時間、空間を超越して拡大する『ミクロコスミ』、クラウディオ・マグリスの宇宙へ

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北イタリアという混沌

『ミクロコスミ』はまず、マグリスという碩学の背景を綴った「訳者あとがき」から読むことをおすすめしたいと思います。

「あとがき」によると、トリエステに生まれ、トリノ大学でドイツ文学を学んだクラウディオ・マグリスの論文、のちに加筆修正されデビュー作となった『オーストリア文学とハプスブルグ神話』の膨大な知識、分析力、早熟ぶりに人々は驚き、「彼の父親が書いたのではないか」と疑ったそうです。

訳者は、この『オーストリア文学とハプスブルグ神話』において、マグリスが「約650年にわたり続いたハプスブルグ家の東欧支配が終焉に向かう19世紀、ハプスブルグ的な要素がいかに文学で描かれたかを紹介し、その地を生きた人々の心のなかに神格化されたハプスブルグ的な要素が見て取れると論じ」る根底には、著者が生まれた「トリエステのたどった複雑な歴史が反映していると考えれば、少し納得できる」と指摘し、ヴェネチア、フランス、オーストリアとさまざまな国に翻弄されたトリエステの歴史を簡潔に紹介。トリエステが、イタリア系、ドイツ系の人々以外に、セルビア人、クロアチア人、ユダヤ人、ギリシャ人、ハンガリー人などが混在する多様な都市だったことに触れています。

畢竟、この「多様性」こそが、北イタリアの土地を描いた9つの章の全編に、あまねく行き渡る「憂鬱な寛容」からあふれ出るわけですが、ひとつひとつの場が形成するミクロの宇宙に散りばめられた要素が、やがてカオスと化して回転し、歴史、人間、生命、死というマクロのテーマへと誘うことになるのです。

わたし自身は、トリエステという都市を訪ねたこともなく、その港の開発を2019年に中国が申し出て、イタリアが作成した「覚書」に双方署名したことで、EU、米国から猛攻撃を受けた一件以外(結果的に港の開発は一向に進むことはなく、いつの間にか頓挫しています)、興味を持ったこともなかったのですが、マグリスという作家を生んだ都市の、その歴史と人種の多様を知った途端に、どうしても行ってみたい都市のひとつになりました。そして、そんなトリエステの伝説のカフェを舞台にした第1章、カフェ・サンマルコは、まさに多様性のシンボルとして描かれます。

サンマルコはマグリス自身の行きつけのカフェであり、「ドイツ文学の試験勉強をしたテーブル、その数十年後、執筆したり、中欧ヨーロッパの文化と没落について、トリエステについて、おびただしい数のインタビューに答えたテーブル。さらに向こうのテーブルでは、息子の一人が卒業論文を訂正し、奥のフロアでは、また別の息子がカードゲームをしている」とあるように、家族で親しんだカフェのようです。

現在のカフェ・サンマルコは、一角が書店になっているようです。客席のみのフロアもあり、かなり広々としていて、1914年に創立された老舗の風格があります。この書店は、仏紙「Les Echos」で、世界のトップ10に選ばれたそうです。triesteprima.itより

「サン・マルコはノアの方舟だ」「サンマルコは本物のカフェだ。常連客の唱える自由主義や保守的な信仰が刻まれた歴史の辺境地だ。単一の種族が陣取っているなら、それは偽物のカフェと言わざるを得ない。良家の紳士でも、反体制グループでも、新しい思想を持った知識人でも、その種族が何であろうと関係ない」「カフェ・サンマルコでは多様性が一面にほとばしっている。長距離を航海する年老いた船長、試験の準備をしたり恋の行く末を思案したりする学生、周りのことには目もくれないチェス打ち、テーブルに宿る文学の栄光を評した大小のプレートに興味津々のドイツ人観光客、無口な新聞愛読者・・・・」

「『カフェはプラトン哲学アカデミーだ』。作家のヘルマン・バールは今世紀初めにそう言った。彼はトリエステを気に入っていた。『この町にいるとどこにもいない気分になる』とのことだ。このアカデミーでは何一つ教えてくれないが、愛想が良くなり、目が覚める気分になる。おしゃべりや小噺は許されても、説教や政治集会、レッスンをしてはいけない」

妄想が解けた場所では、人生という劇がどのように終わるかみんな知っている。それでいて、それに立ち会う粋な心や役者の機転を受け入れる寛容さは失っていない。安易で手っ取り早い救済をぼんやりと待っている人間がいたとしても、彼を偽りの救済でそそのかす偽りの尊師には、居場所などないのだ」「カフェというのは、心貧しき者たちの救済所でもある。悪天候から身を守る場所を提供してくれるのだから」

マグリスが「本物のカフェ」と定義する、そのサンマルコにおいては、「古式ゆかしい絵画の構図が逆さになっている。つまり、悪魔が上方に追いやられているのだ。古式ゆかしい絵画の構図が逆さになっていて、悪魔上方に追いやられて」います。そして「悪魔の下で時を過ごすのも乙なものだと思わせてくれる」と、「エデンの園」に群がる多様な者たちの上方に、さりげなく悪魔が陣取っていることが暗示されている。

なにより冒頭に語られる「ノアの洪水」のエピソードでは、「地上に存在する数多の罪が原因で洪水が起こったというのなら・・・なんでまた、破壊しつくした後に一からやり直す必要があった? 結局、その後も物事は全く改善されなかったじゃないか。それどころか、今でもこの世は残酷だし、もめごとだって絶えない・・・」と納得がいかない様子のカフェの客人、シェーンフッドさんへの答えとして「獣、人間、生きとし生きるすべてのものと同様に、悪もまた方舟に乗り込んでいたことを、シェーンフッドさんは知らなかったのだ。悪を哀れんだやつらが、憎しみと苦痛の芽も船の中に持ち込んだ。時代の終焉に芽は必ず花開き、蔓延すると定められている」と続き、われわれが直面する現在のリアリティを、まるで予知するかのようにはじまったため、早速2ページめから、立ち止まらざるをえないことになりました。

いや、それは予知ではなく、おそらく欧州の国境、さらに欧州の国々は、時代の終焉にともなう破壊、そして再生が繰り返されることで変容し、多様な現在が構成された、ということでしょうし、悪の蕾が膨らみはじめかのように思える欧州のリアリティを想うなら、破壊と再生は、これからも継続していく、ということなのかもしれません(もちろん無事、継続できれば、の話です)。なお、「ノアの方舟」に持ち込まれた、この悪の気配は、大なり小なり、9つの章全編に静かに漂っているわけですが、自然がそうあるように、不運、醜さ、卑しさ、狡さ、不幸を抱合するのが現実世界であり、それが見えない物語は、往々にして紛い物です。

このように、冒頭から読み流せない言葉洪水に飲み込まれ、何度も立ち止まらざるをえないため、最後まで読み切るにはかなりの時間がかかることになるうえ、ページをめくるたびにアフォリズムとでも呼べそうな、ハッと痺れる一行に出会うのみならず、無数に盛り込まれた非凡な逸話は、悲劇であれ、喜劇であれ、期待を裏切られる展開となって、ゆるやかな肩透かしを食らいます。しかもときおり、諦観なのか、皮肉なのか、ブラックジョークなのか、独特のユーモアが散りばめられ、マグリスの言葉で構成された宇宙には、あらゆるすべてが、統制されることなくひしめいている、という印象です。

「あらゆる生命は、彼の本のページと同じく、情熱と行動と妄想のなかで、幾度となく繰り返される」(カフェ・サンマルコ)「旅は、負けるとわかりながら忘却に抗うゲリラ戦だ」(潟)「パゾリーニの映画で、メディアが行なう獰猛な復讐劇は、西洋の暴力第三世界に解き放った醜悪さも提示している」(潟)「命令が、禁止が、指令が、勧誘が、呼びかけが、抑圧が、主導が、肉体と魂に残した刺による裂傷だ。その刺の毒が、生きる味わいを台無しにして、死への不安を増幅させる」(潟)

「森は言葉を持たないが、物という物、形という形をその胎内に引き寄せる、区分なき源である」(ネヴォーゾ山)「この心地よい四音節『パッ・サ・テン・ポ(時を過ごす)』には、死に至る深い不安が鳴り響いている」(丘)「原罪が、生を保持する死を導入し、流れの中で生が起こる毎分毎秒、死は生を絶え難いものにする。そして生の時間を破壊し、病気と同じように、生が早く過ぎ去ることを強要する、暇つぶしは行儀のいい自殺行為だ」(丘)

「おそらく人間はみな、生きるという行為でもって、どこにもない詩を綴る」(丘)「種と個が生まれた血管を流れる」(アッシルティディ)「トリエステ、もしくはあらゆる生みの場、ギリシャであってもなくても、海、神話が生まれ、混じり合う胎内、野生児が生まれ出る文明の子宮。野生児たちはそれぞれの先祖を罵倒するー出自を洗い流し、混ざり合うために、あらゆる種族の人々がやってきたアドリア海の港に幸運をもたらしたマリア・テレジアは、大いなる母だ」(市民公園)

これらの抜粋は、いったん立ち止まることになった箇所の、ごくごく一部ですが、そのたびに言葉に込められた意味を考えることになり、その考察のひとときが、戦争による欧州の混乱に伴う精神的な動揺を忘れさせ、しばし救済される時間となりました。またいずれの章にも「北イタリアの国境でそんなことが起こったのか」と驚くような歴史的な政治事件、戦争、紛争による悲劇の断片が語られ、繰り返す歴史の無情を目の当たりにした次第です。

なお、マグリス本人が政治に関わった時期もあったそうで、1994年、上院議員に選出された際は、イタリア共和党(現在は+Europaに合流)支持の中道左派として、混成政党(Gruppo misto)で、独立した形で政治に携わり、しかしその政治家生活には2年間で終止符を打っています。その時期は、ちょうどマグリス夫人である作家、マリーザ・マディエーリ(1938-1996)が亡くなった時期と重なり、のちのインタビューによると、「個人的には苦しい時期だったが、政党に属さず、たったひとりで立ち上げたムーブメントで活動した2年間は、面白い経験だった」ということでした。

また、「マリーザに」との献辞からはじまる1997年に出版された『ミクロコスミ』は、若くして亡くなった夫人へのオマージュでもありますが、全編を通して、生命と死に関する記述が多いのは、そのせいかもしれません。さらに逸話の登場人物として、歴史の嵐のなか、運命に導かれて生き抜いた、そのひとりひとりがミクロな歴史の生き証人、とも言える90歳以上の人物たちが描かれていることは暗示的です。余談ですが、マグリスの夫人、マリーザ・マディエーリが生まれ故郷フィウーメ(現在はクロアチア)から難民として脱出した経験を描いた『緑の水』は、現在でも評価される一冊です。

こうして『ミクロコスミ』を読むうちに、マグリスという人物に興味が湧き上がり、ネットに上がっているいくつかのインタビュー動画を観たり、講演を聴いたり、コリエレ・デッラ・セーラ紙のコラムを読んでみたりしましたが、人間の多様な野生を鷹揚に受け止める感性、知性に加え、人間として器が大きいというか、揺らぎがないというか、それでいてユーモアに溢れる非常に魅力的な人物だという印象を持ちました。たとえば、インタビュアーが「何度もノーベル賞候補としてリストアップされていますね」と言うと、「わたしは善人だからノーベル平和賞の候補じゃないかな」と笑いながらとぼける、という具合です。

日本語にするにはよほどの集中力が必要だったと想像する『ミクロコスミ』に、訳者は10年の歳月をかけ、マグリスご本人との共同作業で取り組んだそうです。その真摯な想いと歳月に、Beato lui(なんて幸運な!)という気持ちになりました。

▶︎ゴリ・オトクの強制収容所

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