時間、空間を超越して拡大する『ミクロコスミ』、クラウディオ・マグリスの宇宙へ

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 ゴリ・オトクの強制収容所

イタリア半島のやや南側に位置するローマにいると、国境という土地の感覚がいまひとつ掴めませんし、正直今までは、改めて考えたこともありませんでした。

今回、『ミクロコスミ』を読んで、その9つの章の舞台となったカフェ・サンマルコ(トリエステ)、ヴァルチェッリーナ(ピエモンテ)、潟(グラードークロアチア)、ネヴォーゾ山(スロヴェニア)、丘(トリノーフランスに隣接)、アッシルティディ(クロアチア)、南チロル(オーストリア国境)、市民公園(トリエステ)、丸天井(トリエステ)は、まさに中欧との『国境』であり、思わず今一度地図を見て、複雑な国境線に改めて感嘆した次第です。

そして、フランス、スイス、オーストリア、スロヴェニア、クロアチアと接する北イタリアの国境線で、多様な人種、多様な文明文化、言語が行き交い、長い歴史の中、たびたび繰り広げられる血みどろの戦闘に翻弄され、数奇な運命を受け入れた、あるいは排他という防御で時間を経た土地が持つ多様と包容力、そして自由の希求こそが、領土を巡る戦いに明け暮れた長い歴史を持つ欧州の精神性の本質なのではないか、との思いを抱くことになったわけです。欧州は、数えきれない多種の民族、言語、文化の混合で成立する経済圏です。

さらに改めて気づいたのは、北イタリア東欧ダイレクトな繋がりでもありました。第3章『潟』で、「風が吹き抜ける海洋都市ヴェネチアから、問題を抱えた東欧という大陸への通路を示している。東欧は文明の窮屈さについての優美かつ憂鬱な研究所、空虚と死の大家だ。その文化大陸はーカルロ・ミケルシュテッターのいた隣町ゴリツィアにも大破局のための素晴らしい観測所があったー生命の風に立ち向かうために、重い厚手のコートをしっかりと着込んだ閉鎖社会である」と描かれた東欧への、ヴェネチアは、アドリア海、エーゲ海、ボスポラス海峡、黒海を通じ、クリミア半島へと続く国境でもあったわけです。

なお、『ミクロコスミ』にたびたび名前が現れる、このカルロ・ミケルシュテッターという若くしてピストル自殺した作家が残した著作のうち、特に『La persuasione e la rettorica(説得と修辞学)』は、マグリスのみならず、マッシモ・カッチャーリらの影響もあって、現在、再研究されています。今でも多くの研究者を惹きつける、その若き哲学者は、ブルジョワ社会とその世界観を徹底的に批判していたそうです。

もちろん北イタリアは、陸路においてアルプス山脈、スロヴェニア、クロアチア、と中欧(mitteleuropa)がはじまる地域であり、さらに東に北上することで欧州と東欧を繋ぐ地点、インターヨーロッパ(Zwischeneuropa)に達するわけですが、その、東欧との関わりから生まれた混乱の歴史の実感は、第6章『アッシルティディ』で淡々と語られています。

「信じられないほど澄んだ海に触れる平和の島、静けさに埋もれた手つかずの自然、完全なる自由の島」とパンフレット(おそらくトゥーリスト向けの)に紹介されるゴリ・オトク(裸の島)は「歴史の落伍者の悲しき漂流先だった」と、忠誠を誓った思想ゆえに歴史に翻弄された人々の、悲哀に満ちた運命の物語ははじまります。

「第二次世界大戦の終わり、約三十万人のイタリア人が、ユーゴスラヴィアに占拠されたイストリア、フィウーメ、ダルマチアを離れたのに対し、モンフォルコーネ、イゾンティーノの町々、フリウリの低地から来た約二千人のイタリア人労働者が、家族とともにユーゴスラビア移住する決意をした。ナチス・ファシズムから解放された国の社会主義を手助けするためだ」「社会主義の構築を手助けするのは、国家や国に属するよりも、自らの土地を捨て厳しい現実に直面することよりも大事なのだった。社会主義の、つまり人間らしさの原因はさまざまな現実の犠牲、特異な感情に値する」

「アルサの鉱山やフィウーメの造船所で、モンフォルコーネ人(とユーゴスラヴィアで呼ばれた)たちは苦労を背負い込んで働いた」1948年、ユーゴスラヴィアがソ連断絶を表明したとき、「スターリンの国家、そして故郷と主導の政党に忠誠を誓っていた」モンファルコーネ人と呼ばれる「イタリア人たちの目にはユーゴスラヴィアが世界の革命裏切っているように映り、ユーゴスラヴィア国家からはイタリア人が裏切り者に見えた」

「スターリンの蛮行からあえて逸脱するという恒久的功績を残したチトーのユーゴスラヴィアは、同じように野蛮な手段で脅威と戦った。謀反や内部の裏切りを恐れ、スターリン主義者たちを迫害した」ユーゴスラヴィアは、「スターリン方式で、さまざまな場所に強制収容所をつくり」、「そのなかでも最悪のもの、不吉にも名の知れたものは、冷酷な内務大臣アレクサンドル・ランコヴィッチ」によって、「二つの無人島ゴリ・オトクとその隣のスヴェティ・グルグールにつくられた」

これらの強制収容所に「ユーゴスラヴィアのスターリン主義者、戦争犯罪者、一般犯罪者とともにーモンファスコーネ人たちも叩き込まれた」「ゴリ・オトクとスヴェティ・グルグールは地獄だー孤独、飢え、棒たたき、便器の穴に頭を突っ込まされ、極寒にさらされるだけでなく、激しい強制労働や、『自己改心』があった。それによって自らの異教を改悛する者は、改心に反対する同僚を殴打・虐待し、それを示さなければならなかったのである」

それから「数年後に、モンファルコーネに戻った者は、共産主義者として、原理的な国粋主義者から脅しを受け、ときには暴行まで被り、当局からは疑いの目を向けられ、イタリア共産党からは邪魔者扱いされた」「交差する二重追放のむごたらしさである」

このような、国境に広がる美しい海に浮かぶ島に住む、素朴で一途な人々を、思想が弄んだ歴史の悲劇の詳細は、ローマの日常からは窺い知ることができないエピソードであり、まず、そのような場所に強制収容所が存在していたことすら知りませんでした。

 

青々とした海に浮かぶゴリ・オトク島は、島のほとんどが岩肌で、ギリシャの島々を彷彿とします。この島に存在した強制収容所については、英語のこんな記事も見つけました。ilpiccolo.gelocal.itより。

 

パンフレットが「信じられないほど澄んだ海に触れる平和の島」と謳うゴリ・オドク島という「歴史と政治の番外地」で、スターリン主義を侵攻するモンファルコーネ人たちが、「もし勝利していれば、世界中で、彼らのように自由な人間を粉々にするために生み出された強制収容所が、次々とできるのを目の当たりにしただろう」そして、もはや誰も「チトー、政党」と賛美しなくなった島には、「代わりに、スロヴェニアとボスニアの戦争から一時的に帰還した誰かが、ゴリ・オドクより恐ろしい惨劇を語った」

「現在」という位置からこのエピソードを読むと、巡る歴史の波に知らない間に飲み込まれてしまう、人間の脆さが浮き上がり、結局人間は、歴史から何も学ばないのだ、未来のことなどまったく見ない、近視眼的な存在でしかないのだ、との思いが湧き上がります。そして、そんなことを考えているわたし自身も、実はもうすでに、迫りつつある歴史の大波に飲み込まれようとしているのかもしれないなどとも、ふと考えたりするのです。

このように、『ミクロコスミ』の随所に、市井の史実として、国境の記憶となった血塗られた政治イベントが語られると同時に、マグリス一家がアンテルセルヴァで毎年買い揃えるマイセンの食器の話や、存在するはずのない、言葉から先に生まれた熊の痕跡を、バカンスで訪れるたびに家族で探す個人的な思い出(ネヴォーゾ山)、その地に由来のある文学者、思想家、政治家、企業家、市井の人々のエピソードが、分け隔てなく、ヒエラルキーなく、等価に描かれていることも印象的でした。

いずれにしても、手応えある、ずっしり濃密な内容にも関わらず、あらゆるすべてが等価に表現されることで、ある種の軽さをもって回転しながら拡大する内容に、すっかり魅了された次第です。しかしわたしが、こうして長々と感想や内容を述べるより、実際にマグリスの宇宙を体験して、苦悩しながらじっくり国境を味わっていただければ、と思う所存です。それは今までにない読書体験であり、かなり時間を要する旅となりますが、マグリスという碩学の、個人的な感傷をも含む旅を追体験することで、北イタリアから続く欧州大陸の片鱗を知る、絶好の機会となるはずです。

さて、最後に、2022年、3月3日にコリエレ・デッラ・セーラ紙に掲載された、マグリスと、その友人である、オーストリアのジャーナリスト、作家のマーティン・ポラックとの対話記事を抜粋したいと思います。「中欧(mitteleuropa)の痛手」と題されたその対話は、現在、「陵辱され続ける国境」地域の有り様を理解する、大きなヒントとなりました。

▶︎中欧(mitteleuropa)の痛手

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