映画「Il falsario(ビッグ・フェイク)」
映画「Il falsario(ビッグ・フェイク)」において、トニの幼馴染みとして描かれる下積み中の聖職者ドン・ヴィットリオ、工場で働く極左活動家で、やがて『赤い旅団』メンバーとなるファビオーネという人物は、完全に架空の設定です。
そしておそらくこのふたりの人物は、ヴァチカンの俗物化と裏切り、極左テロリズムの敗北、という、その時代の象徴的な状況をメタフォライズするため、あるいは物語の整合性を図るために設定されたと思われます。
また、実在したキッキアレッリは、「モーロ事件」以降、確かに『赤い旅団』を名乗って実行した犯罪が複数ありますが、実際の捜査においては、映画で語られるような『赤い旅団』との親密な関係は明らかになっておらず、むしろ極右グループに近かったと見られています。まず、キッキアレッリが関係を維持していたローカル・マフィア「バンダ・デッラ・マリアーナ」そのものが、軍諜報局、極右グループとの協力関係を築いていました。
劇中、「バンダ・デッラ・マリアーナ」のボスのひとり、バルボ(ムッソリーニの熱狂的な支持者でもあったダニーロ・アブルッチャーティがモデル)とのバールでの会話で、友人である極左の活動家とともに強盗したことを話すトニに、「色は大切だ。赤(極左)より黒(極右)だ」、「俺たちがファシストと一緒にブレーシャに爆弾を仕掛けた」とバルボが言うシーンがありますが、実際、その後の捜査においても「バンダ・デッラ・マリアーナ」はNAR(極右革命組織)と密な繋がりを構築していたことが指摘されています。たとえばジャーナリストである「ミーノ・ペコレッリ殺害事件」の実行犯とされるマッシモ・カルミナーティ(最終的に無罪)は「バンダ・デッラ・マリアーナ」にも、NARにも所属する人物でした。
映画におけるトニ・ディ・ドゥケッサは、のちに妻となるギャラリー経営者であるドナータと組んで、天才的な名画の贋作者として法外な報酬を得ると同時に、バルボを通じて小切手やアイデンティティ・カードの署名を偽造する仕事を引き受けるようになります。さらにバルボを情報提供者として利用していた軍諜報局幹部(と思われる)のサルトという謎の人物の要請を受け、『赤い旅団』の声明を偽造する重要な役割を、わりと軽い、どちらかというと良心的な気持ちで引き受けています。
興味深いのは、自らをアーティストと称するトニが、名画の贋作、ドキュメントの偽造に関してまったく抵抗を見せず、むしろ自らをローマで1番(稼ぐ)のアーティストだと自負しているところでしょうか。これは現実のキッキアレッリも同様で、名画の模写という違法行為に、何ひとつ罪の意識を持たない自信満々の人物だったと言われます。

キッキアレッリの模写を、現在はほとんど観ることはできませんが、この1枚だけはネットで見られる、ごく初期のデッサンと思われます。左がピエトロ・アンニゴニのオリジナル、右がキッキアレッリによる模写。エマニュエラ・オルランドのブログ emanuelaorlandi.altervista.orgより引用。本稿を書くにあたって、このサイトの記事も参考にさせていただきました。
また、サルトの要請で、「モーロを救うため」と促されて偽造声明を作ったにも関わらず、結局、モーロ殺害という悲劇的な結末を迎えて困惑するトニに、バルボが「奴らがモーロの監禁場所を探して欲しいというので見つけたが、奴らは結局何にもしなかった」「共産主義者と政府を作ろうとしたからモーロは殺された」と言うシーンは、現在、おそらくその通りであろう、と推測される内容です。当時、諜報機関にモーロの監禁場所を探せ、と要請された「バンダ・デッラ・マリアーナ」は、実際にその場所を突き止めていた、との証言が複数存在します。
なおストーリーの後半、国際金融家(ミケーレ・シンドーナ)の金融破綻で、マネーロンダリングに失敗した、ズー・ピッポ(「コーザ・ノストラ」の金庫番、ピッポ・カロがモデル)の巨万の富を取り返すため、そして国家機関へのある種の復讐のため、トニ・ディ・ドゥケッサが、当時米国資産が保管されていたブリンクス・セキュアマークの金庫から350億リラ(29~34億円)を強奪した無血強盗事件は、現実にキッキアレッリが起こしたことが、その死後、明らかになった事件です。事件の動機にズー・ピッポが関わっていた、という説もありますが、その事実は不明瞭なまま、「世紀の強盗」と呼ばれる大事件となりました。
ところでトニが、自分の生命を守る保険として『赤い旅団』のテロリストであるファビオーネのパスポートを偽造する見返りに手に入れた「メモリアル・モーロ」については、実際にキッキアレッリがそれを所有していた可能性は高いとされながら、所有していたなら、どのような経緯で手に入れたのか、現実には未確認のままです。
この「メモリアル・モーロ」は、モーロが55日間監禁されていた人民刑務所で、『赤い旅団』の尋問に答える形で書き残した、戦後からの国家機密を含む膨大なドキュメントで、『旅団』の潜伏場所で発見された1978年にごく一部のみが公開されましたが、その後は長きに渡って秘密にされています。
「ベルリンの壁」が崩れ去り、ソ連による共産主義イタリア侵攻の危機が消滅した、1990年になってようやく完全版(現在に至っても、すべては公開されていないのではないか、と疑う向きもありますが)が公開される運びとなったわけですが、その文書には当時の国際準軍事作戦であった謀略「グラディオ」、そのグラディオ下、イタリアに張り巡らされた謀略「緊張作戦」に関する考察、さらには当時の首相ジュリオ・アンドレオッティと国際金融の錬金術師と言われたミケーレ・シンドーナの関係性についての分析、さらにイタリア諜報機関の新事実、同僚であった『キリスト教民主党』の政治家たち、特にアンドレオッティ、フランチェスコ・コッシーガへの厳しい批判などが書かれていました。
なお「メモリアル・モーロ」を巡っては、『赤い旅団』の隠れ家であったミラノのモンテ・ネヴォーゾ通りで発見された時点からその重要機密書類の一部、あるいは完全版を所持していたとされるジャーナリスト、ミーノ・ペコレッリ(1979年)、カルロ・アルベルト・デッラ・キエーザ大佐(1980年)が次々と殺害される事件が起きる事態となっています。
というわけで、筋書きを明らかにしないまま、「il falsario(ビッグ・フェイク)」の気になる箇所のみをざっとまとめてみましたが、配信を観ていただく際のヒントになれば、と思いました。大御所の作品と『鉛の時代』を知らない世代の作品を見比べて、時代の捉え方の違いを分析するのも面白いかもしれません。
余談ではありますが、「バンダ・デッラ・マリアーナ」については、元検察官であったジャンカルロ・デ・カタルドの小説を原作に、ミケーレ・プラチドが監督を務めた「Romanzo Criminale(邦題:野良犬たちの掟)」が2005年に制作され、国内外の映画賞を多数受賞しています。その後TVシリーズとして再制作され、2008年から2010年まで放映されて大反響を呼びました。個人的には、映画もTVシリーズも、夢中になって観た記憶があり、のちにTVシリーズのDVDも入手した次第です。
▶︎実在したトニ・キッキアレッリとは何者だったのか










