イタリアの不安定な政治の理由と数のマジック
ちなみにイタリアの戦後の政治を見ていくと、『キリスト教民主党』という大政党が過半数を得て、安定した政権を維持できたのは戦後まもない時期だけで、60年代からは、大政党でも過半数を得られなくなり、他の複数の政党との連立を組んでの政権樹立が続きます。
したがって今回のように、連立を組む小さい党の造反で政府が崩壊し、他政党、あるいは無所属議員グループと連立を組み直し、過半数を維持して新政権を樹立する、という動きは稀なことではありません。
ミレーナ・ガバネッリの「データ・ルーム」によると、戦後75年の間にイタリアには66の政府が樹立し、94年から現代に至るまで、5つの政府が造反によって崩壊。16の政府が何らかの理由で政権の危機に陥っています。この数はフランス、ドイツに比べて、きわめて高い数字です。
イタリアの政治が、かろうじて安定を見せたのは、最も長く政権の座についたベルルスコーニの時代(94ー95年、2001ー2006年、2008ー2011年)ですが、それでも何度か崩壊の危機を経て、過半数を再構成した政府を樹立しています。
しかしながら、平時においては「政治が安定すればいい」というわけでもなく、政治が最も安定するのは独裁政権に違いありませんし、多様な意見、個性を抱合する民主主義は、そもそもが不安定になりがちなシステムです。ただしイタリアは、政治勢力の入れ替わりがあまりにも激しく、市民も移り気ですから、極端に政権が安定しません。
そういえば2016年、当時『イタリア民主党政権』を率いていたレンツィ元首相は、「イタリアには小さな党がいくつもあって収拾がつかず、長期安定政権が維持できない」ことを批判していましたが、「この国民投票に負ければ、政治家を辞める」とまで宣言した、上院下院議会の改革、議員削減の『国民投票』に敗北し、自ら政府の安定を破壊して、短命に終わらせるという結果になっています。
また、政治家を辞めることもなく、やがて『民主党』という大政党から分裂し、けろっと小さい政党を作ることになりました。
わたし個人の印象では、イタリアの政治は、極左、左派、中道、右派、極右と多様な主義主張を抱えるいくつもの政党がひしめき、常にスペクタクルな政争が繰り広げられる、劇場型政治です。
しかし、確かに社会が安定している時は、策略や造反で緻密に演出された劇場政治が、エンターテインメントになりえても、ウイルスで精一杯の日常では、「総選挙」という言葉を聞いただけでも目眩がします。
この政治的な紛糾に解決がつかない状態となり、万が一、大統領が総選挙を決意しなければならないならば、投票における感染対策はどうするつもりなのか。しかもごく最近、上院、下院ともに議員削減の『国民投票』が可決されたばかりで、選挙法も改正されていないのです。
また残念なことに、もし総選挙となれば、『同盟』『イタリアの同胞』『フォルツァ・イタリア』の『右派同盟』が、ほぼ確実に過半数を獲得します。最近のニュースでは、選挙で勝利した暁には、首相は極右政党『同盟』のマテオ・サルヴィーニ、大統領にはシルビオ・ベルルスコーニを推挙する、と『同盟』が力強く表明して、寝込みそうになりました。
思い起こせば2018年の総選挙で、市民運動である『5つ星運動』が大勝。しかし連立を組まなければ過半数に達しないという状況に陥った際、真っ先に扉を閉じたのが、当時『イタリア民主党』の書記長だったマテオ・レンツィです。その後イタリアは、2ヶ月以上も組閣できない大混乱に陥りました。
その嵐に乗じたのが、先ごろ大統領恩赦を受けたばかりの、件のスティーブ・バノン氏であり、このバノン氏の働きで、『5つ星』と極右政党『同盟』という、共通点はポピュリズムのみ、他はまったく異質な主張を掲げる政党の連立が実現したと言われます(バノン氏ご本人が「この政府は自分のオペラだ」とインタビューでも豪語していました)。
こうして、レンツィ元首相が『5つ星運動』との連立を拒絶した経緯から、かつてなく無情、無慈悲、暴力的な政府が誕生したことは、以前の投稿に書いた通りです。
そのころはといえば、毎日が『同盟』党首、マテオ・サルヴィーニ内務大臣のワンマンショーで、イタリア中のすべての港は閉鎖され、難民の人々は過酷な状態のまま、何日間も海上で漂わなければなりませんでした。そのうえようやく欧州にたどり着いた人々を、想像を絶する拷問が繰り返されるリビアへ送り返すという、非人道的な政策が議会で通過する、まさに悪夢の毎日でもありました。
さらにサルヴィーニは、海で遭難しそうになった人々を救助した、NGO船の船長を逮捕して勾留。各地の難民センターを次々に破壊し、やっと欧州に辿り着いた人々からは人道支援ヴィザを剥奪までしています。
その残酷非道な政策に、イタリア各地で大きな抗議が巻き起こる一方、なぜか『同盟』の支持率はあれよあれよという間に35%に近くなり、『5つ星運動』とコンテ首相の影がすっかり薄くなった時期もあったのです。2019年の真夏、支持率が低下し精彩を欠いた、その『5つ星運動』の虚をついて、サルヴィーニは攻撃的に連立を解除。総選挙へと持ち込もうとしました。
前述したように、そのときに、『5つ星運動』とコンテ首相に救いの手を差し伸べたのがマテオ・レンツィ元首相でしたが、『5つ星運動』を拒絶したり、急に優しくなったり、「何かおかしい」とは思いながらも、それが現在の一連のカオスの布石になるとは、まったく想像していませんでした。「まもなくパンデミックが世界を襲うらしいよ」などという話を聞けば、「それは怖いね」と笑うぐらい、そのころのわれわれは世界を信頼して、無邪気な日常を過ごしていたのです。
ともあれ、この3年というもの、イタリアはふたりのマテオさんに振り回されています。
レンツィ元首相は「これが民主主義というものだ。政治なんだよ」と意気揚々と語っていましたが、こんな非常時に、たったの3%しか支持率がない、しかも一回も選挙を経験していない政党が、市民の心理状態をまったく無視した政治不安を起こすことが政治なら、選挙の意味などまったくないのではないか、と暗澹たる気持ちになります。
▶︎政治的野心とリカバリープラン