日本も暑い毎日が続いているようですが、今年のイタリアは6月中旬から35℃に達するという例年にない灼熱の日々が続いています。遂に8月に突入した今週は、サハラからの熱嵐、その名もルシフェル、が急襲し、40℃以上!という砂漠予報が続いているにも関わらず、今年はローマの中心街のどこを歩いても、昼も夜も人があふれている、という印象です。もちろんローマの人々が海や山に出かける、本格的なヴァカンスシーズンを迎える時期なので、だんだんに人が少なくなるのかもしれませんが、いずれにしても、今年の夏のローマには例年以上の観光客が押し寄せています。
さらに、シチリアをはじめ南イタリアには、地中海を渡って5000人もの難民の人々が1日に訪れることもあるわけですから、彼らの移動に伴って、ローマにもたくさんの難民の人々がやってきます。わたしが住んでいる地区は、アジア各国からの移民の人々が多く店を構える、ちょっとした「コスモポリタン」地区でもあり、最近ではアフリカ人の青年たちや婦人たちが集まって、建物の影の少し涼しい場所でおしゃべりをしたり、パンを食べたり、音楽を聴いているのをよく見かけます。たまたまその辺りを通りかかると、「I love China」と声をかけられたりするので、「・・・に見えるけど、残念。わたしはJapanです」 と答えれば、すかさずその婦人は「I love also Japan!」と叫び、ははは、と笑うで、わたしも笑いながら通り過ぎる、と言う具合です。
そういうわけで、夏の灼熱期間は、重たく熱い『鉛の時代』のリサーチや、人々のインタビューはお休みして、いつもとはちょっと違う、どこもかしこも満員感のあるローマ、イタリアの夏を、さらっと眺めてみようと思います。
イタリアを訪れるヴァカンス客たち
真夏に向かうここ数ヶ月、どこに行ってもヴァカンス客にあふれ、地下鉄もバスも時間帯によっては超満員、聴こえてくるのは、ほとんどイタリア語以外の言語だと言っても過言ではないかもしれません。サン・ピエトロ寺院、ヴァチカン美術館、コロッセオなど、観光名所には長蛇の列が延々と並び、3、4時間待ちもざら、という話をあちらこちらで聞きます。先日、ローマを訪れた友人と共にコロッセオ近辺を散歩した際、エントランスから続く入場待ちの列が、遥か遠くまで延々と続いているのを観て、顔を見合わせたのち、「噂は本当だ」と無言のうちに入場を断念したほどでした。もちろん、ローマは世界有数の観光地には違いなく、シーズンともなると、どっと人が訪れはしますが、これほどの混雑を体験したのははじめてかもしれません。
ただし今年は、これほど人が多いにも関わらず、例年、ふたつ、みっつは必ず起こる観光客がらみの事件が、今のところほとんど起こっていないのです。例えばトレビの泉に飛び込んで泳いだり、ナヴォナ広場の重要文化財、ベルニーニの4大河川の噴水で裸になるトゥーリストが現れたり、酔っ払って大騒ぎをしたり、という困った事態が続出するのが恒例ですが、厳重なテロ対策のため、多くのポリスや銃を手にした軍隊が、地下鉄、駅周辺を含める街中を隈なく見張っているという状態なので、行きすぎた悪ふざけをする勇気ある輩もなかなか現れません。
そういえば、テロ対策として銃を構えた軍隊が街角や教会の周辺に立つようになった頃は、ドキドキするようで恐ろしく、目に映る世界が突然変わってしまったようにも感じましたが、今ではまったく普通の光景となりました。人は自分を巡る環境に、たちまちのうちに慣れるものだ、と改めて感慨深くも思います。
さらにローマ市は、市民であっても観光客であっても、街の重要な文化財である歴史的な噴水にプールのように飛び込んだり、水遊びをするなどの度を越した悪戯をした場合は、240ユーロの罰金を課すことを決定し、今年のローマは「旅の恥はかき捨て」対策にも余念がありません。わたし自身は、罰金を課すことで規則を守らせる、という姿勢は、あまり好ましいとは思ってなくとも、歴史的な文化財を被害から守るためにはやむを得ない処置なのでしょう。
実際、罰金が決定されてからは、まだ一件も「噴水飛び込み事件」を耳にしません・・・・と断言するつもりでしたが、遂に、7月31日にシャンプー持参で、トラステヴェレの噴水をシャワー代わりに使った観光客グループが、写真入りで報道され、しかし警官が駆けつけた時は、大挙して立ち去った後だったそうです。さらにはトラステヴェレの近くのジャニコロでも、全裸で噴水に入っている男性がビデオ撮りされ、報道されています。罰金も、ルシフェルの圧倒的な熱地獄を前にして、ほどほどにしか威力を発揮していないようです。
ところで少し話は逸れますが、これほどたくさんの観光客がローマに滞在し、炎天下にも関わらず、永遠の都を、時間を惜しんで散策しているハイ・シーズン。ローマ市内バス、地下鉄を運営する市営ATACは、英断なのか、無謀なのか、無神経なのか、7月20日、最も散策するに適した涼しい午前中、全面交通ストライキを敢行。「えー!スト?!バスも地下鉄も?」と街にあふれかえる観光客たちを足止めし、落胆させる、という1日もありました。
しかしまた、この「あらゆる条件下においても毅然として信念を貫く」あるいは「人の迷惑をまったく顧みない、ひたむきな抗議」というATACの姿勢には、イタリアの伝統的な精神性の一端を垣間見るような気がした、と告白しておきます。実際、「まさかこんな時に、突然ストライキとは」という経験は、イタリアにおける重要な通過儀礼のひとつでもあり、この「洗礼」を受けてはじめて、『イタリアへの巡礼者』と正式に承認されたということでもありましょう。
いずれにしてもローマ市営ATACとヴィルジニア・ラッジ市長はどうも相性が合わないようで、7月28日には「ATACの財政はかなり悪化していて、毎月やっとのことで職員に給料を支払えるほどだ。どのような再建計画を立てても危険であり、状況は脅かされている」と発言し、総責任者が辞任(させられた)しました。ATACの責任者絡みの混乱は、市長の在任約1年で2度めのこと。早速新しい責任者が決まりましたが、ローマのトラフィック・カオスはまだまだ収まりそうにありません。
また、地下鉄に関していえば、7月の31日から9月3日まで地下鉄A線の工事に伴い、テルミニ駅からアルコ・ディ・トラヴェルティーノ駅まで、7駅が完全閉鎖(代わりにシャトルバスが運行)。ヴァカンスに行かない市民からは「夜間に工事をすればいいのに」と大きな不満の声が上がっています。さらに市内バスもヴァカンス期で大幅に便を減らされているため、8月のローマ市内の交通事情は、かなりの注意を要する状態です。
さて、この数年の間に年間400万人もの観光客が訪れるようになったカプリ島の市長が、「島のイメージと自然環境の破壊から島を守る」ため、これ以上、島に観光客を増やしたくない、島に乗り入れる船の便数を減らしたい、と悲鳴をあげるほど、イタリア各地に続々と観光客が訪れているのは、特筆すべき現象です。もちろん観光産業界には大変喜ばしいことですが、普通に生活を送る市民にとっては、いつ地下鉄に乗っても満員、という暑苦しさが増す夏でもあります。
しかしなぜ急に、イタリアへのヴァカンス客がこれほど増加したのか。
周知のごとくイタリアは、豊かな自然に恵まれ、風光明媚な上、歴史建造物、モニュメント、芸術作品が至るところに散在、見どころが多くあるBel Paese(美しい国)。1年を通じて、観光客が絶えることがない人気の観光スポットを多く有する国には違いありません。とは言っても、ここ1、2年の夏の観光客の多さは尋常ではなく、欧米各国からだけでなく、中国、日本、韓国、インドをはじめとするアジア勢、中東勢も途切れなく訪れている。
その理由として、一般的に考えられるのは、イタリアのブランドイメージの確立もさることながら、近年の欧州各地、中東、アフリカで頻発しているテロリズムの大きな影響です。つまり今までエジプトやトルコなど、中東各国、アフリカへヴァカンスに出かけていた人々の選択肢が、各国の不安定な政情で大幅に狭められ、今のところ、IS絡みの大きなテロは起こっていないイタリアをはじめとする南欧へと、人々の旅先が集中しているわけです。去年ニースで大きなテロが起こったフランス人のヴァカンス客は、最近国内のヴァカンス地へと徐々に人々が戻りはじめてはいても、シチリア、サルデーニャ、あるいはギリシャの島々へと多く繰り出している、と聞きます。確かにローマでも地下鉄に乗ると、英語よりもずっと多くフランス語を耳にするという印象です。
また、つい最近、トルコで自国の人権活動家が不当逮捕された経緯を持つドイツに至っては、「活動家が無闇に逮捕されるトルコのような国には行くべきではないし、投資すべきでない」とメルケル首相自らトルコへの観光を留まるよう国民に呼びかける(コリエレ・デッラ・セーラ紙)という事態ともなっているようです。
夏が終わり、はっきりしたデータが出るまでは、どれほどの人々がイタリアに訪れたのか、明確な数字はわかりませんが、日々の実感としては、確かに観光客がぐんぐん増えている (2017年5月の時点で、今年はイタリアにおけるトゥーリストによる消費が、過去最高の400億ユーロに届く、というリサーチが出ています)。これからヴァカンス・シーズン本番を迎えるにしたがって、イタリアの、特に海辺、山間の地域の混雑は、いよいよ増すはずです。
つまり、続々と訪れる人々の、陽気で賑やか、歴史のロマンに彩られたイタリア旅行の背景にも、一連のテロ事件が影響しているということです。もはや、冒険に満ちた未来を信頼できない、という不信感が、普通に毎日を送るわれわれの意識の奥底にじわっと根を下ろし、静かに人々の動きをコントロールしはじめています。例えばイスタンブール、カッパドギア、シャルムエルシェイクやカイロ、かつては気軽に行けた場所が、いつの間にかはるか遠く、何が起こるか分からない、危険な場所になってしまいました。そういえば、15年ほど前には「シリアってめちゃくちゃ面白い」と身近な友人たちがこぞって出かけていたのが嘘のようです。
そしてその、「未来を信頼できない」という漠然とした不安感を誰もが持っていることを象徴する大きな事件が、つい最近、イタリアのトリノでも起こったところです。今のところ、ISのテロを体験していないイタリアの人々にも、その漠然とした『恐怖』が、意識の奥底にしっかりと根付いていることが、この事件で明らかになりました。