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100% テアトロ・ヴァッレ

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Cultura Deep Roma Occupazione Teatro

占拠ちゅうのヴァッレ劇場では、毎日さまざまな演目、カンファレンス、ワークショップ、コンサートが行われ、Youtubeにも多くのVideoが上がっています。そのうちのいくつかを、ここで共有してみたいと思います。

 

 

 

占拠ちゅうの劇場で、核となってワークショップを開いたり、いくつかのプロジェクトを立ち上げたFausto Paravidinoファウスト・パラヴィディーノは役者としても有名ですが、ドラマツルギー、劇作家として、また演出家として国内国外でさまざまな賞を受けた実績を持つ、新進気鋭の演劇人。このビデオはドラマツルギーのワークショップで、Youtubeに10章まで上がっています。

「演劇の何が面白いのか、というと、それが確かに存在している、と知っていることを、今までに見たことのない『芝居』のなかに見つけることなんだ」

ワークショップそのものが、すでにテアトロ。その華奢な身体からとめどなく情熱が溢れ出し、マジカルなエネルギーが周囲を共振させる、とびきり興味深い人物です。劇場を失ったあとの公開会議にも参加、2015年の4月にはAngelo mai altroveで、Valleから継続しているワークショップも開催、さらにそれをCsoa La Stradaで発表しています。

 

 

Fabrizio Gifuniーファブリッツィオ・ジフーニは、奥さまのSonia  Bergamascoーソニア・ベルガマスコとともにマルコ・テュリッロ・ジョルダーナ監督の映画の多くに出演しているので、日本でも知る人がいることと思います。国内外の数々の賞を受賞した、もはやイタリアの映画界、演劇界にはなくてはならない貴重な役者で、年齢を問わず多くのファンが存在する。ピエールパオロ・パソリーニの言論からアイデアを得たひとり舞台や、小説の朗読を自身のライフワークともしています。その彼の、ヴァッレでの演目も、まさにパソリーニの主張を踏襲した内容でした。ところどころ、簡単に訳してみます。

 

「文化的にひとつの文明、人々が破壊された。ヒットラーの身体的ジェノサイドのあとに続くのは文化のジェノサイドだった。巨大なメトロポリスに生きる人々を見ると、僕は壊れた、流人のような印象を持つんだ。街を歩くのは、非人間的で不幸な亡霊。もし今、もう一度パソリーニの『アッカットーネ』を再現したいと思っても、あのアッカットーネの肉体、あるいは遥かに遠いが、それでも少しは似た肉体をも持つ青年は何処にもいない。いや、肉体だけではなく、あの声で、あんな冗談を言える青年はいない。単にあの冗談が言えるメンタリティやスピリットがないだけじゃないんだ。彼らはあの冗談を理解すらできないだろう」

「新しい経済形態は、『発展』を通じて、若者たちに虚構の『進歩』、『忍耐』というものを実現した。若者たちは、偽の進歩主義と偽の忍耐のなかで生まれ、教育されたんだ」「われわれの間に漂うのは、愚鈍な皮肉を湛えた視線、馬鹿みたいにうんざりした空気、言葉のない攻撃性。痛みを感じないように忍耐を強いる教育がされているようだ」

「僕は予言なんてしたくない。でも自分が絶望的に悲観的であることは隠さない。人類学的にもラディカルに、かつて労働者や農民が一丸となって、大きな社会変化を起こしたムーブメント(70年代イタリアの『鉛の時代』も含み)を変容させた、新しい権力ー明確には定義するのは難しいがーそれはいまだかつてないほどの、非常に暴力的で専制的な力を持っている。なぜなら人々の意識の本質を変えてしまう威力を持っているからだ。その権力とはいったい何で、誰なのか僕には定義できない。単純にそれは『存在』するものだ。もはやそれは軍部でもなく、キリスト教民主党でもなく、ヴァチカンでもなく、巨大産業でもない」

「まだ顔を持っていない新しいファシズムというものは、いくつかの特徴を持っている。それは古臭いサンフェディスモ主義(ナポリの教皇領で起こった農民組織による反自由主義の暴動)、説教主義を拒絶した。教会を捨てるという決断をし、継続主義を実現した」「僕が心から、真実のファシズムと信じるもの、それは『消費社会』だ。物、風景、都市計画、特に人を観察すればみえてくるが、まったく熟考のない消費で実現した社会、そしてそれこそがファシズム

「かつてのファシズムは、人の魂まで変容させることができなかった。しかし新しい形のファシズムは、若者たちを完全に変容させた。新しい生き方、新しい文化の形。ムッソリーニの時代の舞台装置のような表面的な政策ではなく、人間をリアルに変容させた。若者たちの魂を変えてしまったんだ。『消費社会』こそがUna civilta dittatorialeー専制的な文明だ」

「権力側の意向だけを伝えるTVの責任は巨大だ。技術的な道具として、と同時にその『威力』という意味でね。TVは単純にメッセージを伝えるだけのメディアではなく、情報(メッセージ)を創りだす工房だ。なにを基準にしていいかわからないメンタリティを、TVのスピリットを通して配置しなおすことを確実に認識している。確かにキリスト教民主党(70年代から長期間に渡って組閣した政党:権力のシンボルとして)、ヴァチカンという権力のメッセージをそのまま流していたが、と同時に、望んでもいないのに、無自覚的に別の『権力』のメッセージをも放映していた。そのメッセージはもはやキリスト教民主党の主張とは合致せず、ヴァチカンもいったいどうしたらいいか、分からない。テレビで流されるライフスタイルは効果的のように見え、模倣すべきモダンな男女のライフスタイル、というものを、書かれず、歌われず、身体的に、神話的に、『現実』として紹介された。その身体的、神話的なlinguaggio(言語機能、表現機能)、行動パターンが次々となだれ込んでくる。つまり、『権力』はわれわれはみな同じだ、とみなしたわけだ。この『忍耐の時代』、人々に他人と自分が違う、という事実が、これほど恐ろしい罪だと思える時代はない」

「われわれは真の『平等』を得たわけではない。偽の『平等』が贈られただけだ。TVが世界の絶望的なあらゆる情報の権威であるということに疑いはない。ファシストが独占した時代の新聞というものは、今そのスローガンを読むと馬鹿馬鹿しくて笑えるものばかりだ。ムッソリーニのファシズム時代は、再び繰り返せる資質を、本質的には持っていないし、イタリアの人々の魂を引っ掻くことさえできないだろう。一方、この新しいファシズムは、コミュニケーションの新しいメディア、たとえばTVを通じて、恒常的に人々を苦しめ、けがし、泥まみれにした」

「(イタリアの70年代から長い期間、権力の座についていたキリスト教民主党の権力を揶揄したあと)、左翼の典型的な知識人たちは、あやゆるものから聖性を剥ぎ取り、人生を無感情に捉えようとした。彼らは偽の聖なるものを押し付けられ、偽の感情に翻弄される時代を送っていたのだから、その反応は正しいとも言える。しかし新しい権力は、偽の聖なるものも、偽の感情も人々に負わせはしない。むしろそれらから解放しようとさえしている。消費経済という新しい権力は、われわれの世俗的な精神性を支配したんだ。illuminismo(啓蒙主義ー唯物主義)、合理主義を足場に使って、偽の唯物主義、偽の合理主義、偽の世俗主義を作り上げた。そして過去のばかばかしい『聖なるもの』はまったく必要ない、とわれわれを解放した」

「その変わりに新しい権力は、唯一の『聖なるもの』を提示した。それは『儀式』としての聖なる『消費』であり、偶像としての『市場』だ」

「教会(ヴァチカン)の罪は重すぎるだろ? 多分何より重い罪だ。その新しい権力を受動的に受け入れるなんて、これじゃ福音書が笑うだろう。教会がその栄光に満ちた威信を保つためには、その権力の反対政党になってもいいぐらいだ。教会はフォークロアにまで落ちぶれて、良心のとがめなく辛辣に貶められ、自らを否定しながら、新しい信者を増やしている。謀反者たちを成敗するために、教皇が中心になった、あの伝統的な戦いを再開するべきだ。もちろん、その戦いは『権力』を再び取り戻すためではない。教会は、まったく宗教的でなく、全体主義で、暴力的な消費主義を拒絶する人々のために、権威として君臨せず、『大いなるガイド』になるべきなんだ。そしてそれは教会が、そのオリジンに戻ることを象徴する革命でもある」

「ジーザスジーンズというのを覚えているかい? モーセの十戒をモチーフにしたその広告のスローガンは『このジーンズ以外にジーザスを見つけることはできないよ』という皮肉なものだった。しかしこの無邪気ともいえる、辛辣な皮肉に満ちたスローガンは、人々に消費を促すだけではなく、悪魔と談合した教会を断罪するものでもあった。古い権力の形であるキリスト教民主党は、二人のジーザス、ヴァチカンと消費主義という新しい権力の間に立って、立ち行かなくなったんだね。ヴァチカンのジーザス(イエス・キリスト)が、結局負けたけれど」

パソリニアーノのジフーニの、いかにもローマのアーティストらしい舞台でした。彼が演じたひとり芝居の、予言的とも言えるパソリーニのコンセプトは、ある意味、多くのローマのアーティストたち(特に若いアーティストに)の間で共有される意識で、わたしがもう何年も前にローマにやってきて、まず最初に洗礼を受けたのは、『パソリニアーニ・パースペクティブ』とも言えるものでした。

 

トリノのインターナショナルカレッジがサポートしたプロジェクト。英語。

 

2014年、Princess Margriet Award賞受賞。英語。

 

子供たちによるコンサートも開かれました。後半とてもいい。うまい。

 

オペラ、『リゴレット』、子供たちも参加して。

 

いい、これ。ダンスのワークショップ。

 

ダリオ・フォーは、2011年当時、ベルルスコーニ首相の辞任に関して見解を述べていますが、ベルルスコーニはこの3日後の12日に議会に解任されます。ダリオ・フォーは五つ星運動を強くサポートするなど、一貫して政治的な演劇人。しかしながら、たとえばCommedia dell’arteなどは、演劇で権力を風刺し続けてきた、という歴史がイタリアにはありますから、イタリアにおける演劇は、実は政治とは切っても切れない関係でもあります。

 

3年間の間、こうして毎日いろんな演目が繰り広げられ、テアトロ・ヴァッレに行けば、何か面白いことが起こる、とローマの市民も足しげく通った。
Youtubeには、このほかにも数えきれないほど沢山のヴィデオが載せられています。

 

La Repubblica、La Stampa、二紙を参考にすると、『民営化するより、劇場を生き返らせる有益な試みだった。5500人以上の支持者を得、3年の間に250以上の公演が行われ、80以上の映画上映、国内外2000人のアーティストが参加し、3000時間以上のプロフェッショナルなワークショップが行われ、850人のボランティアが参加し、1万人の子供たちとその家族が参加した子供劇のワークショップ、学生のためのオペラのワークショップが開催され、20万人の市民の参加により、170000ユーロのカンパを集め基金を創ることに成功した』ということです。

ヴァッレ劇場占拠は、自発的なひとつの文化機構モデルとして、国内外から大きな注目を浴び、ローマの市民参加型文化のシンボルともなりました。

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