パンデミックの渦中、市民の現実からかけ離れて巻き起こった造反、イタリア連立政権クライシス

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政治とジャーナリズム

イタリアでは、パンデミックがはじまって以来、8万8千人を超える方々が亡くなり、長期にわたるロックダウン、セミロックダウンで商店や飲食店が閉鎖され、多くの人々が仕事や家を失いました。社会全体に不安と不満が充満し、地域によっては退廃的な空気が漂っています。

このように、医療の危機、経済の危機、社会の危機、と3つの危機を抱えているイタリアに、今回、まったく必要がなかった政府の危機まで、加わることになったのです。

レンツィ元首相の記者会見の翌日には、フィナンシャルタイムス紙、ニューヨーク・タイムス紙などの外国メディアも、レンツィ元首相を「破壊者」と見なし、厳しい記事を掲載しています。さらには敬虔なカトリック信者であるコンテ首相を擁護して、ヴァチカンの司祭の方々までが、一斉にコンテ首相支持を表明しました。

また、そもそもプラットフォーム『ルッソー』を使い、市民の声を政策に反映させるダイレクト・デモクラシー、ポピュリズムを謳って頭角を表した『5つ星運動』も、政権の座につくうちに、その過激さは影をひそめ、いい意味で落ち着き、成熟しています。特にパンデミック以後は、欧州連合から巨額の救済を受けることもあって、初期のアンチユーロ、アンチシステムから、すっかり「欧州主義」に変身しました。

個人的には「欧州主義」には大賛成ですし、『5つ星』のメンバーが自己主張に明け暮れた『同盟』との契約政府の時代はともかく、『イタリア民主党』との連立政府では、どこか素人っぽくはあっても、ひたむきに政権の運営に関わる『5つ星』の議員たちに好感を持っています。ただ、まったく『ルッソー』を使わなくなった彼らの活動に、市民の声が反映されるがなくなったことは、多少残念にも思います。

さて、パンデミック下の首相官邸であるキージ宮や大統領府、クイリナーレの周辺は、毎日マスクをつけた多勢のジャーナリストたちが走り回り、騒然としています。先日、ぶらっとその周辺を散歩してみたのですが、抗議などで人が群れることを危惧してか、今までにない厳重な警戒で、ジャーナリスト以外は、議会にも首相官邸にもまったく近づけないという状況でした。

「コンテ第3政権は遠くなった」「レンツィ元首相と連立政府の和解はある」「和解はありえない」「総選挙となっても、コンテ首相が政党を組めば10~15%支持獲得」「フィーコ議員は、『欧州主義』政府に相応しい首相の名を各政党と協議している」「大統領がマリオ・ドラギに連絡したそうだ」「大統領とマリオ・ドラギが連絡を取り合った事実はない」など、各新聞とも、昨日の記事を翻して、毎日衝動的に報道する局面です。

したがって日頃信頼がおける、と思っているメディアであっても、このようなカオスの時には一概に鵜呑みにできません。

ところで、最後の最後に、また余談なんですが、今回の政府崩壊の危機について、歴史学者パオロ・ミエリのコメントに注目していたところ、「コンテ首相に遠くから助言しているのは、マルコ・トラヴァイオだからね。かつてエウジェニオ・スカルファリがデ・ミータにしたように」という会話がさらりと交わされ、「え!ジャーナリストが政権を左右する、などということがあるの?」と驚きました。

トラヴァイオは、早くから『5つ星運動』を支持してきたイル・ファット・クオティディアーノ紙の編集長で、微に入り細に入りファクトチェックが素晴らしく、あらゆる言論人を舌鋒鋭く論破。政治とマフィアの関係、巨額脱税なども、次々に追求し暴く、硬派のジャーナリストです。しかし、確かにイル・ファット紙は、いつもコンテ首相に好意的ではあっても、新聞を通じて首相に助言をしているとは思いませんでした。

イル・ファット・クオティディアーノ紙といえば、シンボルとしての「アンチ・ベルルスコーニ」をコンセプトに、『鉛の時代』から活躍するジャーナリスト、アントニオ・パデラーロが2009年に創刊。小規模ながら、政治マフィアの関係や、ベルルスコーニ時代に、メディアをコントロールしていた諜報組織の詳細など、その時代や人物を知らないとまったく理解できない、アグレッシブでマニアックな記事も多い新聞です。

その後レスプレッソ誌を読んでいると、やはりトラヴァイオを、コンテ首相の「偉大な助言者」と、皮肉をこめて表現する記述があったので、メディア界では周知のことなのでしょう。

なお、エウジェニオ・スカルファリは御年97歳でいらっしゃるラ・レプッブリカ紙の創立者で、60年代にカラビニエリ大佐のクーデター計画をすっぱ抜き、さらにはアルド・モーロを最後にインタビューした伝説的なジャーナリストです。

フランシスコ教皇とも交流がある、その現役のジャーナリストが、1988年、クラクシーの第2次内閣が崩壊した後、首相となった『キリスト教民主党』のチリアーコ・デ・ミータに助言していた時期があるということも、まったくの初耳でした。

政治がジャーナリズムを統制する、という話はよく聞きますが、ジャーナリストが政治を左右するようなことがあるなんて、イタリアにいると、いろいろな学びがあります。

いずれにしても、イタリアの現実は、多少感染が収まりつつあり、Rt(実効再生産数)が落ち着いてきたとはいえ、毎日500人近くの方々が亡くなることもある日々です。さらに疫学のエキスパートたちは、「英国型、ブラジル型、南アフリカ型の変異種のウイルスがイタリアで猛威を振るう可能性もある。油断は決してするべきではない」と警鐘を鳴らしてもいます。このように、常に死の恐怖と向かい合わせにある、不安定で疲れきった社会が求めているのは、地に足がついた、市民に寄り添う安定した政治です。

イタリアの政治には縁もゆかりもない、外国人であるわたしが騒いでも、影響力はゼロですが、誰もが不安に、辛く悲しく思っている大変な状況だというのに、連立政権を骨抜きにしようと企んだ(フランスのマクロン大統領が『フランス社会党』を骨抜きにしたように)、プロタゴニズム(僕が主人公主義)満開の、レンツィ元首相を糾弾したい、と思う所存です。

最近は祈ってばかりなのですが、一刻も早く、イタリアが落ち着くことを、祈りたいと思います。

 

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