『鉛の時代』 CIAとイタリア軍部秘密諜報組織SIFARの謀略:諸刃の剣グラディオ

Anni di piombo Deep Roma Eccetera Storia

多くの無辜の市民の生命を奪い、若者たちの人生を狂わせた、陰謀と流血、虚栄と野望と絶望が渦巻くイタリアの『鉛の時代』。その物語を現在から俯瞰するうちに、先進国と言われる国々に住むわれわれが、かつて「終戦」を迎えた、というのは、実は幻想なのではないのだろうか、という感覚に陥ります。第2次戦争大戦ののちの冷戦下、朝鮮半島、ヴェトナムなどアジアの国々、南米各国、東欧、中東、そして「ベルリンの壁崩壊後は中東、アフリカへと戦火の矛先は集中していく。われわれの日常からは遠くとも、爆音と燃え盛る炎は、この地球上から消えたことがありません。

GladioーStay behind( グラディオ作戦ーステイ・ビハインド)のコード名を持つ国際諜報オペレーション背景に、もはや市民戦争と呼べる騒乱にまで発展した1969年から1984年までの『鉛の時代』と呼ばれるイタリアの15年は、現代のローマの風景からは全く想像できない時代です。

確かに現代でも、過去を彷彿とする活発なアンダーグラウンド・カルチャーの分野に、アンタゴニズムの痕跡が残ってはいます。あるいはその時代から脈々と生き延びた地下犯罪組織政治経済界の強い絆が、突如として暴露されることもありますが、たとえば市民の日常であるデモが銃撃戦に発展するようなことは、当然のことながら皆無です。「すわ!『鉛の時代』の再来か」と、国中がざわめいた2001年のジェノバ、G8サミット・アンチグローバルデモの混乱、警官によるデモ隊銃撃事件以来、今のところ、「民主主義」の基盤を揺るがすような酷い事故は起こっていません。

先日のこと、日中でも夜の空気を漂わす、薄暗いカエターニ通りを通りかかった時のことです。壁に掲げられた「アルド・モーロ元首相」のメモリアルの石版を囲んで、教師と思われる熟年の女性が深刻な表情で事件の顛末を説明している場面に遭遇しました。10人あまりの高校生らしい、無邪気な眼差しの少年少女たちは、もはや自分とは遠い世界、「40年も昔物語じゃないか」という風に、あまり興味をそそられない様子で話を聴いていたのが印象的でもありました。

このカエターニ通りは1978年極左テログループ『赤い旅団に誘拐されたアルド・モーロ元首相が、ルノー4のトランクで無残に銃殺された姿で見つかった、重い記憶を残す通りです。今の高校生たちにとって(わたしも同感ではありますが)ゲームや映画ならともかく、武装による革命、テロでイタリアで変革しようだなんて時代錯誤も甚だしく、さっぱり理解できないメンタリティなのでしょう。

『鉛の時代』(年表はこちらからの約15年の間、イタリアでは大規模な無差別テロで多くの市民が犠牲者となり、政治家、警官、司法関係者、資本家、ジャーナリストを狙った衝撃的な殺人事件、あるいは暗殺、自殺が途切れなく続きます。幾度となくクーデター未遂が摘発され、時代の空気に踊らされた学生、労働者たちが武装するまでに荒れ狂い、冷戦下とはいえ、国際諜報、イタリア軍部のシークレット・サービスたちが、極右テロ、極左武装勢力に入り乱れ、謀略を巡らせる緊張の時代が怒涛のように押し寄せました。

やがて当時のイタリアにおける最大与党であった『キリスト教民主党』の党首であり、次期大統領とも目されていたアルド・モーロが極左テログループ『赤い旅団』に誘拐され、55日間に及ぶ監禁ののち殺害される、という、極端にエスカレートした事件が起こるほどの騒乱となります。この『アルド・モーロ事件誘拐、殺害事件』を境にイタリアは大きく変化した、と近代の歴史研究者たちは口を揃えますが、イタリアの何がどのように変わったのでしょうか。だいたい、この『鉛の時代』とは一体なんだったのか。

7866件の爆発事件、4990件の暴行が記録される『鉛の時代』の騒乱。写真はvelvetnews.itより引用。

極左テログループ『赤い旅団』を軸に、東・西各国国際諜報の痕跡、リーチオ・ジェッリをはじめとするフリーメーソン系『秘密結社ロッジャP2メンバー、イタリア軍部のアンチコミュニスト秘密諜報組織であるSIFER幹部、あるいは内務省諜報局SIDの暗躍が囁かれ、ジュリオ・アンドレオッティ、フランチェスコ・コッシーガという、その後の国政の核を担う政治家たちの権力欲が渦巻く、この『アルド・モーロ元首相誘拐、殺人事件』については、別項でまとめたいと思っているので、ここでは詳細を述べません。

しかし強調したいのは、その時代を生きた市民たちは、メディアが流し続ける政府、軍部の公式発表を少しも疑うことなく、「スターリニズム」を狂信する、邪悪なテログループ『赤い旅団』の思い上がった単独犯だ、と長きに渡って信じていたということです。いや、ひょっとしたら、いまだにそのオフィシャルな定説を信じる人が、イタリアには多く存在する可能性もあります。実際、過去の事件の経緯が真実でも虚構でも、目の前の生活の方がよほど大切なわたしたちは、自分には関係のない話だと、あまり関心を寄せない傾向があるからでしょう。

真っ赤な五芒星のシンボルとともに、次々と送られてくるモーロの写真と衝撃的な公開脅迫文書に、国中が絶望に打ちのめされ、震え上がった『アルド・モーロ事件』をきっかけに、いよいよ凶悪になった『赤い旅団』は、資本家、司法関係者、ジャーナリストとターゲットを定め、とどまることのない誘拐と銃撃、そして殺戮を継続します。また、裁判での、メンバーたちの太々しい態度が繰り返し報道もされ、『赤い旅団』は狂気のテロ集団、というイメージが、今でも人々の脳裏にくっきりと焼きついてもいる。

その時代、他の極左グループに属して、政治活動をした経験のある年代の人々は一様に「Brigatisti(赤い旅団メンバー)を支持するなんてとんでもない。言っておくけど、自分は全く関係ないからね。われわれは平和的(?)な運動をしていたんだから。だいたい武装などありえないじゃないか」と顔色を変えて断言し、『赤い旅団』を肯定する人物には、まず、なかなか会うことがありません。それでもたとえば、人気作家エンリ・ディ・ルカなどは、潔く『赤い旅団』のメンバーをCompagno–仲間、と呼んで、病死した『赤い旅団』のメンバーにオマージュを捧げており、時代を共有し、事情をよく知る人々の中には、肯定はしなくとも、断罪もしない人々がちらほら存在するのも事実です。

この、そもそも武闘派で、過激ではあっても殺人を犯したことがなかった『赤い旅団』のイメージを、「革命」の赤から「血塗れ」の赤に塗り替えたのが『アルド・モーロ事件』でした。その事件の裏に渦巻いたと推測される陰謀に迫る多くの書籍、ドキュメンタリー、名作映画が発表されていますが、その中には『赤い旅団』単独説をあっさりと覆した、事件当時の『赤い旅団』メンバー取り調べ主任であった検事、イタリアの司法界の重鎮(さらに元上院議員)でもあるFerdinando Inposimato(フェルディナンド・インポジマート)も含まれています。

ベストセラー「イタリアを変えた55日」の著者であるインポジマートは、「自らが検事主任としてテロリストたちのインタビューに直接関わったのち30年の間、『赤い旅団』の背後には『赤い旅団』しかいない、と確信し、陰謀説を一笑に伏していたが、事件に関するシークレット・サービスロッジャP2の動きに浮上するあらゆる疑問を裏打ちする証拠証言を掴むうちに、単独説は間違いであった、と確信を抱いた。『赤い旅団』は確かに陰謀に使われた」とはっきり語っています。さらに言うならば、『赤い旅団』のテロリストたち自身も、自分たちの置かれている状況を充分に把握できないまま、イデオロギーのみならず、虚栄と野心にまでも憑依され、熟慮がないまま「ブルジョア打倒!プロレタリアート革命!」と、ただ欲動に突き動かされたメンバーもいたのではないか、と思える状況も垣間見えるのです。

赤い旅団の有名なシンボル。『鉛の時代』、このシンボルフラッグとともに公開文が発表されると、人々は震え上がった。Wikipediaの写真から。

グラディオ–ステイビハインドという謀略が張りめぐされた、その時代背景をもう一度見直さなければならないのではないか、と考えたのは、このBrigate Rosseー『赤い旅団』に関する書籍を何冊か読んでいた時でした。フィアットなど当時イタリアの経済を牽引していた大工場での派手な爆弾騒ぎやサボタージュ、資本家、司法関係者の誘拐(75年までの『赤い旅団』による誘拐の被害者すべて釈放されています)ののち、75年以降、彼らが急激に常軌を逸し、みるみるうちに凶悪な殺人集団に変遷を遂げる過程に不自然さを抱いたのがきっかけでした。

また、創立メンバーのインタビュー、事件を扱った書籍や映画、ドキュメンタリーを調べるうちに、この時代、極左活動に関わった若者たちのメンタリティは、「戦中戦後まで遡らなければ理解できないのでは?」との疑問も湧いてきたのです。

畢竟、『鉛の時代』のイタリアの動乱には、ファシスト政権崩壊に向けて半島沿岸に上陸した戦勝国、米国軍の、欧州におけるソ連侵攻を地政学的に防衛するためのオペレーション(のちのグラディオ)のみならず、完全武装でファシスト政権に立ち向かったパルチザンのレジスタンス運動の大きな影響があることは否めません。

つまりレジスタンスを繰り広げたパルチザンは、武装に走った極左勢力の青年たちの 、祖父であり、であり、モデルでもある、ということです。また、パルチザングループの大部分を構成していたのは、米国の仇敵「ソ連」を目標に、マルクス・レーニン主義に忠誠を誓った共産党員、共産党支持者たちでもありました。イタリアは、その共産主義者たちの勢力があまりに強大だったために、米英露で『ヤルタ会談』が開催された瞬間からはじまった、『冷戦』という戦争シナリオに、戦後も巻き込まれていった、というわけです。

『鉛の時代』に起こったひとつひとつの事件を巡るアーカイブは膨大です。司法関係者、政治家、ジャーナリスト、元テロリストたちの回顧録、告発インタビュー、元CIAエージェントの告白など、関連書籍星の数ほど存在し、つい先ごろも百科事典ほどの厚みのある『赤い旅団』という3人の学者によるリサーチが出版されたばかりです。このように「これでもか、これでもか」と関連書籍が次々に出版、再版されるため、果たしてどの説が真実なのか、どの見解が的を得ているか、逡巡して絶望的な気持ちにもなることもありますが、同時に、この時代が現代のイタリアにとって、どれほど大切な物語を孕んでいるか、ということをも再認識しています。

▶︎Operazione Gladio-Stai behind(グラディオ作戦)

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