瞬く間にイタリア中に押し寄せた、アンチサルヴィーニの魚たち『6000サルディーネ』

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 ボローニャのアイデンティティから誕生したフラッシュ・モブ

11月14日、ボローニャのマッジョーレ広場で爆発した『6000サルディーネ』はもともと同日、かつては『イタリア共産党』伝説のベルリンゲル書記長も政治集会を開いた、歴史的なホール『パラドッツァ』で、エミニア・ロマーニャ州知事選キャンペーンの幕を切る予定だったマテオ・サルヴィーニに、真正面から対抗するために企画されたのだそうです。

エミリア・ロマーニャ州は、50年間、右派に政権を渡したことがないという、筋金入りの左派地域。もはや存在しない「共産主義をぶっ潰す!」などと、時代錯誤なことを言っていたサルヴィーニは、エミリア選が近づくにつれ、「戦後から、左派の弾圧を受け続けたエミリアの人々を『同盟』が解放する」と、思わずプッと吹き出したくなるような表現で、エミリア・ロマーニャの獲得を狙い、しかも市民たちの気持ちは、どうやら『同盟』に傾いているようだ、と心配な報道がなされていました。

同じく左派地盤であったウンブリアを失った左派にとって、牙城とされるエミリア・ロマーニャを失うことになれば、痛手どころではない大衝撃です。政権崩壊の危機どころか、今後の左派の存在をも危ぶまれる世紀末(まだ21世紀前半だというのに)を迎える可能性もある。

その危機感をバッサリと振り払うかのごとく、『6000サルディーネ』の参加者たちは、パラドッツァから急ぎ足で15分ほどのマッジョーレ広場に次々に集まり、やがて広々とした広場はまったく身動きできないほどの市民で埋まったのです。「嘘と暴力はもうたくさん」「ボローニャは食いつかない」のスローガンや、いわしのプラカード、イラストがヒラヒラと宙を舞いました。

 

ボローニャのフラッシュ・モブの次の日にインタビューに答えるイベントの発案者のひとり、マティア・サントーリ。「・・・・僕はユートピア主義なんだけれど、仲間たちはもっとそうなんだ。 僕らは(国粋主義)への答えとして、ボローニャが出発点になることができると納得した。僕らはこの状況における『ヴェトコン』みたいなもの・・・・昨日、まったく新しい何かが生まれたと思っている・・・・はじめの答えがボローニャ、エミリア・ロマーニャから生まれたのは偶然ではない。この州のエネルギーを軽く見ていた者たちは、考え直さなければならないと思うよ。(選挙までの)3ヶ月はすごく大変だと思う。僕らにとっても、特に彼らにとってもね・・・・」

 

「僕らはパラドッツァに下見に行って、だいたい収容数は5900人ぐらいだと踏んだ。ならばマッジョーレ広場に少なくとも6000人は集めなければならない、と思ったんだ。しかし6000を遥かに上回る15000人もの人が集まった。僕らと同じ気持ちの人たちが、こんなにたくさんいたってことだ」

各種メディアのインタビューに、『サルディーネ』発案者のひとり、マティア・サントーリはこう話していましたが、この日、ボローニャの伝統的なホール、パラドッツァを大々的に占拠してキャンペーン初日を盛り上げ、悲願のエミリア獲得を狙っていたサルヴィーニを、4人の若者たちが一気に出し抜いた、というわけです。ついでに次の日の新聞トップも、広場に集まった15000人の「いわし」の大群に持っていかれることになりました。

この、広場でのフラッシュ・モブを企画した青年たちは、どこにでもいそうな普通の若者たちです。たとえば大学で『政治科学』を学んだというサントーリは、エコノミストという仕事の傍、夏休みの子供学校の先生をしたり、障害を持つ子供たちにバスケットを教えたりしている。他の青年たちもトゥーリストガイドだったり、エンジニアだったり、と政治とは遠い世界で仕事をしています。グループの中に、女の子がひとりいますが、彼女は理学療法士で、夜には子供たちにダンスを教えているそうです。

ところで、なぜ彼らが「サルディーネ=いわし」をシンボルにしたのかというと、今は亡き、ボローニャが生んだ伝説のカンタアウトーレ(シンガーソング・ライター)、ルーチォ・ダッラ77年の楽曲、『Come è profondo il mare(海はなんて深いんだろう)』の一節にインスピレーションを受けたからだそうです。そして缶詰のサーディンのように、人々が押し合いへし合い、大きな広場をぎゅうぎゅう詰めにしたかったからだと、サントーリは語っています。

ここでちょっと注目したいのは、70年代の大規模学生運動は、『海はなんて深いんだろう』がリリースされた77年ボローニャからはじまっていることです。現代という時代は、もちろん暴力的な抗議を拒絶しますが、なにしろイタリア中で、学生たちがピストルを片手に当局と激突した『鉛の時代』の原点となった学生会議が開かれたのがボローニャ大学。そんな(しかも世界最古の)大学を抱く学園都市のアイデンティティは、他の都市とはちょっと違って、かなり急進的のようです。街中に、歴史に裏付けられた哲学、文学、音楽、美術、ボローニャ独特の文化スピリットが溢れているからでしょう。

 

伝説のルーチォ・ダッラとフランチェスコ・デ・グレゴーリのデュエットで「Come è profondo il mare」。意訳です。「 僕たちだ。たくさんの僕たちだ。運転手や植字工が怖くて夜に隠れている。僕たちは黒猫だ。僕たちは悲観主義者だ。僕たちは悪い考えだ。そして何も食べるものがない。海はなんて深いんだろう。海はなんて深いんだろう。父ちゃん、キジを狩る、凄い猟師だったんだろ。眠れなくて、僕を怒らせる、この蝿を狩ってくれよ。海はなんて深いんだろう。海はなんて深いんだろう。利用価値がないんだ。仕事がないんだ。品格がないんだ。神か、彼の民か、僕たちを分裂させることを狙っている。僕たちをひどい目に合わせるために。僕たちを溺れさせるために。海はなんて深いんだろう。海はなんて深いんだろう・・・」とはじまる、いかにも70年代の歌詞にしびれます。

 

前述したように、ボローニャのアイデンティティを広場に持ち寄る人々は、悪態に近いプロパガンダとをとめどなく流し続けるポピュリストに対抗するため、「攻撃的でなく誰をも侮辱しない非暴力の静かな抗議」を求められました。

そして「アンチユーロ、アンチヨーロッパ、アンチ外国人、アンチコミュニスト、アンチ左派」をプロパガンダに人々の憎悪を掻きたてる極右勢力に、「僕らはどこの政党にも属さない、アンチヘイトアンチサルヴィーニ、アンチポピュリストなんだ」と溌剌と宣言したわけです。

そのフラッシュ・モブの飛び火はあっという間で、さっそく数日後から、サルヴィーニが遊説に訪れた地域、モデナ、レッジョ・エミリアはもちろんのこと、パレルモやペルージャ、パルマなど、イタリア各地の都市に、「われわれは『同盟』とは『同盟』しない!」とスローガンを掲げ、『ベッラ・チャオ』を歌う「いわしの大群」が出現するようになりました。

しかもどの広場も超満員という大盛況で、たった2週間のうちに、見過ごせない社会現象にまで発展した。今後も年末に向かって、ほぼ毎日、イタリア中のどこかでフラッシュ・モブが予定されているようです。

現在、サルヴィーニが最も恐れるのは『イタリア民主党ーPD』でも『5つ星運動』でもなく、『6000サルディーネ』と言われ、ボローニャのマッジョーレ広場の第一報を聞いたサルヴィーニの顔は、みるみる曇ったそうです。またLA7の世論調査では、43%の人々が、最も手強いサルヴィーニの敵『6000サルディーネ』、と認識しているという結果になりました。

「僕らはサルヴィーニがやったこと(多くの人々の心を掴むこと)をたった6日で成し遂げたんだ。僕らが毎日やっている仕事、たとえば障害を持つ子供たちにバスケットを教えることを覚えるのに、あなたは何日かかるかな」

この2週間で、さまざまな報道番組に出演するようになったサントーリと、その仲間たちの、若々しく頼もしい自信に満ちた、健全な主張に、政治家たちやジャーナリスト、そしてわれわれ市民は、「これから何が起こるんだろう」と明るい期待を胸に、強い共感を覚えています。そして「やっぱりこれほどたくさんの人々がアンチサルヴィーニだったのだ」とその共感の大きさに、改めて勇気づけられた次第です。

 

▶︎極右勢力による妨害を、ものともしない『サルディーネ』たち

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