2021 : ダンテ・アリギエーリ没後700年を迎え、ますます人々を夢中にするヴィジョン、永遠の『神曲』

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イタリア文学最高峰として、時代を超え、世界中の夥しい数の人々、文学者、哲学者、神学者、芸術家、歴史学者たちが虜となり、礼賛し、研究し続けるダンテ『神曲』。こんな、あまりに大きな不死の作品を、カジュアルに語るなんてとんでもない、と素直に思います。それでもDantedì(ナショナル・ダンテ・デー)の3月25日から、イタリア各地で繰り広げられる数多くのイベントを前に、ネット上のさまざまな講義や、女性の視点で描かれた『Le donne di Dante(ダンテの女たち)』という評論を読んで、それらがあまりに面白く、すっかり『神曲』の宇宙に魅了されてしまいました。そこで、ダンテの無限の宇宙の片鱗を、そこに漂うひとりの読者として、ほんの少し共有できれば、と思います(写真はヴァチカン美術館、署名の間。ラファエッロが描いた群衆の中のダンテ)。

3月25日、Dantedìからはじまるメモリアル・イヤー

ダンテ没後700年のメモリアルを前に、知り合いの高校生が「課題でダンテを調べなきゃならないんだ」と言うのを小耳にはさみ、有益と思われる講義があったら伝えよう、と軽い気持ちでネット上の動画をあれこれ見るうちに、「『神曲』ってこんなに面白いの?」と、去年から継続していた近代イタリアのリサーチをいったん中断。すっかり熱中してしまいました。

というより、どこか堅苦しく、難解だと思っていた『神曲』が、実は現代をも網羅する普遍『預言書』だったのだ、ということを実感した時、世界中の人々の心を捉えて離さないその理由が、ようやく少し、理解できたように思います。なにしろ『神曲』は、『聖書』の次に翻訳が多い書物なのだそうです。

今年イタリアでは、3月25日Dantedì(ナショナル・ダンテ・デー)に、クイリナーレ(大統領府)でロベルト・ベニーニの『神曲』朗誦が開催されますが(どの箇所が朗誦されるかはサプライズ! 追記:希望を伝える預言者としての使命を受ける天国篇第25歌でした)、ここ数日、ネット上でも『神曲』全篇の朗誦のみならず、ダンテのゆかりの地や末裔を訪ねるドキュメンタリーや講義、講演が、次々にアップされている状況です。

このDantedìは、ダンテの地獄の旅がはじまった(とされる)1300年3月25日にちなんで、2020年に制定された新しいメモリアル・デーでもあり、没後700年を迎えた今年は、大統領府のイベントを皮切りに、たとえばダンテが没した地であるラヴェンナでは、リカルド・ムーティ指揮のコンサートが開かれたり、フィレンツェのウフィッツィ美術館で大がかりな展覧会が開かれるなど、全国各地で500以上のイベントが予定されています。

一連のプログラムを発表した文化庁大臣は、「ダンテは、強いアイデンティティとともに、われわれひとりひとりが互いに支え合う、国というコミュニティの一員であることを思い出させてくれる。信頼の気持ちを思い起こさせてくれるのだ。『そしてここを出て、再び星を仰ぎ見た(e quindi uscimmo a riveder le stelle)』という地獄篇の有名な最後の一句のように、われわれが再び、皆で一緒に、イタリアの素晴らしい広場で再び星を見ること音楽を聴くこと、芝居を、映画を観ることを待ち望んでいる」と発言しました。

感染の再びの拡大で、予想していなかった厳しい再ロックダウンに突入し、広場で星を見ることもできず、劇場や映画館の再開も延期され、「この束縛に終わりが来るのだろうか」と不安に思う今、文化庁大臣が選んだ「そしてここを出て、再び星を仰ぎ見た」という一句は、ぐっと胸に迫ります。

ローマでは、2021年の10月から2022年の1月まで、スクデリア・ディ・クイナーレ美術館で「地獄展」が開催される予定になっているそうです。その展覧会では、ダンテのイコノグラフィからはじまって、現代社会の地獄的テーマまでを展示するそうですから、それまでに、誰もが自由移動できる状況になることを願っているところです。

サンドロ・ボッティチェルリが描いた地獄図。ヴァチカン図書館に展示してあるそうで、一度観たいと思いながら、実現していません。細部までびっしり描き込まれているらしく、「ヴィーナスの誕生」と同じ画家の作品とは思えないおどろおどろしさです。Wikipediaより引用。

また、近年のプロジェクトとしては、作家、ジャーナリストであるパオロ・ディ・ステファノの提案で、現在、まったく残っていない『神曲』を含むダンテの数々の作品の原典、書簡、サインを含む自筆を、ヴァチカン図書館の膨大なアーカイブから探すという作業が進行中です。

一説には、ダンテが亡命先のパトロンであったカン・フランチェスコ・デッラ・スカーラに宛てた書簡13通残っているとされ、たとえばホルヘ・ルイス・ボルヘスも、「ボルヘスの『神曲』講義」のなかで、その書簡の内容に言及していますが、今のところイタリアにおいては偽作と考えられているようです。

なお、ダンテの自筆が長い歴史の中で失われてしまったことについて、98年に亡くなった美術史家であるフェデリコ・ゼーリは、『神曲』全篇が、カトリックにおける「完璧な数字」とされる「3」(Trinità:三位一体:父と子と聖霊)という数字で構成されることから、ダンテに「数秘学」の知識があったことは明らかであり、また魔術、錬金術(その時代の科学でもあったでしょうから)に精通していたとし(ルネ・ゲノンが、ダンテは薔薇十字団のメンバーだった、と主張するように)、そのため死後、『妖術使い』と見なされ、「署名を含めるすべての自筆文書が廃棄された」と仮定しています。

もちろん、これは今となっては裏付けが取れないゼーリの仮説に過ぎませんが、ダンテの自筆が、何ひとつ発見されていないと捉えられていることは確かです。いまだ印刷技術が誕生していない時代、2部作成された、と言われるダンテ自筆の『神曲』は、一片も残らず完全に消失しています。

ところで文化庁大臣の、「ダンテはイタリアの強いアイデンティティ」との表現は、その繊細な感性と豊かな情緒、あらゆる学問に通じる膨大な知識、それまでの文化を覆すダイナミックな革新性と芸術性、カトリックに基づく霊性を示唆したことに疑いの余地はありません。そしてもちろん、ダンテが現代イタリア語の基礎となるVolgare(ヴォルガーレ=フィレンツェの口語方言)を洗練させた「イタリア語の父」であることは、もはや特筆するには及びますまい。

言語に関しては、ダンテ自身が、その著書『De Vulgari Eloquentia(ヴォルガーレの説得力)」で、「この言葉(ヴォルガーレ)こそ新たな光、新しい太陽。ラテン語は衰退し、この言葉が浸透していくだろう。(特別な教育を必要とするラテン語を知らないために)暗闇の中にいる人々の光となるだろう」(意訳)とのヴィジョンを示し、ヴォルガーレこそが、イタリアの人々の共通の言語となる未来を見通しています。

とはいうものの、『神曲』の原典が、比較的読みやすいヴォルガーレで書かれているにも関わらず、わたしにはかなり難しく、実のところ、ほんの一部しか読んでいないことを、思い切って白状しておきたいと思います。かつて日本語訳で全篇を読み、時代背景やダンテの生涯を含め、神秘的で興味深い、とは思っても、自らが漂う小さい世界からは感受性が追いつかず、遠くに感じていた、というのが本音です。

そんなわたしが突如として、ダンテの『神曲』をもっと知りたい、近づきたい、と思ったのは、哲学者、マッシモ・カッチャーリのフィレンツェの教会で開かれた講義に、たまたま行き当たったからでした。

高校生の資料を探そう、とネットを放浪するうちに、何となくその動画にたどりつき、全身から熱ほとばしる、カッチャーリの講義を聞くうちに、「ええ!そうだったのか」と、ぼんやり曖昧だった理解に、一筋の光が差したのです。

▶︎『神曲』をリアリティと捉える、マッシモ・カッチャーリの講義(要旨)

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