1900年前後 :「コーザ・ノストラ」黎明期「マーノ・ネーラ(黒い手)」とジョセフ・ペトロシーノ

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姿を現した中核人物たち

その、「マーノ・ネーラ」の中核を担う人物たちの存在見えはじめるのは1903年、マンハッタン地区で樽詰めの死体が見つかった事件からでした。実際は捜査を撹乱するためか、アイルランド系ギャングが使う、かなり陰惨なテクニックでの殺害でしたが、ここではその内容には触れずにおきます。

なお、1973年に封切りとなった映画ラ・マーノ・ネーラ」はフィクションではあっても、このシーンから強烈にはじまり、他のドキュメンタリーやTV番組も、たいていこの事件をメインに据え、その背後を探る構成となっています。

余談ですが、「ラ・マーノ・ネーラ」は、意図せず犯罪組織に巻き込まれる、ナイーブなシチリアの青年を巡る悲劇で、主演である若き日のミケーレ・プラチドが、その青年を好演して見応えがありました。同時代に制作されたハリウッドのマフィア映画、たとえば「Once upon a time in America」や「ゴッドファーザー」とは比較できないほど素朴な筋書きではあっても、「マーノ・ネーラ」と米国、およびシチリアの政治との癒着が明確に描かれているのは特筆に価します。

ともあれ、この「樽詰め殺人事件」の犯人たちを、ニューヨーク市警察初イタリア系アメリカ人の警察官ジュゼフ(ジョー)・ペトロシーノ逮捕することになるわけですが、このペトロシーノは米国、またイタリアにおいても、現在に至るまで英雄として名が残る、イタリア系移民としてはじめて刑事にまで昇進を果たした人物です。当時、イタリア系移民を忌み嫌っていた米国社会も、ペトロシーノにだけは絶大なる好意を示しています。

この「樽詰め殺人事件」の犯人を絞り込むために、ペトロシーノが注目したのは、樽の中に残された「おがくず」という微かな証拠でした。その「おがくず」から「マーノ・ネーラ」の根城であるバール「ステッラ・ディ・イタリア」を突き止め、すでに「怪しい」とリストアップしていた容疑者たちを特定することに、ペトロシーノは成功したのです。

ちなみにペトロシーノは、警察官になった1883年に、10人の犯罪者たちを次々に逮捕するという快挙を皮切りに、その後も目覚ましい活躍を続け、米国のみならず、イタリア、ヨーロッパの新聞で「スーパーコップ」として称賛されていました。この「樽詰め殺人事件」で、「マーノ・ネーラ」の中核人物たちを逮捕した際は、ペトロシーノの顔写真が、米国のみならず、イタリアを含める欧州各国の新聞紙面を飾ったそうです。

いずれにしても、この「樽詰め殺人事件」をきっかけに結成された、ペトロシーノが率いるイタリア系移民の精鋭5人(のちに増員)の警察官の「イタリアン・ブランチ=イタリア系アメリカ人捜査隊」と「マーノ・ネーラ」との凄まじい闘いが、その後延々と繰り広げられることになるわけですが、まずはこの「樽詰め殺人事件」の犯人像を確認しておきたいと思います。

ペトロシーノは、この事件は通貨偽造団が絡む仲間同士の内輪揉めであることをすでに突き止めており、当時「マーノ・ネーラ」の中核として君臨していたシチリアのコルレオーネ出身のジュゼッペ・モレッロ以下、8人の犯罪者を逮捕しています。そもそもモレッロには、カナダドル、米ドルの偽造通貨ナポリで印刷し、米国中に流通させていた、という前科がありました。

またその8人の中には、前述したシチリアの重大政治暗殺事件、エマニュエーレ・ノタルバルトロ殺害事件で、最終的に証拠不十分となり保釈されたジュゼッペ・フォンターナシチリアから訪れたばかりヴィート・カッショ・フェッロ、モレッロの共同事業者だったイニャツィオ・ルーポなどがいます。殺害されたのは偽造通貨の流通に関して融通を頼みに来たベネデット・マドニアで、この男はカッショ・フェッロの「Uomo d’onore(ウォモ・ドノーレ)=マフィアの手下」とされています。

後述しますが、ヴィート・カッショ・フェッロが、それまでの「マーノ・ネーラ」の恐喝のように強盗や爆弾、殺人で大金を脅しとる、という目立つ方法ではなく、保護と称してイタリア系の移民の人々から「みかじめ料」という税を徴収する、「手荒な犯罪でリスクを犯すことなく、確実に報酬を得る」、シチリアマフィアの、いわば伝統的な「みかじめ料」システムを仲間に提案し、そのシステムがリトル・イタリーから全米のマフィアたちに広がったとされます。

カッショ・フェッロは、「保護を提供し、彼らのビジネスの繁栄支援すれば、彼らは喜んでみかじめ料を支払うだけでなく、感謝の印としてあなたの手の甲にキスをするだろう」とも言っていたそうです。ペトロシーノはこの事件の際には、おそらく気づかなかったと思われますが、このカッショ・フェッロこそが「マーノ・ネーラ」のメンターだったと考えられています

左からジョセフ・ペトロシーノ、マドニアを殺害した実行犯とされるトンマーゾ・ペット。ペットはこうしていったん連行されながら、最終的には証拠不十分でモレッロ一味同様に釈放されています。ナショナル・ジオグラフィック・ストーリー、storicang.itより。

ところがこの時に逮捕された8人には、16000ドルという、当時としては途方もない保証保釈金が支払われ、他のあらゆるマフィア関連の事件同様、全員釈放されました。またマドニア殺害の実行犯とされた、トンマーゾ・ペットも最終的には釈放され、証拠不十分で放免となっています。

カッショ・フェッロはといえば、いったんニューオリンズへ行きますが、自由に動くことが困難となり、シチリアへと帰らざるをえない状況となって米国を離れました。そしてシチリアに戻った、このカッショ・フェッロが、やがて地元の政治家企業家強い絆を持つ名士として尊敬される「ボスの中のボス」として名を馳せるほどの権力を持つに至り、シチリア⇔ニューヨークコネクションを確立させることになるのです。

そうこうするうちに、それまではイタリア系移民の間でしか知られていなかった「マーノ・ネーラ」の存在が、やがて全米に知れ渡ることになる事件が起こることになりました。きっかけは、ブルックリンのナポリ出身者の建設業者に届いた脅迫の手紙でした。

ある日のこと、その建設業者の郵便受けに、「1000ドルを支払わなければ家族を殺す」と金銭を強請る脅迫の手紙が投げ込まれ、恐怖に駆られたその建設業者が言われるままに1000ドルを支払ったところ、さらに3000ドルを要求する手紙が届き、建設業者の身辺にも謎めいた人物が現れるようになります。

このように、いったん「マーノ・ネーラ」の要求を呑むと、次々と金額を釣り上げるキリのない要求が続き、言われるがままに支払い続け、身ぐるみ剥がされてしまうケースも多かったのです。次々と届く脅迫文にすくみ上がったナポリの建設業者が、思い切って警察に届けたところ、それをタブロイド紙扇状的にすっぱ抜かれます。

黒い手」、というグロテスクな謎の署名を使って同郷人を脅迫するこのやり口は、イタリア系移民のみならず、ニューヨーク全体を恐怖に陥れる犯罪プロパガンダとして強烈なイメージとなり、やがて各新聞が飛びつき、あっという間にその存在が知れ渡ることになりました。

ニューヨークタイムズ紙 1907年3月22日。「ブラックハンドは俗説なのか、それとも恐ろしい現実なのか」newspapers.comより。

この頃のペトロシーノは「マーノ・ネーラ」には、真に組織的な合意は存在しない。存在するのはいくつかの、非常に小規模の犯罪グループであり、彼らの間には繋がりはない」と定義していますが、おそらくペトロシーノの言う通り、はじめはその手口を模倣しながら、模擬「マーノ・ネーラ」が増殖し、いつしか本物の「マーノ・ネーラ」として定着する犯罪グループも多かったのだと思います。しかし、やがて「コーザ・ノストラ」へと発展していく「マーノ・ネーラ」は、カッショ・フェッロが構築したシチリア⇔ニューヨーク・コネクションの恩恵をフルに活用した「樽詰め殺人事件」に関わったギャングたち、そして彼らと密に繋がるギャングたちに他なりません。

「マーノ・ネーラ」による誘拐、殺人、爆破、放火が増えるにつれ、米国の各新聞は、「マーノ・ネーラ」の存在と、「スーパーコップ」ペトロシーノと精鋭捜査隊「イタリアン・ブランチ」の闘いをセンセーショナルに報道しはじめ、いよいよ「イタリア系移民は詐欺師、泥棒、組織的犯罪者、あるいはその共犯者」との印象を米国市民に叩き込むことになります。

さらに、度重なる凶悪犯罪を各新聞が騒ぎ立てることは、「マーノ・ネーラ」にとっては広告ともなり、場合によっては、得体のしれない悪魔的な存在として、必要以上に過大評価されたかもしれません。しかし、当時の中心的メディアであった新聞が「マーノ・ネーラ」のイメージを成長させたと同時に、ペトロシーノへの称賛、期待も高まっていきます。

なお、「ブラックハンドーアメリカ史上最凶の犯罪結社」を読みながら驚愕したのは、ペトロシーノと「マーノ・ネーラ」の闘いがいよいよ熾烈となり、新聞の報道合戦が激しくなるにつけ、「街の屋台では小さい黒い手デザインした腕時計の飾りボタンが売られ」「文房具店ではブラック・ハンド(マーノ・ネーラ)の紋章入りの便箋封筒が売られた」という事実でした。便箋と封筒は、「冗談でガールフレンドや大叔母さんにブラック・ハンドの手紙を送る」からだそうで、「死と恐怖のシンボル」は「気の利いた流行り物」として、「商才のある人々」に利用されています。

まさに想像を絶する、経済的自由主義を象徴するアナーキーな現象だと、感心すらした次第です。

▶︎ジョセフ(ジョン)・ペトロシーノ

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