• 映画「La scuola cattolicaー善き生徒たち」が描く、ローマのもうひとつの70年代

    プリーモ・レーヴィクラウディオ・マグリス、とイタリアの深層を描く作家たちの作品を世に問う、気鋭の翻訳家、二宮大輔氏の寄稿です。社会、あるいは人間の本質に、日常の感性からさらりと食い込む、氏の視点にはいつもハッとさせられます。今回選んでくださった映画『La scuola cattolica (邦題:善き生徒たち)』は、ローマで実際に起きた「チルチェーオ事件」の犯人たちと、当時同窓だった作家、エドアルト・アルビナーティの同名の小説(2016年プレミオ・ストレーガ受賞)が映画化された作品です。この、あまりに衝撃的な事件については、多くのドキュメンタリー、映画、書籍が発表されていますが、「善き生徒たち」は事件そのものというより、その背景から、事件の原点へと導きます。浮き彫りになるのは、市民戦争にまで発展したイタリアの70年代という特殊な時代を生きた、裕福な家庭の青年たちの欲動と退廃。かなりヘビーな映画ではありますが、これもまたイタリアの真実です(タイトル写真は、「善き生徒たち」の一場面の写真ーcinemaserietv.itーをGlitch Imageで加工しました)。 Continue reading

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  • 地中海のカタストロフ、静かに聞こえてきたジョルジャ・メローニ政権の不協和音

    2月26日日曜、イタリアに暮らすわれわれは、凝視できない酷いニュースで目覚めることになりました。事故が起こったのは、午前4時すぎだったそうです。カラブリア州、クロトーネ市のステッカート・ディ・クートロの砂浜から、わずか100mの海上で180人の密航者を乗せた木造船が座礁して大破。幼い子供たち、未成年35人を含む88人の犠牲者(3月19日現在)を出す海難事故が起こりました。この事故は、2013年10月、368人の犠牲者を出したランペドゥーサ島沖で起こった、移民・難民の人々を乗せた船の沈没事故以来の重大海難事故です。彼らは確かに違法密航者と位置づけられますが、アフガニスタン、イラン、パキスタン、パレスティーナ、トルコ、シリアなど、戦禍、紛争、あるいは天災に見舞われ、生き抜くことが困難となった故郷を離れ、生きる希望を胸に船に乗り込んだ人々でした。 Continue reading

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  • 「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part2.

    Part1.で紹介したローマ市立美術館の展覧会が、パソリーニをとした大規模な展示であるのに対し、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionali)、Maxxi(国立現代美術館)の展覧会は、「すべては聖なるもの」というタイトルは共通でも、前者が「予言的身体」をテーマに、バロック(あるいはマニエリスム)の絵画作品や1950年代のローマの郊外の写真と、パソリーニ作品との比較における身体の検証、後者が「政治的身体」をテーマに、パソリーニからインスピレーションを受けた、あるいは関連性のある現代美術の作品とのコラボレーションという形で展示されています。特にカラヴァッジョの作品とパソリーニ作品が並べて展示された、ローマならではの豪華なパルベリーニ宮の展覧会は、「僕は過去の力だ」(「リコッタ」)と言うパソリーニの美意識の根源が理解でき、個人的には最も興味深く鑑賞できました。もちろん、詩人の最晩年となった1975年限定し、自身のメモやオリジナル原稿、話題となった新聞の寄稿、雑誌の記事などが展示されたMaxxiの展覧会も、十分過ぎる見応えです。 Continue reading

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  • 「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part1.

    今年2022年で生誕100年となるピエール・パオロ・パソリーニのメモリアルとして、「Tutto è Santo(すべては聖なるもの)」をタイトルに、ローマの3つの美術館で展覧会が開かれています。今年に入って、パソリーニのゆかりの地であるオースティアをはじめ、ローマの各地で展覧会やイベントが開かれていましたが、ひとりの詩人、ひとつのタイトルで、ローマ市立美術館(Palzzo delle Esposizioni)、Maxxi(国立現代美術館)、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionale)という、ローマの重要な美術館において、これほど大がかりな展覧会が開かれるのは異例です。さらに、Macro(ローマ市立現代美術館)では、パソリーニとエズラ・パウンドをテーマに、ローマ市立近代美術館(Galleria dell’Arte Moderna)では、パソリーニ自身が描いた絵画の展覧会が開かれ、ローマ市が全面的にバックアップした映画の上映会、イベントが、毎日のようにどこかで開催されています。 Continue reading

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  • 参考 : ジョルジャ・メローニ新政権 : 首相の下院議会における初スピーチが示唆するイタリアの方向性

    新政府が樹立してしばらく時間が経つにつれ、その時はさらっと聞いていた、下院議会における信任を問う、メローニ新首相初スピーチ新政府のプログラム)の詳細に込められた意味が、だんだんと浮き彫りになってきたように思います。世論調査(DEMOPOLIS)によると、市民の45%がポジティブに、34%がネガティブに捉えたその初スピーチでは、「イタリア」「政府」「われわれの」「ヨーロッパ」「自由」「企業」「国家、あるいは国家の」という言葉が多用され、全体的な表現としては、予想していたよりはソフトに、イタリアの経済緊急事態が語られましたから、まさか経済政策より先に強権的な法律が次々に提案され、難民の人々の海上封鎖、感染症の大幅緩和、レイブ禁止法などによる混乱が創出されるとは思いませんでした。そこで、ここではその演説の全体の要旨をまとめながら、いくつかの詳細を解釈し、メローニ政権の方向性を探ってみたいと思います。 Continue reading

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  • ジョルジャ・メローニ新政権 : たちまちカオスと化した、イタリアのFar-Right politics

    いずれ状況は、少しずつ悪化するのだろう、と朧げには予想していましたが、こんなに早く、しかも立て続けに「なにこれ?」と驚く出来事が次々と起こることになるとはまったく想定外でした。『右派連合』連立与党内の激しいいざこざを経て、上院、下院議会における信任も終了し、ジョルジャ・メローニ女史を首相とする新政府が稼働する運びとなった際は、若く、勢いのある女性が首相の座についたことが喜ばしく、一瞬ではありますが、「意外とソフトで思いやりのある中道右派政治が繰り広げられるかもしれない」との好意的な空気が流れたことも事実です。しかしそれは虚しい幻想であり、新政府がまず着手したのは「誰もが一刻も早く」と渇望していた、切迫したインフレから市民を救済する経済政策ではなく、体制には何ひとつ影響を及ぼさない、緊急性のない社会現象を叩き潰そうとする、挑発的な法律の立案、そして2018年の「サルヴィーニ法」を彷彿とする、難民の人々を国内外のプロパガンダに使う残酷な仕打ちでした。 Continue reading

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  • 極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part2.

    今までは「当たり前」、と改めて考えることも、ありがたく思うこともなく使っていた、ガス・電気という現代生活の基盤でもあるエネルギーが、ウクライナ危機の勃発とともにみるみる高騰し、われわれが生きる世界が甚だしく脆弱なシステムの上に構築されていることを、ひしひしと実感する毎日です。個人的には、あまり納得できない人選でしたが、上院、下院の議長が、ようやく決定したにも関わらず、懸念の組閣はなかなか進んでおらず、連立与党『右派連合』の『イタリアの同胞』『同盟』『フォルツァ・イタリア』間では、重要な閣僚ポストを巡って、熾烈な争いが繰り広げられ、憎悪まで噴出しはじめました。イタリアの市民、企業にとって一刻を争う緊急時、10月23~25日あたりに樹立する予定とされる政府が、早急に、確実なメンバーで構築されることを願います。ただし、新政府につきまとう不安として、国家主権主義を謳う『イタリアの同胞』及び『同盟』の人権問題への姿勢、そして無謀な『憲法改正』の提案があることを、まず強調しておきたいと思います(タイトル写真は2018年、イタリア全国パルチザン協会A .N.P.I.ローマ集会の1シーン)。 Continue reading

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  • 極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part1.

    パンデミック、エスカレートする戦争、核兵器使用の可能性、エネルギーの高騰、インフレと、世界中に暗雲たちこめる乱世ですから、イタリアの総選挙が「エポックメイキング」と表現される、このような結果となっても、それほどの驚きはありませんでした。しかし、イタリアの戦後から『鉛の時代』に暗躍した極右政党『イタリア社会運動ーMSI』を出自とし、ポストファシスト、ネオファシストと表現され続けた『イタリアの同胞』が、共和国憲法に明記されたアンチファシズムの精神が根強いはずのイタリアで、まさか第1党に躍り出るほどの支持を集める時代が来るなんて、幻覚のようではあります。懸念の組閣すら終わっていない現在、これからイタリアに何が起こるのか、意外と何も起こらないのか、まったく予想できませんが、現在イタリア国内で語られるあれこれや、今までに得た情報などを、ざっと整理してみようと思います。

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  • 真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part2.

    わたしの周囲の人々の多くは、少なくとも表面上、亡霊超常現象、あるいはエクソシズム、あるいは降霊術(spiritismo)の話をすると、笑い飛ばす傾向にあります。それはおそらく、弁証法的唯物論主義とする人々が多くいるからだと思いますが、ひょっとすると、本当に恐ろしがって話さない人々もいるのかもしれず、特にエクソシズムや降霊術の話をすると、「そんな危ない話題に近づくべきではない」と慌てた様子で諭されることすらあります。もちろん『ゴーストハンターズ』のようなマニアックな青年たちが存在しても、彼らもまた、超常現象を、あくまでも「科学的な姿勢で調査している」ことを強調している事実は前項の通りです。それでもアンダーグラウンドには、やはりいまだにエクソシストが存在し、降霊術のグループも活動を行なっているようでもあり、ローマの廃墟群の片隅に謎深き神秘世界が広がっている気配は確かにあります。しかしながら、ローマの亡霊伝説 Part2.では、その方面にはあまり近づくことなく、街で語り継がれたオーソドックスな亡霊伝説を追いかけてみよう、と思います(タイトル写真はイメージです)。▶︎Part1.はこちらからContinue reading

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  • 真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part1.

    実際に、出会ったり、体験したことが一度もないので、信じる、というわけではありませんが、そもそもわたしは、亡霊魔術錬金術の類の話が好きです。いや、好きでした、と過去形にすべきかもしれません。というのも、ここかしこに亡霊に溢れていそうな佇まいのローマだというのに、誰からも亡霊や超常現象の話を聞いたことがなく、ここ数年にいたっては、その存在(非存在?)すら忘れかけていたからです。そこで近場の人々数人に、「ローマに蠢く亡霊の話や超常現象の話を、何か知っている?」と尋ねると、そのつど呆れたような顔をされ、「生きている人間のほうがよっぽどオカルトじゃないか。ご覧、現実を。まったくゾッとする世の中だ」と軽くあしらわれることになりました。それでもあまりに暑い倦怠の真夏、巷の諸問題から逃亡し、思い切ってローマの亡霊伝説を追ってみることにします。街角のバールでのおしゃべり気分で、さらっと読んでいただけると嬉しいです(タイトル写真はイメージです)。 Continue reading

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