このまま夏は来ないのではないか、というほど肌寒い毎日が続いていたローマが、朝起きたら突如として熱風吹きすさび、陽炎揺れる砂漠(!)になっていた、という極端な2019年の初夏は、イタリアの今の状況を、そこはかと暗示しているかもしれません。マテオ・サルヴィーニ副首相及び内務大臣は、2018年6月、衝撃的にイタリアの全港を閉鎖。粗末なゴムボートに乗せられ地中海を漂流する、難民の人々を長年救助してきた多くのNGO船の「生命を護る勇敢な救援者たち」という評価を打ち砕き、「海の悪質タクシー:NGOは難民ビジネスとつるむ犯罪者たち」という濡れ衣を着せて1年の月日が過ぎました。その後のイタリアはどう変わったのか、そして現在の地中海とリビアの状況を追ってみたいと思います(写真は、『港を開こう』をオープニング・タイトルのスローガンとした『チネマ・アメリカ』に続々と集まった人々)。
強調されるサルヴィーニ副首相及び内務大臣の価値観
最近ワシントンを訪れたマテオ・サルヴィーニ副首相及び内務大臣は、米国No.2のペンス副首相、ポンペオ国務長官と会談。政治家としてのキャリアをワンランク、アップさせています。
ドイツのメルケル首相、フランスのマクロン大統領と反目する副首相は、欧州連合を敵視するトランプ大統領との全面的な連帯を模索しているようで、今回、大統領との会談は行われずとも、まるでイタリアの首相であるかのように振る舞って、彼の立ち位置が過剰にショー・アップされたことは否めません。サルヴィーニ副首相が米国を訪問するや否や、米伊ともに同意見を持っているかのように、トランプ大統領は「ECB(欧州中央銀行)はユーロ安を不当に誘導している」とマリオ・ドラギ総裁を糾弾。ECBへ攻撃を挑みました。
この米国訪問の際、「サルヴィーニは、イタリアを米国にプレゼントしようとしているんじゃないのか」という声がジャーナリストや評論家から多く上がり、さらに「ロシア、米国と連帯するサルヴィーニは、欧州連合を弱体化させようとしているのだ」との謀略説も公に語られるようになりました。
一時、欧州連合から制裁(la procedura d’infrazione)を準備されるほど経済状況が悪化しているにも関わらず(7月2日時点で失業率が下がり国債スプレッドも低下。いくぶんは持ち直したように見えますが)『同盟』各氏の、フラットタックスだの、Mini-bot(最近、議論は下火になっています)だの、欧州連合が断固として反対する(もちろんトリア財務大臣、首相、共に政権を担う『5つ星運動』、『民主党など』野党からも反対の声が上がっています)政策を、強引に推し進めようとする姿勢から、やっぱり『同盟』は、ブレグジットの行方が定まらないまま、デリケートな空気が流れる欧州連合を揺さぶりたい、あるいは本当に離脱を計画しているんじゃないのか、と疑念が浮かぶほどです。
米国副首相、国務長官との会談を終えると、サルヴィーニ副首相は「米国の欧州への関税は、イタリアを標的にしたものではなく、ドイツ、フランスを標的にしているのだ。米国はイタリアに対して悪意はない」と、イタリアと米国の良好な関係を強調しました。さらには「トランプ・モデル同様に、イタリアも税金を下げるべき(フラットタックス)だ。それにわれわれは、『世界』に関するビジョンについて、99%合意している」とも語っています。
ちなみにフラットタックスというのは、裕福であればあるほど恩恵を得る税金システムであり、サルヴィーニ個人の人気に引きずられ『同盟』に投票した善男善女が、フラットタックス実現で、イタリア国内の貧富の格差がいよいよ広がることを分かっているのかどうかは疑問です。
こうしてサルヴィーニ副首相は「欧州のトランプ」として、イタリアが米国経済モデルを踏襲することを主張、さらには「赤字国債が1000兆円を優に超える」日本経済を例にあげ、「日本を見るがいい」、と自国の赤字国債の安全を解きますが、『自国通貨』を持たないイタリアは、自由気ままに紙幣を発行することはできませんから (Mini-botも含めて)、いまのところは欧州共通通貨ユーロの厳格な規律内での経済政策を進める以外に方法はありません。
そういうわけでサルヴィーニは、イランはイタリアの重要な経済パートナーであるにも関わらず、イランー米国戦争に賛同、先ごろイタリアと、一帯一路の契約を交わしたばかりの中国との貿易戦争も支持し、高いだけで役にたつかどうかは未知数のF35の購入にも賛成(3億8千9百万ユーロの支出)、原油埋蔵量世界No.1のヴェネズェイラで蜂起を企てたグァイドーを承認、とご本人が認めるようにトランプ政権のヴィジョンを99%踏襲。
欧州連合への戦闘態勢を頑として崩さず、今に欧州がイタリアに跪くことになる、と意気軒高です。くどいようですが、たとえ欧州議会選挙で『同盟』が第1党に躍り出たとしても、国政においてサルヴィーニは、副首相及び内務大臣でしかなく、イタリアの運命を動かすほどの威力は、現在のところはありません。
しかしながら最も気がかりなのは、このサルヴィーニ・スタイルが、巷にもじわり、と浸透してきたことでしょうか。欧州連合という、自らもその一端をなす巨大な経済共同体を敵に回し、攻撃姿勢を貫くと同時に、難民の人々や窮地に陥った人々を、容赦なく、乱暴に虐待する『マッチョな暴君』スタイルが、極右諸氏にもてはやされています。先の項でも触れましたが、『同盟』の支持率急上昇とともに、いつの間にか街のあちらこちらに、『カーサ・パウンド』だの、『ブロッコ・ストゥデンテスコ』だの、『フォルツァ・ヌオヴァ』だのの極右グループがのさばるようになり、いつからこんな強面の若者たちが急激に増えたのか、イタリアの各地で騒ぎを起こすようになりました。
それでも今回のような、観光客も多く集まるローマの中心街であるトラステヴェレで、Cinema America (チネマ・アメリカー毎年、夏になるとローマの広場でオープン・シネマを開催する若者たちのグループ)のTシャツを着ていただけで、突然、極右グループに殴る、蹴るの暴行を受ける、という理不尽としか言いようのない事件は、近年起こらなかったように思います。
アンチファシズムのシンボルとなったCinema AmericaのTシャツ
ローマの下町、トラステヴェレの文化の中心でもあった歴史的な映画館『Cinema America』を、16、7歳の少年少女のグループが占拠したことからはじまった、サン・コシマート広場のオープン・シネマ、『チネマ・アメリカ』。現在は『I Ragazzi del Cinema America(チネマ・アメリカの少年たち)』という名のグループとなり、青年たちの年齢にはそぐわない卓越したオーガナイズ力と、そのマニアックなセレクション、映画監督や人気俳優による作品のプレゼンテーション(しかも全作品無料!)で、いまやローマの夏の風物詩と呼べるまでに発展しています。
また、国内の大御所だけではなく、世界中の俳優や監督が、日替わり1回のみ上映作品のプレゼンテーションに駆けつけるようにもなり、トラステヴェレのサン・コシマート広場は、いつ行っても超満員という状況です。さらに、わたしは行ったことがないのですが、ローマ郊外カサーレ・デル・チェルヴェレッタ、そして今年から開催されるようになったローマの海岸地区オースティアの波止場も毎晩大盛況なのだそうです。
数年前にはイタリア映画の大巨匠、先頃亡くなったベルナルド・ベルトルッチ、エットレ・スコーラも、サン・コシマート広場を訪れ、自身の過去の作品を満場の観客の前でプレゼンテーションしています。このように、大御所や著名人、人気俳優がふらり、と若者たちがオーガナイズする庶民のイベントにやってきて、主催者の青年たちや観客と意見を述べあい、一緒に映画を観る、というセレブ感がまったくない光景はローマの素敵なところです。
さて、チネマ・アメリカについては、以前の項でも触れたので、ここではさらっと経緯をまとめるのみにとどめたいと思います。
1999年の営業停止以来、長い期間廃墟になったままだった、トレステヴェレの心臓部に位置する『チネマ・アメリカ』を、突然ミニアパートと駐車場付きの商業施設に改造するというプロジェクトが持ち上がったのは2007年のことでした。すると近隣の住民たちが、街の思い出でもある重要な歴史的映画館を、投資目的の施設に変貌させることに一斉に反対。ローマ市にプロジェクト中止を訴えたのが物語のはじまりです。
ゴリ押ししようとする建造物の所有者たちと住民たちの長い係争を経て、現在『I ragazzi del Cinema America(チネマ・アメリカの少年たち)』と呼ばれる映画マニアのグループ(当時は高校生)が『チネマ・アメリカ』を『占拠』したのは2012年のこと。
彼らは映画館の内部をシンプルに改装し、過去の重要な映画やマニアックな映画をセレクトして自主上映(もちろん無料)をはじめ、やがてソーシャル・シネマとして、ローマの話題を集めるようになりました。この動きには即刻、映画監督ナンニ・モレッティ、パオロ・ソレンティーノ、ジャンフランコ・ロージ、ダニエレ・ルケッティ、また、俳優ヴァレリオ・マスタンドレア、カルロ・ヴェルドーネを含めた錚々たる顔ぶれのイタリア映画人たちが、強力な支持を表明しています。
しばらくは何事もなく、『CINEMA AMERICA OCCUPATO(占拠中)』は平和に運営されていました。しかしある日突然、少年たちの手薄の時間を見計らい、所有者の指図で警官がなだれ込んできた。そして結局彼らは、あっという間もなく映画館から強制退去となってしまったのです。
と同時に、「彼らを強制退去にするのなら、僕はローマの名誉市民もオスカーも捨てる」、とパオロ・ソレンティーノをはじめとするイタリアの主だった映画人たちが、総出で少年たちを再び支援。さらには当時の大統領であったジョルジョ・ナポリターノまでが少年たちに賛辞を送るという展開になりました。
このように、みるみるうちに大騒ぎになるほどの、少年たちの映画界への影響力を重要視したローマ市(当時、民主党政権)は、そこで2015年、解決策としてトラステヴェレに別のスペースを用意したのち、地区の中核であるサン・コシマート広場での夏のオープン・シネマの開催を許可したというわけです。
それから4年が経ち、ローマの政権が変わった時期のちょっとした「いざこざ」をも経て、やがてチネマ・アメリカは、世界中から映画人が参加する、押しも押されぬ夏のビッグ・イベントに成長。毎年観客動員数を増やし続けています。今年、ローマ郊外のカサーレ・デル・チェルヴェレッタで、主演のマルチェッロ・フォンテを招いて開催した昨年のカンヌ映画祭男優受賞作『DOGMAN』のオープン・シネマには、無料とはいえ、2000人(!)もの観客が集まったのだそうです。
こうして『I ragazzi del Cinema America (チネマ・アメリカの少年たち)』は、相変わらずカジュアルな立ち居振る舞いで、ラツィオ州、ローマ市をはじめ、アリタリア、BNL(イタリア労働銀行)から、トラステヴェレの地元のレストランやアイスクリーム屋さんまで、多くの協賛を集め、ローマの重要な映画文化の発信源となっています。
▶︎『チネマ・アメリカ』が突然巻き込まれた暴行事件