教会内外からの攻撃にも、揺るがない教皇の信念
教会スキャンダルとして、記憶に新しいところでは、米国人聖職者らのおぞましい実態を暴いたボストン・グローブ紙の小児性的虐待の一連の報道を映画化した『スポットライト』の公開で、世界の注目を集めた一連のスキャンダルでしょうか。
その後も各国から、たびたび聖職者の「ペドフィリア」のニュースが流れてきて、そのたびに非常に幻滅したのも事実です。しかしヴァチカンは、ベネディクト16世前教皇の時代から、次々に明るみに出るカトリック聖職者小児性的虐待に対して、厳罰を下すと言う方針を貫いています。
もちろん、フランシスコ教皇もベネディクト16世同様、神父、そして枢機卿という聖職者の『ペドフィリア』を厳しく監視され、暴かれると同時に、厳罰に処していらっしゃる。たとえばニューヨーク・タイム紙に暴かれた、子供から大人に至るまで、長きに渡って性的虐待を繰り返していた米国人枢機卿の高位を、発覚後、教皇はただちに剥奪されました。『枢機卿』という高位聖職者がそのタイトルを剥奪されることは、前代未聞のことでした。
また今年の2月には、「子供たちの保護は、現代の緊急の課題」であり「神に仕える者として、重責を担う行動」を取らなければならない、と教皇が全世界の司教のトップを招聘してサミットが開かれ、ペドフィリアの悲劇にいかに立ち向かうか、徹底的に話し合われています。
そしてヴァチカンには、厳格に監視しなければならない、もうひとつの課題としての、資金洗浄や不正投資などの金銭スキャンダルがある。
いまでもときどき、不意に表面に浮き上がってくる不正の舞台とされるのは、「教会関係の芸術、建築の修復のため、信仰者の献金を管理する」、実質的には銀行の役割を担うIORや、教会が保有する不動産の管理を担うApsaと呼ばれる機関で、数週間前にもレスプレッソ紙が、海外への不正投資、資金洗浄があったのでは?と追跡した記事を掲載したところです。
さらにはごく最近(アマゾンに関わる教会会議の最中に)、「ヴァチカンは世界から集まった献金を管理できていない。不正で膨らんだ赤字でデフォルトの危機にある」、「フランシスコ教皇の最期の闘い」とセンセーショナルな見出しがついた『最期の審判』という本が出版されました。
この本を書いたジャーナリストは、『ヴァチリークス』とも呼ばれるヴァチカンのスキャンダルを追った本を何冊も出版しており、ヴァチカンで裁判にかけられた経緯もあります。
この本では、金銭スキャンダルの出所として、実質的な銀行の役割をするIOR、Apsa、そして教皇庁国務長官事務所、という3つが上げられ、本来門外不出である3000もの書類を元に、ヴァチカン内の収賄、二重口座、不正投資など、教皇の教会改革を妨げるブラックホールを検証。近い将来、ヴァチカンがデフォルトを起こすかもしれないほどの赤字を出す可能性が述べられています。しかし読み進むうちに、ストーリーがあまりに出来すぎで、むしろ不自然に思え、結局途中で読むのをやめることになりました。
つまり、この本の内容が何を意図しているのか、教皇は教会の支出を管理できていない、というイメージを膨らませて、教皇を攻撃しているのか、単純に教皇庁のスキャンダルを暴いて耳目を集めたいのか、ヴァチリークス裁判への報復なのか、はっきりとは掴めないため、額面通り信用するわけにはいかないと感じた、と言うのが正直なところです。
すると、最近になって、ラ・レプッブリカ紙が、教会改革のための枢機卿評議会の議長、マラディアガ枢機卿の次のようなインタビューを報道しました。
「ヴァチカンがデフォルトに陥るというのはフェイクです。教皇庁は、とりわけ使徒職も管理しており、さまざまな方面からの収入があります。献金だけが収入源ではないのです。さらにヴァチカン美術館からの収入も教皇庁を助けています。わたしにしてみれば、(この本の出版は、教皇への)不信を募らせるための戦略的な行動のように思えます」(2019/10/21)
また、2018年からApsaの責任者となった、ガランティーノ大司教も、「2018年は2200万ユーロが利用可能でした。しかし危機に陥った病院施設とそこで働く人々を保護するために、特別な支出があったことは確かです」「この本は、『ダヴィンチ・コード』と同様、小説のようなアプローチがされているのではないでしょうか」と、現在のApsaという機関の状況と詳細を、アヴェニーレ紙に語ってらっしゃいます。
『貧しき者たち』に寄り添い、社会問題の解決を訴え、教会の改革を進めるフランシスコ教皇は、就任した当初から米国カトリック教会と繋がる保守宗教右派グループから、次から次へと攻撃を受け、教会内に分裂があることは周知のことでした。確実なところは、わたしには判断できませんが、「デフォルト」などという、あまりにセンセーショナルな内容のリサーチは、「ドラマチックだけれど、ありそうにもない」と考えたほうがよいと思う次第です。
いずれにしても、ヴァチカンに根づいてきた、これまでの隠蔽体質こそが、さまざまな不正の温床になり、教皇の教会改革を妨げていることは、想像に難くありません。厚い壁に覆われたヴァチカンという『聖域』を隠れ蓑に、外部巨額資本のマネーロンダリングや、IOR=ヴァチカン銀行に集まった世界中から集まった献金を資金に、海外に投資して巨額の負債を負った、というような事案に捜査が入り、過去には責任者が辞任することも多々ありました。
しかも、それらのオペレーションには、絶大な権力を持つ数人の高位聖職者が関わり、銀行で働く職員すらまったく知ることができないように、徹底的なバリアが張られて行われると言われます。そして、それらの不正がいつからはじまったのか、元をたどるならばイタリアの『鉛の時代』、悪名高い、かの米国人大司教ポール・マルチンクスがIORの総裁を務めていた70年代にまで遡ることになる。
マルチンクスといえば、『コーザ・ノストラ』と強い絆を結んで、一躍時代の寵児となった銀行家ミケーレ・シンドーナや、のちに暗殺されたロベルト・カルヴィが総裁だったアンブロジアーノ銀行と結託し、マフィアの大がかりなマネーロンダリングだけでなく、その後のカルディ暗殺事件、教皇ヨハネ・パオロ1世の暗殺疑惑、ヴァチカン職員の娘、エマヌエーラ・オルランディが突然失踪した未解決の事件、教皇ヨハネ・パオロ2世暗殺未遂事件などに関わったとされ、秘密結社『ロッジャP2』及びCIAの一員として、当時のヴァチカンに激震を走らせ、同時にその信頼を失墜させた人物です。
マルチンクスはあらゆる事件の捜査上に名が浮かび、その都度、逮捕状が出たにも関わらず、何の罪にも問われず1990年までヴァチカン銀行の総裁を務めています。
ちなみにマルチンクスの父親は、アル・カポーネの運転手をしていた、という話もあり、最近米国で出版された、ラッキー・ルチアーノの息子の自伝には「ヨハネ・パオロ1世をシアン化合物で暗殺したのは、マルチンクスだった」と告白する記述があるそうです。マルチンクスが亡くなってしまった現在では、その確証を得ることはできませんが、グラディオ下の『鉛の時代』、緊張作戦からはじまったイタリアの流血の騒乱は、つまりヴァチカンの暗部にまで、深く侵食していたわけです。
そしてその時代のヴァチカン銀行のシステムが現在でも継続している、と『最期の審判』の著者は言います。かつてはイタリアの魔王、ジュリオ・アンドレオッティも利用していたという、存在しないファンデーションの名を冠した名義不明の口座は、廃止されることなくIORで利用され、それがマネーロンダリングの温床になるケースがあると言うのです。今まで明るみに出たヴァチカン銀行と大手金融機関が関わった資金洗浄を思い起こすなら、そういう事情はあるのだろう、とは思います。
ただ、教会内部における反教皇の動きは、前述した米国カトリック教会を中心とする、マテオ・サルヴィーニら極右政党が深く関わる、福音とは真逆な贅沢な暮らしを謳歌する保守宗教右派の高位聖職者たちとされます(Agi分析記事より)し、銀行、あるいは不正投資にまつわる記事にも、その聖職者たちの名前が見え隠れしますから、今までの流れから考えて、マラディアガ枢機卿がおっしゃることが最も信用に足る、と考える次第です。
前述したように、教皇が『再婚した人々にも聖体拝領を許可』、つまりカトリック的には罪を犯した人々に教会の扉を開いたため、大反発したお年寄りの4人の枢機卿が『神学的な疑い』を主張し、シノドス=教会会議を巻き込んで大きな議論となったこともありました。さらには大規模な小児性的虐待で糾弾された、件の米国人枢機卿の手下のように振舞っていたとされる、前米国ヴァチカン使節が、フランシスコ教皇の辞任を要求するなど、反教皇派が声高に騒ぐ事態がときどき起こります。
フランシスコ教皇が、自分の生まれた国、そして家族と離れ離れになり、難民として生きて行かねばならなくなった人々の尊厳を強く訴え、『受け入れ、守り、支えながら、たどり着いた土地に馴染んでもらう配慮』を主張していることで、難民の人々が逃げ出した国に投資し、資源を持ち去り人々から搾取している国、そして大企業は、教皇への敵意を露わにしているそうですが、アマゾンに関わる環境問題に関する教会会議の最中に、『最期の審判』が出版されたのも、このような事情があるからかもしれません。
また、教皇が今までに任命した13人の枢機卿は、質素な暮らしをしながら、弱者を救済するために尽力してきた、シンプルな聖職者ばかりだということも、教会内部保守宗教右派の敵意の的となっていると言われます。
「回勅をまったく無視する米国カトリック教会のある一部の者たちは、原油及び石炭関係会社との政治的な繋がりを持つ巨額の寄付金のドナーたちの方に興味があります。そういう意味で、アマゾンに関するシノドス、そして回勅『ラウダート・シー』が推進する繊細な発展と公正な社会という教皇の方針は、お金にしか興味のない者たちには邪魔でしかないのです」(2019/10/21 前述のラ・レプッブリカ紙によるマラディアガ枢機卿インタビューより)
教皇になられた当初から、『貧しき者たちによる、貧しき者たちのための教会を』と、フランシスコ教皇が断言された背景には、そんな背景もあったのだと思います。
ところが教皇は、米国カトリック教会から大きな批判を浴びていることをどう思うか、とジャーナリストに聞かれた際には「批判はいつでも誇りに思います」とにこやかに答えられています。
このように、われわれには想像もできない巨大な妨害に遭遇しても、教皇は常に人々に寄り添い、エネルギッシュに世界を旅し、人々を祝福される。繊細でありながら、揺るがぬ信念を貫く豪腕でたくましい教皇です。
日本でどのようなお話をされるのか、楽しみにしているところです。
※イスラム教の難民の人々にも、教皇は宗教を超え、洗足式を行ないました。
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