『アンティファはテロ 』という、価値の転覆
今となっては、アンティファが一定の組織であるとか、グループである証拠はないという当たり前の理由で、少しづつうやむやになりそうですが、米国大統領がしれっと発言した「アンティファをテログループに認定する」という言葉に、イタリアの人々は顔を見合わせて「えー!アンティファがテログループ?」「どういうこと?」とざわつきました。
この、トランプ大統領の「アンティファ=テログループ説」に関しては、「トランプが言っているアンティファというのは、われわれが考えているものとはまったく違って、たとえばブラック・ブロックのことを言っているんじゃないだろうか」と結論づけているネットメディアがありましたし、Wiredなども「トランプが言うアンティファとは」とわざわざ解説していたほどです。
ブラック・ブロックと呼ばれる自称アナーキストたちは、欧州各国でも悪名高い挑発集団で、大規模な抗議集会が開かれると、どこからともなく黒ずくめのフード付きジャージ姿に黒マスクで現れ、路上の車に火を放ったり、キャッシュディスペンサーを壊したり、通りに並ぶ店舗のショーウインドーを粉々に割って、平和的な抗議集会をぶち壊しにする集団です。
結局のところは何の思想もない、機会を見つけては、ただ暴れたいだけの青年たち、と言っても過言ではないかもしれません。
たとえば、2001年にはG8サミットが開かれたジェノバ、2011年にはNYのウォール街のOccupy Movement(ウォール街占拠)に賛同して開かれたローマのサン・ジョバンニ広場での大集会、記憶に新しいところでは、ミラノEXPOが開かれた2015年の大抗議集会に、わらわらと例の黒ずくめで現れて、さんざん暴れて街角が火の海と化しましたが、それ以来イタリアを舞台にした目立った動きは見られません。
ともあれ、イタリアでアンティファ=アンティファシストと言われて、誰でもすぐに思い出すのは、道なき道をゆき、野山を駆け巡って熾烈なゲリラ戦でナチファシズムと闘い抜いた、伝説のパルチザンたちですから、人々が面食らうのは当然です。
しかもイタリア共和国は、といえば、ムッソリーニのファシズム政権から自由を勝ち獲ったパルチザンたちが建国した国ですから、理想から言えば(残念ながら、ファシズムに傾倒する輩が完全に消えたことはなく)、国そのものがアンティファシズムを体現しているということにもなります。
ところで史上初のアンティファは、といえば、かの自由主義哲学者、ベネデット・クローチェと言ってもいいかもしれません。
1925年、ジョヴァンニ・ジェンティーレのファシズム宣言への批判として、アンティファシズム・マニフェストをポポロ紙に寄稿したクローチェは、そもそもはファシズムの基本思想を構築したジェンティーレの友人でしたが、1924年、ムッソリーニの兄弟の収賄を暴いたジャーナリストでもあった『統一社会党』議員ジャコモ・マテオッティが虐殺された頃からファシズムに失望しています。
クローチェは、少数によるエリート独裁主義であるファシズムを「まったく理解できない、混乱した宗教のようだ」と糾弾し「(リソルジメント以来の)2世紀半、真実への愛、正義への熱望、人間としての寛大さと市民としての意識、知識と道徳的な教育への熱意、自由と前進するための強さ、保障への配慮こそが、近代イタリアの魂であるとの信頼が揺らぐことはありません」と断言。
「おそらくいつの日か、過去を静かに眺めたとき、私たちが今置かれている、厳しく、苦しい状況が裁かれる時が来るでしょう。そして、イタリアが国としての生命を活性化し、政治というものを学ぶために、市民たちのためになさねばならないことを、最も厳しい方法で経験すべき段階だったのだ、ということに気づくでしょう」と20年後を見通しています(抜粋、意訳)。
なお「パルチザンのレジスタンス」といっても、全員が共産主義、社会主義者だったわけではなく、『グラディオ』という、イタリア国家が絡んで、CIA、NATOが企てた緻密な謀略にも深く関わりを持ったエドガルド・ソーニョのような君主専制主義者も、カトリックの僧侶たちもいたわけですから、それぞれがそれぞれの思いを抱いてレジスタンスに挑んでいたわけです。
ただ、戦後の国民投票で共和制が国民に選択されたこと、またイタリア共産党を支持するパルチザンの数がきわめて多かったために、パルチザン=共産主義=A.N.P.I.(イタリア全国パルチザン協会)=左派&最左翼という構図は現在まで継続しています。
つまりトランプ大統領が発言したように、アンティファがテログループであるならば、4月25日の国民の祝日である『解放記念日』に、赤や三色のスカーフをなびかせながら繰り出すA.N.P.Iのメンバーたちが、ファシズムから解放された自由を祝って、テーマソング『ベッラ・チャオ』を歌って気勢をあげ、マッタレッラ大統領がヴィットリオ・エマニュエーレ講堂の祖国の祭壇にオマージュを捧げるイタリアは、国ごとテログループということになります。
現在、アンティファといえば、『ウォール街占拠』以来、ANTIFAと大文字で表記され、『ノーグローバル、アンチキャピタリズム、アンチレイシズム、アンチセクシズム』の思想を背景に持つ米国起源のように思われていますが、その言霊は、文字通りのファシズムと生命をかけて闘ったイタリアのパルチザン精神に他なりません。
実際、現在のイタリアにおける大文字のANTIFAである反議会主義の占拠スペース『チェントロ・ソチャーレ』や、アンチファシズムを掲げて広場に繰り出し大旋風を起こしたムーブメント『サルディーネ』の傍には、常にA.N.P.I.が存在するという具合です。
そしてこの、サラッと語られる『ANTIFAはテロ』、『イスラムはテロ』、という背景をまったく無視したあやふやなイメージの押しつけが曲者なのです。歴史や文化をまったく知らないまま、「権力者がそういうのであれば、きっとそうに違いない」と、それが価値の逆転であることにも気づかない善男善女も、やがて現れるようになるからです。
イタリアの「リトル・トランプ」、マテオ・サルヴィーニも「難民はテロリスト」であるとか、「NGOはテロリスト」であるとか、意表を突く価値の逆転で人心を惑わすことを得意としていますが、この価値の逆転というのが、実はファシズムがファシズムたる所以である、特徴的なレトリックであることは、イタリアのアンティファたちの共通認識でもあります。
ショー・アップされた、演劇的エンタテインメントな演説やパフォーマンスで人心を掌握するポピュリズムは、支持者が大きくなればなるほど、非常識がやがて常識となり、時代の価値観を大きく変えることにもなりかねない。
つまり戦後から現代まで、人を軽蔑するときに使われていた「この、ファシスト野郎!」という表現が、いつのまにか「このアンティファ野郎! テロ!」に変わることがないように、われわれは十分に施政者を監視、目を光らせていなければならないということです。
さもなくば今までは明らかに『犯罪』だったはずの思想が、いつの間にか『市民権』を得て、やがて主流になる時代が来ないとも限りません。そういえば、かつて日本の政治家が口にした「ナチスの手口に学べ」という言葉に、ドキリとしたこともありました。
価値の変換は、実際のファシズムが20年以上を かけてイタリアに浸透したように、何年もかけてゆっくりと進行します。世界はもはやITテック、GAFAMの時代だというのに、政治の世界は旧態依然どころか、いまだに過去の亡霊が漂い続けていますから、油断も隙もありません。
さらに気になるのは、アメリカのメディアでも日本のメディアでも、『極左』『アナーキズム』という思想が、常に『暴力』と抱き合わせで使われる傾向があることでしょうか。たしかに冷戦期、世界中の極左グループが、武装闘争で革命を遂行しようとした時代がありましたし、暴力的な政治殺人も次々と起こっています。
しかし、と同時に冷戦期のイタリアでは、ネオファシストたちが、国家だの、CIAだの、NATOだの、秘密結社だのと共謀して、無差別大量殺人で市民を恐怖に叩き込む、半端ではなく残忍な犯罪を繰り返していますから、どちらか一方を暴力的、と糾弾することはできません。
それから長い時を経た現在のイタリアで、社会から見捨てられた人々や困窮にある人々、路頭に迷う難民の人々を、地道に、黙々とサポートし続けるだけでなく、アートや音楽の分野で実験的なムーブメントを起こすのは、『極左』『アナーキスト』と呼ばれる反議会主義の人々であり、過去においてはイタリア国内における『原発』建設阻止をはじめ、地球温暖化及びゼネコンによる環境破壊をいちはやく問題視したのも彼らでした。また、多くの左派メディアも、彼らの活動に注目しています。
わたし自身は、なんらかの政治思想に心酔してはいませんし、勉強もしていませんが、アンダーグラウンドな音楽や演劇、アートを紹介する、彼らが運営するチェントロ・ソチャーレ(文化スペース)に時々出かけることがあり、暴力とはまったく無縁な、フレンドリーな人々なのに、と日本のメディアや米国のメディアの表現を毎回不思議に思っているところです。
ちなみにここのところ、極右グループの暴力的な政治集会や左派の文化スペースへの放火が相次いでいるローマ市は、ヴィルジニア・ラッジ市長自ら明確に「われわれはアンチファシスト」と宣言もしています。
※ジョージ・フロイドさん殺害事件から1ヶ月、レイシズムの犠牲となったすべての人に捧げるため、A.N.P.Iの呼びかけで制作されたビデオ『Nessuno è razza(誰も種ではない)』は、マーチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、マルコムX、マッタレッラ大統領、リリアナ・セグレ上院議員(アウシュビッツからの生還者)、ミンモ・ルカーノらの演説を編集し、イタリアで活躍する俳優、舞台監督、アーティストたちがマーク・トゥウェインやターハル・ベンジュルーン、ボブ・マーレーのテキストを朗読しています。
▶︎付録:ファシズムとはいったいどのような性格を持っているのか