Category Archives: Cultura

「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part2.

Part1.で紹介したローマ市立美術館の展覧会が、パソリーニをとした大規模な展示であるのに対し、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionali)、Maxxi(国立現代美術館)の展覧会は、「すべては聖なるもの」というタイトルは共通でも、前者が「予言的身体」をテーマに、バロック(あるいはマニエリスム)の絵画作品や1950年代のローマの郊外の写真と、パソリーニ作品との比較における身体の検証、後者が「政治的身体」をテーマに、パソリーニからインスピレーションを受けた、あるいは関連性のある現代美術の作品とのコラボレーションという形で展示されています。特にカラヴァッジョの作品とパソリーニ作品が並べて展示された、ローマならではの豪華なパルベリーニ宮の展覧会は、「僕は過去の力だ」(「リコッタ」)と言うパソリーニの美意識の根源が理解でき、個人的には最も興味深く鑑賞できました。もちろん、詩人の最晩年となった1975年限定し、自身のメモやオリジナル原稿、話題となった新聞の寄稿、雑誌の記事などが展示されたMaxxiの展覧会も、十分過ぎる見応えです。 Continue reading

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「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part1.

今年2022年で生誕100年となるピエール・パオロ・パソリーニのメモリアルとして、「Tutto è Santo(すべては聖なるもの)」をタイトルに、ローマの3つの美術館で展覧会が開かれています。今年に入って、パソリーニのゆかりの地であるオースティアをはじめ、ローマの各地で展覧会やイベントが開かれていましたが、ひとりの詩人、ひとつのタイトルで、ローマ市立美術館(Palzzo delle Esposizioni)、Maxxi(国立現代美術館)、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionale)という、ローマの重要な美術館において、これほど大がかりな展覧会が開かれるのは異例です。さらに、Macro(ローマ市立現代美術館)では、パソリーニとエズラ・パウンドをテーマに、ローマ市立近代美術館(Galleria dell’Arte Moderna)では、パソリーニ自身が描いた絵画の展覧会が開かれ、ローマ市が全面的にバックアップした映画の上映会、イベントが、毎日のようにどこかで開催されています。 Continue reading

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参考 : ジョルジャ・メローニ新政権 : 首相の下院議会における初スピーチが示唆するイタリアの方向性

新政府が樹立してしばらく時間が経つにつれ、その時はさらっと聞いていた、下院議会における信任を問う、メローニ新首相初スピーチ新政府のプログラム)の詳細に込められた意味が、だんだんと浮き彫りになってきたように思います。世論調査(DEMOPOLIS)によると、市民の45%がポジティブに、34%がネガティブに捉えたその初スピーチでは、「イタリア」「政府」「われわれの」「ヨーロッパ」「自由」「企業」「国家、あるいは国家の」という言葉が多用され、全体的な表現としては、予想していたよりはソフトに、イタリアの経済緊急事態が語られましたから、まさか経済政策より先に強権的な法律が次々に提案され、難民の人々の海上封鎖、感染症の大幅緩和、レイブ禁止法などによる混乱が創出されるとは思いませんでした。そこで、ここではその演説の全体の要旨をまとめながら、いくつかの詳細を解釈し、メローニ政権の方向性を探ってみたいと思います。 Continue reading

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ジョルジャ・メローニ新政権 : たちまちカオスと化した、イタリアのFar-Right politics

いずれ状況は、少しずつ悪化するのだろう、と朧げには予想していましたが、こんなに早く、しかも立て続けに「なにこれ?」と驚く出来事が次々と起こることになるとはまったく想定外でした。『右派連合』連立与党内の激しいいざこざを経て、上院、下院議会における信任も終了し、ジョルジャ・メローニ女史を首相とする新政府が稼働する運びとなった際は、若く、勢いのある女性が首相の座についたことが喜ばしく、一瞬ではありますが、「意外とソフトで思いやりのある中道右派政治が繰り広げられるかもしれない」との好意的な空気が流れたことも事実です。しかしそれは虚しい幻想であり、新政府がまず着手したのは「誰もが一刻も早く」と渇望していた、切迫したインフレから市民を救済する経済政策ではなく、体制には何ひとつ影響を及ぼさない、緊急性のない社会現象を叩き潰そうとする、挑発的な法律の立案、そして2018年の「サルヴィーニ法」を彷彿とする、難民の人々を国内外のプロパガンダに使う残酷な仕打ちでした。 Continue reading

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真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part1.

実際に、出会ったり、体験したことが一度もないので、信じる、というわけではありませんが、そもそもわたしは、亡霊魔術錬金術の類の話が好きです。いや、好きでした、と過去形にすべきかもしれません。というのも、ここかしこに亡霊に溢れていそうな佇まいのローマだというのに、誰からも亡霊や超常現象の話を聞いたことがなく、ここ数年にいたっては、その存在(非存在?)すら忘れかけていたからです。そこで近場の人々数人に、「ローマに蠢く亡霊の話や超常現象の話を、何か知っている?」と尋ねると、そのつど呆れたような顔をされ、「生きている人間のほうがよっぽどオカルトじゃないか。ご覧、現実を。まったくゾッとする世の中だ」と軽くあしらわれることになりました。それでもあまりに暑い倦怠の真夏、巷の諸問題から逃亡し、思い切ってローマの亡霊伝説を追ってみることにします。街角のバールでのおしゃべり気分で、さらっと読んでいただけると嬉しいです(タイトル写真はイメージです)。 Continue reading

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灼けつく砂漠と化したローマで繰り広げられた、マリオ・ドラギ政権崩壊という悲劇

晴天の霹靂、というのは、まさにこのような出来事を言うのだ、と思います。すでに世界中のメディアで、マリオ・ドラギ政権崩壊の詳細が流れましたから、それ以上の多くを語る必要はないと思われますが、ひとつ気になったのは、その記事の多くで、ポピュリズム政党の『5つ星運動』の離反のみが、主な原因とされていることです。確かに政権崩壊のきっかけとなったのは、上院議会でのDLAiuti(一般家庭や中小企業の、インフレ支援政策)の信任投票を、『5つ星』の議員が棄権(Astenuti)したことでした。しかし6月29日、ルイジ・ディ・マイオ外相が率いる63人ものメンバーが離党。分裂して新しい党を作ることを宣言していたため、もはや『5つ星』は与党最大勢力ではなく、万が一、彼らが野党に回ったとしても、政権は過半数割ることなかったのです(タイトル写真はLa congiura dei Pazziーパッツィ家の陰謀、ステファノ・ウッシ1822-1902:個人蔵)。 Continue reading

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時間、空間を超越して拡大する『ミクロコスミ』、クラウディオ・マグリスの宇宙へ

国境ーフロンティアを考えるために、まさにタイムリーな読書となりました。『ミクロコスミ』(ミクロの宇宙:複数)は、決してさらっとは読めない、読者に集中を要求する、もしくは考察を強いる一冊です。小説なのか、エッセイなのか、壮大な抒情詩なのか、逸話の集積なのか、詩的であり、絵画的であり、観念的でもある、あらゆる文学的カテゴリー逸脱する9つの章からなるこの本を訳したのは、前回、このサイトに投稿してくださった二宮大輔氏。かつて何度かノーベル文学賞のリストに挙がった、ドイツ文学、中欧(mitteleuropa)文学研究の第一人者であるイタリアの碩学、クラウディオ・マグリスの宇宙を日本語で表現した、その語彙の豊かさには脱帽します。長い時間をかけて読み終わった、まず最初の感想は、欧州の精神性の本質は、この本に描かれる『国境』ーフロンティアという宇宙にあるのではないか、ということでした。 Continue reading

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イタリアが誇る碩学のひとり、クラウディオ・マグリスの代表作『ミクロコスミ』をどう読むか

読書通たちに「天才的(geniale)」と評される、9つのミクロコスミ(小宇宙)からなるこの本は、しかし訳者が語るように、読みはじめはなかなか先に進めず、戸惑い苦悩する、かなり手強い一冊でもあります。しかし読み進むうちに、その場にせめぎ合う歴史、記憶、自然、有名無名の人々の物語、メランコリーが万華鏡のように浮かび上がり、ミクロからマクロの宇宙へと導かれる。しかも、ときおり予期せず現れる、痺れるほどにかっこいい暗示に立ち止まり、あれこれ思いを巡らせることになりました。クラウディオ・マグリスの代表作、『ミクロコスミ』を、10年を超える月日をかけて翻訳した二宮大輔氏は、イタリア文学、文化に精通する新進の翻訳家。どのように『ミクロコスミ』を読めば、より理解が深まるか、二宮氏にご寄稿いただきました。 Continue reading

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ローマの高校生たちのチネマ・アメリカ占拠から10年、チネマ・トロイージの奇跡

ローマはやはり映画、人々のチネマに対する愛情は計り知れないものなのだ、と改めて痛感しました。古き良きイタリア映画の黄金時代、トラステベレに暮らす庶民たちの胸を高鳴らせ、いくつもの思い出が積み重ねられた映画館、チネマ・アメリカが時代の煽りで廃館を強いられ取り壊されそうになる寸前、高校生たちが大挙して『占拠』したのは2012年のこと。その小さな『占拠』は、ベルナルド・ベルトルッチという巨匠を筆頭に、映画界から強力なサポートを受け、あっという間に街の話題をさらいます。やがてその高校生たちはラツィオ州、ローマ市から、3つの広場で開かれるオープンシネマのオーガナイズをまかされることになり、それらはいつしか夏の風物詩ともなりました。しかしその動きが、最新のテクノロジー装備のモダンアヴァンギャルド映画館チネマ・トロイージにまで発展するとは、正直、考えてもいなかった。映画館から配信プラットフォームへと映画を巡る環境が大きく変わりつつある今、いまや大人になった高校生たちの挑戦ははじまったばかりです。 Continue reading

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『鉛の時代』:その後のイタリアを変えた55日間、時代の深層に刻み込まれたアルド・モーロとその理想 Part2.

次々と届く『赤い旅団』の脅迫的な声明、アルド・モーロ明晰でありながら、次第に重く感情的になっていく手紙にも、政府は一切反応せず、ひたすら「テロリストとの交渉を拒絶」しました事件に明らかな進展がないままに、緊張は日に日にエスカレートしていきます。もはや一刻も無駄にできない状況のなか、遂に『イタリア社会党』のベッティーノ・クラクシー教皇パオロ6世、モーロの中東政策における右腕でもあったSISMI(軍部諜報局)のステファノ・ジョバンノーネ大佐、そしてパレスティーナそれぞれが、モーロ解放に向けた『旅団』とのアンダーグラウンドな交渉に挑みはじめました。しかし、いずれの交渉も成立間際で決裂し、市民は衝撃的なフィナーレに直面することになった。そのあまりに過酷な結末に、深い無力感と絶望を打ち消そうとする自己防衛本能が社会全体に広がり、当時、事件について語る人はほとんどいなかったそうです。『モーロ事件』の詳細を語りはじめるには、それから数年の月日が必要でした(Part1.はこちらから)。

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