欧州で再び猛威を振るいはじめたCovid-19への不安が高まるなか、9月20日、21日の両日、6つの重要な『州選挙』とともに開催された『国民投票』は、事前の議論がいまひとつ盛り上がらなかったように思います。選挙が行われた州とそうでない州では、投票率に10%から20%の差が出ましたが(たとえばローマがあるラツィオ州では45.68%、シチリア州は35.39%)、それでも最終的には全国で53.84%(コリエレ・デッラ・セーラ紙)と、まずまずの数字となった。その結果、上院議員315人を200人へ、下院議員を630人から400人へ削減する、憲法改正の『国民投票』に69.96%の市民が賛成することになりました(写真は1946年、当時の市民たちが希望に満ち、イタリアの国体を決定した『国民投票』の様子。女性たちがはじめて有権者となった重要な国民投票でもあり、このときの女性の投票率は89.2%でした。gayposto.itより)。 Continue reading
Category Archives: Cultura
ローマ、パニスペルナ通り90番地から『マンハッタン計画』へ、そしてエットレ・マヨラーナのこと
わたしたち日本人の記憶に、消えない傷として刻み込まれた、ふたつの原子爆弾のルーツが、パニスペルナ通り90番地にあることを知ったのは、ローマに暮らすようになってからでした。モンティ地区からサンタマリア・マッジョーレ教会まで続く、通り慣れたその道を歩いていた時のこと。友人のひとりがふいに、どこにでもありそうな門構えの建物を指差し、「この建物が核分裂、つまり原子爆弾のルーツだということを知っている?」と言った、20年以上前の光景は今でも蘇ります。その後原子炉に発展する、ウラン原子核に低速中性子を照射して核分裂の連鎖反応を起こし、きわめて強い放射性同位元素(放射能)の観測に成功したのが、このパニスペルナ通りに存在したインスティチュートの研究者たちでした。ところがそのイタリアには、核兵器も原子力発電所も存在しないのです。
ローマから全国へ、クリアなヴィジョンと行動力で未来を構築するScomodoの若者たち
ローマの高校生、大学生たちが、資金集めから取材、編集、印刷、出版、配本まで、すべてをオーガナイズする『Scomodo(スコモド)』は、その鋭い視点と丁寧な分析で、プロのジャーナリストも賛辞を送る紙媒体の月刊誌です。初期の頃から、毎号あまりにプロフェッショナルなので「継続できるのだろうか」と案じていましたが、継続どころか、彼らが動くたびに主要各紙がドッと注目する活躍ぶりとなりました。現在、新しい編集ルームとローマの若い世代のコミュケーションスペースを、まさしく自分たちの手で構築中の『Scomodo(スコモド)』のメンバーたちが、Covid-19の渦中にある今この時、何を、どのように考えているのか、話を聞きます(写真は現在の『Scomodo』編集スペース)。 Continue reading
Covid-19 との共存:ニューノーマルな毎日がはじまったイタリアの第2.2フェーズ
多少の混乱があるかもしれない、という予想に反して、意外にリラックスした雰囲気のなか、教会、いくつかの美術館、レストラン、バールをはじめ、ほぼすべてのお店が開き、控えめながらもローマには、少しづつ活気が戻りつつあります。なによりビーチが解禁になったことは、海に行けない夏など考えられないローマの人々にとっては、喜ばしいニュースとなりました。Covid-19の感染状況はといえば、大きな山は越したとはいえ、まだまだ予断を許さない状況ですから、今まで同様、厳格なソーシャルディスタンシングとマスク、手袋、消毒液など万全のウイルス対策を講じる、ニューノーマルでの再出発です。(写真は5月15日のトレビの泉。普段はトゥーリストで混雑し、身の置き場なく騒然とするトレビの泉前がサイクリングコースになる奇跡!という無人状態でした)。 Continue reading
『フォンターナ広場爆破事件』から50年、『鉛の時代』がイタリアに遺したもの
社会に渦巻いた憎悪、恐怖と不信。15年間で377人の犠牲者を出すに至った、イタリアの『鉛の時代』の原点となった『フォンターナ広場爆破事件』は、2019年12月12日に50年のメモリアルを迎えることになりました。それを機にジャーナリストや検事、歴史家が次々と本を出版。TVでは複数のドキュメンタリーが放映された。半世紀を経てもなお、公正な審判を求め、調査を続行するイタリアの執念を感じると同時に『100000サルディーネ』の出現に遭遇し、『鉛の時代』に打ちのめされた『革命』の魂は、その形を変え、静かに、ゆるやかに生き延びたのではないか、と思うようになりました。 ●タイトルの写真はAgenzia Fotogrammaより転載。Piazza duomo – funerale delle vittime della strage di piazza fontana ードゥオモ広場で開かれた『フォンターナ広場爆破事件、犠牲者の葬儀 (fotogramma / Treves/ Fotogramma, Milano – 1969-12-15) Continue reading
誕生1ヶ月で、ローマ:サン・ジョヴァンニ広場を満杯にしたイワシ運動『100000サルディーネ』
サン・ジョヴァンニ広場はかなり広々としていて、5万人、6万人が集まる政治集会やコンサートでも、わりと自由に行き来できるのですが、10万人ともなると前進するのも、後退するのも、ほぼ不可能という状態になります。広場にたゆたう人の波。見渡す限りの『サルディーネーいわしたち』が、思い思いに手作りした『クリエイティブいわし』をマニフェストして、歌ったり、踊ったり、暗くなるまでフェスタが続いた。ボローニャの広場からはじまって、たった1ヶ月でローマに10万人を集めるまでに急成長したアンチファシズム市民ムーブメントを発案したのは、エミリア・ロマーニャの青年たちとイタリア全国の仲間たち。前項「瞬く間にイタリア中に押し寄せたアンチサルヴィーニの魚たち『6000サルディーネ』の続編です。 Continue reading
瞬く間にイタリア中に押し寄せた、アンチサルヴィーニの魚たち『6000サルディーネ』
ヴェネチアをはじめ、各地方が高潮で大きな被害を受けたり、欧州で最も規模が大きい鉄工所のひとつ、ILVA(イルヴァ)の現所有会社である多国籍企業Arcelor Mittal(アルセロール・ミッタル)が、突然契約を破棄すると言い出したり、このところのイタリアは、どんより重たいニュースに覆われていました。『イタリア民主党ーPD』と『5つ星運動』の連立政府は、双方どうも噛み合わず、そうこうするうちに極右勢力が勢いを取り戻しはじめ、このままひょっとしたら「総選挙に突入して 政権を奪還されるのでは?」とドキドキしていた。そんな時、まさしく海を泳ぐ魚たちのようにキラキラ光り輝き、しかも爆発的な勢いで大群をなして現れたのが『6000サルディーネ』たちだったのです(タイトルの写真は、このムーブメントの発案者の登壇に喝采をあげるフィレンツェのサルディーネたち)。 Continue reading
小説「パッショーネ」Passione
そもそもこのサイトをはじめるきっかけとなった小説、『パッショーネ』が、Kindle、iBooksで発売されることになりました。去年から予告していたにも関わらず、思いのほか長い時間がかかってしまったこの小説は、ローマの街角で起こった実際の事件をヒントに、架空の人物、状況を設定し、再構築したミステリー・フィクションです。そこでほんの少しだけですが、一章の半分をこのサイトで公開させていただくことにしました。もちろん、『鉛の時代』のリサーチをはじめ、ローマの人々のインタビュー、出来事を掘り下げるこのDeep Romaは、これから先も今まで通り、ああでもない、こうでもない、と続けていく所存です。
極右政党『同盟』が政府から消えて40日、『グリーン:環境』が主人公となったイタリア
夏真っ盛りの政治混乱で、(元)内務大臣マテオ・サルヴィーニ率いる極右政党『同盟』が、あれよあれよという間にオウンゴール。政権から放り出される、まさか!の展開となって40日が過ぎ去りました。8月初旬の時点では、こんなにドラスティックな展開で『5つ星運動』と『民主党』の連立が実現する、とは夢にも思っていなかったので、かなり緩んだ気持ちで秋を迎えることができたというのが本音です。もちろん油断は常に禁物ですが、サルヴィーニが内務大臣だった14ヶ月、世間に膨張しつつあった、攻撃的で非人間的な険悪ムードもずいぶんやわらいだように感じています。 Continue reading
難民の人々の受け入れを拒絶して、すべての港を閉じた1年:イタリアの何が変わったのか
このまま夏は来ないのではないか、というほど肌寒い毎日が続いていたローマが、朝起きたら突如として熱風吹きすさび、陽炎揺れる砂漠(!)になっていた、という極端な2019年の初夏は、イタリアの今の状況を、そこはかと暗示しているかもしれません。マテオ・サルヴィーニ副首相及び内務大臣は、2018年6月、衝撃的にイタリアの全港を閉鎖。粗末なゴムボートに乗せられ地中海を漂流する、難民の人々を長年救助してきた多くのNGO船の「生命を護る勇敢な救援者たち」という評価を打ち砕き、「海の悪質タクシー:NGOは難民ビジネスとつるむ犯罪者たち」という濡れ衣を着せて1年の月日が過ぎました。その後のイタリアはどう変わったのか、そして現在の地中海とリビアの状況を追ってみたいと思います(写真は、『港を開こう』をオープニング・タイトルのスローガンとした『チネマ・アメリカ』に続々と集まった人々)。 Continue reading