2021年に向かって、なおいっそう閉じられたローマの街を照らし、瞬くクリスマスの光、ベツレヘムの星

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何が起こったのか、まったく理解できないうちに、未知のウイルスの感染拡大からはじまった2020年も、いよいよ終わりに近づきました。だんだんに景色が色づく春、長期のロックダウンを経たにも関わらず、再び厳しいロックダウンクリスマス・シーズンを迎えたローマの今年は、身体的な移動はきわめて狭い範囲に限られましたが、今まで体験したことのない動揺や現実離れした恐怖、悲しみ、安堵、共感、再び不安、と目まぐるしく気持ちが動いた1年でした。なにより、予測できないあらゆるすべてのことが、世界規模で起こりうる可能性は、実は100%なのだ、という、あたりまえのようでも、驚くべき現実を実感することにもなりました。

スペラッキオ

さて、タイトルに使った写真は12月15日に撮影した、ローマ市が設置する、毎年恒例のヴェネツィア広場クリスマスツリーです。

勢いがある巨大なもみの木をベースに、このように美しく、バランスよく理想的に造られたツリーの周囲では、多くの人々が、それを背景に写真を撮っていました。にも関わらず、このツリーは、市民たちからある種の親愛を込めて「Spelacchioースペラッキオーむしられツリー」と呼ばれています。

由来2017年に遡ります。例年、ヴェネツィア広場に聳えるツリーは、クリスマス本家本元であるローマに相応しく、シンプルではあっても、趣向を凝らしたシンボリックなイルミネーションが飾られ、シーズンともなると、見物に訪れる人々で賑わっていました。

ところが2017年に突然現れたツリーは、「え? これはサンプル? このあと、正式なツリーが立てられるんだよね」と友人と顔を見合わせて頷きあうような、市民の意表をつく、くたびれ果てた貧相なクリスマスツリーだったのです。

予算の節約だったのか、それとも手違いだったのか、そのツリーは背は高くとも、ヒョロッと痩せた幹にかろうじて枝がつき、葉もまだらにスカスカで、背景のヴィットリオ・エマヌエーレ講堂が透けて見えて絶景、という代物で、確かに「クリスマスで大切なのはスピリチュアリティなんだから、ツリーの豪華さなんて関係ない」とは思っても、見れば見るほどがっかりする光景でした。

ヴェネツィア広場のツリーは、その巨大さと美しさが毎年の市民の楽しみでもありましたから、あっという間に「スペラッキオーむしられツリー」と命名され、「考えられない」「こんなツリーじゃ恥ずかしい」「ミラノのツリーはあんなに立派なのに」と、厳しい非難が巻き起こった。

と同時に、格好の暇つぶしとして面白がる人々も続々と現れ、たちまちのうちにハッシュタグ #spelacchioが形成されると、ローマ市政を皮肉るジョークでさんざん盛り上がり、SNS上のちょっとした人気者ともなりました。「地球上で最も悲しいツリー」である、スペラッキオの名を冠したコミュニティまで登場したくらいです。

しかしながら、その「スペラッキオ」はそもそも病弱なもみの木だったようで、ヴェネツィア広場に渦巻く車の排気ガスに耐えきれず、結局クリスマスを待たずに枯れてしまい、別のもみの木に交換されることになりました。

その際にも「かわいそうなスペラッキオ。ぜひパンテオンに埋葬してほしい」と、かのラファエッロ・サンツィオ同格待遇を望むジョークがSNSで駆け巡り、忘れられないクリスマスの思い出として、ローマ市民の脳裏にしっかりと刻み込まれたのです。

それからは、どんなに立派で美しいツリーがヴェネチア広場に現れても、誰もがそれを「今年のスペラッキオ」と呼ぶようになり、2020年の今年は、ローマ市長ヴィルジニア・ラッジまでが、「わたしもこのツリーを、いまやローマ市民に愛される、スペラッキオという名で呼びたいと思います」と、イルミネーションを点灯する運びとなりました。

こうして、あの弱々しいスペラッキオは枯れて死したのち、ローマのツリーのイデアの地位を獲得したわけです。

※毎年ヴァチカンのツリーは、大きさも美しさも格別です。今年のプレセペ(キリスト生誕のシーンを人形で表現するクリスマスの装飾。例年は人間の等身大のリアルな人形が飾られます)は、陶器製のアーティスティックな人形が飾られました。Vatican Newsより

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