2021 : ダンテ・アリギエーリ没後700年を迎え、ますます人々を夢中にするヴィジョン、永遠の『神曲』

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女性の視点から見た『ダンテの女性たち』(要旨)

さて、そんなカッチャーリの講義を聞いたあと、現代イタリア女性の視点からの『神曲』の評論を探したところ、なぜかその著者のほとんどが男性ばかりでなかなか見つからず、ようやくたどりついたのが、ジェノバ大学文学部教授のRita Nello Marchetti(リータ・ネッロ・マルケッティ)の『Le donne di Dante(ダンテの女性たち/ Albatros)』という、最近出版された比較的短い評論でした。

ちなみに『ダンテの女性たち』という表題の本は、それぞれ違う著者から、今までに4冊も出版されていて、そのうち3人が女性の著者です。そのなかからマルケッティを選んだのは、今年になって出版されたこと、またダンテの熱烈な賛美者(Dantefila)を自認する著者が、あらゆるすべての言語で、全方角から夥しい数の研究が存在する『神曲』を、それらの研究に競合する文学者としての立ち位置からではなく、現代の「普通の読者」として、親愛を込めた視点でダンテを評論する、と前書きにあったからです。

まずマルケッティは、ベアトリーチェへの崇拝、信仰はもちろん、『神曲』のどの場面を読んでも、登場する女性たちそれぞれに敬意が払われ、大切に描かれているため、女性として不快に思う記述はまったくない、と述べていますが、改めて考えると、確かにそうかもしれません。

もちろんイタリアの中世は、現代とは大きく異なり、男性社会女性社会がまったく分かれて存在するイスラム世界に似た構造で、自由恋愛どころか、男女が気軽に会うことも許されず、家族が決めた許嫁、つまり家と家との結婚が普通、という時代です。

しかし考えようによっては、そのような時代背景があったからこそ、生涯で数えるほどしか会ったことがない、ベアトリーチェ・フォルコ・ポルトナーリという女性への若き日のダンテの想いは、現代からは非現実的に思えるほど、狂おしく募ったのだと考えます。

ところで、ダンテがはじめてベアトリーチェに出会ったのは、9歳(!)の時でした。真紅のドレスをまとった、同年代の少女に出会ったその時から、ダンテは青年の日々も、そして亡命を余儀なくされた苦渋の日々も、その愛の次元を昇華させながら、ベアトリーチェを追い慕うことになります。

なお、ダンテのベアトリーチェとの運命的な出会いは、父親が出かける男性たちのフェスタ、集まりに連れられて出かけた時だったのだそうです。中世の子供たちは男女とも、母親ではなく父親の集まりに同伴するのが習慣でした。

そのベアトリーチェが嫁ぎ先で、24歳夭折したことを知ったときのダンテの嘆きと失意は言語を絶するほどで、ようやく立ち直ったその後は、ひたすら学問、哲学の道を歩み、詩作に打ち込む日々が続いたそうです(Rai Storia)。

フィレンツェのトリニタ(三位一体)橋のたもとで、女友達と歩くベアトリーチェ(白いドレスの女性)に出会うダンテ。ヘンリー・ホリデイ(1833年)Wikipediaより引用。

マルケッティは、ダンテはベアトリーチェという、人生で出会った女性を、絶え間なくリスペクトし、時には情熱的に献身し、そしてやがては信仰にまで高め、イコン(聖画像)として生かすことで、自分だけではなく、人々をも救済しようとした、と捉えています。

またダンテが、女性複雑内面世界に、その魂を見出すことができる、驚くほど近代的稀有繊細さを持っていたことに言及し、そのような感受性を持つ男性アーティストは、強いていうならプッチーニ以外、他には見当たらない、とも言うのです。

そしてマルケッティもまた、『神曲』は物理的な身体性を超えて霊性をリサーチした、イタリア文化のパノラマの中でも特異な作品であり、同時にフィレンツェの政治に情熱を注いだダンテが、社会的「美徳」とはどのようなものであるか、「そのヴィジョンを明らかにした」と、ダンテをまず最初に『預言者』の位置に置いています。

さらに、前述したように、キリスト教において完全な数字とされる聖数「3」で『神曲』が構成され、ダンテの生涯の随所にその数字が現れることから、それが自分にとって魔術的な数であることを、ダンテが強く意識していた、とも推測しました。

数秘学的ではありますが、人は知らないうちに特定の数字支配されることがあり、たとえばマルケッティ自身の人生の節目に、たびたび現れる数字が「22」であるように、ダンテの人生の中核となった女性、ベアトリーチェと出会ったのが9歳という「3」の倍数であったこと、『神曲』の旅のはじまりを、亡命を余儀なくされた1300年に設定したこと、ベアトリーチェが夭折したのは24歳(「3」の倍数)であることなどから、自らの生涯を支配する数字が「3」であることを、ダンテは確信していただろう、と言うのです。

確かに『神曲』においては、日本語版ウィキペディアにも詳細が記されているように、全篇3行韻詩(各章最後の3行韻詩+1行)、天国、煉獄、地獄ともに33歌(+序言)で構成されるうえ、3つの韻が鎖状につながる押韻形式が貫かれるスタイルは、まさに神がかりとも言える、想像を絶する完璧さです。

もちろんキリスト教は、三位一体を(父と子と聖霊)を基本教義に、対神徳(信仰、希望、隣人愛)、三大天使(ガブリエレ、ミケーレ、ラファエーレ)、磔刑となった33歳のイエス・キリスト、ユダの裏切りの報酬として30銀、キリストの3日目の復活、12人(「3」の倍数)の弟子など、福音書にも「3」が散りばめられています。

マルケッティは、そこで『神曲』に登場する3人の女性に注目することになります。

『神曲』を統合する3人の女性たち

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