II
ローマの街から遥か彼方の山を越え、谷を越え、ひたすら北上するとたどり着く、アブルッツオの山間にその村はあった。
冬になると純白の雪に覆われ、神々しいほどに陽の光を映す山々、夏になるとむせかえるほどに濃い息を吐く、緑の樹々に囲まれた山村である。
かつてのスパルタコはこの村のはずれにある、静かな教会の庭の片隅によくやって来たものだ。四季折々の花が咲き乱れるその庭からは、聳える山々や森林が一望に見渡せた。高い杉の根元に置かれた、平たい石のうえに陣取ると膝を抱いて座り、流れる不思議な形の白い雲や、飛ぶ鳥や、空を赤く染める夕陽を飽くことなく眺めた。夜を知らせる教会の鐘の音が鳴ったあとも、いつまでもその場所に佇んで、ひゅるる、ひゅるると吹いては去り行く、風の歌に酔い痴れた。
村に住む500人余りのほとんどの人々が、連なる峰から続く斜面で羊や山羊や牛を飼い、その乳を搾ってチーズを拵えることを家業にしていた。手間ひまかけて拵えたそのチーズをロバの背に乗せると、遠く離れた賑やかな街まで運び、市場で売りさばいては、日々の生計をたてる。ささやかな儲けではあったが、豊かな自然に恵まれ、飢える心配のない村の人々にとっては充分な報酬だった。
月の城。
人々にそう呼ばれるその城は、そんなちいさな村の小高い丘の上に建っていた。遡ること百余年、狩猟の途中、偶然にこの地を訪れた、さる貴族の当主が、いたく村を気に入って、別宅としてその城を建設した、という話だった。その後、その貴族の末裔が、代々城を別宅として使っていた。
財にまかせて贅を尽くしたその城は、静かでひそやかな村の景観には、到底不似合いな絢爛なたたずまいだった。ことに澄み渡った月夜には、城に聳える塔を照らす月光のせいで、城全体が燐光に包まれたように、うっすらと青白く輝き、村人たちを夢幻の境地に誘いこんだものだ。そしてこの光景が、いつからともなくこの城が、『月の城』と人々に呼ばれるようになった由縁でもあった。
「おい、庭師。おまえは庭師の分際で、決して犯してはいけない罪を犯してしまったね。おまえの犯した、あまりに恥知らずな罪を知り、夫人は胸がはり裂けるほどに嘆いて、毎日泣き暮らしておられるのだよ。その夫人に代わって、この俺さまが卑怯なおまえを裁くことにしてやろう。はるか彼方の夢の昔から、いまに生き残った魔法を引き継ぐのが、誰あろう、この俺さま。庭師よ。最後の時間をとくと楽しむがいい。この世にいながらこの世にいない、間もなく、おまえはその苦悩を生きながら味わうことになる。それがおまえの運命だ」
錬金術師が卑屈な笑いを浮かべながら、庭師にそう呟いたときから、魔法ははじまった。すでに数ヶ月の間、『月の城』の厄介となり、穀潰しとして遊び暮らしていた錬金術師は、「違う、違う」と首を振り、「そんなことをしたのは私ではない」と訴える庭師に向かってそんな言葉を囁きながら、してやったりとほくそ笑んだ。
いつのまにか客人に紛れ込み、どこからか、ふらりと現れた風来坊の自称錬金術師は、野卑なこころを持ついかさま師のくせに、大言を吐いてこの城に居座った。額の両脇にイボがある、ずんぐりとした蝦蟇によく似た男だった。
「1年このお城に置いてくださったならば、ここにある全てのものを、わたしの持っている『賢者の石』で黄金に変えてみせましょう。この石は、わたしが長年の修行と研究と練磨によって生み出した、万物の生命の根源とも言えるもの。御覧なさい。あの庭の林檎も、高貴なお城のあの塔も、伯爵夫人の寂しさをお慰めするあの竪琴も何もかも、1年の歳月とこの『賢者の石』で、黄金として生まれ変わるのです」
怪しげな朱色の粉末の入った羊の皮袋を、錬金術師がもったいぶりながら、うやうやしく額に掲げたとき、若く、麗しく、浅はかな夫人は黄金の魅力の虜となったのだ。男の滞在にはまったく気のすすまない賢明な伯爵を、夫人は、「後生です、ほかには何も望みませんから、あの錬金術師をどうかこのお城に置いてやってください」と説き伏せて、とうとう男はこの城に居座ることに成功した。
伯爵が公務で忙しく、城を長く離れなければならない時期、錬金術師は、まるで自分が当主のように、いや、当主以上に傲慢に振舞った。気に入らないことがあれば、執事、召使たちを怒鳴りつけ、目をつけた召使の娘があれば地下の葡萄酒倉へ引っ張り込む。あれが食べたい、これが食べたいと贅沢三昧、夫人の部屋へも足しげく通った。挙句の果てには、ローマの街から軽業師や音楽師を呼びよせて、若い踊り子をはべらせては、山海の珍味、地方の名酒で、王族のような豪勢な宴を催すに至る。
「男の願うことなら、どんな無理でも聞くように。なにしろ1年待てば、この城は全て黄金に変わるのです。しかし旦那さまにはくれぐれも内密にするように。さもなくば、あなたたちの首をはねてしまいます」
すっかり黄金に眼が眩んだ夫人は、召使や執事に、そうきつく言い渡したのである。城の者たちは、何を催促しだすかわからない、錬金術師の足音が近づいて来ただけで震え上がった。
ところが、その錬金術師の存在に少しも臆することなく、ひょうひょうとしている者があった。それが件の庭師である。城の者たちが、「あれは錬金術師なんかではないよ。きっと黒魔術師だよ。悪魔に仕える怪物だよ。あいつの影には尻尾があるよ。夜中に夫人の生き血を吸っているんだ。気をおつけ」などとこそこそと噂をしてもどこ吹く風で、黙々と城の庭を造った。錬金術師に声をかけられても、聞こえているのかいないのか、庭師は返事ひとつしなかったのである。
「おまえが善人面をして、花をいじったり、土を耕しているのを見て、わたしはせせら笑っていたんだよ。従順な振りをした庭師よ。さあ、いよいよだ。卑しい獣の血を身体じゅうに通わせる、おまえのような人でなしは、本当に獣になってしまうがいい。たったいまから十九回、おまえの命が巡る間、おまえは狼として生きていくのだ。狼として生き代わり、狼として死に代わる運命。数百年の間、時代が代わり、人が代わり、この城が古城となって荒れ果てても、おまえは狼として生まれ、狼として死ぬ。少なくとも、この場で命を絶たれなかっただけでも、神の思し召しだと思って感謝するんだな」
地下室の湿った壁にしがみつく庭師は、おびえた顔で錬金術師を見据えていた。手足は重い鎖で奴隷のように繋がれている。
勝ち誇ったような、いやらしい猫なで声で話す錬金術師の足元には、星型の魔法陣が描かれ、見たこともない文字がびっしりと書かれていた。地下室の部屋の中央には、ぐつぐつと煮えたぎる大きな真鍮の鍋が置かれ、くべられた薪が、パチパチとはぜながら、勢いよく燃えている。その鍋のなかには、何の植物なのか分からないどす黒い根っこのようなものや、水銀、鉛、誰にも踏まれたことがない土、血の色の液体、髑髏、狼の牙、そんなものが、つぎつぎに放り込まれ、辺りには、なんともいえない、生臭いような、金属臭いような匂いが充満していた。
「残念だが、これでおまえともお別れ」
錬金術師は大仰に名残惜しそうな声を出すと、煮えたぎる鍋のなかに、羊の皮袋から取り出した朱色の粉を、ためらいもなく振りかけた。その瞬間、鍋からは、もうもうと真っ黒い煙が噴き出し、錬金術師の高笑いのなか、煙に燻られて、庭師はみるみる獣の姿へと変わっていったのだ。
狼に変わっていくわずかの時間、庭師が見た走馬灯のような幻影は、自分が手塩にかけて育てた白い大輪の麝香薔薇の花びらに、きらめきながら転がる朝露。巨大に育った枇杷の古木に、群れをなして実をついばみにやってくる黒い渡り鳥。青空高く、悠々と翼を拡げ舞う孤独な鷹、いずれ殺され、食べられるとも知らずに草を食む雄牛たち。今にも消えかかりそうな暖炉の火。そして毎日山羊を追いながら、自分の帰りを待つ年老いた母親と、うつくしく成長した妹たちのことだった。
『月の城』の庭を造ることが、庭師の何よりの楽しみであり、生き甲斐だった。彼は風にざわめく枝のしなり具合から、樹々の願いを感じとり、花の色の微妙な変化から土の嘆きを理解した。庭師が手がけたすべての植物は、活き活きと生い茂り、幾千の花を咲かせ、甘く美味しい実をたわわに実らせた。だからその、庭師としては天才的な腕を持つ彼への、伯爵の寵愛は並みのものではなかった。伯爵は夫人より何より、この庭の自然を愛していた。
「おまえの造る庭は本当に素晴らしい。耳を澄ますと樹々が奏でる音楽、花が歌う歌曲が聞こえるようだよ。この庭は、一刻も休むことなく歌劇が演じられる舞台のようだ」
長い公務を終え城に戻った伯爵は、花が咲き乱れる広大な庭に立ち、そう満足げに頷いた。
世にも珍しい銀色のバラを咲かせた褒美だと、伯爵は庭師に約束の給金の倍より多くの銀貨を与えた。林檎の木に、人間の頭ほどの実が鈴なりになったときには、庭師の母親の暮らしを助けるために五十匹の山羊を買い与えた。また、城じゅうに黄色いぼたん雪のようなミモザの花の、ひときわ精錬な香りが満ち溢れたときには、妹たちのためだと、遠くオリエントの地で手織られた絹織物を授けた。
そもそも、その伯爵の庭師への寵愛が錬金術師の癪にさわったのである。夫人はすっかり錬金術師に言いくるめられ、城の者たちも彼の言いなりであったのに、仕事をしていない時は、いつもぼんやり空を見ているだけの庭師が、自分を尊敬するどころか、返事ひとつしない。そのくせ伯爵の寵愛を欲しいままにしている。
伯爵はといえば、はじめからそのいかさま師を信用していなかったから、日ごろの彼への扱いも、ひどくよそよそしいものだった。伯爵よりも二十歳も歳若い、三度目の夫人のささやかな道楽として城への長居を許しはしたものの、伯爵に取り入ろうとして、小手先の魔術を披露する男を完全に軽蔑していて、褒美どころか、鼻で笑った。ひょっとしたら伯爵は、自分が不在のときにこの男が何をしているのか、すっかり見抜いて知らぬふりをしていたのかもしれない。
「おまえは自分を錬金術師だと言うが、わたしには、到底そうは思えないよ。本物の錬金術とは、全能なる神の叡智の実現であるべきもの。いわば人類の魂の希求、ともいうべきものだ。わたしは偉大な錬金術師たちが、人生を費やして真実に到達しようと、ひたすら禁欲し、研究に打ち込んだのを知っている。確かにおまえはいくつかの術をわたしに見せてくれたが、何か詐術のようで、大道の手品師の魔法を見ているように感じたよ。おまえの術には魂の苦悩もなければ、存在の神秘もない。さらにおまえには知性のかけらも信仰も見受けられない」
「たとえおまえが言うように、この城のありとあらゆるものが黄金に変わったところで、わたしは決して喜びはしないだろう。ご覧、あの庭師を・・・・。たった一粒のたよりない、砂粒のような種から、火よりも赤い花を咲かせ、海より青い花を咲かせ、枯れかけた古木に命を与え、次の春には見違えるような緑が茂る。この宝石を散りばめたように色鮮やかな庭は、しかも季節ごとに表情を変えて、一刻も同じだったことはない。錬金術とは、実はそういうものではないかとわたしは思っている。真の魔術とは、あらゆる生命のあらゆる魂を輝かせるためのものではないのか。あの庭師のほうが、おまえよりもよっぽど錬金術師らしいと、わたしには思えるのだがね」
歯ぎしりをしながら、伯爵が淡々とそう言うのを聞いた錬金術師は、この時に決心した。自らの尊厳をおびやかす目ざわりな者は、この世から消すに限るのだ。
城には、多くの猟犬が飼われていた。子供のいない夫人は、この犬たちを自分の子供たちのように可愛がっていた。なかでも、二匹のエジプト犬は、その優雅な姿を夫人が特に気に入って、どこへ行くにも連れて歩く可愛がりようだった。伯爵が留守をしていたある夜のこと、錬金術師はその犬二匹をそっと連れ出すと、無残に刺し殺した。そしてそれらの屍骸を庭の銀杏の大木にぶらさげると、大袈裟に騒ぎたてたのだ。
「奥様、大変でございます。奥様の大切な犬様が、ほら、あのような姿に」
夫人は大切な犬たちの変わり果てた姿に卒倒した。
「なんて残酷なことをするやつでしょう。あの庭師です。あの庭師がやったのです。あの銀杏の大木の根には、獣の生き血が必要だと、あの男は言うのです。あの大木になる銀杏の実を肥え太らせ、鮮血のように赤く実らせるために、奥様の大切な犬様たちを、かくも無残に惨殺したのです。あの男は何でもない庭師に見えますが、実は魔法の心得もある腹黒い男。それが証拠に伯爵様も、あいつは錬金術師だと仰っておりました。ええ、確かにわたくしめがこの耳で聞きました。あいつの魔力を伯爵様も認めていらっしゃったのです。しかし、わたくしめが思うところ、あいつの魔術は悪魔の魔術。この城に、不吉な血の匂いを撒き散らす、剣呑な輩です。このままでは済みますまい。いまにきっと、もっと恐ろしい惨劇が起こるにちがいないのです」
おびただしい血を流し、風に吹かれる可愛い二頭の骸を目にした夫人の嘆きは尋常ではなかった。
「殺しておしまい。あんな獣のような男は、ひと思いに白刃で八つ裂きにするがいい」
夫人のヒステリックな叫びに、錬金術は、どんより濁った瞳をらんらんと輝かせた。
「奥様。殺生はいけませぬ。殺してはなりませぬ。殺さずに、死ぬより苦しい罰を与えましょう。わたくしめにおまかせを」
こうして庭師は、いわれのない濡れ衣を着せられ、錬金術師のアコギな策略にはまってしまったのである。
狼に変身した庭師は、月の城を後にして、深い山間、森のなかへと泣きながら駆けていった。身体にも、こころにも獣の本能がざわざわと騒いだ。血の匂いに飢え、全身が震えた。自分に生まれた新たな本能に翻弄され、山のなか、野兎や山ねずみなどのか弱い動物たちを追いかけまわし、鋭い牙でその喉笛を噛み、血まみれになった獲物を食らう。そんな、浅ましく変わった自分の姿を顧みて、さらに泣いた。ただ、むせび泣いた。その泣き声は狼の咆哮となり、周囲の山々に木霊して轟いて、か弱い動物たちを怖れさせた。
突然庭師が消えてしまったあと、月の城の庭は見る間に荒れ果ててしまった。その有様にしばらくは伯爵もふさぎこんでいたが、やがて新しい庭師が知人の紹介でやってくると、だんだんに先の庭師のことも忘れた。また、それと同時に彼が造った見事な庭が、一体どんな風であったかも忘れていった。庭は新しい庭師によって、流行のジオメトリックな庭園に造り変えられ、訪れる城の客人たちはその庭の見事さを口々に褒めそやした。その後ずいぶん時が経ち、伯爵がかなりの老人になったとき、ときどきふっと、先の庭師が造った庭の風景を思い出すことがあったが、それがいったい、いつごろの、どこの場所の風景だったかは、とうとう思い出すことができなかった。
さて、それからの錬金術師の行方となると、その足取りは掴みようがない。というのも、錬金術師は約束の一年を待たず、ある日突然、黙って城から消えてしまったからだった。もちろん、城の塔も、庭の林檎も黄金には変わらなかった、その代わり、城を飾っていた家族代々の貴重な骨董、宝石類、外来の絹織物、相当の金貨、秘法の剣、そして若く、麗しく、浅はかな伯爵夫人と数人の召使の娘が、錬金術師とともに消えた。それ以来、彼らの消息は誰も知らない。伯爵はそのあとまもなく、4度目の夫人を迎えた。
やがて月日は巡り、伯爵家も代が変わり、また代わり、さらに代わるうち、伯爵の子孫は、誰もその城に訪れることはなくなった。城はいまや、浮かばれない魂が夜中にうろつく以外、誰も住む者のいない古城となった。あの素晴らしかった庭には雑草が生い茂り、壁は崩れ落ち、当時の面影はどこにもないが、いまだに塔にかかる月の光のせいで、夜半、その古城は燐光のように青白く、ぼうっと光ってそこにある。
「首なしの男が歩き回るらしいよ。青ざめたうつくしい女が血まみれの剣を片手に塔のうえに立つらしいよ。あそこは幽霊城だよ。死にきれない魂があの城に集まって、すすり泣いているよ。この世を恨んでいるよ。呪い続けているんだよ」
そんな噂を人々は恐ろしがって、誰もその城には近づかなくなったという話である。
III
「ふうん、そういうことだったのかい」
花売りの男は同情を込め、スパルタコの頭を力強く撫でた。
「まったく理不尽な話だ。つまりおまえはいま、狼としての十一回めの生を、このローマで、犬として、ご主人様に仕えながら生きている、というわけだな」
男の問いにスパルタコはウォン、と頷いた。
「庭師としての人生を全うできず、しかも狼としての人生をもいまだに受け入れられず、おまえの魂は深く傷ついている。その姿を俺が見た。そういうわけか・・・」
男は、すぐそばに浮かぶコロッセオを眺め、感慨深げに眼を細め、深いため息をついた。
「運命というのはしかし無情なもんだな。一寸先は闇、とは、よく言ったものだ」
スパルタコに同意を求めるように男は振り向き、そう呟いた。そしていまにも萎れそうな薔薇の花束から、一本の花を抜き、その花を掌でくるくると弄ぶ。
「おい、花売り、気をつけるんだよ。その犬は気性が荒いよ。突然飛びかかることもあるからね」
アフリカの娘との会話のふとした沈黙に、うずくまるスパルタコの傍にいる花売りの男に気づいたマテオが、そう声をかけると、男は大丈夫、という風に、薔薇の花を掲げた。
「さっきも言ったように。俺ならおまえを助けることができるんだがな。いや、おまえが俺を信用してくれて、俺の言うことに従ってくれれば、の話だけれどね」
カフェの女将は相変わらず忙しそうに、テーブルの間を縫って立ち働いている。マテオはいつの間にか、アフリカ娘の手を握り、彼女の顔に近づけるだけ近づいて、うっとりした顔をしながら囁いていた。
スパルタコは小首を傾げて花売りの男の顔を見つめた。なぜ、この男には自分の秘密が分かったのだろうか。いったいこの男は誰なんだ。
男はそのスパルタコの思いを見透かしたかのように、片目だけを瞬かす。
「俺か?」
アフリカの娘の元気な笑い声が、太陽の光に弾んで辺りを柔らかく包んだ。一羽の小鳥がひときわ鋭い鳴き声をあげ、パタパタと枝から枝を伝う。子供を呼ぶ母親の声。メッセージの着信を知らせる携帯電話のメロディ。
「大きな声では言えないんだがな・・・」
男はためらっていた。辺りを見回す。そしてそばに誰もいないことを確かめると、決心したようにこう言った。
「俺は、砂漠の魔術師だ。砂漠の民、トゥアレグの魔術師である」
魔術師?
「そう、魔術師。千年の昔、いや、さらにその昔、ギリシアの知性、メソポタミアの神秘、カバラの数秘術、キリストの奇跡、グノーシスの啓示、それらすべてが渾然一体に融合したのが、かの有名なエジプトのアレクサンドリアの市場。その地で生まれ、アラーに守られ拡がり続け、時を経てもなおサハラを覆う魔術の技を、正統に受け継ぐ砂漠の魔術師だ。おまえに魔法をかけた、神をも畏れぬインチキいかさま師とはわけが違う。おまえに言っておく。信仰なき、聖域をないがしろにした魔術、それは一種のジャンクである。亜流である。つまり、ある意味、偽物である。おまえの不運はそこにある。いいか、それを忘れずに、まあ、俺の話を聞くがいい」
そう言って、おもむろに話し始めた男の話というのは、次のようなものであった。
(続きは以下の番号3へお進みください)