自らのそばにいた友人がネオファシストに射殺される、という凄まじい政治闘争の真っ只中を生きた映画監督、パオロ・グラッシーニ。話の節々に、Kakubo(角棒)であるとかGebabo(ゲバ棒)などという特殊な日本語が飛び出して驚かされました。 Continue reading
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『鉛の時代』:革命家から映画監督へ パオロ・グラッシーニ Ⅰ
マシンガンのような人物です。とどまることなく言葉が発射され、その言葉を遮るには、強力な防弾ベストが必要でもあります。ローマの70年代、活動家として激動の時代を知り尽くす、映像作家、パオロ・グラッシーニに話を聞きました。 Continue reading
『鉛の時代』かけがえのない記憶 P.Fontana Ⅳ
1969年に起こった『フォンターナ広場爆発事件』の一連の捜査が、大きく方向転換をすることになったのは、事件から、なんと20年以上が経った1990年のことでした。
『鉛の時代』深い霧のなかへ P.Fontana Ⅲ
ロレンツォンの告発に基づいた捜査は地道に続けられ、事件から1年と2ヶ月が経過した71年3月、事件の核心に存在する、と見られる2人のネオファシスト、フランコ・フレーダ、ジョヴァンニ・ヴェンドゥーラに、ようやく検察の手が及ぶことになりました(写真は69年12月15日、ミラノ、ドゥオモで開催された爆発事件犠牲者の葬送に自発的に訪れた夥しい市民)。
『鉛の時代』もくろまれた真相 P.Fontana Ⅱ
前述のようにグイド・ロレンツォンの告白を巡る捜査は末端に追いやられ、『フォンターナ広場爆発事件』の直後、ミラノ中央警察署に設置された捜査本部で重点的に取り調べが進められたのは、アナーキストたちでした。 Continue reading
『鉛の時代』激動がはじまる時 P.Fontana Ⅰ
そののち、15年もの長期間に渡って続く『鉛の時代』と呼ばれる、イタリアの悲劇の時代は、ミラノの『フォンターナ広場爆破事件』を皮切りに、前触れなくはじまることになります(タイトル画像は、1969年12月12日、ミラノ全国農業銀行で、爆発が起こる寸前の16時37分の様子が描かれた劇画。「チャオ、フェラーリ、子供達は元気かい」「元気だよ。君の家族はどうだい?」、その日、クリスマス前の銀行では、のどかな会話が交わされていました)。 Continue reading
『鉛の時代』年表 Cronologia:rif
イタリアの『鉛の時代』全体の流れを大きく俯瞰するために、欧州の共産勢力を水際で堰き止めるために構築された『グラディオ作戦』下、イタリアでプロジェクトされた謀略、『緊張作戦』に関わる主要な事件、事象を年代順に羅列してみます (Wikipedia Italiano、書籍”Gli Anni fra cane e lupo”を一部 参照しました。写真はイタリアン・ポップアートで一世を風靡したマリオ・スキファーニ、68年の作品)。 Continue reading
Anni di Piombo 『鉛の時代』序
イタリア国外ではあまり語られることはありませんが、60年代後半から80年代前半にかけてのイタリアは、もはや「市民戦争」、あるいは「内戦」ともいえる、すさまじいバイオレンスが吹き荒れた時代です。
『鉛の時代』ローマ’70を変えたニコリーニ
現在のローマの文化の有り様を語るとき、レナート・ニコリーニは絶対に無視してはならない存在であり、今でもさまざまな場所で、その名が語られます。その後のローマのアンダーグラウンド文化のみならず、メインカルチャーの有り様をも決定づけることとなったEstate Romana(ローマの夏)の発案者、そして総指揮をとったレナート・ニコリーニ氏と、晩年仕事をしていたG・ラバンダ氏に、その人柄の魅力、当時のローマを語っていただきました。 Continue reading