アートと人が躍動し、増殖する”マイエウティカ” ローマ市営美術館:MACRO ASILO

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世界とアート、そしてMACRO ASILO / ディレクター・インタビュー

さてそういうわけで、何回か通ううち、MACRO ASILOという他に類を見ないプロジェクトの背景をもっと知りたいと考えはじめました。そこでディレクターである、ジョルジョ・デ・フィニスにお話を聞かせていただきたい、とリクエストをしたところ、スーパーに忙しい毎日を過ごしてらっしゃるにも関わらず、快諾してくださった。実際にお話を伺いながら、要所要所で「なるほど、そういうことか」とあれこれ考えさせられた次第です。

今の世界をどう定義しますか? そしてアート・文化の世界における役割とは?

「ありふれたことを言うなら、グローバリズムが僕らに約束した、国境なく人や物が行き来する平和で自由な世界は、結局のところ、地球全体に新たな闘争や紛争を引き起こしているよね。金満家はさらに裕福になり、困窮者はさらに貧困に陥る。しかもいつの間にか強大な境界やバリア、壁がどんどん生まれようとしている。そしてその『』というのはつまり、貧困が裕福な世界に入ってこないようにするためでもある。いわば、民間大企業と金融システムの勝利とも言えるかもしれないね。グローバリズムにおいては、国家機構そのものが、それほど重要な役割を果たす、とは見なされていない。さらに国と国の連合、たとえば欧州連合も、実際のところは多国籍の民間大企業の経済システム、金融システムを円滑に循環させるために必要とされている、ぐらいの感じだ」

「僕たちが今日生きる世界というのは、究極的に酷い状況で、しかも極端にエゴイスティックな世界だ。統計によると、地球上の20億人という途方もない数の人々が、スクラップにされようとしているんだよ。つまり世界に見捨てられているんだ。彼らは世界を循環する資本主義システムからーたとえそれがミクロのレベルであってもーほんの少しも恩恵を受けることが叶わず、経済循環の外に置かれ、たとえば地中海での遭難やADS、飢餓、さらに地域で起こっている過激な紛争に巻き込まれて死にゆく運命にある。そして絶え間ない軍事弾圧、紛争で混乱した地域では、その地域の権力者から利権を得ようと多国籍企業が入り込み、資源と労働力を安価で買い叩いている。というのも、完成された強大な国家を相手にするよりは、混乱したちいさい国々から搾取するほうがずっと簡単だからだ」

「欧州は、といえば、第2次世界大戦、そしてナチズムの恐怖ののちの1989年までは、国連も機能し、戦争の経験を乗り越えて、より強い者たちの弱者に対する優位性、覇権というものを、完全に放棄したかのようだった。ところが現在、その欧州のプロジェクトは完全に崩壊してしまったように、僕には思えるんだ。確かに欧州連合は、裕福で強大な国々という意味では存在しているが、フランス革命、もっと遡ればルネサンス期のヒューマニズムに端を発する人権、民主主義の保護者である、というスタンスは消失しつつある。欧州もまた、ごく少数の経済権力者の手中にあり、それがさまざまな問題を引き起こしてもいる。国家における政治の世界に、ネガティブな感情で人々を煽り立てるポピュリズムが台頭してきたことは偶然ではないと思うよ。僕らはひとりひとり、世界においては何者でもなく、世界には何の意味もないことを知っているから、いつも欲求不満で、ひどく苦しく、危険な状態だ。フラストというものは怒りを生み、恨みを生み、ネガティブな感情を増幅させる」

「では、そんな世界でアート、そして文化はどのような役割を果たす可能性があるか、というと、一言で言えば、Antidotoー解毒剤だと言えると思う。もちろん、そのアートというのはいわゆるアート市場で投機の対象となり、8000万ドルなどという、馬鹿げた値がつくようなものではないよ。そもそもアートというのは人間の生存のためには『不必要』なもので、生存における経済循環には属していない。いわば宗教儀式であるとか、祭礼であるとか、人間のサバイバル本能とは別の次元に属するものだ。僕が『不必要』というのは、それに『価値』を見出さない、ということではなく、経済報酬、つまり少しの労力で多くの報酬を得る、と経済学者たちにデザインされた合理性に根ざしたものではない、という意味だ」

「この経済合理性、というのは、いわば狩猟に行くことと同じで、なるべくエネルギーを費やさずに多くの獲物を得ようとすることだよね。そしてそれは人間特有の性質ではなく、生き抜くために、日々の糧となる獲物を得なければならない動物たちもまた、人間と同じように持つ性質だ。しかしその動物たちが、アートや文化というものを生産することはないからね。したがってアートは『ポトラッチ』、つまり祭りの儀式の贈り物、という世界に属す、人間特有の、生存本能に由来する経済生産を超えた次元にあるAntidoto-解毒剤というわけだ」

「グローバリズムが行き渡った今の時代、世界中の個性というものが均一化、平均化されてしまっていて、ファーストフードをはじめ、僕らの日常の風景を形成するものが、世界中で同じでもある。その均一化した世界で、アーティストたちは、それぞれに普通でない方法を使い、『特異』なちいさい世界を形成していっている。かつては地域によって多くの違いがあり、多くの部族がいて、それぞれが自分たちの世界を持ち、神話を持ち、儀式や習慣を持ち、それがアートであり、文化でもあったが、生物学的差異が消失しようとしている現在、継続的に新しい差異、多様な世界を生み出しているのはアーティストたちだよ。そしてその「違い」「多様性」が新しい世界のヴィジョンとも言えると僕は思う。僕らは、このたったひとつの世界に生きていて、その流れを変えることは、もはやまったく不可能だが、アーティストたちは、その世界にありながら、多様に増殖する新しいヴィジョンを見せてくれる存在なんだ」

現代・同時性ーコンテンポラネオという言葉の定義とは?

「コンテンポラネオという言葉を定義するのは非常に難しい。多くの学者のさまざまな定義があるけれど、ジョルジョ・アガンベンが特に面白い定義をしていて、コンテンポラネオというのは『Presente-現在』ではなく、どこに向かっているかわからない薄暗い状態だ、と言うんだ。つまりコンテンポラネオというのは『今日性ーAttualità』ではなく、ちょっと先の未来のヴィジョンでもあり、ここからは世界の形が見えてはいるが、それは霧がかかった状態というか、いまだ『夜』の中にいる、というか。コンテンポラネオを考えることは、哲学者にとっても、学者にとっても、またアーティストにとっても大切なことだよ」

「そもそもアーティストたちというのは、繊細な感受性を持っていて、その敏感なアンテナで、常にちょっと先の未来を見通しているところがあり、そしてもし、そのアンテナで得た感覚に何らかの引っかかりがあれば、その部分を修正しようとする。したがってアーティストたちなら、未来を修正することができるかもしれない。さっき言ったようにアートが『解毒剤』として機能するならば、アーティストたちはその場に存在しながら、ヴィジョンに少し修正を加え、それを物語り、僕らが住む世界を部分的にでも、よくしていくことができるんじゃないか、と僕は思っている。そしてそれを望んでいるわけだ」

MACRO ASILO のディレクター、ジョルジョ・デ・フィニス。写真は以前MAAMで撮影させていただいたもの

MACRO ASILOが『現代と未来の極』となる、という意味

「『現代と未来の極』という定義は、ローマの副市長、そして文化評議員のルカ・ベルガモが選んだものでね。ローマ市は現在、MACROを含めて現代美術・文化のための5つの公共スペースを持っていて、そのスペースを再考するプロジェクトを行なっているところなんだ。MACRO ASILOが、まず最初の実験的で、自由な遊びがあるプロジェクトだったから「極」と定義されたんだけどね。ルカ・ベルガモはアートと文化が街を成長させるという信念を持っていて、MACRO ASILOはそのアイデアでプロジェクトされたスペースであり、文化的であるとともに、政治的でもあると言える。つまり『文化』を政治に使うことで、街を成長させ、暮らしよくしようとしているわけだから。スペースを成長させることにより、ローマという街を、政治の問題に対しても批判的な認識を持てるキャパシティを持つ街にしたいというのが、彼の政治的なヴィジョンだ。

「そもそも僕が考えたMACRO ASILOプロジェクトの原点は、MACROというスペースを、アートと街が出会う、いわば巨大なシナプシスにしたいということだった。ローマのこのスペースで、興味深いことに出会える、いや、ローマだけではなく、アート作品の創作過程、作品そのものを通じて、さらに広く、世界全体を俯瞰するというか。というのも、ここには多くの哲学者、そしてさまざまな、斬新な学説を持つ学者たちをも招くからね。このスペースにはバリアがないんだ。僕らが政治的、文化的、国家的なバリアを好まないように、MACROはバリアを好まない。流動的な世界ではいろんなことができるし、このスペースに境界がないように、考えの間にも境界があってはだめだからね。というか、世界には、そもそもバリアは存在しないものだ」

「MACROを訪れることは、全ての人々が、マイエウティカに招待されているということ(*マイエウティカというのは、プラトンの『テアイテトス』に記されたソクラテスの言葉で、自分は真実を生み出したり、教えたりすることはできないが、産科医のように、他人が自分自身の中にそれを見つけ出し、魂から引き出すための助けをする、という意)。MACROにはいろいろな文化の基本概念や、アイデアはあるけれど、答えはない。つまりこのスペースを出るときには、誰もがスッキリしないまま、多くの疑問と質問を抱えている、という状態を目指したんだ」

「疑問というのは、答えよりもずっと重要だからね。答えももちろん重要だけれど、まず疑問を抱くことが重要だ。僕らはこのスペースで、『すべての人に従順な羊であることを要求する』現在生きている世界に対しての批判精神を刺激したいと思っているんだ。このスペースでは毎月200ものプログラムがあり、その中から好きなものを選んでもいいし、嫌いなものを選んでもいいし、それはそれぞれの自由。こんな美術館のあり方は、とてもオリジナルだと思うよ」

「テレビで毎日繰り返し凶悪なニュースが流され、外界には危険がいっぱいだから、外出しないほうがいいと思わされ、人々は家で孤立、外の世界とクロスしようとはしない傾向にある。さらに政治ときたら、それがあまりに酷いものだから、これじゃ議論する余地がない、無駄だ、と諦めて政治からも人々は離れていってしまう。しかしそれはとても危険なことだよ。そこで僕らはもう一度、皆で頭を働かせながら、心を込めて議論することができるスペースを取り戻そうと思ったんだ。そして公共スペースとは、そもそもそのような役割を持つべきではないのかな。アーティストたちは多くの人々が集まる、この美術館で作品を創り、『ほら、わたしが観ているのは、こんな世界だよ』と別の世界を観ることができる、いわば『眼鏡』を提供してくれるんだ」

「MACRO ASILOは新しいプロジェクトだったから、最初は多くの人々が集中する必要があったと思う。無料なので経済的負担はないけれど、わざわざ出かけなければならないし、映画館に行くように楽しむ、あるいは気晴らしで美術館に行こう、というわけにもいかない。というのもここに来ると考えないといけないし、考えることは疲れることでもあるからね。また、他の美術館のように、展覧会の水曜か木曜、18時あたりからはじまるオープニングに一回行けば良いというわけでもない。しかしこの4ヶ月の間に、MACROは安定して機能するようになったと思うよ。まず、人と人が出会い、関係性を提供するこのスペースに来れば、多くのアーティストや知識人がいて、彼らとFace to Faceで話すことができる。そこで人々の間に共感が生まれたり、あるいは違いを知ることになったり、もちろんその関係性を、僕らが予知することはできないが、深い次元で意見を交わせる場所があることはいいことだと思っている。僕らが人間である以上、SNS上でのシグナルのようなコミュケーションより、現実のコミュケーションの方がいいに違いないよ」

ここに来る子供たちに学んでほしいこと

「彼らに感じてほしいのは、『複雑性』ということかな。僕らは表面的にはシンプルな世界で暮らしていて、というのも、僕らにはそれほどたくさんの経済オプション、文化的なオプションがあるわけではないから、行く場所も決まりきっている。米国型西洋文化、というか、みんながたいてい同じような暮らしをして、それがスタンダード化されているしね。しかし現実的にはこの10年間、世界は大変動していて、昔は緩やかな進歩だったテクノロジーが、ここにきて、ほぼ垂直な線を描いて進歩しているという状況だ。人間の文化から考えるなら、大昔は神から物理学まですべてを網羅した『賢者』が存在していたが、すべてを知ることが、もはや不可能な現代ではそんな賢者は存在しない」

「したがって何も知らない僕らは、複雑な世界を泳いでいかなければならない。だからこそ、その場ではまったく理解できないにしても、たとえば黒板に複雑な数式が並ぶ『物理学』の講義を聞くことは意味があることだと思うんだ。少なくとも、もはや僕らはニュートンやアインシュタインの時代にはいないことは理解できるからね。『こんなに知らないことがあったなんて』と人はフラストレーションを感じた時に、何らかの行動を起こす。さらに勉強してみようとか、もっと調べてみようとか、そのような動きは生まれた方がいい。ジグムント・バウマンが言うように、すべてのものが動く、崩壊の危険性もあるこの流動的な世界では、与えられた情報を鵜呑みにしない批判精神が、まず必要だと思うからね」

「いずれにしてもこのMACRO ASILOというプロジェクトを、巨大な布地として想像したいと思っている。僕らひとりひとり、美術館を訪れるすべての人が主人公で、色のついた糸であるならば、美術館をめぐる足跡が横糸になる。ここに戻り、そしてまたここに戻る。たとえば君の色が赤だとするなら、君が動くたびに布地が少しづつ織り上がる。それが15ヶ月続けば、とても豊かな布地が織り上がるんじゃないかな」

▶︎MACRO ASILO GUIDE (マクロ・アジーロ・体験ガイド)

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