、「え?! イタリアって、脅しに使われるほど恐ろしい状況なの?」と、まだ何もはじまっていない、案外穏やかなローマで首を捻ることにもなったわけです。

そこで、はたしてジョルジャ・メローニ、及び『イタリアの同胞』が、本当にファシスト、全体主義、及び独裁主義だと思うかどうか、『鉛の時代』を生きた年代の人物に尋ねてみることにしました。すると、「わざわざそんな事を聞かずに『イタリアの同胞』のシンボルを見てみなさい。そしてかつてのネオファシスト政党、MSI(イタリア社会運動)のシンボルと比べてみるといい」との答えが返って来ることになります。両者のシンボルをなんとなくは知っていて、確かに非常によく似ている、とは思いながら、改めて見比べると、その人物は眉を顰めて、こう続けたのです。

「MSIの炎の下にある赤い台と、『イタリアの同胞』の炎の下の黒いラインが何を表現しているか、知っているかい? ムッソリーニの棺、墓だよ。その墓からトリコロールの炎が噴き出しているじゃないか。確かにメローニは『ファシストは、すでに歴史となった』と明言しており、ファシスト否定宣言をしているが、周囲からもシンボルを変えるように、とさんざん言われていたにも関わらず、今までシンボルを変えようとはしなかった。確かに現代では、ムッソリーニ時代のファシズムが、そのままに実現するとは思えないが、MSIの精神が『イタリアの同胞』に宿っているはずだ、とわれわれ世代は考える。そして、それはノスタルジー以上の精神だと捉える」

左がMSI(イタリア社会運動)、右が『イタリアの同胞』のシンボル。いずれもWikipediaより。

そのときのわたしは、とりあえず頷きながら、「なるほど、これは深淵な暗示かもしれない」と聞いたわけですが、ムッソリーニ時代も『鉛の時代』も知らない、1977年生まれのジョルジャ・メローニはともかく、『イタリアの同胞』には明らかにMSIの流れを汲むメンバーが多く存在していることなどから、政党メンバーにはムッソリーニの精神を内に秘めた人々が存在している可能性がある、と考えておいた方がよいのかもしれません。

もちろん、その暴力的な精神は時間と共に薄れ、リノベーションされてもいるはずですから、やみくもに恐れることはない、とは思いますが、ウクライナの戦争がエスカレートし、世界経済が混乱する、なんとなく大戦前夜のような薄暗い空気が漂う世界では、何が起こっても不思議はなく、警戒するに越したことはありません。

なお、MSIというネオファシスト政党は、戦後のイタリアに根強く残ったムッソリーニ信望者たちが創立した政党です。具体的には、欧州における共産主義を水際で排斥するための国際謀略作戦であるグラディオ下、イタリアでは「Strategia di tensione(緊張作戦)」と呼ばれ、血で血を洗う市民戦争にまで発展することになる『鉛の時代』を創出した、極右グループによる数々の無差別テロ事件黒幕とされる人物を、相当数輩出しています。また、CIAをはじめとする国際諜報と密に繋がる、無差別テロ実行犯とされる極右グループ、『オーディネ・ヌオヴォ』の創立者ピーノ・ラウティは、MSIの幹部、のち書記長になった人物でもありました。

さらに、『鉛の時代』のすべての極右テロ事件(極左テロにも)の背後に、必ず名前が上がる秘密結社『ロッジャP2のグランドマスター、リーチョ・ジェッリもMSIのメンバーであり、今回の選挙では『イタリアの同胞』から、『オーディネ・ヌオヴォ』の創立者であるMSI幹部の御令嬢が、議員として当選する運びともなっています。このような時代背景から、『鉛の時代』を生きた世代の人々は、ことさらに『イタリアの同胞』に危機感を抱いているように見受けられますが、まだ何もはじまっていないため、今の時点では、『イタリアの同胞』はそのような背景がある政党だ、としか言えません。

さて、ローマで生まれたジョルジャ・メローニは、幼い頃、父親が家族を捨て、他の女性とカナリア諸島に行ってしまったため、富裕層が多いローマ北部から、母方の祖父母が住むガルバテッラに引っ越し、慎ましく暮らす家族に支えられて育ったのだそうです。彼女の右翼思想には、母親の影響がある、と言われ、それは家族を捨てた父親共産主義者だったことにも関係しているかもしれない、と多くのメディアが語っています。しかし、確かにその筋書きがまことしやかではあっても、実際のところ、父親が共産主義者であったことは、自分が政治活動をはじめた後知った、とメローニ自身は語っていました。

また、メローニが成長したガルバテッラ地区は、1920~30年代、ヴェンテーニオ・ファシスト時代に整備された、なかなか素敵な建築が並ぶ庶民的な地区で、伝統的には左派優勢なゾーンとして知られています。それでも幼少の頃のメローニを知る人々は、「太陽のように明るくて、賑やかな女の子だった。地区の右翼グループに通っていたよ。彼女が首相になることはとても嬉しいが、政治はまた別の問題」「ロックダウンのまっただ中、買い物に来たジョルジャは他の人々同様に列に並んでいたんだ。先に並んでいいよ、と言っても、彼女は皆と一緒に列に並んでいた。すごくいい子だよ」など、いかにもローマの下町の人々らしく、温かく、親愛に満ちた言葉を寄せています。

そのメローニは、15歳から前述のMSIの青年部であるFronte della Gioventù(青年戦線)に通うようになり、ローマの極右グループ、極左グループの極端な反目の中で成長することになったわけですが、殺し合いにまで発展する、両者の暴力的な抗争が頂点に達した時代を、実際には知らない世代です。やがて彼女は、ローマの極右基地として有名な(神秘主義でも有名だそうです)、ジャン・フランコ・フィーニ率いる政党『国民同盟』(現在は消滅)の青年部、コッレ・オッピオのYouth Actionの責任者を任されるようになり、みるみるうちに国政に躍り出ることになりました。なお、現在の『イタリアの同胞』には、その頃からの仲間たちも多くいて、今でも彼女を支えています(詳細はWikipedia日本語版で)。

※フランスのTVのインタビューに答える19歳のメローニは「ムッソリーニは優秀な政治家だったと思う。彼のしたことは、すべてイタリアのためだった。この50年間、彼のように優秀な政治家は出ていない」と答えています。ことあるごとに、この時の彼女の言葉が取り沙汰されますが、25年以上も前の発言なので、現在、評価すべき発言ではないようにも思います。

ところで、欧州連合が、ことさらにメローニを警戒するのは、ことごとく欧州連合と対立する、国家主権主義を掲げるハンガリーヴィクトール・オルバンと、『イタリアの同胞』が盛んに交流してきた経緯があるからですが、メローニはハンガリーのみならず、スペインの極右政党Vox(フランコ主義)とも親密な関係にあり、選挙の直前にもマドリッドを訪れ、Voxが開いた大集会に参加していました。その集会でメローニは、件の「わたしはショルジャ、わたしはひとりの女性、ひとりは母親、わたしはひとりのクリスチャン」(Part1)とはじまる演説を、スペイン語で披露して、満場の喝采を受けています。選挙後すぐに「Voxがわれわれのように、総選挙で第1党に躍り出ることを願っている」などとも発言し、反欧州主義、国家主権主義の他国の政党とも強い絆を築いていることを明確にしました。

さらに10月9日には、「われわれ『イタリアの同胞』、『中道右派』の勝利はイタリアに熱狂的に受け入れられた。現在の官僚主義の欧州連合を、われわれ(国家主権主義政党)の望む欧州連合変えることができる。われわれ愛国者チェコ、ポーランド現政府、さらにこれからスウェーデン、ラトビア、スペインの国家主権主義政党が政権を担うまでに支持を伸ばせば)が、欧州をさらに偉大にすることができるのだ。欧州はプラグマティックであるべきで、中国との関係を断たなければならない。人々はわれわれの話を聞いて、われわれがモンスターではないことを理解するだろう。Viva! 国家主権主義の欧州!」という主旨で、国家主権主義の国々(政党)との連帯による、欧州連合への挑戦、と思わせるビデオメッセージをVoxに送っています。

しかし現状を鑑みるなら、ジョルジャ・メローニがイタリアにとって危険な人物かどうか、『右派連合』が、たとえば扇情的に伝統的家族主義、移民排斥、マイノリティ差別をベースにした国家主権主義を謳って、欧州の分裂を企てるような行動に出るようなことがあるのか、といえば、今のところ可能性は低いように見受けられるのです。

まず、米国と欧州各国から絶大な信頼を寄せられるマリオ・ドラギ首相セルジォ・マッタレッラ大統領の多大な影響下、イタリアが欧州連合に頼らなければ経済的余裕はない状況で、おおっぴらにイデオロギーを主張できるかどうかは疑問であり、少なくとも今のようなデリケートな時代、まずは喫緊である、市民、そして企業を苦しめる光熱費の急上昇を解決しなければならないことを、メローニは熟知しているはずです。もし万が一、イタリア欧州連合対立するようなことがあれば、あっという間に国債スプレッドが急上昇し、市場から投機攻撃を受けることにもなりかねません。

なお、組閣の顔ぶれが、ほぼ決定されるであろう今年2022年10月28日は、奇しくもムッソリーニが「黒シャツ隊」を引き連れ、無血クーデターによって政権を獲得した「ローマ進軍」から100年目のメモリアルとなります。その重たい記憶が蘇る今年、『イタリアの同胞』が政権を担うことが、単なる偶然であることを願いますし、誰もがわけ知り顔で「歴史は繰り返されるのだよ」と語ることには、すっかり飽き飽きしています。

▶︎憲法改正と中絶法

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