貧しき者たちに寄り添い、『インテグラルなエコロジー』を世界に訴えるフランシスコ教皇

Anni di piombo Cultura popolare Deep Roma Società

 現代社会への提言でもある、回勅『Laudato si’ mi signore nostra(ラウダート・シー・ミ・シニョーレ・ノストラ)』

さて、フランシスコ教皇が、教皇になられて以来、強く訴えていらっしゃるのが、自然環境破壊と世界に広がる経済格差への危機感から導かれたインテグラルなエコロジー』、『貧困が是正される、公平な社会』、そして教会そのものの『倫理観のイノベーション』でしょうか。

教会のあり方としては、人々の苦難の叫びを聞き分け、『misericordiaー神の憐れみ、慈しみ』をもたらす場であるべきこと、そして常に開かれた場所であるべきことを改めて確認されています。また、2015年から2016年にかけては、『misericordia』の特別聖年と定め、貧窮にある人々や、排斥された人々、難民の人々、隣人への憐れみを訴えられました。

さらには、われわれはみな同じ『人間』であるにも関わらず、世界中で政治が権力を乱用し、排外主義的な政策が助長されている状況に、インテグラル=総合的に『公正』と『友愛』と『環境』のバランスをとる最も重要な手段として、国際的な対話を促すことを訴えていらっしゃいます。

イタリアにおいては、マテオ・サルヴィーニが内務大臣時代に、難民の人々を乗せた船を一切着港させない、という暴力的な『国家安全保障』の決定の裏で、難民の人々を無条件に受け入れることを訴え続けた教皇に、サルヴィーニが謁見をリクエストしたことは、今まで1度もありませんでした。

もちろん、世界中に拡大する貧困問題がただちに解決することがないように、たちまちに新しいヴィジョンを持った人々や、キリストのスピリットで刷新されたキリスト者が現れるわけではありませんが、長い時間をかけた繊細な教育によって、人々に良心と新しいヴィジョンをもたらすことが、教皇のお考えなのだそうです。

また、国際的な「公正と平和」を実現させるのは、「インテグラルなエコロジー」という枠組みでのみ可能だと、教皇はおっしゃいます。イタリア語で、「インテグラーレ」という言葉は、「総合した、無欠の、完全な、全てを含む」というのが第一義ですが、自然環境、生物多様性、全人類の健全な生活、経済発展など、あらゆるすべてが均衡を保ち、循環しながら、必要なものが平等に行き渡る状況、というコンセプトなのだと、わたしは解釈しています。

わたしたちが『環境』を保護しなければ、正しい進歩のための『家』はいよいよ荒れ果てていき、よりよく生きようとどんなに懸命に努力しても、まったく無意味である。デジタル時代と同時に、われわれの間にエコロジーと公正な社会への意識が目覚めようとしており、効果的にエコロジーな生活を送りたいならば、より公正で友愛に満ちた社会のために貢献しなければならないと、教皇はおっしゃっているのです。

アッシジのサン・フランシスコの『太陽の賛歌』の一節がタイトルに掲げられた、192ページ、6章246節に及ぶフランシスコ教皇の2番目の回勅(教皇から世界中の司祭に送られるカトリック教会の公文書ー2015年6月18日)『ラウダート・シー』は、もちろん聖職者の方々への宗教的な公文書ではありますが、宗教の枠を超え、今後、ユニヴァーサルに立ち向かわなければならない環境問題、社会問題が核となっています。

この『ラウダート・シー』は一般的に、環境保護:グリーンを推進する回勅と捉えられることが多いのですが、むしろ社会問題:ソーシャルな回勅であることが、何度も強調されました。

 

動物たちとも言葉を交わすことができ、教えを説いたといわれる、アッシジの聖フランシスコ。

 

行き過ぎた個人主義、消費主義、浪費により、水、自然など、世界の共有財産がリスクにさらされ、経済格差、貧困が広がり、不公平の度合いがいよいよ増す現代に必要なのは、あらゆるすべての人々との連帯を共有する経済、環境、そして社会であり、刹那的な満足を追求するのではなく、未来の世代のためによりヒューマンな経済システムを構築しなければならないと、回勅は詳説している。

わたしたちが生きている先進国と呼ばれる国々の、長いスパンで状況を判断することのない近視眼的政治と、ライフスタイルをなかなか変えることができないエゴイスティックな消費主義が核となった社会の有り様、そして場当たり的地下資源及び森林資源の過剰利用、搾取に対し、科学的な分析とともに警鐘が鳴らされています。事実、資源の過剰採掘や森林伐採で地球レベルで環境は破壊され、干ばつや飢饉が起こり、気候が大きく変動し、さらに資源に群がる国々が引き金となる戦争、紛争が絶えません。

そしてそれらの戦争で、突然に日常の生活を奪われた人々が、難民となって他国へ救いを求めようとすると、その原因となった紛争や資源の争奪に加担しておきながら、『国粋主義』、『排外主義』という自分勝手な思想を掲げた先進国から国境を閉ざされ、路頭に迷わざるをえない。これはどう考えても異常で、非人間的な状況です。

その状況に回勅は、人類が『自分たちが共有している家』を大切にするという責務を負うようになるに至るまで、カトリック教会の『エコロジカルな改心』『方向変換』を求め、さらに世界から不幸を根絶し、貧困に注意を払い、すべての人々に、地球上の資源が公平に行き渡ることを求めています。もちろん、それはカトリックの信仰者だけでなく、現代を生きるわれわれひとりひとりに、ライフスタイルを見直す必要があることを確信させる内容です。

『ラウダート・シー』の全文をわたしは読んではいないのですが、日本語にもすでに翻訳されています。ここでは「ヴァチカン・ニュース」、そして週刊誌として、イタリアで最も部数を誇る雑誌のひとつ「Famiglia Cristiana(クリスチャン・ファミリー)」の概要記事を参考に、教皇の回勅のポイントを、この項の末尾に簡単にまとめました。

カトリックの門外漢としてまとめた概要なので誤認があるやもしれません。間違いや問題などご指摘いただければ、大変ありがたく思います。なお、クリスチャン・ファミリーは、マテオ・サルヴィーニの『国家安全保障』についても、厳しく批判する記事を掲載した経緯がある雑誌です。

ところで、反教皇派の教会内部の保守宗教右派(極右政党とも絆を持つ)と、緊密に繋がる米国カトリック教会は、この回勅の存在を認めようとせず、『環境問題』『社会問題』が、まるで存在しないようなふりをしているらしいのですが、その理由を次のページで考えてみたいと思います。

 

▶︎教会内外からの攻撃にも、揺るがない教皇の信念は次のページへ

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