国際婦人デーの5万人デモを皮切りに、3月のローマでは女性たちに関するイベントが各地区でポジティブにパワフルに繰り広げられ、当初は女性たちをテーマにこの項をまとめるつもりでした。しかし現在、女性たち、そして彼女たちを応援する市民の大きな懸念となっている『ピロン法案』を調べるうちに、米国右派やロシアの宗教原理主義者たちが中核を担う『世界家族会議』までを辿らざるをえなくなりました。そのうちローマに、『一帯一路』プロジェクトを含む中伊通商合意の覚書に調印するために中国首席が訪れ、それから1週間もせぬうちにヴェローナで『世界家族会議』が開催された3月のイタリアが、いつのまにか世界の縮図のような状況になっていることに「ええ!」と驚くことになったわけです(タイトルの写真は『ピロン法案』に反対するフェミ・デモに集まった人々)。
さて、『ピロン法案』から『世界家族会議』までを、無邪気に旅するうちに、驚きとともにあれこれの発見がありましたが、その経緯を追う前に、中国との合意を確認したイタリアの状況を、まずさらっと追ってみようと思います。
というのも中国主席イタリア訪問と『世界家族会議』は全然関係ないようでも、全体を俯瞰してみるなら、中国、米国、ロシアという列強の、イタリア、さらには欧州連合を巡る、緊張をはらむ政治・経済ストラテジーが、ぼんやりと浮かび上がってくるように思うからです。
その相関関係から、もはや絶対的に『右派連合(同盟+フォルツァ・イタリア+イタリアの同胞)』として優位に立ち、ひょっとすると政権を握る可能性があるほどの支持率を誇りながら、なぜ『同盟』が『5つ星運動』との連帯を解消しないかが、なんとなく分かってきました。ロシア、米国右派と強いつながりを持つ、海千山千の古参政党『同盟』にとっては、『5つ星』という、外交には無垢で、イデオロギーを明確に持たない勢力と連帯を保つことで、5月の欧州議会選挙を控えたイタリアの(あるいは選挙後も)諸外国外交においては、ある種のバランスを保つことができるからです。それに、ベルルスコーニ元首相にあれこれ口出しされるのも困りものです。
実際、G7を構成する国々において、『一帯一路』の覚書に一番乗りで調印したイタリアで、政権樹立後、ただちに北京を何回か訪問するなど、中国との外交に積極的に関わっていたのは『5つ星運動』でした。調印に関しては、このまま「中国ネオ・コロニアリズムに巻き込まれてしまうのではないか」、「アフリカ諸国やアジアの国々の例があるように、いつの間にか経済主権を奪われるのではないか」、そもそも「われわれは米国のコロニーなのか、それともロシアなのか、中国なのか」という声も、確かにありました。
わたし個人としては、中国の一党独裁と全体主義、少数民族の人々への極端な圧政、人権のコンセプトがまったく通用しない強権的な独自ルールで世界経済を牽引する有り様に、「現在のイタリアが中国と渡り合えるだろうか」と、あまり楽観的にはなれない、というのが正直なところです。が、と同時にイタリアという国は(そして欧州連合も)意外に姑息で老獪だ、とも考えています。
要するに、米国、ロシア、中国という列強を矛盾なく取り込めるのは、イタリアが『同盟』、『5つ星運動』という、まったく違う政策とキャラクターを持つ、そもそも矛盾した勢力が政権を構成しているからでもあるのでしょう。ちなみに中国主席が訪れた21日には、偶然なのか意図的なのか、イタリアではいつのまにかパブリックな存在となったスティーブ・バノンもローマを訪れ、シンパたちとの会合で、「中国は危険な国である」「フアーウェイの5Gは絶対に許可してはいけない」と熱弁した、と報道されました。そのバノンは、世界で一番面白く、重要なスタンスにあるのはイタリア連帯契約政府だ、と賞賛しています。
ところで、中国主席のイタリア訪問にはもともと賛否両論があったので、訪問中には盛んな議論が巻き起こるかも、と想像していましたが、懸念の声がちらほら聞かれたぐらいに終わりました。超厳戒態勢が敷かれながらも、意外と静かに厳かに、大統領府で豪華な晩餐会が開かれ、上院であるマダーマ宮殿で調印の儀式が進行した。というのも、『一帯一路』プロジェクトという国際政治に関わる件はともかく、今回の中伊の通商合意は現政府の決定的意向というより、『オリーブの木』政権あたりから民主党政権時代まで少しづつ温めた中国との関係で、ようやく商機が熟した、という空気もあるからです。4、5倍は中国とのビジネスが盛んなドイツや英国、フランスに比べると、イタリアは、はるかに出遅れていました。
イタリアが『トロイの木馬』になる、と脅した欧州連合と米国
今回イタリアー中国間で取り交わされた調印は、あくまでも『覚書』であり、法的拘束力はない、と強調されていますが、それでもトリエステ、そしてジェノバ(そしておそらくパレルモもなんらかの形で関わるのかもしれません。唯一ローマ以外に選ばれた、中国主席パレルモ訪問に関する情報は、トップシークレットだそうです)という、今は閑散としていても、歴史ある港を、ニュー・シルクロード『海路』の終着地点として中国に解放することは政治的決断でもあり、調印前には、欧州連合も米国も戦々恐々と毎日のように懸念を表明。いったんはイタリアが孤立した状況に陥ったようにも思えました。
「スリランカ、マレーシア、そしてギリシャの例があるじゃないか、イタリアも港のインフラ整備のために、中国から多額の借金を負い、返還不能に陥って、やがて実質経営権を奪われるかもしれない」そう日本でも報道されているようですが、ニューヨーク・タイムス紙もワシントン・ポスト紙も次々にイタリアの決断に釘を刺す記事を掲載しています。
アフリカ、中近東にも手が届く位置にある、地政学的な要所である欧州の玄関口、イタリアの港を確保することは、中国の『一帯一路』プロジェクトにとって、またとない好機には違いなく、イタリアにとっては欧州連合に強いられた緊縮政策以来、みるみるうちに悪化した財政状況(2019年は成長率0%、あるいはリセッションの可能性もあり)を打破するため、「メイド・イン・イタリー」ブランドを中国にガンガン輸出して起死回生を狙いたい、というところでしょうか。誰も予想できなかった安定したスピードで世界の覇者に躍り出ようとしている中国の主席を、イタリアの各メディアは「世界で最も強靭な権力を持つ人物」とも表現しました。
もちろん、イタリアを含む欧州で、「サイバーセキュリティリスクに関する情報共有」という条件つきで検討されている、ファーウェイ5G導入予定には、データの安全性に関してかなりの抵抗があり、『同盟』のマテオ・サルヴィーニは、2019年から徐々に導入予定の5Gに関して、防衛における不安を何度も示唆しています。しかし、だからといって現在の4Gデータが安全、ということではありますまい。スノーデン氏の警告も然り、各種アプリがいつの間にか個人情報を収集していることは、もはや周知の事実です。
ともあれ、中国国内で酷い抑圧にさらされ続けている少数民族の人々の『人権』に関するニュースは、最近のイタリアのマスメディアからは完全に抹殺されてしまいました。「結局世界は『人権』より『文化』より『経済』なんだね。中国という国は、満面の笑みを湛えながら、美味しいお菓子をたくさん携えて訪ねてくるんだ。イタリアが騙さていないといいけれど」と忸怩たる思いを抱える、そもそも亡命者としてイタリアへやってきて、現在は市民権を持つ少数民族の友人が話していたことをも、ここに記しておきたいと思います。
彼らはまた、昨今のイタリアの右傾化をひどく心配し、「まさかイタリアが、アフリカの難民の人々をこんなひどい目に合わせるとは思わなかった。失望したよ。僕らだって難民なんだよ。いいかい、僕らの闘いは、あくまで人権問題なんだ」と、社会に差別的な傾向が色濃くなっていることを深く憂慮しています。
さて、政治的な合意ではなく、あくまでも経済合意だということをアピールするため、ジュゼッペ・コンテ首相と中国主席立会いのもと、経済発展相及び副首相のルイジ・ディ・マイオと中国改革国家委員会(commissione nazionale per le riforme chinese)の何立峰により署名された『覚書』の項目は、全部で29項。
国家間の合意が19項目、民間企業のビジネス合意が10項目と、当初の予想よりもだいぶん少なく、そのうちの2社だけが正式な契約となっています。Cassa deposito ( 経済・ファイナンス省83%、16%を複数の銀行により拠出されたファンドで、イタリアの経済システムを管理する機関)が中国銀行と協力で『パンダボンド』を創設、中国国内のイタリア産業に資金を供給することに合意。Eni(イタリアの主要エネルギー会社)は覚書に署名、Ansaldo Energiaが、Benxi SteelとShanghai Electricと契約締結。今回の訪問の肝でもある、前述のトリエステ、ジェノバは、中国のインフラ設備投資を歓迎、いずれもふたつ返事で合意しています。
そのほかイノヴェーション、ネットビジネス、人工衛星に関して両国が協力するほか、オレンジ、畜産物の輸出、さらに考古学財の輸出入の防止、796点の中国骨董品返還合意などを確認。また、イタリアの国営放送Raiがチャイナメディアグループ、ANSA通信が新華社との協力に合意しています。今回は総額25億ユーロの調印となりましたが、今後200億ユーロのビジネス・ポテンシャリティを持つ合意となったのだそうです。
ところで、イタリア政府に「中国は危険」と口やかましく勧告し続けていたフランスですが、このあと中国主席がパリを訪れ、エアバス300機の受注が合意に至ったのちはとても静かになり、「どういうこと? イタリアがオレンジでフランスがエアバス?」というざわめきも広がりました。ちなみにイタリアも、フランスも、ドイツも、中国も、今後の欧州連合と中国の通商合意は、あくまでもWin Winとなることを強調しています。いずれにしても、G7であるイタリアが覚書に調印したということは、イタリアが単独で決定したわけでなく(それ以前に各国間にいくらかの葛藤があったとしても)、巨大な経済共同体である欧州連合もまた、中国の『一帯一路』プロジェクトを了承している、と考えるのが妥当です。
一方、『同盟』のマテオ・サルヴィーニ副首相は、今回の中国主席イタリア訪問の、調印にも、晩餐会にも参加せず、「中国が自由市場だなんて言わないでくれ」と距離を置きました。
サルヴィーニは、その後も中国との合意を牽引した『5つ星運動』を批判、攻撃していましたが、中国との合意に絶対的に反対なのであれば、断然優位な立ち位置から「連帯契約政権を解消する」、ぐらいに騒ぐはずであり、絶対反対にしては、どこか控え目で芝居がかった、いつものサルヴィーニ劇場という印象でもありました。それに今回の調印で、八面六臂の活躍をした産業発展省次官ミケーレ・ジェラーチが、かねてからサルヴィーニと深い親交がある、『同盟』寄りのエコノミストであることは覚えておきたいと思います。
加えて、今までは緩やかな歩みだったイタリアと中国が、今回急速に接近した理由のひとつとして、去年実現した、ヴァチカンと中国の国交回復も関係があるのかもしれません。
マルコ・ポーロの冒険をはじめ、イエズス会宣教師マテオ・リッチなど、そもそもカトリック教会と中国の交流には長い歴史があり、リッチと同じくイエズス会出身のミッショナーでもあるフランチェスコ教皇は、中国訪問を熱望していると言われています。カトリックにおける最高権威である教皇が、中国政府の介入を許し、教会と共同で選んだ司教を認めると譲歩、融和的な態度を鮮明にし、台湾や香港、中国本土の「隠れキリシタン」をはじめ強い批判も巻き起こりましたが、カトリック信者の世界総数とほぼ同じ人口を持つ中国との国交は、教皇が政治的剛腕を見せた大きな決断でもありました。
個人的には全体主義や管理社会はまっぴらだと考えているため、中国の強権的な恫喝志向と少数民族の人々の権利の蹂躙に関して、世界が目を瞑らずにどしどし発言できるような開放的な交流ができれば、こんなに嬉しいことはない。そういえば、かつて『5つ星運動』は、中国の少数民族弾圧を強く批難していたはずですが、今回その声は、『5つ星』内からは一言も聞かれませんでした。また、左派の論客である哲学者が「地中海では、何万という難民の人々が溺れ死んでいるというのに、全国の港を閉じたイタリアが『人権』を語る資格はない。もはやイデオロギー的には、中国となんの違いもない国になってるからね」と極めてシニカルな発言をしたことも強く印象に残っています。
▶︎国連からも警告を受ける、降って湧いたように現れた『ピロン法案』