ローマから全国へ、クリアなヴィジョンと行動力で未来を構築するScomodoの若者たち

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ローマの高校生、大学生たちが、資金集めから取材、編集、印刷、出版、配本まで、すべてオーガナイズする『Scomodo(スコモド)』は、その鋭い視点と丁寧な分析で、プロのジャーナリストも賛辞を送る紙媒体の月刊誌です。初期の頃から、毎号あまりにプロフェッショナルなので「継続できるのだろうか」と案じていましたが、継続どころか、彼らが動くたびに主要各紙がドッと注目する活躍ぶりとなりました。現在、新しい編集ルームとローマの若い世代のコミュケーションスペースを、まさしく自分たちの手で構築中の『Scomodo(スコモド)』のメンバーたちが、Covid-19の渦中にある今この時、何を、どのように考えているのか、話を聞きます(写真は現在の『Scomodo』編集スペース)。

ローマの社会、文化を動かす若者たち

イタリアにおけるCovid-19の状況はずいぶん落ち着き、集中治療室に入院しなければならない重篤な病状の方々は、全国で50人以下にまで減少しています。

3、4ヶ月前は4000人(!)を超える人々が集中治療室に入院していた時期があったことを思うとホッと安堵すると同時に、いつまた再び感染の嵐が押し寄せるやもしれず、とりあえず活気が戻ったとはいえ、ローマの街に漠然と漂う不安をぬぐうことは、なかなか困難な状況です。

しかし、こんな先が見えない暗鬱な夏こそ、しばしSars-Cov-2懸念から距離を置き、真夏の熱気ほとばしる、若い世代の未来への野心に刺激を受けたい、と新しいスペースを構築中の『Scomodo(スコモド)』のメンバーを訪ねてみました。

『Scomodo』は、遡ること4年前、デジタルネイティブであるはずの高校生、大学生の有志が創刊した紙媒体の月刊誌(基本はフリーペーパー)。「スロー&ディープなインフォメーション」という、時代を逆行するコンセプトと、記事、写真、エディトリアルデザインのクオリティの高さで一気に注目を浴び、ラ・レプッブリカ紙やコリエレ・デッラ・セーラ紙、イル・メッサッジェーロ紙などの主要紙がこぞってとりあげたという経緯があります。

この月刊誌が配布される場所がいまだ不明確だった当時、街中を歩いて『Scomodo』を探し回り、ゼロカルカーレが表紙を手がけた0号を、ようやく手にしたそのとき、噂通りの充実ぶりに「恐るべき子供たちの出現!」と感嘆したことが、鮮明な記憶として残っています。

その後の『Scomodo』の表紙はといえば、AltanやMakkox、Mauro Bianiなど、イタリアの代表的イラストレーターやコミック作家が次々に担当し、ニューヨーク・タイムズ紙やザ・ニューヨーカー紙にたびたび登場するスペイン人イラストレーター、パブロ・デルカンが手がけるナンバーもあったほどです。

ところで、冒頭からいきなり余談ですが、0号の表紙を手がけたゼロカルカーレといえば、ローマの郊外、巨大刑務所で有名なレビッビア地区あたりのチェントロ・ソチャーレ(文化的占拠スペース)から生まれた、いまや無敵のコミック作家です。

その、ぶれない郊外空気感とパンクな感性が、いまやレフト、及びアナーキーな若者たち、そして大人たちの、押しも押されぬオピニオン・リーダーであると同時に、ザハ・ハディドが手がけたゴージャスな国立現代美術館MAXXI(マキシ)の別館で、長期の展覧会が開かれるほどの大人気を誇っています。

そしてごくごく最近のこと、SNS上をゆるり徘徊するうちに、彼の代表作『Kobane Calling(コバーン・コーリング)』が邦訳されるらしい、と小耳に挟むことになりました。

『コバーン・コーリング』といえば、トルコ、シリア、イラクの国境のクルドの人々(YGPークルド人民防衛隊/YPJークルド女性防衛部隊)が、ISISと闘う日常をルポルタージュした作品。ローマ独特のアイロニー溢れる饒舌と、一風変わった繊細なユーモアがたっぷり凝縮された傑作なので、興味のある方はぜひお読みになってみてください。

なお、ゼロカルカーレは去年、トルコ軍がシリア国境でクルドの人々を攻撃した際には、ローマに住むクルド人亡命者、彼らをサポートするフェミニスト(現地を訪れ、決死の支援を続けた勇敢な女性たちです)を含むアクティビストたちと、イベントを主催するほど、クルドの人々を全面支援しています。

『Scomodo』最近のナンバー。文化占拠スペース「チェントロ・ソチャーレ」と学生運動『ラ・パンテーラ』という、イタリアの90年代の文化を考察分析した特集など、毎回読み応えがある記事が満載。

さて、ローマで生活していると、『Scomodo』世代の若者たち、つまり10代、20代の若い世代の情熱的なアクションから、街の文化の有り様が一変してしまうような出来事に遭遇し、驚くことがあります。

そこでその空気感が伝われば、と本題に入る前置きとして、『チネマ・アメリカの少年たち』について、少しだけ記しておこうと思います。

思い起こすこと8年前、「ビンゴゲームセンター」や駐車場の建設地として買収されそうになった、トラステヴェレの古い映画館『チネマ・アメリカ』を、高校生たちが占拠して、その解体阻止。占拠を続けながら、数々の名画を毎日無料で市民に公開した『チネマ・アメリカの少年たち』は、ベルナルド・ベルトルッチ、ナンニ・モレッティ、パオロ・ソレンティーノら有名監督、カンヌ男優賞受賞俳優、エリオ・ジェルマーノをはじめとする著名映画人たちの絶大なる支持を受けました。

「歴史ある映画館『チネマ・アメリカ』という公共財産を、民間資本に売却するなんてもってのほか。庶民の思い出が凝縮した公共スペースは、純粋に市民に解放されるべき」という、当時からの彼らの主張は、みるみるうちに賛同者を増やし、当時の大統領だったジョルジョ・ナポリターノが、彼らを称賛した手紙を送った、というエピソードまであります。

結局、映画館の占拠そのものは強制退去になってしまいましたが、やがて彼らは試行錯誤を繰り返しながらも、さらに多くの支持を集め、大きく発展していきます。結果、毎年夏が訪れると、初期はトラステベレの広場で、去年からはオースティアの海辺、郊外のチェルヴェレッタを加えた3箇所オープンシネマを開催するまでに成長した。欧州連合、ラツィオ州、ローマ市をはじめとする多くの後援を得て、約2ヶ月間に渡る日替わりの映画上映(無料)の企画運営をまかされるようになりました。

しかも2015年には、イタリア映画の巨匠、エットレ・スコーラジュゼッペ・トルナトーレ監督が、トラステベレのオープンシネマを訪れ、市民とともに映画を鑑賞。議論するという夢のイベントが繰り広げられたこともありました。

パオロ・ソレンティーノ、マテオ・ガローネをはじめとするイタリアを代表する映画監督、今年ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したアゴスティーノ・フェレンテ監督や俳優たち、たとえばジェレミー・アイアンなど国内外のスターが続々と訪れ、ローマ市民に自らが関わった映画をプレゼンテーション。スクリーンを前に、映画人たちの活発な映画談義が、夜遅くまで続くのです。

『チネマ・アメリカの少年たち』が毎年企画運営するオープンシネマは、こうしてローマの夏の風物詩ともなったわけですが、Covid-19下にある今年は、少し規模がちいさくなって、マスクとソーシャルディスタンシングという制限を設けられながらも、話題作が続々放映され、連日の賑わいを見せています。初日にはジュゼッペ・コンテ首相が婚約者とともに映画を鑑賞したことも話題になりました。

また、長い間閉鎖されていたローマ市が所有するトラステベレの映画館、『チネマ・トロイージ』は修復後、今年の秋の開館をめどに『チネマ・アメリカの少年たち』に企画運営が委ねられることになったのだそうです。

このように、高校生の有志がはじめた映画館の占拠が、いつのまにか市民たちの夏のビッグイベントにまで育つという意外な展開こそが、ローマの街が持つ寛容さであり、社会の包容力でもあるのだと思います。ローマでたびたび見かけるこのような現象を、外国人としては羨ましく感じる次第です。

なにより周囲の大人たちが、若者たちを「管理」しようと子供扱いするのではなく、見くびることなく正当評価し、自立した存在として対等に議論しあい、意見をぶつけ合うのは素晴らしいことだと思います。もちろん若者たちもまた、甘えることなく、自分たちの「価値観」を貫き、たゆみないリサーチ、俊敏な行動で大人たちを納得させ、目標をひとつひとつ実現していく。

彼らののびのびとした野心と、恐れなき実行力には、舌を巻くどころか「とてもかなわない」と感じていることを、正直に告白しておきたいと思います。

▶︎創刊から4年、磨きがかかった『Scomodo』

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