誕生1ヶ月で、ローマ:サン・ジョヴァンニ広場を満杯にしたイワシ運動『100000サルディーネ』

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サン・ジョヴァンニ広場はかなり広々としていて、5万人、6万人が集まる政治集会やコンサートでも、わりと自由に行き来できるのですが、10万人ともなると前進するのも、後退するのも、ほぼ不可能という状態になります。広場にたゆたう人の波。見渡す限りの『サルディーネいわしたち』が、思い思いに手作りした『クリエイティブいわし』をマニフェストして、歌ったり、踊ったり、暗くなるまでフェスタが続いた。ボローニャの広場からはじまって、たった1ヶ月ローマに10万人を集めるまでに急成長したアンチファシズム市民ムーブメントを発案したのは、エミリア・ロマーニャの青年たちとイタリア全国の仲間たち。前項「瞬く間にイタリア中に押し寄せたアンチサルヴィーニの魚たち『6000サルディーネ』の続編です。

『6000サルディーネ』から『100000サルディーネ』へ  

警察発表では35000人ということでしたが、通常警察は実質訪れた人々の、だいたい3分の1位を公式参加人数とする傾向にあるため、『サルディーネ』側が発表した100000人というのが、実数に近いと思います。

実際、新聞でもテレビでも、もちろんSNSでも、彼らの姿を見ない日はないほど、6000サルディーネが注目を集めていました。発案者であるボローニャの青年たちのひとり、フロントマンとしてコミュニケーションを担当するマティア・サントーリは、まったく物怖じせずに自分の意見を堂々と論理的に語り、右派メディアの厳しくしつこい質問にもひるむことなく、同じ厳しさで真摯に反論する。かと思えばちょっとした質問にはにかむ様子を見せたり、のびのびと自然、そして誠実な様子が、老若男女の心を鷲掴みにしています。

※わあ、これはすごい!とあとから見て驚いた、ラ・レプッブリカ紙、高所からの撮影。この中にはわたしもいます。最後に流れるフレーズは、『私たちを護ってくれる憲法があってよかった。どうもありがとう』

『6000サルディーネ』は、そもそも2020年1月26日に開催されるエミリア・ロマーニャ州選挙に備え、例のごとくアグレッシブな選挙キャンペーンをはじめた極右政党『同盟』マテオ・サルヴィーニによる、左派の牙城、ボローニャ侵略を阻止するため、4人の青年たちを中心にマッジョーレ広場に緊急に企画されたフラッシュモブです

そして15000人を集めたそのフラッシュ・モブが、あれよあれよという間にイタリア全国に伝染。たった1ヶ月で「アンチサルヴィーニ、アンチポピュリズム、アンチファシズム、アンチレイシズム」の、揺るぎないシンボルとなりました。なお、AFPの日本語記事では『イワシ運動』と訳されていましたが、ここでは前項と同じく『サルディーネ』(サーディン=いわし)に統一することにします。

『5つ星運動』、『イタリア民主党ーPD』による連立現政権の権力闘争や行き違い、挙げ句の果てには侮辱、罵り合い、となかなか仲良く事が運ばない困難な時期が続き、よどみがちで重たい政治ニュースに毎日うんざりしていたところでした。

そこに普段着の青年たちがフレッシュに現れ、「僕たちはアンチファシズム。『抗体』であり『解毒剤』だ」ときっぱり断言する様子に、胸がすくような思いを抱いた人々が多くいることと思います。また、現政権に嫌気が差した人々が、「もう『同盟』と『イタリアの同朋』でいいじゃないか」とこのまま極右政党が躍進したら、と思うと気が気ではありませんでした。

特筆すべきは、1968年フランスの5月』から世界的なムーブメントに発展。イタリア中を席巻した学生運動を体験した、もはや大御所である著名知識人、ジャーナリストを多く輩出したジェネレーションが、『サルディーネ』の出現に「彼らは希望未来だ!』と快哉を叫んだことでしょうか。時代を代表する極左グループ『Lotta Continuaー 継続する闘争』の当時のメンバーで、現在は超人気の作家エンリ・ディ・ルーカも、10万人のひとりとしてローマのフラッシュ・モブに参加しています。また、多くのアーティスト、ミュージシャン、俳優たちが『サルディーネ』のバックアップを宣言しました。

一方、右派からはといえば、ベルルスコーニ元首相のフィアンセが『サルディーネ』たちこそ民主主義、自分もフラッシュ・モブに参加したいとSNSに投稿。すると『サルディーネ』を発案した青年たちは「中道で、ファシストでないのならば、どうぞ広場へ」と歓迎した。

アンチサルヴィーニであれば左派には違いなくとも、特定のイデオロギーや支持政党を主張しない『多様』を旨とする彼らは、そういうわけで、暴力的でアグレッシブな主張でなければ受け入れる、寛容な姿勢をとっています。また、今までは政治のことはあまりよくわからないし、選挙にも行ったことがない、という人々が『サルディーネ』の広場には多く参加しているのだそうです。

ただし、ローマを拠点とする極右ネオ・ファシストグループ『カーサ・パウンド』が、自分たちもローマの『サルディーネ』に参加する、サン・ジョバンニ広場に行く、と名乗りを上げた際は、青年たちからも、参加者たちからも眉をひそめられ、「個人として、自分の考えを確認するために広場に来るぶんには構わないが、僕らは未来永劫、ファシストグループとは団結しない」と、バッサリ断られています。

「ファシストは、市民ムーブメントが起こると、必ず自分たちも参加する、と言い出すんだ。学生運動の時もそうだったんだから。旗を掲げて大挙して現れて挑発し、ぶち壊そうとする。やつらは50年前とちっとも変わってないね。要注意」と、68年ジェネレーションが呟くのを「なるほど」と思いながら、聞いたわけです。

また、ヴァチカンからもいい反応がありました。教皇庁パロリン長官が「わたしはサルディーネのメンバーではありませんが、好意的に捉えています。わたしは良いものはすべて受け入れることが大切だと信じていて、このムーブメントは、国にを運ぼうとしていると思いますよ」と祝福。さらに内部では青年たちをヴァチカンに招こう、という動きも起こっているようです。

そういう経緯で、たった1ヶ月の間に、イタリア全国の各地域の有志が『6000サルディーネ』に賛同し、なんと113箇所の広場で自発的なフラッシュ・モブが開催されています。そしてどの広場も5000人、7000人、35000人、40000人、とこれ以上人が集まれない、というほどの大成功を収めるに至っている。

今までの各地の『サルディーネ』インタビューをネットで見ていると、「今まで、(憎悪と怒りが社会に蔓延し)非常に良くない方向へ向かっていると感じていたけれど、どうしていいのかわからかなかった。でも広場に参加して、そう思っているのはわたしひとりではない、ということがはっきりした。とても心強い」と話している参加者が多数いました。

ネットに蔓延するヘイト発言や侮辱、嫌がらせや吊るし上げ、さらには極右グループの女性や外国人への乱暴に心底うんざりしていた人々が、「レイシズムに反対!」と自分の意見を表現する場を広場に見つけたわけです。

この『サルディーネ』の急成長に伴い、右派の新聞には「『サルディーネ』は国の政策について何も語らず、今後政党を作って選挙に出馬するという目的もなく、ただ広場に集まるだけで、いったい何をしたいのかわからない。単純で幼稚で意味不明」という論調が多々見られるようになりました。また左派のジャーナリストたちは、「彼らなら勝てる!」と『サルディーネ』が『5つ星運動』のような市民政治運動に発展し政治に参戦することを待ち望んでいるようです。

政治トーク番組で、「1年後には何をしていると思う?」と左派のジャーナリストに聞かれたボローニャの青年は、まったく悪びれる様子なく「僕らの主張がイタリア中に行き渡って、いつもの暮らしに戻っていることを願うよ。エコノミストとして働いて、障害を持つ子供たちにバスケットを教える、落ち着いた毎日が戻ることを祈っている」と答え、「そうなの?」とがっかりさせていました。

私見ですが、しかしなぜこれほど『サルディーネ』が人々の支持を得るのか、といえば、彼らに政治的な野心も権力欲もなく、混乱に混乱を重ねる現在のイタリアの政治に誠実さと公共倫理、そして非暴力の文化を求め、「政治は真面目に対応してほしい」と市民の立場から訴えているからだと思います。つまり彼らは、わたしたち普通の市民と同じ価値観で動き、発言するからこそ、これほど共感が大きいわけです。彼らの主張には、イタリア政治のおどろおどろ感はまったく見当たりません。

さらには、ムーブメントのシンボルに『サルディーネーいわし』という、政治には一見まったく関係ない、しかしわたしたちの生活に深く馴染む魚を選んだことも、誰もが気負うことなく普段着のまま、楽しみながら参加できる要因のひとつでしょう。

政党の旗も垂れ幕もまったく掲げられない広場に、自作の『いわし』を手にフラッシュモブに集まる人々の群れは、今までにいくつか参加した政治集会とは異なって、イデオロギーや政策を背景にアグレッシブに自己主張する、いかにも、という空気はありません。ニュートラルで新しい主張スタイル、いや、ひょっとすると77年にローマを席巻した、ちょっとヒッピーな学生たちが繰り広げた『インディアーニ・メトロポリターニ』の発想に近いのかもしれない。

「彼らがシンボルにいわしを選んだのは天才的だった。いわしはマグロという強敵が現れると、大群にまとまって球体を形成し、群れを敵から守るんだ」エンリ・ディ・ルーカは、青年たちのアイデアを絶賛していますが、青年たちはといえば、ほとんど何も考えないまま、発案者のひとりである女の子、ジュリア・トラッポローニ思いつきで「そうだ、缶詰のサーディンのように広場をギュウギュウ詰めにしよう!」と、気軽にシンボルに選んだのだそうです。

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