ローマから全国へ、クリアなヴィジョンと行動力で未来を構築するScomodoの若者たち

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希望というメッセージ:Tommaso Salaroli(トマーゾ・サラローリ)

Joinー参加

僕ら若者たちの厳しい毎日は、今にはじまったことじゃなく、Covid以前から継続している問題だよ。イタリアの若者が年々少なくなっている(出生率の低下のせいで)からだと思うけど、ここ10年もの長い間、教育機関にも、文化の分野にもまったく投資されないという状況が続いていた。しかもこの街には、学びながら成長できる、オルタナティブな文化プロジェクトをオーガナイズするような仕組みはまったく存在しないんだ。

僕ら若者たちにとって、「未来に希望が持てない」という状況は、なにより重大な問題だ。『Scomodo』という月刊誌は、この状況を打ち破って、希望を取り戻すために創刊したわけだけど、毎回非常に難しく、複雑で大変なプロセスを経て、それでも僕らは1号1号、丁寧に完成させてきたつもりだ。

でもこれは、僕らだからできたことじゃなく、常に「一緒にやろう」「参加しないか」とSNSのアカウントからも提案し続け、仲間を募ってきたからでもある。

僕らは、25歳以下の出版物としては、ヨーロッパで最も多い部数を発行する紙媒体雑誌を創ってきたんだけど、創刊時は30~40人ではじめたのが、今では500人以上が関わるようになった。僕らのメッセージは、何はさておき『希望』であり、多くの若者たちとともにプロジェクトを構築していくこと。文化的なコミュニティとしては、現在イタリアで、最も大きなコミュニティだと思うよ。

第一、僕らそのものが「未来」じゃないか。ならば僕らひとりひとりが未来をどうするか決定する議論に参加しなくてはならないよね。もし、未来がひどい状況に陥ったならば、「なんてことだ。僕らは何もしなかった」と後悔することにもなりかねない。だから最も大切なのは、未来の決定に僕らがアクティブに参加することなんだ。

※TED×MILANOで『Scomodo』のプロジェクトについて話すトマーゾ・サラローリ。設定で英語の字幕も選べます。

 Spaceースペース

今、構築しているこのスペースは、「参加」という問いに対する僕らの答えでもある。もちろん、僕らが今まで関わってきたプロジェクトの中では最も規模が大きく、難しいものだ。なにしろたくさんお金がかかるからね。

そこでまず、僕らは少しづつお金を集めることからはじめたわけだけど、多くの人々が50ユーロ、100ユーロと寄付してくれたし、なかには1000ユーロを超える寄付をしてくれる人もいたんだよ。

僕らは公共の助成金一切もらっていない。国からも、地方自治体からも、特定の政党からも、民間企業からも(雑誌には一切広告は掲載されていません)融資を受けない。なぜなら僕らが創る雑誌ーメディアは完全にインディペンデント、『独立性』を保たなければならないからだ。イタリアには、国家機構が主要紙をはじめとするメディアに助成金を支出するシステムがあるけれど、僕らはそれも受け取らないことにしている。

僕らは今、イタリア中の若者たちが抱える課題のひとつひとつに立ち向かおうと考え、多くのプロジェクトを抱えているのだけれど、今までは、プロジェクトを発展させるスペースがまったくなかった。だから広場や公園に集まって議論していたんだけどね。

問題が小さい間は、小さい答えを出すだけでいいけれど、環境問題、システムの問題、経済・社会問題など、イタリアの若者たちが抱える今後の課題に取り組むには、僕らが今まで知らなかった仲間と出会い、ともに勉強し、議論する必要不可欠だ。

言っておくけど、若者たちは、ただ飲んで騒いでいるだけじゃないんだよ。今の僕らに最も必要なことはcoltivare=自らを耕す、鍛えることなんだ。つまり現在構築中のスペースは、若者たちが自分たちで自分たちを鍛える場になるはずだ。

僕らのこの試みのために、1500人の人々がお金や建築材料を寄付してくれ、さらには242人もの若い建築家たちが参加を申し出てくれた。このスペースを構築するにあたって、設計デザインのコンテストを開催したんだけれど、たちまちのうちに、23歳から28歳までの242人の建築家たちが応募してくれたんだよ。

僕らはそのなかから25人の建築家に参加してもらうことに決め、それぞれのパートを分担して担当してもらうことにした。大きなプロジェクトだから、僕らはいろんな人々を巻き込んでいったわけだけど、高名な建築家が僕らにアルヴィジ・キリモトを薦めてくれたんだ。

アルヴィジ・キリモトは、ローマのアウディトリウムを施行したスタジオで、そのエキスパートたちが、25人の若い建築家たちにアドバイスをし、細部の施工の解決策をも示唆してくれている。

したがってこのスペース再構築はプロフェッショナルなプロジェクトだよ。完成すれば、25歳以下の若者たちが運営する、イタリアで最も大きなスペースになるはずだ。そしてもちろん、参加してくれるみんなでプログラムから運営まで、交替で担当するつもりなんだ。

僕らが構築しているのが、いわゆる『チェントロ・ソチャーレ=文化占拠スペース』かどうかは、定義できないなあ。スペースは、巨大占拠スペースであるSpin Time Labsの地下空間には違いないけれども、占拠スペースだからといって、すべてが絶対的に非合法である必要ないわけだよね(のちに合法化されるケースはあっても、『占拠』という行為は非合法です)。

僕らとしては、内部に構築したパーツには税金を払うというアイデアを持っているんだ。また、ここで働いてくれる人々とは契約して、もちろん税金も払っていくつもりでもある。つまり非合法な箱の中で、合法的な活動をするというスタイルをとろうと思っている。

どうして僕らが合法的活動にこだわったかというと、インパクトとしてまずポジティブだし、ローマの街の学生たち、若者たちにとっても、いつでも訪れることができる重要な場所になるわけだから、もし僕らが合法的に施行すれば、行政機構がこのスペースを合法化しやすくなるだろう?

こんなことができるのも、もちろん本体の建物のおかげだよね。(ヴァチカンが退去を救った)住居を失った人々の『占拠スペース』とSpin Time Labsというアウトノミーな集合的『カウンターカルチャー・スペース』、そして僕ら『Scomodo』が、この建物に収まるわけだけれど、中に入ると、まるで家に帰ってきたように自由解放的なスペースが広がっている。誰もがいつでも寄れる場所だ。

ここはまず編集スペース、巨大な図書館、教室、勉強室、他にもビリアードを置くスペースや、若者同士が互いに知り合う場所になる。知り合って、話し合って、意見を分かち合い、あるいは議論するコミュニケーションのスペースになるはずだ。

なによりも、僕らの世代が失いつつある『身体性』大切にしたいと思っているんだ。インターネットの速度だと、情報の大切さがまったく身体に入ってこないからね。短くて軽い、浅はかな情報を大急ぎで追いかけて、SNSで海の写真なんかを観て、すぐに忘れてしまう。

一方『身体的』な経験は、ゆっくりだし、手間もかかるしお金もかかる。だからこそ価値がある、と僕らは思っている。たとえば紙の雑誌の長い記事だと、他の何かをしながら適当に読むことはできず、じっくり身体で読まなくちゃいけない。

今構築中のスペースも同じことだと思ってるんだ。ここに来て手伝ってくれたみんなは、少しづつ出来上がる過程を見ていくわけだから、スペースが持つ価値体感できるはずだ。今僕らは、このスペースで、土日祭日関係なく、朝7時から夜9時まで14時間働いているんだよ。

現在、毎日常駐しているのは18人。人が必要になった時はボランティアの子たちに声をかけている。彼らはもちろん知り合いではないけれど、僕らがスペースを構築していることを知って「手伝うよ」と言って、手を貸してくれる子たちなんだ。55人ものボランティアがやってきてくれた日もある。だからもともと黄ばんでいた壁が、たった14日間で真っ白に塗り替えられることになった。進行が早いよね。

 

Catastropheーカタストロフ

自然災害、たとえば津波、地震とか、多くの人が生命を落とす巨大カタストロフは、常に世界に存在する。その災害が遠方で起これば、僕らの生活には直接的には大きく影響を及ぼさないが、今回のCovidは世界中を同時に巻き込んで、僕らがコントロールできない次元での出来事は、いつでも起こりうるということを痛感させることになった。『陰謀論』みたいな説も流れているけれど、それは馬鹿げているよね。

イタリアでは、はじめは誰も危機感を抱いていなかったけれど、やがて状況が深刻化した時点で、完全にロックダウンされたことは、結果的には良かったと思っている。

ただ、確かに家に閉じ込められることは怖かったかもしれない。というのも僕らは、必ず会って話し、関係性を築くという『身体性』を大切にしていて、常に集まって会議を開いていたからね。だからWeb上だけでしか、みんなと会えなくなる、という経験は今までなかったんだ。

それに現在のように歴史的な危機にあるときに、「やろうやろう!」と、積極的な流れが生まれることは非常に難しい。みんなとの関係性を保ちながら、新しいアイデアを考え出すのはかなりくたびれることでもあった。というのも、アイデアは生まれても、実行することはできないから。僕にとっては非常に困難な時期だった。他の若者たちにとっても難しい時期だったと思うよ。

でも僕らが、そのロックダウンの間に、多くのコンタクトを得ることに成功したのも事実。ローマの子たちとはもちろん、ミラノ、トリノ、ナポリの若者たちとも、同じ課題、議題を話し合うことができたしね。遠くにいても、近くにいても同じ距離感で話すことができて、理解を深めることができたのは、ロックダウンのポジティブな経験だった。

このカタストロフは時間が経てば、やがて過ぎ去るとは思うが、人々が多くのものを失うには違いない。でも必ずすべてが過ぎ去るはずだ。そしてその後の世界は、僕らが変えてみせるさ

▶︎民主的な場面における民主的なアクション:エドアルド・ブッチ/ピエトロ・フォルティ

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