アートと人が躍動し、増殖する”マイエウティカ” ローマ市営美術館:MACRO ASILO

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次から次に政治混乱のニュースが流れ、負のエネルギーがあまりに強烈で思考が停止しそうなとき、ふらり、とこの美術館を訪れると、なんとなく安定した気持ちになります。気持ちの次元が変わるというか、スペースに漂う挑発的でありながら、どこか緩やかなエネルギーに救われるというか、生産的な『現実』が、わたしが生きる世界に同時にあるのだ、と改めて思い出させてくれるのがMACRO ASILOです。ローマの宝石とも言われる繊細な佇まいの市営美術館MACROが懐深い実験プロジェクト、MACRO ASILOとなりオープンして4ヶ月。有名アーティストによる絵画やオブジェなど、いわゆる通常の、有料での『展覧会』は一切開催されていないのに、いつ行っても必ず、斬新なドキュメンタリーフィルムやパフォーマンス、アート作品や考え方、そしてアーティストたちとの出会いがあり、しかも『無料』という気前よさです。

ローマ中心街のほど近く、Via Nizza (ヴィア・ニッツァ)138番地のローマ市営美術館MACROが、MACRO ASILOとしてオープンしたのは2018年の10月1日。今後2019年12月31日まで15ヶ月間続く、現代アートのアーティストたちとローマの街、そして市民を繋ぐことにより、真の意味での『公共』スペースを取り戻そうという、実験的なプロジェクトです。

コンテンポラリー・アートというと、鑑賞者も身構えて、どこか緊張しながら作品と対峙、理解できないままに通り過ぎてしまいがちですが、たとえばアーティストたちが4つ用意されたガラス張りのアトリエに滞在作品を創作する過程を、観客が実際に見ることができるこの美術館では、アーティストも観客も自然体のまま、作品の背景にある観念的な次元にまで触れることができます。

というのも、もし理解が困難であれば、作品を創っているアーティストたちに直接質問することができるし、アーティストたちも時間が空いていれば、コンセプトからその表現に至るまでの詳細、作品のキーワードを快く話してくれるからです。つまり観客は、鑑賞しながら作品の緻密な、あるいはダイナミックな創造過程を同時に追体験でき、逆にアーティストたちも、ひとりで作業するときとは違って、観客たちのエネルギー、そして会話から影響を受け作品が膨らみ、表現の変化があるかもしれません。

4つのアトリエに次々に作品が創作されていく。日本人アーティストElly Nagaokaも参加。

 MACRO ASILOのコンセプトのひとつに、Museo ospitale (手厚くもてなす美術館)というのがありますが、実際、スペースそのものに、アーティスト、観客、その場を訪れるすべての人々の自由を許容する、おおらかな包容力がある。そういえば、要所に配備された美術館員の若者たちも、極めてリラックスした様子で、(高額の)作品に近づくとブザーが鳴り響き、飛んできた美術館員に注意される、といった通常の美術館の張り詰めた緊張感はどこにもありません。

この美術館で開催される、大勢の観客が続々と集まる、著名作家による本のリーディングや有名アーティストのパフォーマンス、あるいは重鎮や気鋭作家のカンファレンスやフォーラム、ラボラトリーに気軽に参加できるのは、もちろん大きな魅力ですが、ウィークデーの時間が開いた昼下がり、洗練されたモダンな建築の美術館の、人が疎らな館内のあちこちを目的なく見物するのは、あらゆる俗世の面倒な出来事から解放され異次元へと迷いこむ、ちょっとした冒険です。そしてそんな時に「お!」と思う作品、あるいはパフォーマンスに出会うことがあります。なにしろ月曜日の定休日以外、開館から閉館(火曜〜日曜 10:00~20:00 土曜のみ 10:00~22:00)まで、常に複数のプログラムが同時進行しているので、いつ訪れても手持ち無沙汰になる、ということはなく、場合によっては、どちらのプログラムに参加しよう、と迷う感じでしょうか。▷印刷されたプログラムは美術館でいつでも手に入りますが、このサイトからも今までのプログラムとともに、すべてダウンロードできます。

何回か美術館を訪れ、「何故ここは、こんなに居心地がいいのだろう」と考えるうち、「このスペースにはフロンティア、つまりどこにも人を遮るものがないうえ、どの部屋に行く扉も開かれているから」だという結論に達した。もちろん建造物ですから物理的な壁は存在しますが、広い館内にいくつもあるアトリエやラボラトリー、シネマルームなどを、自由気ままに移動できるうえ、ラボラトリーで作品を観ているうちに、前触れなく、音楽とダンスのインプロビゼーションがはじまったりもします。それも「こんなダンスが無料で観れるとは」、という、練り上げられたテクニックを持つアーティストたちのパフォーマンスで、そのまま立ち止まってダンスを観たあとは、いつも賑やかな美術館のカフェでコーヒーを一杯、さらに館内を歩き回るという具合です。

「創造を核に、アーティスト同士、訪問者、あるいは訪問者同士が出会い、そこから何かが生まれる可能性があると思うよ。表現が多様で、柔軟なスペースだね。かつてはこんな場所が街のあちこちにあったけれど、今はすっかりなくなったから、いまや貴重なスペースだ」と、美術館でたまたま話した人物は言っていましたが、なるほど、このスペースに漂う包容力は、その『可能性』に秘密があるのかもしれない。また昼間に行くと、小学生や中学生のグループが、多く見学に訪れており、たまたま3人ほどの小学校低学年生が、1週間この美術館に滞在するアーティストの、実験的な現代電子音楽のインプロビゼーションを面白そうに覗き混んでいたのを見かけたので、「この美術館、好き?」と聞くと、3人とも力強く頷いて「好き!」と答え、「なぜ?」と尋ねると「楽しいから」と明快に答えてくれました。先入観のない子供たちのほうが、大人たちよりも遊びの延長で美術館を楽しんでいるのかもしれません。

※MACRO ASILOがオープンしてから60日間を編集したビデオクリップ。館内のそれぞれのスペースで行われたカンファレンスや講義、ラボラトリー、パフォーマンスの数はすでにかなりの数に上っています。常に何らかの動きがあるので、目が離せません。

MACRO ASILOとは、どんなプロジェクトなのか。

Asiloーアジーロ、というイタリア語は、いろいろな意味を含む言葉です。例えば『アジーロ・ポリティコ』といえば、政治亡命という意味であり、子供たちの保育園のことも『アジーロ』と呼ぶし、そもそも『避難場所』、『保護区』という意を含んでいる。ではMACRO ASILOは、何から避難するのか、そして何を保護するのか。それはかつてインタビューさせていただいた、現在のMACRO ASILOのディレクター、ジョルジョ・デ・フィニスの話にヒントを見出します。

アートや文化が、アート市場における投機の対象ともなる現代、MACRO ASILOはアートを核としながら、巷を揺るがすハイパーキャピタリズムに巻き込まれることなく、ローマの市民(もちろん市民でなくとも)が自由気ままに映画、カンファレンス、文学を含む文化、アートと接しながら、人と出会い、新たな可能性を利害なく発展させることができるスペースであり、シェルターでもある。そもそも市民の公共スペースである市営美術館で、いつでも『無料』で現代アートや文化イベントを体験できるのが、まず重要なポイントです。

ジョルジョ・デ・フィニスは、ローマの郊外、Via Prenestina(ヴィア・プレネスティーナ) 913番地にある、長い時間置き去りとなり、荒れ果てるままとなっていたサラミ工場の廃墟を『人が暮らす現代美術館 Metropoliz/MAAM』として再生させる、という奇想天外なアイデアを発案し、実現した人物。過酷を極める経済危機で大きな打撃を受け、住居に窮するほどの困窮に陥ったイタリア人、そして移民の人々が団結し、サラミ工場の廃墟を占拠しはじめたのが、その美術館のはじまりでした。デ・フィニスは、アート作品をバリケードとして、その占拠グループ( Metropoliz)の人々の人権住居の権利を保護することを、ドキュメンタリー・フィルムの制作を通じて提案。その挑発的なアイディアに、現代美術の巨匠からストリート・アーティストまで、国内外のアーティストたちが賛同して次々に工場跡を訪れ、500点を超える作品を無償で残していった。

膨大な作品群を背景に、占拠者である人々は、荒れ果てたサラミ工場の廃墟を住宅として整備、人種も宗教も習慣も超えて誰もが調和しながら生活する、一種のユートピアを構築。世界にも類を見ない『人が暮らす現代美術館』MAAM (Museo dell’Altro e dell’Altrove di Metropolizは、たちまちに大きな話題となり、多くの人が訪れ、メディアでも盛んに報道されました。しかしながら『占拠』はもちろん違法ですから、当局との緊張は一触即発ですが、なにしろアーティストたちの善意で残されたアート作品の市場価格が莫大な金額となり、その作品を損なうことを恐れて、今のところ当局は力づくでの強制退去ができずにいます。とてつもない補償金を要求するサラミ工場跡の現在の所有者と、MAAMを保護するローマ市との間で、果てしない裁判が続いてはいても、ローマ市も「ない袖は振れない」といったところでしょうか。

このように、ハイパーキャピタリズムから弾かれ、困窮に陥った人々をアート市場、つまりハイパーキャピタリズムが図らずも保護するという、緻密に練られた「ウロボロスの蛇」のような皮肉なメカニズムで調和を保つ、知的でパンクな現代美術館MAAMは、ちなみに「トリップアドバイザー」でも高評価されるローマの名勝ともなっています。

※プレスティーナ通りをローマ郊外に向かって、東へ、東へ、と進むうちに、やがてこのグラフィティが見えてきて、ようやくMAAMにたどり着いた、と感じる、いまやシンボル的なグラフィティ。

その、スペースそのものが好戦的な巨大「コンセプト・アート」とも言えるMAAMを発案した人物が、フランス人女性建築家、オディル・デックによる流麗で精密なデザインで建築され、すでにアイデンティティを確立したローマ市営美術館MACROのプロジェクトをディレクションすると、いったいどのようなスペースになるのか、正直にいうなら、当初はまったく想像できませんでした。

オープニングの前に主要メディアが報道したMACRO ASILOの内容は、2018年の9月31日から15ヶ月に間続く「実験的なプロジェクト」であり、通常の「展覧会」は一切開催されず、「アーティストたちが制作の過程でローマという街と出会う」、「すべての人々が居心地よく、自由に通えて、滞在できる」、「生産的で多様な」、「有機的な生きた美術館」、「公共の本来の次元を取り戻し、美術館を、現実に『公共』に解放する」「本来の美術館とはまったく違う」というキーワードでした。通常の美術館とは体裁が異なるため、はじめは多少戸惑いましたが、実際に何回か通ううちに、それらのキーワードの意味を実感できるようになりました。前述したように、特に目的を持たずに訪問した際、美術館に流れるシャープで刺激的、しかし温度がある空気に、開放的な気持ちになります。

「ジョルジョ・デ・フィニスのアイディアで、常に開かれ、街と市民が参加できるというロジックの認識とディシップリンのもと、人々が出会い協力し、居心地のいい相互関係が生まれる、真に生きた有機組織体として美術館全館をトランスフォームする。そのために入場はすべての人々に無料となっている。街と現代美術との間に、新しく、そして広がりながら関係を築くことに集中したイノベーションを、美術館機構は目指す。実験という意味合いにおいて、人と人をつなぐデバイスとなりえるアートを通じ、公共機構として街の現代美術館を見直し、理解、センス、知識を形にした、まさに『今』の作品の持つ市民的な機能を精査していく。MACRO ASILOは、現代と未来の極としての。まず最初の要石だ」

MACRO ASILO のホームページには、MACROを含む他の市営美術館や文化芸術関連の企画に携わるローマ市、そして文化機構PALAEXPO によりそう宣言されています。

MACRO ASILOの具体的なプロジェクトとしては、15ヶ月の間にイタリア国内外の250人のアーティストがスペース内のアトリエに滞在し作品を創作、400のビデオアートが、エントランスのマキシプロジェクターで流され、滞在するアーティストのために50の部屋が用意されています。また、180回の著名人物による講演、講義、1000回の『現代』という言葉に関する授業、討論会、週末には60のコンサート、さらに900人のアーティストによるプレゼンテーションが予定されているそうで、なるほど、これだけたくさんのプログラムが予定されているのなら、いつ行っても必ずなんらかの出会いがあるはずです。そのほか、本のプレゼンテーションやパフォーマンス、演劇、フォーラムなど数多くのプログラムが予定されています。

※8000人の人々が訪れたオープニング。

MACRO ASILOのオープニングには、8000人の人々が訪れたそうです。その日の午後、わたしもエントランスに長く続く列に並んで美術館に入りましたが、ちょっとしたお祭りでした。このプロジェクトは15ヶ月間80万ユーロですべてが賄われ、プロジェクトに参加するアーティスト、哲学者、美術評論家、学者、音楽家はすべて無償で協力、残された何らかの作品をアーカイブしていくのだそうです。つまりこの美術館は「贈与」によって成立しているのです。

ローマ市の文化機構であるPALAEXPOのディレクターは、「私はデ・フィニスのMACRO ASILOを信頼している。街にはエネルギーを集約する場所が不可欠なんだ。さもなくば、エネルギーが散り散りになってしまうと常に考えていた。もはや公共予算は民間の資本とは闘えるレベルにはない、その公共予算を投じたラディカルなプロジェクトだからこそ、今後は非常に注意深く観察されるだろう」と述べていますが、オープンから4ヶ月が経ち、多くの人々が訪れたMACRO ASILOは次第に成熟、アーティストと市民のための新しい発見と出会いの場、エネルギーの磁場へと、確実に発展しています。

▶︎ MACRO ASILOに参加したい、作品を創作したい、講義したい、とお考えになる日本人アーティスト、現代音楽家、デジタルアーティスト、学者、哲学者の方々がいらっしゃれば、ぜひコンタクトを。インターナショナルなコンタクトは歓迎だそうです。

▶︎世界とアート、そしてMACRO ASILO / ディレクター・インタビュー

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