多少の混乱があるかもしれない、という予想に反して、意外にリラックスした雰囲気のなか、教会、いくつかの美術館、レストラン、バールをはじめ、ほぼすべてのお店が開き、控えめながらもローマには、少しづつ活気が戻りつつあります。なによりビーチが解禁になったことは、海に行けない夏など考えられないローマの人々にとっては、喜ばしいニュースとなりました。Covid-19の感染状況はといえば、大きな山は越したとはいえ、まだまだ予断を許さない状況ですから、今まで同様、厳格なソーシャルディスタンシングとマスク、手袋、消毒液など万全のウイルス対策を講じる、ニューノーマルでの再出発です。(写真は5月15日のトレビの泉。普段はトゥーリストで混雑し、身の置き場なく騒然とするトレビの泉前がサイクリングコースになる奇跡!という無人状態でした)。
ニューノーマルと連帯感
今後のデータによっては、あらゆるすべての州で、というわけにはいかないかもしれませんが、6月3日からは国内の移動が可能となり、欧州の国々との行き来も制限されながら解禁。6月15日からは、待ちに待った映画館、劇場、コンサートホールも再開される予定で、ソーシャルディスタンシングとマスクと手袋、大勢の人が集まるフェスタやイベント、デモなどの禁止以外は、以前とさほど変わらない、そこそこ自由な生活が戻ってきました(追記:6月3日には無事、イタリア全国の移動が可能になりました。州ごとにそれぞれ検温<たとえばローマ>など規則を設けていますが、今のところ混乱なく第3フェーズへ移行できました)。
ただ、メトロやバスなどの公共交通機関でソーシャルディスタンシングを厳守、ということになると、ラッシュアワーの乗車は人数が制限され、あちらこちらの駅や停留所で1時間近くの待ちが出て、延々と列が続いている、というニュースが流れています。そこで各種交通機関では「始発を早めよう」という動きも出てきたようです。
また、まだ5月だというのに気温がぐんと上がったせいもあって、バールやエノテカが軒を並べる各地のモヴィーダ地区では、我慢できなくなった大勢の人々(!)が集まって、夜更けまで騒ぐ、という光景が繰り広げられ、「こんなに多くの犠牲を出し、人々が2ヶ月に及ぶロックダウンに耐えたというのに、それを無駄にするつもりなのか」とさっそく時間制限が課されたり、閉鎖を予告されるなど、監視が強化されることになりました。
とはいうものの、ロックダウンが宣言され、緊張と不安が社会を覆った2ヶ月前と明らかに違うのは、誰もが少しやさしく、辛抱強く、ゆるやかになったことでしょうか。特に親しかったわけではなくとも、街角で見知った顔に出会うと、「どうしてた?」と笑顔で話しかけあって、2、3人が集まれば、以前と同じように薬局前のアーケードで井戸端会議(最低1m基準を守って)がはじまったりもします。
顔なじみの人々との、そんな他愛ないお喋りにホッとするだけでなく、どこか「あ・うん」の連帯と安定感を感じるのは、この2ヶ月の間、誰もが平等に同じ緊張と恐怖、そして、やりきれない痛みを共有したからかもしれません。
何が起こっているのか分からないうちに、1日に700人、800人という信じがたい数の方々が亡くなる毎日に突入し、医療の現場が戦場と化して怒号と悲鳴が飛び交うなか、身近な人々を失い嘆き悲しむ人々の声が木霊となって、われわれの心に深い傷を残しました。
もちろんいまでも100人近い方々が、Sars-CoV-2の犠牲となり亡くなる日もありますし、感染拡大が完全に終わったわけではないため、心から晴れやかな気持ちになることはありません。
それでも1ヶ月前までは、集中治療室に入院していらっしゃる重症の方が4000人以上いらっしゃったのが、ここ数日は600人を切るようになり、その状況に安堵すると同時に、このまま2度と、あの残酷で終わりが見えない嵐に巻き込まれることがないことを、誰もが願っているのだと思います。
そんな状況が続くなか、ここ数日ふっと気がついたのが、いつのまにか自分の中に生まれていた「社会との一体感」とでもいう、今までに感じたことがない揺るぎなさでした。
確かに今回のSars-CoV-2のイタリア急襲は、わたしのような異邦人にも「ひとりの市民としてイタリアの社会全体のために、責任を全うしなければならない。自分勝手な行動は自分ひとりだけではなく、他者に影響するのだ」と、今までに抱いたことのないコミュニティへの責任感を感じさせ、自分でも不思議なほど自然に、厳格に規則を守る65日間を送ることになった。
そんな単純な素直さは、今後の自分にとって良かったのか悪かったのか、今の状況では判断できませんが、まったく予期していなかった異国の非常時下におかれたことで、無意識に防衛本能が働き、身体的な接触がないにも関わらず、社会、そして近隣のコミュニティに、ヴァーチャルにコミットしたからかもしれません。
そしておそらく、そんな感覚が生まれたのは、イタリア全体を襲ったショックがあまりにも大きく、社会がたちまちに激変し、深く重たい悲しみに包まれたその時、普段はあれほど空気を読まない、てんでばらばらだったイタリアの人々が一丸となったことに、驚きとともに感銘を受けたからに違いありません。
彼らが社会を守るために、個々の身体的自由を自ら束縛し「感染しない=感染させない」ことを何より優先させたことは、かつてジャック・アタリが言っていた「利己的でありながら、同時に利他的でもあることは可能だ」という言葉をも思い出しました。
なお、今回のロックダウンはウイルスと闘う、あるいは感染を収束させるためではなく、あまりに急激なスピードで感染が広がって、重症になる方がみるみる激増するという状況下、すでに限界だった医療機関にこれ以上負担をかけないよう、感染の速度を緩めるために実施されたと認識しています。
また、わたしが体験したロックダウンは、政府が課した制約を守らなければ逮捕され、罰金を課せられ、場合によっては投獄される、独裁的戒厳令の恐怖に人々が無理強いされたのではなく(とはいえ、逮捕者もかなりの数が出ましたし、当局の強権的な態度も、SNS上で相当問題になりましたが)、それぞれの人々が社会を守るためにひたすら前向きに、力強く結束する、今まで見たことがなかったイタリアの一面でもありました。そして、それが今回の一番大きな学びになったと思います。
たとえば同じ建物に住む近隣の人々も、それぞれにそれぞれの緊張と悲しみを抱えながらも意気消沈することなく、多くのメディアで報道されたように、テラスで歌ったり、踊ったり、国歌を斉唱したり、「ベッラ・チャオ」を合唱したり、それが一巡すると、いつの間にか建物の壁をスクリーンに見立て、昔の映画を上映する人が現れたりもしました。映画が終わると、それぞれの窓から「アンコール」の声が響き渡る、という具合です。
ちなみに元パルチザンの人々も好むイタリア国歌や国旗ですが、もちろん場合によってはナショナリストたちのプロパガンダに使われることはあっても、ファシズムから自由を勝ち取った、共和国のシンボルとして捉えられることのほうが多いように思います。
また、Covid以降、たくさんの窓にイタリアの三色旗が掲げられたのは、決して国威を発揚しているわけではなく、「人種、宗教を超えた多様な人々からなるイタリア共和国は必ず立ち上がるという再生のシンボルなんだ」と教えてくれた人もいました。
さらにある朝、「外出できないお年寄りのためにボランティアをはじめた」という若者たちが数人現れ、「買い物の代行をしているので必要な人がいるなら渡してほしい」と電話番号を書いた紙を何枚か置いていったこともありました。そういえば、買い物の途中でも、あちらこちらの壁に『困窮した人々を支援するためのボランティア募集』の張り紙を見かけますし、以前にも増してローマの街にはボランティアの数が増えたように思います。
余談ではありますが、ローマには困窮が続き住居を追われた人々のために、もはや打ち捨てられ廃墟となった公共の建物の『占拠』をオーガナイズする人々が多数存在します(違法行為ですが、実績が認められ合法となる場合もあります)。
この、かなり厳しい状況下、『占拠』をしている人々に感染が広がったり、さらなる困窮が襲うのではないか、と心配していたところ、ローマ市衛生局と『国境なき医師団』が『占拠』されたスペースを巡回し、状況のモニタリングを続けているのだそうです。したがって初期、東部の『占拠』スペースで小規模なクラスターが発生した以外、ローマでは『占拠』スペースや、心配されたロムの人々のキャンプでの感染はほとんど起こっていません。
そういえばロックダウン中、たまたま『占拠』スペースでよく見かける青年と出会ったことがありました。彼は警察官とカラビニエリ以外、まったく人影のない街をてくてく歩いて、路上生活者の人々に「ローマ市が用意した避難所があること、食糧の配布があること」などを説明しているということでした。
もちろん、ボランティア活動の本家本元のカリタス、サンテジディオをはじめとするカトリック教会関係のグループも、食糧や薬の供給など、ロックダウン中、そして現在もフル回転で稼働。困窮した人々、寄るべのない難民の人々をサポートし続けています。
そういうわけで、ローマではニューヨークのように、困窮した人々に集中して感染が広がることはありませんでしたが、ロックダウン中の彼らの生活がいっそう厳しくなったのは事実です。現在、外国人、人種に関わらず、少額であっても平等なエマージェンシー・インカムを打ち出している政府ですが、困窮した人々のための支援基金は、ほとんど民間の寄付に頼らざるをえない状況だということですから、今後の政府の支援拡大を期待したいと思います。
ところで、ロックダウン中の経済打撃は、といえば、ローマ市だけで1420億ユーロに及ぶと言われ、トゥーリズムセクトが45%、映画、劇場セクトが51%、小売セクトが34%、農業が0.8%の減収となっているそうです(ラ・レプッブリカ紙)。
ですから現在発表されている政府の支援策ではまったく間に合わない状況ではあるのです。いまだCovid-19収束の見通しがたたないまま、ロックダウンが少しづつ解除された背景には、感染データの安定もさることながら、これ以上の空白に経済と社会心理が持ち堪えられないという判断がある、とジュゼッペ・コンテ首相も明言しています。
経済のダメージに最も衝撃を受けるのはわれわれ庶民であり、たとえば『占拠』をしなければならないほどに困窮に陥った、社会で最も弱い立場にある人々であることは、疑問の余地はありませんし、すでに多くの市民たちの立ち行かない生活も報道されはじめました。これからの時代、国からのさらなる支援に期待することはもちろん、市井のわたしたちも支え合って生きていかなければならない社会が訪れるかもしれない、とも感じます。
それでも世の中は、フレンドリーな善人だけで構成されているわけではありませんから、たとえば、人の弱みに付け込んで大枚をばらまき、自らの違法ビジネスに引き込もうとするマフィアグループの暗躍など、「ええ!」というひどい出来事が起こる可能性も十分に考えられる。ポストCovidはまだまだ先の話であり、物語はまだ終わりを迎えたわけではありません。
やがて社会の状況が変わり、それぞれの気持ちも移りゆく、とは考えます。しかしながら、今このときに思うのは、痛みを共有した2ヶ月間に培った隣人への信頼を基盤に、安定した気持ちで不確実な未来に立ち向かえることは、イタリアのアドバンテージになるはずだ、ということです。
また、どれほど過酷なデータであっても、まったく隠し立てすることなく、政府と科学者たちが一丸となり、分からないことには「分からない」と明確に答える、真摯で透明な説明が市民の共感を得たことは間違いありません。
それに他の裕福な国々よりは多少見劣りはしても、市民の生活を全力で守ることを表明し、寝る間も惜しんで医療体制を整え、欧州連合や、ドイツ、フランスなどの隣国に食い込んで支援を要請する政府の姿勢が、最も辛い時期を過ごす市民の安心につながった、とも思います。
欧米ではじめて、巨大な規模のCovid-19感染地となったイタリアで、いくつものエラーが重なり、公共医療機関が戦場と化し、それぞれがそれぞれの思いを胸に抱いて、ただひたすら嵐が過ぎ去ることを祈っていた頃、緊急事態の指揮をとった政府の、大盤振る舞いとはいかないまでも、きめ細かい支援を表明した姿勢は高く評価されました。
もちろん、ロックダウン解除となった今、多くの企業や商店が「こんな状況ではやっていけない」、とさらなる補償を求め、断固とした抗議をはじめましたが、それぞれが受けた打撃の規模を思えば当然の成り行きです。
ともあれ現在、ジュゼッペ・コンテ首相の支持率は56%と去年の12月から16%も上昇しています。もちろん、イタリアの市民はかなり厳しく、しかも気まぐれなので、その支持率が持続するかどうかは、今後の政策次第です。そして、市民がひと息ついたこれからが、『5つ星運動』『民主党ーPD』による連立政府の勝負どころなのかもしれません。Covid-19は人々の健康だけではなく、経済にも社会にも感染し、それらを蝕みます。
ちなみに最大野党の極右政党『同盟』の支持率は下がったとはいえ、いまだ26%もあり、同じく極右政党『イタリアの同朋』も14%と手堅い数字を維持しており(デモポリス)、こちらも予断を許さない状況です。
▶︎Covid感染が安定するとともに激化する政争という日常