時間が形成した廃墟が朽ち果てながら建ち並ぶ 、ローマという街が、それぞれの時代の物語で形成された「物語の集積」とも言える都市であることは周知の事実です。特に近代においては、イタリアの共産主義化の波から暴力的な市民戦争にまで発展した『鉛の時代』、軍諜報局、秘密結社『ロッジャP2』、極右、極左テロリスト、マフィアが暗躍して起こした重大事件のほとんどが、結末のない物語となっています。数々の大規模無差別テロ事件、暗殺の主犯、実行犯として起訴された政治家、軍諜報局幹部、極右テロリストはほぼ全員「無罪」。つまり事件は確かに起こり、数多の犠牲者が存在するにも関わらず、司法が断定した犯人は存在しない、ということです。しかしながら、そのイタリアのブラックホールとなった時代は、多くのアーティスト、作家、映画監督の想像力を掻きたて、70年代を背景にした作品がいまだに続々と発表されます。しかも真実が明らかになっていないため、自由な発想で綴られたフィクションとして表現されるのです。
今年2026年1月から配信されている映画「Il falsario(邦題:ビッグ・フェイク)」は、「アルド・モーロ誘拐・殺害事件」、「ミーノ・ペコレッリ殺害事件」、「世紀の強盗」と言われた「ブリンクス・セキュアマーク強盗事件」に関わった、名画の贋作、そして書類偽造の天才であったアントニオ(トニ)・ジュゼッペ・キッキアレッリを主人公とした映画です。今までは、キッキアレッリという人物をテロリストでも、また完全なマフィアでもない『鉛の時代』における副次的な人物だと認識していましたが、映画をきっかけに調べるうちに、かなり重要な位置にいた、時代を象徴する人物ではないのか、と考えるようになりました。
イタリアの70年代
たとえばイタリアの大学生に「ローマのどの時代に魅力を感じるか」と尋ねると、「70年代」という答えが返ってくる頻度が高く、また、その時代を知らない若い活動家たちの動きを追ううちに、左右の思想の明確な分断、その対立構造に、50年もの時が流れても『鉛の時代』の呪縛はまだ解けていないのだ、との認識を新たにします。
イタリアの70年代には、次々に国家の要人、ジャーナリストや司法関係者が暗殺され、各都市で大規模爆弾が炸裂。街には極右、極左テロリストが溢れ返り、ピストルを片手に当局と衝突する学生たちの暴力的な抗議デモが繰り広げられました。ローマでは政治衝突のみならず、麻薬密売、売春などのブラックビジネスを仕切り、強盗や殺人を繰り返して、「コーザ・ノストラ」、「カモッラ」とも緊密なネットワークを結ぶローカル・マフィア「バンダ・デッラ・マリアーナ」が跋扈。つまりその頃のローマは、街角に野獣や悪鬼が潜むジャングルとも呼べる状況でした。
そんな凶暴でカオスな時代が、現代の若い世代の魂を揺さぶるのはおそらく、充満したまま、現代の深層で消えることなく、むしろ過ぎ去ったことでイメージを膨張させ続ける『鉛の時代』のエネルギーなのだと考えます。
その時代、ジャングルを生きた若者たちは「革命」を疑うことなく、「われわれが世界を一新する」というあくなき野望に満ちていました。と同時に善悪、美醜、宗教倫理というあらゆる束縛を超越しようとする潮流が、現代アート、文学、演劇、音楽に反映され、近代において最も興味深く、活発なカルチャーシーンが街のあちらこちらで開花しています。
またイタリアの70年代は、冒頭でも、以前の項でも幾度となく述べたように、多くの大規模無差別テロ事件、誘拐事件、暗殺事件と、国そのものの方向性を変える重大事件がいくつも起こったにも関わらず、そのほとんどが犯人が特定されないまま、細部にわたって謎と秘密で埋め尽くされたままとなっています。つまり70年代に起こったあらゆる事件は、時間ととともに複雑化する出口のない迷路となり、過去に浮かぶその巨大な迷宮が磁石のように人々を魅了し続け、文学、演劇、ドキュメンタリー、映画の作品となって、続々と発表され続けることになったわけです。
2026年1月からNetflixで配信されはじめた「Il falsario (ビッグ・フェイク)」もまた、1983年生まれのステファノ・ロドヴィーキ監督が、「アルド・モーロ誘拐・殺人事件」における『赤い旅団』から7番目に送られてきた、偽の声明の偽造犯として有名なトニ・キッキアレッリをモデルに、その人物像を再構築した『鉛の時代』の映画のひとつです。この映画の何が興味深いか、というと、70年代のメインストリームに存在した人物ではなく、あくまでもマイナーな役割を担った、ひとりの犯罪者を主人公に据えた映画だったことでしょうか。
もちろん、『鉛の時代』を実際に生きたマルコ・ベロッキオの「夜よ、こんにちわ」、「夜の外側/イタリアを震撼させた55日間」やマルコ・トゥリオ・ジョルダーナの「輝ける青春」などの大作とはまったく質が異なる、現代的なピカレスクロマン、といった趣きの映画ではありますが、ピエトロ・カステリット演じる天才贋作者キッキアレッリの、緻密に創りこまれた人物像は魅力的です。また脇を固めるエドアルド・ペーシェ、クラウディオ・サンタマリア、アンドレア・アルカンジェリの演技も秀逸でした。
現代イタリアの代表的な俳優であるセルジォ・カステリットを父に、脚本家、小説家、俳優でもあるマルガレト・マッツァンティーニを母に持つイタリア映画界のサラブレット、ピエトロ・カステリットが演じるトニは、われわれが今までキッキリアレッリに抱いていた、ローカル・マフィアの周辺で小賢しく生きる、狡猾な偽造犯、というイメージとは正反対の、感情に流されながら、場当たり的に暴力と陰謀の濁流を生きる人物を、掴みどころのない独特の繊細さで好演しています。
なお、この「Il falsario(ビッグ・フェイク)」は、ニコラ・ビオンド、マッシモ・ヴェネツィアーニ共作の小説「Il falsario di stato(国家の偽造犯)」を再解釈して映画化したもので、70年代に起こった「アルド・モーロ誘拐・殺害」事件を核に、トニ・キッキアレッリをモデルにしたトニ・ディ・ドゥケッサをはじめ、何人かの実在した人物以外、架空の登場人物やその関係性において、現在推測される仮説とは異なる虚構が混在した物語となっています。
とはいえ、イタリアの『鉛の時代』に起きたあらゆる事件の真相はいまだ藪の中で、何が真実で、虚構なのか、明確に判断できない状況ですから、自由奔放に独自の物語を再構築することが許容される時代、と言えるかもしれませんし、そもそもあらゆる過去、思い出は、もはや実体のない幻ではあります。ちなみにピエトロ・カストリットの父親、セルジォ・カステリットはTVドラマ「教授」でアルド・モーロを演じたこともありました。
さて、「ビッグ・フェイク」のストーリーの詳細については、実際にNetflixで観て、その虚実皮膜を楽しんでいただくとして、「アルド・モーロ誘拐・殺害事件」における、『赤い旅団』から届けられた7番目の声明の偽造犯としてのキッキアレッリを知ったうえで、映画を観ながら印象に残ったシーンなどを、次の章で少し書き留めておきたいと思います。
その偽造声明の文章は、レオナルド・シャーシャに「人をなめたように冷笑的で、ゾッとほどするくだらない」と手厳しく評されましたが、ヴィジュアルとしては『赤い旅団』の公式声明と寸部の違いもないものでした。
しかしその後、『旅団』からその日の新聞を持つモーロのポラロイド写真と、真性の声明が送られてきたため、「モーロは生きている、声明は偽造だ」と発覚した、というのが経緯です(後述)。
❷映画「Il falsario(ビッグ・フェイク)」 ❸実在したトニ・キッキアレッリとは何者だったのか ❹キッキアレッリと「ペコレッリ事件」 ❺「世紀の強盗」と「メモリアル・モーロ」










