国境ーフロンティアを考えるために、まさにタイムリーな読書となりました。『ミクロコスミ』(ミクロの宇宙:複数)は、決してさらっとは読めない、読者に集中を要求する、もしくは考察を強いる一冊です。小説なのか、エッセイなのか、壮大な抒情詩なのか、逸話の集積なのか、詩的であり、絵画的であり、観念的でもある、あらゆる文学的カテゴリーを逸脱する9つの章からなるこの本を訳したのは、前回、このサイトに投稿してくださった二宮大輔氏。かつて何度かノーベル文学賞のリストに挙がった、ドイツ文学、中欧(mitteleuropa)文学研究の第一人者であるイタリアの碩学、クラウディオ・マグリスの宇宙を日本語で表現した、その語彙の豊かさには脱帽します。長い時間をかけて読み終わった、まず最初の感想は、欧州の精神性の本質は、この本に描かれる『国境』ーフロンティアという宇宙にあるのではないか、ということでした。
国境、多様、寛容を読む旅
訳者である二宮氏が、「周囲の友人、知人からは、読みにくいと大変な評判だ」、と寄稿してくださったように、確かにこの本は一筋縄ではいかない本です。マグリス初心者として『ミクロコスミ』の第1章、カフェ・サンマルコを読みはじめた時は、話の流れと時間の感覚が掴めず、かなり苦悩したことを告白しなければなりません。
9つの章に描かれた、場の歴史、由来、マグリス個人の記憶、自然、その場にまつわる有名無名の人々のエピソードが、一見、一定の秩序なく、mescola(混合)されるというスタイルとともに、訳者が言うように「一人称が欠如」し、「主観的視線」がどこにあるのか分からず、混乱します。しかしある時点で、この9つの場の混乱が、欧州の、歴史という暴力に翻弄され続けた境界ー国境というものなのだ、記憶に時間がないように、時の流れとは無関係に、多様、寛容が描かれているのだ、と思い至ってからは、読み進めることがずいぶん楽になりました。
そういうわけで、国境であるがゆえ、歴史に翻弄されたトリエステ、そしてトリノという北イタリアで、人生の大半を過ごしたマグリスという作家そのものが、「人間の野生、俗っぽさ、愚かさをも鷹揚に包み込み、あらゆる多様を許容する、国境そのもののような視線、記憶と感傷を持つ人物だ」、などとも考えながら、読み進むことになったわけですが、一気に読もうとすると混乱してくじけるので、時間も流れも考慮に入れず、時々背景をウィキペディアで調べながら、ゆっくり読んで、しばし考えてみる、という久々の密な読書でもありました。
やがて、北イタリアを知らない無邪気な旅人として、未知の自然、歴史の悲喜劇、あるいは知らなかった作家たち、一見ありふれた市井の人々の非凡な運命、メランコリーを経験しながら、マグリスという作家の、一風変わった骨太で鋭敏な感性、膨大な知識、繊細な詩、虚実、ノスタルジー、残酷と優美、死生観の混沌を包み込む、ある種、憂鬱な宇宙(コスモ)に導かれることになります。そして旅を続けるうち、この憂鬱な宇宙という感覚こそが、「かっこいい!」と琴線をかき鳴らすことになったわけです。
まず、わたしにとってのこの本の何よりの魅力は、イタリアの碩学と誉れ高いマグリスが描くのが、悲劇的で皮肉な歴史を背景にした高尚で堅苦しいエピソードではなく、むしろ人間らしいというか、風変わりというか、時にどこか哀しいユーモアに包まれた、あるいはエキセントリックなエピソードであり、それらがたった数十行でさらっと流れていくことでしょうか。それらの聞いたこともない非常識な(よい意味で)エピソードは、「人間」の存在について、改めて考えるきっかけともなりそうです。
この本を読むまで、わたしはクラウディオ・マグリスの本を、一冊も読んだことがありませんでした。というのも、イタリアの読書通、あるいは書店の主人に「マグリスってどんな作家ですか?」と聞くと、必ず「天才的(geniale)。しかし外国人には難解だろう」という答えが返ってきて、そのたびにたじろいだからです。もちろんそのたびに、購入を諦めたのですが、もし『ミクロコスミ』を原書で読もうとしていたなら、今頃本棚の片隅で埃をかぶっていたかもしれません。したがって日本語で読むことができて、非常に幸運だった、と思っています。
さて、この項では『ミクロコスミ』を読んで、印象を受けた箇所を含め、ほんの少しだけ(印象的な箇所が多すぎて、どの部分を選んでも後悔しそうなのですが)抜粋し、さらに現在、欧州のみならず、世界を揺るがすガリツィア地域(ポーランドからウクライナをまたぐ地域)という境界のリアリティについて、コリエレ・デッラ・セーラ紙に掲載された、マグリスの直近の記事を抜粋してみたいと思います。なおマグリスは50年を超える歳月、コリエレ・デッラ・セーラ紙の文芸欄を担当した経緯があります。
❷北イタリアという混沌 ❸ゴリ・オドクの強制収容所 ❹中欧(mitteleuropa)の痛手