活気が戻ったイタリアの街角で、Covid-19と共存しながら想うアンティファシズムのこと

Deep Roma Eccetera Quartiere Società

イタリアにおけるレイシズムについて

さて、ここで話題はさりげなく、サラッと変わることになります。

Covidで世界中が不安定な状態のまま、米国中を席巻する#BlackLivesMatterが瞬く間に世界各国に広がり、大きな議論となったレイシズムは、自分が外国人として異国に暮らしていることもあり、常日頃から強い関心を抱いてきた問題です。

そこで、少し昔を振り返りながら、その動きをたどってみたいと思います。

個人的な経験ではありますが、ローマを訪れ、すぐに住みはじめたのは、古代ローマ時代からスブッラと呼ばれる下町の中の下町。古くから住むローマの庶民がささやかに暮らす地域でした。

欧州共通通貨が導入されて以降、現在ではラディカルシックなおしゃれゾーンとなってはいても、当時はまだ閑散として、エジプト人のバールがあったり、フィリピン人シニョーラの八百屋さんがあったり(現在も存在します)、国籍が不明のアンジェロと呼ばれる路上生活のおじさんが皆に大切にされていたりと、人種、国籍、貧富の差など誰ひとり気にしている様子がない、呑気な街角でした。

その一角には、ダンスと音楽のセンスが半端なく、ピナ・バウシュがローマに来た際、立ち寄ったほどの隠れた名所でもある、セネガル人のたまり場だったライブハウスもあった。とはいえ、当のセネガル人たちはピナ・バウシュが一体誰なのかまったく知らず、「だからどうなんだ」という風情でもあったそうです。

ロックダウンの数日前、そのライブハウスで最もパワフルだったダンサーの女の子に郵便局で偶然に会ったのですが、なんと、若いみそらで孫までできたそうで、「あの頃はほんと、楽しかったよね」としみじみ言ったあと、「ひどい時代になっちゃったね」と低い声で呟いていました。

昔ながらの住民の間に、わたしを含める異人種や、何者だか分からないアーティストたちがワイルドにごちゃごちゃ混じって、喧嘩もなく、たいした揉め事もなく、たまにはちょっとしたロマンスも見かける、古い街角にのどかな時間が流れていた頃です。そしてこの時代のスブッラが、わたしにとってのローマの原風景となっています。

スブッラは、現在でもやっぱり魅力的な街角です。この通りはパソリーニの『アッカットーネ』のワンシーンをはじめ、さまざまな映画に使われています。

やがてリラからユーロに変わったのは、運悪くベルルスコーニ政権下。ローマ中心街の不動産の値段は倍々高騰し、世界中から観光客が押し寄せて、どちらを見ても人、人、人、という状態になった。日に日に拍車がかかる投資ブームと物価の上昇、昔ながらの個性的でいい加減な(よい意味で)店がひとつ、ふたつと閉店し、モダンでシャープなグローバルデザインの店が次々出来て、街角の風景がみるみるうちに変わっていきました。

当時は、その変化が悲しくもありましたが、目に見えるもので、時とともに変わらないものはこの世に何ひとつ存在しませんから、「しかしユーロはどこまで跳ね上がるのか」とは思いつつ、これがグローバリズムという時の流れなのだ、とその流れに身をまかせるしか術はありませんでした。

そこに突如として起こったのが、2008年のサブプライム危機をきっかけとした世界金融危機であり、続く欧州通貨危機だったわけです。ユーロの価値が日に日に下がり、と同時に多くの人々が仕事を失い、格差がみるみる広がった。2013年には30歳以下の若者たちの失業率が40%を超える状況にまで経済が悪化しました。

そしてこのような時代を背景に、それまでオンラインのミートアップで成長してきた「アンチグローバリズム、アンチシステム、アンチユーロ、環境問題の解決、水の国有化」などを掲げる市民ムーブメント『5つ星運動』が、現実の政界進出を賭けて2009年に決起。

2013年には、弱小政党であった最古参の政党、『北部同盟』の書記長にマテオ・サルヴィーニが就任し、このあたりからイタリアの政治が大きく変わっていくことになります。

また、それまでは、多くて年間2万人から6万人程度だったアフリカ大陸から訪れる難民の人々が、シリアの内戦、そしてリビア情勢の悪化に伴う人身売買マフィアの暗躍で、2014年には17万人に激増する、という現象が起こり、「すべての難民の人々を受け入れるべき」「いや、絶対に受け入れられない」と、イタリアの世論をまっぷたつに分裂させることになった。

経済が不安定な上に、毎日難民の人々が続々と訪れる日常は、「彼らが、やむにやまれぬ事情で国を捨て、ここまでたどりつくには、どれほど過酷な道のりを歩み、生死を賭けた困難を乗り越えなければならなかったか」、その事情を知らなければ、異種を警戒する本能的条件反射で、恐怖と不安に掻き立てられたと思います。

当然のように「侵略だ!」と騒ぐ人々が現れましたが、子供たちを巻き込んで、多くの犠牲が繰り返される海難事故や彼らの悲劇的な状況に、胸を押しつぶされる思いで、難民の人々を支援しようと立ち上がった人々もいました。

そして、イタリアにおける外国人、特に難民としてイタリアへ訪れた人々への排斥主義顕著になった(それまでも『北部同盟』周辺を核に、少しは存在していましたが)のはその頃からです。

「イタリア人は食べていくこともできないのに、難民だけが過剰に優遇されている。彼らは5つ星ホテルに滞在している」「難民をイタリアに送り込んでいるのはジョージ・ソロスが支援するNGO!難民流入はソロス一派の陰謀だ」「毎日テロリストが送り込まれている」というフェイクニュースが、大量にネット上に流れてくるようになった。

やがて、それまではどちらかというと、ひっそりと活動していた、前時代的なネオファシズムを標榜する極右グループが表舞台に躍り出て、難民の人々、移民である外国人に罵詈雑言を浴びせながら、たとえば選挙に立候補する、という大胆な試みまで見られるようにもなりました。

そしてこの、「難民や移民の人々への憎悪」の波に乗って、一気に人気を博したのが『同盟』のマテオ・サルヴィーニでした。「難民たちの極楽生活は終わりだ」「イタリア・ファースト!」と叫び、『難民排斥』と『Sovranismoーナショナリズム』をショー・アップしながら、「難民はテロリスト」「イスラム教徒はテロリスト」、と支持者であるウルトラ・ライトな方々とともに、ただひたすらに難民、移民の人々への憎悪恐怖を煽ったわけです。

そのサルヴィーニの四方を固めるネオファシストグループは、難民、移民の人々、ユダヤの人々、イスラムの人々、ロムの人々を侮辱するだけでなく、路上で無差別に暴行を加えるなど、やがて、その現実的な暴力性をも露わにしはじめました。

これは2015年2月、ローマで開かれた#絶対サルヴィーニとは関わらない。ローマはサルヴィーニが嫌いだ!と開かれた、ポポロ広場の抗議集会。いまや左派のオピニオンリーダーとなった、アンティファ占拠スペース「チェントロ・ソチャーレ」が生んだコミック作家Zerocalcareは、ローマのアンティファシズム、アンティレイシズムの集会ポスターをほとんど手がけています。

2018年の国政選挙の直前には、『同盟』に心酔する極右青年が、ナイジェリアマフィアのドラッグ事件に巻き込まれ、殺害された女性の復讐と称して、無差別にアフリカ人を銃撃。6人に重軽傷を追わせるという事件が起こり、イタリア中に抗議の声が巻き起こることになった。

それまでも外国人を狙った極右グループによる暴行殺人事件はいくつかありましたが、普段はのどかなマチェラータという街で、車窓からピストルでアフリカ人をターゲットに発砲する、という事件は、社会に強い衝撃と恐怖を与え、ファシズム、ネオファシズムの暗い思い出を蘇らせました。

そんな事件がありながら、その後の選挙ではなぜか『同盟』が大躍進し、サルヴィーニは『5つ星運動』との契約連帯政府における内務大臣に収まることになったのです。

そして大臣に就任するや否や、サルヴィーニは命がけで訪れる難民の人々の目の前で、イタリアのすべての港閉ざし、国家安全保障では、国内の難民支援システムを破壊するとともに、遭難した難民の人々を海上で助け続けてきたNGO船を『犯罪者』に指定。現在イタリアに滞在している人々から人道ヴィザまで剥奪したことは以前の項に書いた通りです。

さらにサルヴィーニは、難民の人々と土地の人々が助け合い、ささやかな経済循環を構築し、世界においても高い評価を受けていたリアーチェ・モデルを作ったミンモ・ルカーノ市長を逮捕。ローマでは難民の人々を支援し続けてきたバオバブエクスペリエンスの難民キャンプを、ブルドーザーでこれみよがしに破壊するなど、心が粉々に砕ける、暴力的なパフォーマンスを連発しました。

今、冷静になって振り返るなら、マテオ・サルヴィーニが台頭した背景は、ハイパーキャピタリズム、グローバリズムが行き着くところまで行き、中東、アフリカ大陸の紛争がいっそう過酷となり、みるみるうちに経済大国となった中国が世界に巨大な影響力を持ちはじめ、旧ロシア帝国復活の野望を秘めたロシアが欧州における勢力拡大を夢見て、クリミア半島のセヴァストポリを編入した時期と重なります。

そして、その経済の不安定世界の激動に伴う混乱時、排斥主義と陰謀論が「市民を混乱させ、社会に分断を起こすための政治プロパガンダとして最も効果的な方法だ」と、サルヴィーニ及び欧州極右勢力に、意識的に採用されたようにも思うのです。

2015年、難民の人々が入れないよう国境封鎖したハンガリーのビクトール・オルバンは、今までさんざん支援を受けておきながら「ユダヤ資本を操るジョージ・ソロスの危険な陰謀」を大真面目に語り、ソロスが支援し続けた教育機関やビジネスの痕跡を、国内から拭い去っています。

確かにジョージ・ソロスは癖のある、単純な善人とは思えない巨大投資家ではあっても、いまや90歳の老人ですから、いまさら陰謀を企むとは思えませんし、インターポールも、何ひとつ陰謀の証拠を見つけることはできなかった、ということでした。

ともあれ、現在は政権から追放されたとはいえ、いまだに高い支持を誇るサルヴィーニの、時として、え!と耳を疑う非常識な言動、行動、SNS上での扇動、フェイクニュース、弱い者虐め、有名な善良な人々への侮辱、女性蔑視の傾向は、欧州極右勢力のみならず、明らかに米国大統領の有り様ともよく似てもいます

さらに、米国大統領が聖書なら、マテオ・サルヴィーニはロザリオ、と場違いな場所で、そらぞらしい信仰を、印籠のように掲げるところまで、まったく同じ演出です。

つまり、インターナショナルな極右勢力と言われるリーダーたちは揃いも揃って、根拠のない陰謀論(米国の場合は、Covid人工説もありましたし)を振り回し、弱者、マイノリティを虐め抜き、社会における唯一無二の頂点として、宗教の神秘パワーとともに『権力』を強調しているわけです。その有り様は、まるでムッソリーニ(神に遣わされた男だったらしいですから)を踏襲しているみたい、となんとなく思ったりもします。

特に欧州の場合は、米国福音派とも、ロシア正教会とも、カトリック原理主義とも強いつながりを持つスティーブ・バノン一派が、各国の極右政党の人心掌握ストラテジーの『グル』として、いまだ(多少影が薄くなりましたが)君臨していることはもはや共通認識です。

なお、かつて計画倒れに終わっていたはずの、イタリアに『国際国粋主義学校』を作るというバノンの野望はまったく消滅しておらず、「イタリアを中国から守る」ため、7月からリモートで授業を開始するそうです(Open.it)。政治が不安定なイタリアは、長きに渡ってバノン一派のターゲットとなっています。イタリアから欧州、そして中国に揺さぶりをかけたいのかもしれません。

語り尽くされたことですが、権力扇動するあらゆる『差別』『排斥』は、異種であるマイノリティへの恐怖、あるいは憎悪を人々に叩き込み、虐め、蔑み、その人権を剥奪することをカタルシスに、人々の不平不満を政権から遠ざけながら、権力サイドの利権ビジネスを巧みに隠蔽。民衆を分断統治する、古色蒼然とした『政治』に他なりません。

そして、そんなカビ臭い、亡霊のような『政治』プロパガンダが、2008年以降、いつの間にか世界中に蘇り、近代化され、細分化されたネット上のゲッペルスたちによって、音もなくひそやかに蔓延した。ネット上に大量に流されるファイクニュースや陰謀論、外国人への誹謗中傷が組織的に拡散されていることは、Rai3『Report』などの人気番組が明らかにしています。

そういえば、2019年の夏に政権から『同盟』が去り、『民主党』と『5つ星運動』による連立政権が樹立してからは、「政治が変わることで、これほど社会の空気が変わるのか」と感嘆するほど、『差別』的な発言や誹謗中傷が、メディアやSNSで膨張することはなくなったように思います。各種メディアも総力を尽くして、組織的な誹謗中傷、フェイクニュースの出どころの検証に余念がありません。

にも関わらず、いまだに『同盟』『イタリアの同胞』は高い支持率を保持したままなのです。

きわめて深刻な環境問題を抱える時代、Covidの急襲という自然からのサインとともに、世界に激震が走っていることを感じます。それにともない、バノン一派を『グル』と仰ぐイタリアの各種極右勢力の活動が活発化し、チャンスを伺っている気配が満ち溢れてもいる。

協調か、分断か。今はどちらの方向へもシフトする可能性のカオスにあり、どのような選挙であれ、これからの選挙はひとつひとつが勝負だと、ひしひしと感じる次第です。

と同時に、今までは主流だった、お金を湯水のように使ったマーケティングでがっちり有権者の傾向を読んだうえで、緻密にショー・アップされたエンターテインメント型の、民衆を煙に巻くだけの政治では、やがて本当に、世界が立ち行かなくなる日が訪れるのではないか、と危機感をも感じます。

哲学者ルチアーノ・カンフォラが「ファシズムの肝は『差別』である」と定義していましたが、この定義を、しっかり胸に刻んでおきたい所存です。

▶︎みるみる蘇った、1968年激動の記憶

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