カオスに至るまでの経緯
確かに2ヶ月ほど前から、パンデミックによる経済、社会危機を救済するため、欧州連合からイタリアに拠出される予定となっている、2090億ユーロという巨額のリカバリー・ファンド(next generation EU)のプログラムを巡って、マテオ・レンツィ元首相が、毎日のように連立政府を攻撃していたことは知っていました。
さらに、全国ロックダウン中のクリスマス休暇の間にも、一触即発の緊張がエスカレーションしつつある、と不穏なニュースが次々と流れましたが、少なくとも『イタリア・ヴィーヴァ』は野党ではなく、連立の一端を担っているわけですから、議論の末、やがて折り合いがつくのが自然な流れであり、目立ちたがり屋さんのレンツィ元首相はパンデミックの最中、自身をアピールしているだけなのだ、と見くびってもいました。
しかし、そんな常識的な考えはまったく通用せず、1月12日、マテオ・レンツィ元首相の仰々しい記者会見から、政権クライシス劇場の幕が上がり、衝撃と怒りで青ざめることになったのです。
レンツィ元首相は、その記者会見で、『イタリア・ヴィーヴァ』のふたりの女性大臣の辞任を演出するとともに、自らの有能を誇示。「イタリアの未来がかかっている」政府のリカバリー・プランの草稿の不出来と、仕事の遅さをなじり、ジュゼッペ・コンテ首相率いる政権は、「巨額のファンドをマネージするレベルにない」とさんざん非難。「政府から離脱して、野党に回る覚悟はできている」とまで宣言しています。
このあまりに現実離れしたタイミングでの宣戦布告に、各種メディアは「何が起こっているのか分からない」、とはじめは呆気に取られ、やがて当然のごとく、「無責任すぎる。政争している場合ではないのでは? パンデミックは何ひとつ解決していないというのに。人々の不安と不満が頂点に達そうとしているこのとき、政治不安に陥ったら、イタリアはコントロールを失って大変なことになる」と、識者たちの重いコメントが相次ぐことにもなりました。
事実、コンテ首相が辞任した今、イタリア政府の突然の不安定化に、米国の格付け会社が警鐘を鳴らしている、というニュースも入っていますし、巨額の救済ファンドの拠出について、まだ最終的な採決を終えていない欧州連合政府が、イタリアの政治不安に危惧を抱き、「場合によっては約束の金額が拠出されないかもしれない」との警告もなされています。
しかもレンツィ元首相といえば、2019年、ヴァカンス真っ盛りのあの真夏、コンテ第1政権が、『同盟』党首マテオ・サルヴィーニの卑劣な裏切りで崩壊したあと、なかなか合意に達することができない『5つ星運動』と『イタリア民主党』、及び左派勢力『LeU』の連立協議を、ベッぺ・グリッロとともに牽引したキーマンなのです。「極右勢力に政府は渡せない!今こそ力を合わせるべき」というレンツィ元首相の、議会における鮮やかな演説は、今でもよく覚えています。
ところが『5つ星』と『民主党』、左派勢力が連立に成功するや否や、レンツィ元首相は、『民主党』から大臣を含む議員を多数引き連れ『イタリア・ヴィーヴァ』を結党するという、予想外の行動をとり、連立政府とは距離をとることになりました。
この奇妙な行動に「いったい何がしたいのだろう」とは思っていましたが、実は連立を牽引したあの夏から、機会が訪れたらコンテ第2政権を乗っ取る、あるいは支配権を得る計画を温めていたのかもしれません。
実際、レンツィ元首相は「1年前に開催される予定だった、司法省の年次報告承認の際、政府の過半数を割る準備をしていたが、北部のコドーニョで、はじめてのCovid-19イタリア人感染者が発見されたのち、みるみるうちにパンデミックに突入し、年次報告も延期されたため、諦めざるをえなかった」という報道があります。また、コンテ首相もレンツィ元首相のその計画を知っていた、と言及しました。
レンツィ元首相が、政界きっての饒舌なマキャヴェリスト、策略家であることは、周知の事実でした。常に水面下で密やかにワナをしかけながら、何人もの仲間や先輩議員を騙し、裏切りながら首相の座まで上り詰めた、という経緯があり、敵も大勢います。
しかし現在のイタリアは、順調にワクチンの接種がはじまった途端に、ファイザー、モデルナから、欧州全域への供給が遅れる、というアクシデントに見舞われ、集団免疫計画の行方が見えなくなっているところです。そんなときに政治を不安定化させ、市民の不安をいよいよ煽る奇襲を企てるとは、レンツィ元首相の人間性を疑うとともに、「こんな簡単な小細工が可能な代議制民主主義は、本当に大丈夫なのか」と大きな疑問が湧き上がった次第です。
イタリアでは、医療衛生に関する法律の決定を内閣に一任する『緊急事態宣言』が、4月30日まで延長されたところでした。現在の政権が崩壊するようなことがあり、次の組閣に時間がかかるとすれば、その間の首相令がどうなるかが心配です。
まず、ウイルスは人間の都合などまったく意に介さず、好き放題に変異しながら、市中で拡大していくわけでから、今回のレンツィ元首相の自然を無視した造反は、どんなにきれい事を並べても、無神経きわまりない、ナルシシスティックな三文芝居としか言いようがありますまい。
それでもコンテ首相が、『イタリア・ヴィーヴァ』なしでは安定過半数を得られない現在、多くの市民に憎まれながらも、レンツィ元首相がなんらかの形で勝利を収める、という理不尽な結果となる可能性もあるのです。
現在、政党間で協議が行われているのは、政権が再生した場合の具体的な政策であり、人事はそのあととなりますが、レンツィ元首相が狙っているのは、経済相、司法相、ワクチンを含める医療物資の調達を統括する医療マネージャー、最もお金が動くインフラストラクチャー省、教育省などのポジションと見られています。これらの分野にターゲットを絞るというのは、「なにをかいわんや」という気持ちにもなるのが、正直なところですし、レンツィ元首相がコンテ首相を、今まで通り、リーダーとして受け入れるかどうかの意思表示もありません。
ともあれレンツィ元首相は、『イタリア・ヴィーヴァ』が離脱しただけで、たちまちに不安定化する連立政府の脆弱さを、国内外にアピールすることには成功しました。さらには混乱がはじまって約3週間を経た今、なかなか合意できない連立政府に、「2090億ユーロの巨額の救済金を、この脆弱な政府に任せて大丈夫なのか。レンツィはやり方とタイミングは間違ったが、ある意味、言っていることは正しい」というムードが、特に経済分野のコメンテーターを中心に形成されつつあります。
そしてこのような流れを見ると、現在の政権クライシスにクリプトされた真実の争点は、レンツィ元首相の手段を選ばない政治的野心を巧みに利用する、2090億ユーロの救済金を巡っての一部の経済界の思惑にあるのではないか、とも勘繰リたくなるのです。
ここ数日、やっぱりね、と思ったのはイタリア経団連(Confindustria)のロンバルディア幹部が「コンテ首相は次の職を探すべき」と発言したことでしょうか。
と思いきや、トークショーに出演した経団連会長は、連立政府が経団連の助言を無視してきたことを批判しながら「有能な閣僚による、強力な政治改革が必要」と強調したうえで、現在の経済相ロベルト・グァルティエリ(『民主党』)が巨額のリカバリー・ファンドを欧州連合から引っ張ってきたと主張し(もちろんコンテ首相とともに、ですが)、今、経済相を変えるべきではない、と断言しました。
経団連会長が、コンテ首相ときわめて近い関係の、グァルティエリ経済相の残留を求める発言をするということは、「連立政府は、レンツィ元首相の好きなようにはさせられない」、と暗に仄めかしたかったのかもしれません。即刻『民主党』はコンテ首相同様、グァルティエリ経済相の周囲に防壁を張り「グァルティエリには触れさせない」と宣言しています。
▶︎近代史をループするイタリアの政治