地中海の明るい太陽輝く、陽気で美しいイタリアには、絶望と悲しみに彩られた深い闇も同時に存在することを、ふいに感じることがあります。米国CIAとイタリア国家の一部により、戦後画策された『グラディオ作戦』、『フォンターナ広場爆破事件』からはじまった『緊張作戦』に煽られエスカレートした政争で、イタリアを血の色に染めた『鉛の時代』。ピエール・パオロ・パソリーニの無残な死もまた、確実な証拠は上がらなくとも、『緊張作戦』の一環と捉える人々が多く存在します。その事件の真相を知るであろう、パソリーニ殺人の犯人として、たったひとり刑に服した当時17歳の少年、ジュゼッペ(ピーノ)・ペロージが今年7月20日、59歳でひっそりと病死しました。 Continue reading
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『鉛の時代』 CIAとイタリア軍部秘密諜報組織SIFARの謀略:諸刃の剣グラディオ
多くの無辜の市民の生命を奪い、若者たちの人生を狂わせた、陰謀と流血、虚栄と野望と絶望が渦巻くイタリアの『鉛の時代』。その物語を現在から俯瞰するうちに、先進国と言われる国々に住むわれわれが、かつて「終戦」を迎えた、というのは、実は幻想なのではないのだろうか、という感覚に陥ります。第2次戦争大戦ののちの冷戦下、朝鮮半島、ヴェトナムなどアジアの国々、南米各国、東欧、中東、そして「ベルリンの壁」崩壊後は中東、アフリカへと戦火の矛先は集中していく。われわれの日常からは遠くとも、爆音と燃え盛る炎は、この地球上から消えたことがありません。 Continue reading
ローマのユダヤ人と難民の人々 : Shoah ショーア
ソ連の兵士たちによりアウシュヴィッツー強制労働収容所の扉が開かれ、囚われの人々が解放された1945年の1月27日。その日を、国連は「Shoah(ユダヤ語)ーホロコースト」の犠牲者たちを追悼するインターナショナル・メモリアル・デーとすることを、2005年に正式に認定(イタリアでは2000年から)しています。したがって1月27日には毎年世界各地で、ホロコーストの犠牲者たちを悼むさまざまな催しが開かれています。もちろんイタリアでも、その日を挟む数日間は、学校、美術館、図書館をはじめとする公共施設で、数多くの映画の上映や展示会などが開かれ、過酷な歴史のリアリティをもう一度、胸に刻む一日となっています(写真はローマの Ghetto -ゲットー地区の路地、壁を飾るユダヤ教のシンボル)。 Continue reading
イタリア憲法改革・国民投票: Referendum(レフェレンドゥム)
いよいよイタリア共和国憲法の改革を問う『国民投票』の日を迎えました。イタリアのマスメディアは、過熱するだけ過熱し、フィナンシャル・タイムズやウォールストリート・ジャーナルなどのグローバル経済各紙も、今回のイタリア国民投票の結果が、イタリアのみならず、欧州、そして世界に及ぼす影響を分析しています。「市場の反応はかなり悪い状況になりそうだ」と煽ったり、「いや、イタリアの政治不安は今にはじまったことじゃないから、Noー不承認が出ても市場は何も変わらない。イタリアの悪化した金融機関の状況は悪化したまま進んでいく」などと、好き勝手に報道しています。
『鉛の時代』:「秘密結社ロッジャP2」グランドマスター、リーチオ・ジェッリ
『鉛の時代』の黒幕と言われるフリーメーソン系『秘密結社、ロッジャ(ロッジ)P2』については、詳細を知り尽くしている方々がたくさんいらっしゃるので、ここでは、さらっと上澄みを撫でるだけに留めておきたいと思います。2015年12月15日、『鉛の時代』、ロッジャP2のグランドマスターとして君臨し 、当時起こったほとんどの大事件の背後に、必ず名前があがるLicio Gelli ( リーチオ・ジェッリ)が、96歳という高齢で、トスカーナ・アレッツォの自宅、Villa Wanda(ヴィッラ・ワンダ)で静かに息をひきとりました。そして、その死と同時に人々は、忘れがたく解きようのないわだかまりを記憶に甦えらせることになったのです(タイトル写真はLicio Gelli コリエレ・デッラ・セーラ紙より)。 Continue reading
永遠のピエール・パオロ・パソリーニ
日本では、もはやマニア、あるいは研究者以外には、あまり語られることのないピエール・パオロ・パソリーニですが、イタリアにおけるここ数年の、特に若い人々の間でのパソリーニ人気の高まりには目を見張るものがあります。今年2015年、彼がオースティアの沿岸、水上機停泊地で惨殺されて40年を迎えた11月2日の命日、ローマはもちろんイタリア各地でパソリーニ関連のイベントが開かれ、新聞、TVのマスメディアも大きく特集を組みました。 Continue reading
『鉛の時代』と「死刑台のメロディ」:米国最悪のサッコとヴァンゼッティ冤罪事件
ご承知の通り、イタリアも日本同様、第二次世界大戦の敗戦国です。しかし同じ敗戦国であっても、イタリアは世界でも10本の指に入る武器産出国であったり、NATOの一員であったりと諸々の状況は大きく異なります。もちろんイタリアは欧州連合を形成する1国ですから、地政学的な相違が大きいのですが、米伊の関係に関しては、1800年代後半からのイタリア移民に端を発する両国の愛憎が影響しているように思います。(タイトルの絵は Ben Shahn : Vanzetti e Sacco) Continue reading
タブーにも果敢に挑み、暴き尽くす、イタリアのジャーナリストの『受難』
イタリアの人々は、主要メディアの報道に対して、かなり不満を持っているようではありますが、外国人であるわたしには、イタリアのジャーナリズムには「禁忌となるテーマ」が、ほぼ存在しないのではないか、という印象を持っています。闇のなかに埋もれ語られずにいた「不都合な真実」に光をあて、徹底的に暴き尽くし分析する、なかなか気骨のあるジャーナリストがイタリアには多くいて、スクープのたびに国じゅうが大騒ぎになることも少なくありません。 Continue reading
『鉛の時代』:ANSA通信特派員 ベニアミーノ・ナターレに聞く
イタリアの通信社ANSAの特派員、ベニアミーノ・ナターレ氏。長期間に渡ってインド、中国、イタリアを往復するアジアのエキスパートに、ご自身も大きく巻き込まれた『鉛の時代』、ドラスティックな変容を遂げた政治闘争について語っていただきました。 Continue reading
参考:ピエール・パオロ・パソリーニ 伝説の記事 Io so 「僕は知っている」
パオロ・グラッシーニがインタビューで語った、1974年、12月14日にコリエレ・デラ・セーラ紙に寄稿されたピエールパオロ・パソリーニの、冒頭、詩のごとくはじまる記事 ”Cos’è questo golpe? Io so(このクーデターが何なのか、僕は知っている)”は、時代を超え、伝説にすらなっています。 Continue reading