パオロ・グラッシーニがインタビューで語った、1974年、12月14日にコリエレ・デラ・セーラ紙に寄稿されたピエールパオロ・パソリーニの、冒頭、詩のごとくはじまる記事 ”Cos’è questo golpe? Io so(このクーデターが何なのか、僕は知っている)”は、時代を超え、伝説にすらなっています。 Continue reading
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『鉛の時代』かけがえのない記憶 P.Fontana Ⅳ
1969年に起こった『フォンターナ広場爆発事件』の一連の捜査が、大きく方向転換をすることになったのは、事件から、なんと20年以上が経った1990年のことでした。
『鉛の時代』深い霧のなかへ P.Fontana Ⅲ
ロレンツォンの告発に基づいた捜査は地道に続けられ、事件から1年と2ヶ月が経過した71年3月、事件の核心に存在する、と見られる2人のネオファシスト、フランコ・フレーダ、ジョヴァンニ・ヴェンドゥーラに、ようやく検察の手が及ぶことになりました(写真は69年12月15日、ミラノ、ドゥオモで開催された爆発事件犠牲者の葬送に自発的に訪れた夥しい市民)。
『鉛の時代』もくろまれた真相 P.Fontana Ⅱ
前述のようにグイド・ロレンツォンの告白を巡る捜査は末端に追いやられ、『フォンターナ広場爆発事件』の直後、ミラノ中央警察署に設置された捜査本部で重点的に取り調べが進められたのは、アナーキストたちでした。 Continue reading
『鉛の時代』激動がはじまる時 P.Fontana Ⅰ
そののち、15年もの長期間に渡って続く『鉛の時代』と呼ばれる、イタリアの悲劇の時代は、ミラノの『フォンターナ広場爆破事件』を皮切りに、前触れなくはじまることになります(タイトル画像は、1969年12月12日、ミラノ全国農業銀行で、爆発が起こる寸前の16時37分の様子が描かれた劇画。「チャオ、フェラーリ、子供達は元気かい」「元気だよ。君の家族はどうだい?」、その日、クリスマス前の銀行では、のどかな会話が交わされていました)。 Continue reading
『鉛の時代』年表 Cronologia:rif
イタリアの『鉛の時代』全体の流れを大きく俯瞰するために、欧州の共産勢力を水際で堰き止めるために構築された『グラディオ作戦』下、イタリアでプロジェクトされた謀略、『緊張作戦』に関わる主要な事件、事象を年代順に羅列してみます (Wikipedia Italiano、書籍”Gli Anni fra cane e lupo”を一部 参照しました。写真はイタリアン・ポップアートで一世を風靡したマリオ・スキファーニ、68年の作品)。 Continue reading
Anni di Piombo 『鉛の時代』序
イタリア国外ではあまり語られることはありませんが、60年代後半から80年代前半にかけてのイタリアは、もはや「市民戦争」、あるいは「内戦」ともいえる、すさまじいバイオレンスが吹き荒れた時代です。