2021 : ダンテ・アリギエーリ没後700年を迎え、ますます人々を夢中にするヴィジョン、永遠の『神曲』

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『神曲』をリアリティと捉える、マッシモ・カッチャーリの講義(要旨)

政治家でもあったカッチャーリが、政況を分析する記事やインタビューは毎回面白くとも、哲学の講義は非常に難解で、一度だけライブを聴きに行った際は、ラテン語が飛び交ったうえ、古代ギリシャから近代まで、縦横無尽に思想が駆け巡り、さっぱり分からないまま、とぼとぼと帰った記憶があります。

しかし今回の『神曲』講義は、作品の流れを知っていたせいもあって、途中から驚きとともにすっかり引きこまれ、何回か聴き返すことで(その点、ネットは便利です)、「こんな風に読めばよかったのか」という思いを抱くことになりました。

カッチャーリはまず、多くの文学者や美学者によるさまざまな解釈があるとしたうえで、「『神曲』の中核、そして革新的な要因は『預言』だ。ダンテは真の預言者であり、『神曲』は『聖書』匹敵する『聖なる』詩(poema)である、と確信する」とし、「書かれているのは、想像でもイメージでもなく、リアリティだ」と定義しました。

つまり『聖書』同様、『神曲』は神の恩寵により、聖霊に導かれ表現されたミスティックな詩であり、地上の人間であるダンテが、地獄、煉獄を旅したのち「神の領域という超自然」である天国まで到達し、天と地という、そのふたつのシンボルを、ひとつのシンボルに統合することに成功した実体験である、とカッチャーリは言うのです。

その、それまでの文化では誰も経験したことがなかった「神域に至る旅」をした『預言者』ダンテは、その経験を独り占めにしようとせず、できるだけ多くの市民と分かち合うために、当時、高等教育を受けた貴族、僧職者の特権であったラテン語ではなく、フィレンツェ市民の口語、Volgare(ヴォルガーレ)で表現した。したがって、『神曲』は、その経験を人々とコミュニケート(書く、読む、詠む、聴く)することで『預言』として完結するわけです。

ちなみにこの頃のフィレンツェでは、たとえばペトラルカなど、ヴォルガーレで詩を詠むDolce stil novo(ドルチェ・スティル・ノーヴォ)が流行していましたから、ダンテがはじめてヴォルガーレで詩を書いたわけではありません。しかし自らの母国語であるヴォルガーレをひたすら愛したダンテの、そのラテン語を基礎とした正確な文法、気品(おそらく音楽性も)が現代に受け継がれ、「イタリア語の父」とまで呼ばれるようになりました。

ところで、『預言者』ダンテに下された天啓、恩寵は、ある日突然輝かしく、気持ちよく眼前に現れたのではありません。政治に情熱を傾けた詩人ダンテが、きわめて裕福な街でありながら、真っぷたつに政治分裂し、血みどろの争いが絶えない当時フィレンツェから、政争に敗れて追放を強いられ、各地の貴族の世話になりながら生涯放浪、という奈落を経験し尽くしたのちに与えられた、神の恩寵でした。

このように単純に、情緒的に解釈してしまっていいのか腰が引けますが、つまり『神曲』は、「神の恩寵に導かれ、恐怖に満ち、暴力に彩られた地獄(カッチャーリは地獄篇第18歌のせいかスカトロジーと表現)、煉獄への冒険を、傷つき疲弊しながらも乗り越え、ついには超自然の神の領域を体験したことで、人間の徳を超えたダンテが、その超人(新しい人間)としてのリアリティを多くの人々に伝え、その旅に招く詩」、ということでしょうか。

ちなみはカッチャーリは、この「超人」というコンセプトは、(『神曲』を罵倒した)ニーチェからはじまったわけではなく、ダンテの概念であり、さらにはすでに、聖アウグスト(354~430年)が提示していたことにも言及しています。

ちょっと余談なのですが、たとえばミケランジェロが、ダンテが生きた時代の約200年後にシスティーナ礼拝堂の天井に描いた、一度見たら決して忘れられない、ダイナミックな聖書物語(神は自分のかたちに人を創造された:創世記・1章27節)のように、ダンテは神を人間の老人としては具象化していません。

もちろんミケランジェロの聖書物語を、芸術として普遍、無比の作品とは思いますが、至高の光の頂点に存在する「言葉にはできない言葉を超えた像、記憶できない記憶を超えた像」とダンテが表現する神を、明確にキャラクタライズすることを、教会がよく許したものだ、とは思います。

 

ギュスターブ・ドレ「天国のダンテとベアトリーチェ」Wikipediaから引用。これは純白の衣をまとい、薔薇の形となって歩く、祝福された人々と天使たち。白薔薇はイエス・キリストの象徴とされます。

 

この、「言葉にはできない言葉を超えた像、記憶できない記憶を超えた像」というダンテの表現は、中世紀の文化が(あるいはダンテが)、偶像崇拝を固く禁じるイスラム教文化の影響を受けていたからかもしれませんし、いまだカトリック教会が、その権力と栄光を誇るため、聖像の制作を芸術家たちに次々に依頼する時代ではなかったからかもしれませんが、本来メタフィジックな存在である神の表現としては、数段ソフィスティケイトされていると感じます。

またカッチャーリは、恐怖と暴力に満ちた地獄の存在は、神学的に大きな問題提起があるとし、その存在もまた、神の恩寵、愛だとしながら、しかし地獄における裁きはあくまでもダンテ個人の裁きであり、われわれ人間からは、到底はかり知れない、深淵な精神を持つ神の「最後の審判」ではないことを、ダンテも承知していたと言っています。

つまり、地上の人間ダンテは、リアル社会に蔓延る悪徳を地獄で裁きながら、人々にヴィジョンを説いたのであり、永遠の責苦という地獄の入り口で捨て去らざるをえなかった「希望」はまだ、「最後の審判」における神のMisericordia(憐み)、Amore(愛)に委ねられたままなのだ、という解釈です。

そして、確かに『神曲』は全篇、中世カトリックの倫理観に貫かれてはいますが、たとえば地獄で最初に現れ、さまざまに解釈される豹、獅子、牝狼という3匹の動物を「淫欲、傲慢、吝嗇」とシンプルに解釈するならば(歴史的な背景からは、それぞれ具体的にフィレンツェ、フランス、教皇庁と解釈されます)、その3つのエゴが怒りや嫉妬や憎しみを生みながら、過度に膨張することで、現代社会が混乱、分裂、紛糾することは明白であり、信仰がないわたしにも説得力があります。

他にもこの講義では、政治家としてのダンテが、福音(新約聖書)を通じての、分裂した社会の調和を求め、聖フランシスコが試みようとした教会の再構成を考えていたことなど、興味深い視点が多く語られました。またダンテが理想とした「帝政」は、全体主義で専制的な帝政ではなく、多様な言語や民族(nation)を許容する、寛容な政治だったのだそうです。

またこの点については、歴史学者アレッサンドロ・バルベーロも、ダンテは政治を皇帝(神聖ローマ帝国)、信仰をカトリック教会に分離し、互いが支え合う調和した社会を理想とした、と解説しています。

なお、カッチャーリの講義で、最も印象的だったのは、聖母マリアの存在が、「神の単なる仲介者ではなく、愛が勝利することを望む神の意志であり、神に本来備わる本質。神性における女性性」と定義されたことでしょうか。現代に至るまで強い影響を持つ、父権社会の中心を担ってきたキリスト教の教会で、常に「父」である神の女性性が語られたことには、ハッともしました。そしてこの定義が、女性の視点からの『神曲』の評論を読んでみたい、と思ったきっかけともなったのです。

いずれにしても、ダンテとは時代観、倫理観に多少のずれがあるとはいえ、地獄、煉獄の住人であるわれわれ人間のエゴ、悪徳は700年の間にそう変化していない、とも考えます。訳註を読みながら、『神曲』を自分が生きる世界の次元に想定し、リアルな『預言書』として読むことで、「いるいる、こういう人」、とダンテの旅に感情移入できそうです。

しかし、700年前に読んだ人たちは、実在の人物、僧職者や教皇、当時街を湧かせたスキャンダルから事件、古代ギリシャの神々や怪物たち、哲学者たち、詩人たち、メタフィジックな人物から動物、天使、さらには「神」が時空、自然、超自然、とあらゆるカテゴリーの境界を超え、次から次に登場する『神曲』を、それが『預言』であると解釈したかどうかは不明ですが、なんてポップで新しく、奇想天外な詩なんだろう、と思ったに違いありません。

最初に『神曲』を発見し、熱狂したボッカッチョは、すでに亡くなっていたダンテの家族や知人を訪ね、その評伝を書いたうえに、ペストで亡くなるまで、徒弟を集めて『神曲』講義を開いていたそうです。

▶︎女性の視点から見た『ダンテの女性たち』(要旨)

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