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『鉛の時代』ロッジャP2 Licio Gelli

Anni di piombo Deep Roma Storia

『鉛の時代』の黒幕と言われるフリーメーソンの秘密結社、ロッジャ(ロッジ)P2については、詳細を知り尽くしている方々がたくさんいらっしゃるので、さらっと上澄みを撫でるだけに留めます。2015年12月15日、当時、P2に君臨したLicio Gelli ( リーチオ・ジェッリ)が、96歳という高齢で、トスカーナ・アレッツォの自宅、Villa Wanda(ヴィッラ・ワンダ)で静かに息をひきとり、その死と同時に人々は、忘れがたく解きようのないわだかまりを記憶に甦えらせました(写真はLicio Gelli コリエレ・デッラ・セーラ紙より)。

「リーチオ・ジェッリ死亡。ロッジャP2代表、イタリアのあらゆるミステリーの背後にいた男:イタリアの首脳クラスの大部分が名を連ねる、秘密に包まれたそのフリーメーソンのロッジャの存在が明らかにされたのは81年のことだった。”人形遣い”、” Belfagor(悪魔)”、”尊者”。この40年の間、イタリアの大きなスキャンダルの数々ー例えば黒い君主、ヴェレリオ・ボルゲーゼによるクーデター、フォンターナ広場の爆破事件にはじまる Strategia della tensione(極右テログループを実行犯に、軍諜報をはじめ、国家の中枢が企てた国内の混乱)、ミケーレ・シンドーナの銀行破綻、ロベルト・カルヴィ事件(アンブロジアーノ銀行破綻ののち、カルヴィ暗殺)、主要メディアグループの統制、アルド・モーロ誘拐、殺害事件、マフィア、汚職ーにおいて、直接的にも間接的にも、彼はそう定義され続けた」(ラ・レプッブリカ紙)

81年、メンバーのリストの発覚と同時に解体され、母体となるフリーメーソン組織からも永久破門となったロッジャP2(Propagada due:プロパガンダ・ドゥエ)の最も高位、グランドマスター(親方)であったリーチオ・ジェッリが亡くなった翌日、当時、P2に情報を統制されたという経緯を持つコリエレ・デッラ・セーラ紙を含む主要各紙は、それぞれに時の闇に埋もれていた「永遠のミステリー、ロッジャP2」に今一度光を当てた。しかし2013年に94歳で亡くなったジュリオ・アンドレオッティの死の際と同様、各紙とも哀悼なき論調で、「陰謀と秘密に満ちた人生を送ったジェッリは、結局あらゆる謎を墓まで持っていくことになった」と、決着がつかないまま置き去りにされた数々の事件への無念を漂わせました。

しかし、そもそもP2という秘密結社とはいったい何だったのか。

P2が関わったと言われる、どの事件ひとつとっても、膨大な数の人物の名が上がり、と同時に網の目のように複雑なネットワークが現れ、全体を実感として把握するのは不可能のように思えます。そこでこの項では、事件の詳細には入り込まず、わたしが把握したロッジャP2の大きな流れ、リーチオ・ジェッリの人物像などを、書籍(TRAME ATLANTICHEーKAOS出版)、ネット、新聞記事、 またイタリア国営放送Raiが制作したものも含めたいくつかのドキュメンタリーを参考に、沿革のみ追っていくことにしました。日本語のWikipediaと多少重複、あるいは微妙に違う部分もありますが、とりあえずイタリア語の資料を参考にすることにします。

まず、『鉛の時代』の、現在のイタリアからは到底考えられない凄まじい連続テロの背景に、このような秘密結社が存在していたことについては、正直、信じがたいというのが本心です。実際、P2が企てたと言われる陰謀の仕組みとネットワークは、まるで緻密に構成されたスパイ小説の物語のようでもあり、69年から次々に起こるテロ、クーデター未遂、メディアの誤報、マフィアの暗躍、不自然なプライベートバンクの破綻、ヴァチカン絡みの銀行スキャンダル、巧みに演出された誘拐、殺人、自殺、暗殺、数々の謎を、P2をキーにこじ開けると、イタリアのシークレット・サービスを含む国際諜報がわらわらと顔を出し、時の重要人物アンドレオッティをはじめとする国家の中枢を担う人物たちの冷血が浮き上がってくる。その物語の構成があまりに出来すぎているため、「まさか、現実にこんなことが起こりうるわけはないだろう」と、P2の発覚そのものが『作られた』のではないか、という疑念さえ湧いてきます。現在マスメディアも含めて、巷間で一般的に語られる、冷戦期における国の中枢が関わったイタリアの『緊張作戦』、その陰謀の『司令塔』としてのP2の役割が、本当に真実であるか否か、ジェッリをはじめ、P2メンバーが司法の場で裁かれ実刑判決を受けても、実際はこれといった『重刑』を受けることもなかったため(ミケーレ・シンドーナなど一部を除いては)、ロッジャの発覚から35年を経ても、その存在は宙に浮いたままです。

 

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さて、「フリーメーソン」というと、その昔から陰謀の坩堝として何かと取り沙汰される秘密結社であるし、そのヴェールに包まれたオカルトな有り様が人々の想像をたくましくさせ、まことしやかな世界征服陰謀論や、その儀式をまるで黒魔術のサバトのように描いた物語などが人気を博します。しかし秘密結社とは言いながらも、透明性が増した最近では「フリーメーソンの陰謀」などと語ると、一笑に伏される傾向があることを、わたし自身は好ましくも思っている。ただし、ロッジャP2の例を鑑みるなら、活動が完全にオカルト、つまり存在そのものすら隠蔽された秘密結社という組織は、「決して公に漏らしてはならない秘密を隠匿するには最適である」という理由で、陰謀、策略に利用されやすい、という危うさはあるのかもしれません。いずれにしても世界に600万人存在すると言われるフリーメーソンには、さまざまなロッジがあり、人物がいるに違いなく、その方向性も多岐に渡るであろうと想像します。

事実、現在のイタリアのフリーメーソン、Goi (Grande Orient d’Italiaーイタリア大東社)のグランドマスターであるステファノ・ビジは、「死者に鞭打つべきではないが、P2の残したフリーメーソンのイメージ、名誉の毀損を、われわれはいまだに拭うことができません。イタリアを旅すると、P2とフリーメーソンを同一視している人が多くいることにショックを受けます。P2の残したイメージがこれからもわれわれにつきまとうことを、何よりも恐れているというのが事実です」「P2の一件以来、『透明性』を第一に活動し、今後、P2のようなケースが現れないように非常に厳格にコントロールもしています」「フリーメーソンのメンバーはロッジャに集まって、われわれの内面に神聖な寺院を形成する儀式を行っているのです。それに多くのメンバーが、例えば夜間保育園、歯科センターなどイタリアの社会福祉に積極的に参加しています」「フリーメーソンはP2の犠牲となったと言えるでしょう」とP2に強く抗議をしています。

69年のフォンターナ広場爆破事件から、前触れなく幕が落とされた『鉛の時代』、数々のショッキングな事件の真相が次第に明らかになりつつも、どの事件も二転三転、長期に渡って裁判が続き、一向に決着がつかない。多くの市民に犠牲者を出した現実があるにも関わらず、命令を下したと目される極右グループの幹部、実行犯となった極右テロリスト、あるいは容疑者の逃亡、証拠隠滅を幇助したとされるシークレット・サービスの幹部クラスすべて最終的には『無罪』。証言者の告発も顧みられることなく、有罪者が一人も出ないという、なんとも摑みどころなく、やりきれない時代が続きました。そこに突然のどんでん返しが起こったわけです。1981年、3月17日のことです。それまで表面に出ることがなかったフリーメーソン秘密結社ロッジャP2のリストが発覚、その代表であるリーチオ・ジェッリの名が公となり、イタリアじゅうが騒然となりました。

 

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P2 驚くべき名前が連ねられたリストー3人の大臣は辞任を余儀なくされるのか。金融の大物の逮捕に騒然、とタイトルが付けられたUnita紙。同日のラ・レプッブリカ紙同様、アンブロジアーノ銀行頭取、ロベルト・カルヴィの逮捕が同時に報じられている。発覚したP2リストも発表され、『オカルト(秘匿された)な権力』という記事も見られる。

 

きっかけは、瞬く間に巨万の富を得、イタリアのみならず、米国の銀行までをも所有した時代の寵児、銀行家ミケーレ・シンドーナ所有の、ミラノのプライベート・ファイナンスバンクの突然の破綻。そしてその天文学的な数字の損失(その総額はイタリア国民すべてが、400ユーロの損失を負った計算となるそうです)から徐々に明らかになった、ヴァチカンをも巻き込んだマフィアマネーの資金洗浄と横領疑惑。さらには捜査を逃れるため、自作の誘拐劇まで演じたシンドーナの身辺捜査でした。なおかつシンドーナは当時、現代のイタリアでは正義を貫いた人物として、映画、小説ともなるジョルジョ・アンブロゾーリ殺害の容疑もかけられていた。アンブロゾーリはイタリア中央銀行の要請により、大規模な銀行破綻の背景調査にあたった金融犯罪調査官で、殺害される直前に、シンドーナの不正の証拠を掴んでいました。

国家の中枢を担う人物たちまで「共謀者」だったのか、という、このP2謀略ストーリーは、シンドーナを巡るこれらの事件の捜査をしていたゲラルド・コロンボ、セルジォ・トゥローネ判事が、ほぼ偶然とも言える経緯で、P2メンバー962人の名と会員番号が記載されたリストを見つけたことからはじまっている。そのとき、コロンボ、トゥローネ両判事が捜していたのはP2のリストではなく(彼らはその存在すら知らなかったわけですから)、存在すると言われていた「シンドーナの銀行を通して、イタリアから国外へ逃げた出所不明の資本500が記されているリスト」でした。その捜査を進めるうち、やがて常にその影が見え隠れする無名の企業家リーチオ・ジェッリに強い疑念を抱くようになり、判事たちは不意打ちで、ジェッリの自宅、オフィスなど家宅捜査を決行。ジェッリの秘書が慌てて持ち出そうとしたバッグを押収し、探していたシンドーナの500資本リストの替わりに見つけたのが、誰もその存在を知らなかったフリーメーソン、ロッジャP2のリストだったというわけです。

 

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大統領府、シークレット・サービス、政府、内務、防衛、外務、司法など各省を中心に、政党、銀行、メディアにまたがったP2メンバー。労働相、海外通商相、司法省大臣が名を連ねている。

 

「そのリストに連なった962人の名を見て驚愕、事の重大さを一瞬にして認識した」、とのちのインタビューで判事たちは語っています。リストには当時の内閣から3人の大臣、軍部、カラビニエリ、警察の首脳陣、軍、内務省のシークレット・サービス(SID、SISMI )の幹部、208人の高級官僚、18人のハイキャリアの司法関係者、49人の銀行家(もちろんミケーレ・シンドーナ、後述のアンブロジアーノ銀行頭取、ロベルト・カルヴィもメンバーに含まれています)、120人の企業家(コリエレ・デッラ・セーラ紙を買収したアンジェロ・リッツォーリ、当時企業家であったシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相も含む)、44人の国会議員、影響力のある27人のジャーナリストなどが名を連ねていたからです。また、69年の『フォンターナ広場爆破事件』で、起訴されながらも結局『無罪』となったSIDのD部門の幹部ジャン・アデリオ・マレッティ、アントニオ・ラブルーナ、また、ボルゲーゼのクーデター未遂をオーガナイズした SID司令官ヴィート・ミチェッリもP2のメンバーであったことが、このとき発覚しています。

判事たちは、リストに並ぶ1000人近い人物たちの名の意味、あらゆる未解決の事件に関与する人物たちが形成するネットワークの深刻さのため、狙われる可能性も考慮して、発見したふたりの間だけで厳重に極秘としました。そしてそのリストの存在を告げるため、時の首相アルナルド・フォリアーニに直接会いに出かけた。リストに目を通した首相もその深刻さを瞬時に理解、翌日辞任しています。しかしながら、捜査を受けた政治家を含め、メンバーとして明記される国の中枢を担う人物たちは、口を揃えて「P2はフリーメーソンの普通のクラブに過ぎない。付き合いで加入しただけで、陰謀を企てたなどの事実は全くない」などと、あらゆる陰謀の可能性を否定した。

フリーメーソンの秘密結社というと、ミスティックな儀式とどこか魔術的なコミュティを想像しますが、P2に関して言えば、そのイメージからは程遠く、むしろ真逆にある、と言わざるをえないでしょう。これまでに再構築された一般の解釈に沿えば、その存在に超俗的に神秘を醸す雰囲気はなく、ある種の『権威』政治を理想に、権力に絡ませお金を循環させ、「モラルは机上の空論」と、恐怖に怯える市民の心理を計算し尽くし、恐怖から生まれる社会の新たな動きを利用。徹底的に政治的、経済的な利害で形成された『実践』ネットワークのように思えます。なにより、マネーロンダリングとアグレッシブな投機によって、一躍国際金融の表舞台に現れたミケーレ・シンドーナのプライベート・ファイナンスバンクのあまりに急激な破綻を巡る捜査で、メンバーのリストが発見された事実が、暗いお金を黙々と循環させたP2メンバーの『スノビズム』を、物語っているかもしれません。

そこで、ここで少し、イタリアではCrac Sindona(シンドーナ銀行破綻事件)と呼ばれる、イタリア最大の金融事件を簡単に追ってみたいと思います。

 

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1943年、シチリアに上陸した米、英、カナダ軍。数時間のうちに160kmに渡る海岸線に上陸した180000人の兵士の規模は世界史上、最も大きなものだった。Postより

 

話は戦時中に遡ります。1943年、まずシチリアに上陸した米軍は、シークレット・サービス、つまり諜報のみならず、シチリアをオリジンに持つニューヨークマフィアのボス(ラッキー・ルチアーノ)をも送り込むという作戦をとっています。このオペレーションから、シチリアにおける主要な権力を長きに渡りマフィア、有名な『コーザ・ノストラ』が握ることになるわけです。当時、シチリアで会計士をしていたシンドーナは、この時代に米国シークレット・サーヴィスのエージェント、そして『コーザ・ノストラ』、つまりイタロ・アメリカン、そしてシチリアのローカルマフィアと付き合いはじめ、その関係を踏み台にのし上がっていく。米国にも度々渡って、政治界(ニクソンの財務長官デヴィット・M・ケネディなど)、金融界に知古を得ています。60年、70年代には、武器産業、あるいはドラッグなどマフィアの地下ビジネスで動く資金をマネーロンダリング、投機を繰り返し、ミラノにプライベート・ファイナンシャルバンクを設立、インターナショナルに巨大な資本を動かすようになりました。また、カトリック信者であるシンドーナは、のちに教皇パオロ6世となる、当時のミラノ枢機卿ジョバンニ・バッティスタ・モンティーニとも懇意で、やがてヴァチカン銀行(後述のポール・マルチンクスが総裁)の運営をもまかされることになります。本人は常に「わたしがヴァチカンを助けた」とも豪語していたそうです。

72年には米国で20番目の銀行として重要な位置にあったフランクリン・ナショナルバンクの株25%を所有、事実上の運営者ともなり、米国メディアでも「国際金融界の魔法使い」としてもてはやされるようになりました。また、シンドーナはDC(当時の政権を握っていたキリスト教民主党)、イタリアのシークレット・サービスSID、またニクソンに選挙資金を提供したことが明らかになっており、イタリアのみならず、米国の政界とも金銭的な絆を持つに至っています。その頃、ボルゲーゼのクーデターを支えたSID司令官ヴィート・ミチェッリからジェッリに紹介され、シンドーナはP2に入会している。また、P2絡みのもうひとつの巨大銀行破綻、米国出身の大司教ポール・マルチンクス(ヴァチカンへ侵入したCIAのエージェントととも言われる人物。資金を洗浄するためIOR-L’Istituto per le Opere di Religioneを設立)と共謀してヴァチカン銀行の資本を操作、タックス・ヘブンを駆使して幽霊会社に融資しながら巨大化したアンブロジアーノ銀行の頭取、同じくP2のメンバー、ロベルト・カルヴィとはジェッリを通じて知り合っています。カルヴィはシンドーナ破綻のあと、ヴァチカン銀行の資本運営に関わるようになった。また、シンドーナが、1967年のクーデターで樹立したギリシャの軍事政権、南米の軍事専制国家に、NATOから要請を受けたジェッリを通して、資金を供給していたという事実も明るみに出ています。

 

P2を中心にこのように資金が循環していたと考えられている。オルトラーニ(Umberto Ortolani)はP2のあらゆる動きのアイデア、例えば南米の軍事政権にヴァチカン銀行の捜査いマルチンクスのIORを利用して資金を供給することをジェッリに勧めたと言われる人物。図は社会派映画監督G・FerraraのP2ストーリーを参照。

P2を中心にこのように資金が循環していたと考えられている。オルトラーニ(Umberto Ortolani)はP2のあらゆる動きのアイデア、例えば南米の軍事政権にヴァチカン銀行総裁マルチンクスの設立したIORを利用して資金を供給することをジェッリに勧めたと言われる人物。BAFISUDはオルトラーニが南米ファイナンスのため、創立した銀行。図は社会派映画監督G・Ferraraの長編、P2ストーリーを参照しています。

 

そのシンドーナが74年に急転直下。ミラノのプライベート・ファイナンシャルバンクを破綻させ、と同時に、米国のフランクリン・ナショナルバンクなど買収した金融機関をも巻き添えにしたことで、米伊のコーザ・ノストラにも(おそらく)大損失を負わせている。実際、当時『銀行再生』を狙っていたシンドーナの不正調査をしていたジョルジョ・アンブロゾーリには、マフィアからの脅迫と思われる電話がたびたびかかっています。その電話の主が「われわれはシンドーナのためでなく、偉大なアンドレオッティのために動いている。アンドレオッティはすでにすべてをオーガナイズした(銀行再生)と言っている。なぜなら、これは彼の案件だからだ」と早口で言う、謎深い言葉が盗聴され、今でもYoutubeなどで、この一連の脅迫電話を聴くことができる。P2のリーチオ・ジェッリと非常に親しかったアンドレオッティとマフィアの関係は、のちの大ボスの取り調べの際の証言もあり、たびたび取り沙汰される公然の秘密で、シンドーナの背後にジェッリと共にアンドレオッティの存在があったことは、この盗聴からも明らかです。そういえば、『コーザ・ノストラ』をテーマにしたフランシス・コッポラの『ゴッド・ファーザー』は、72年からシリーズで公開されますが、この映画をきっかけにイタリアの『マフィア』イメージが世界に定着したことは、今から思うなら、イタリアの騒乱時と重なる絶妙な時期だった、とも、P2を調べながら、ふと考えました。

いずれにしても、巨万の富と名声という野心に駆られ、ブラックマネーを駆使して世界の注目と権力の座を熱望した銀行家シンドーナ、また、アンブロジアーノ銀行カルヴィともにーこんなことを書くと語弊があるのかもしれませんがーある意味、真っ暗闇に蠢くさらに巨大な野心に利用されるだけ利用され、破綻したのちに消えています。シンドーナは自作自演の誘拐事件など、派手な逃亡劇(P2メンバー関与)を繰り広げ、米国の刑務所で服毒死。カルヴィは逃亡先のロンドンの橋で無残な宙吊りで見つかり、いずれも自殺か口封じの暗殺か判然とはしない非業の死を遂げています。

 

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アンブロゾーリ殺害事件の公判で。ミケーレ・シンドーナと実行犯イタロ・アメリカンのマフィア、ロベルト・ベネトゥッチ。イタリア語版Wikipediaより

 

さて、本題のロッジャP2。P2は1877年にGrande Oriente d’Italia(イタリア大東社)の一部として形成された伝統的なプロパガンダ・マッソーニカ、(フリーメーソン・プロパガンダ)を母体とした、戦後発展した比較的新しいロッジです。ファシズムが台頭した戦時中、フリーメーソンは活動を禁じられていましたが、戦後、復興を助けるという名目で米国フリーメーソンのメンバーがイタリアに流入、イタリア大東社は、彼らの助けを借り再興されることになります。のちにP2の”尊者”として君臨するリーチオ・ジェッリは、1963年にLoggia Romagnosi(ローマをベースとする、Grande Oriente d’Italiaのロッジ)のメンバーに加入。ジェッリは自分の加入を機に他のメンバー、特にシークレット・サービス、例えばSIFAR(軍諜報部)の司令官 アッラヴェーナ、SIOS (軍諜報部)の司令官だったミチェッリ、また SIDの司令官などをフリーメーソンに加入させ、やがてその存在を完全に秘密裏としたロッジャP2を形成していきました。こうしてイタリアのフリーメイソン組織、Grande Oriente d’Italia、Loggia Romagnosiは、ジェッリの入会によって大きく変質していくことになります。

このリーチオ・ジェッリという人物は戦時中、フランシスコ・フランコの義勇兵としてスペイン内戦に参加したという経緯があり、イタリアに戻ってからもファシストとして活動、ムッソリーニとも面会する機会を得ています。「ムッソリーニに会い、抱擁された時は、大変に感激した」「自分はファシスト以外の何者でもない。一生ファシストとして生きる」とのちのインタビューでも語っていますが、マフィアを忌み嫌い、フリーメーソンを禁じたムッソリーニの厳格なファシズムと、フリーメーソンのメンバーであり、マフィアとも親交を持ったジェッリの柔軟なファシズム。その質が幾分異なっているのは確かです。

そして迎える終戦、ファシズムに心酔していたジェッリは、戦犯として投獄されることになりますが、その間、近づいてきたシークレット・サーヴィスに、ムッソリーニに協力していたドイツ人、イタリア人を50人ほど告発するという、裏切りというべき行動もとっています(さらにその裏ではドイツ軍部、元ゲシュタポたちの、アルゼンチンへの逃亡幇助も行っている)。また仇敵であるはずのパルチザンの活動を助けたり、シークレット・サーヴィス、カラビニエリと協力し、CIAに情報を提供する役割を果たすなど、極めてフレキシブルに立ち回る、という姿を見せている。当時ジェッリ自身がCIAの一員であったという説もありますが、確証はなく、CIAと緊密な関係にあったイタリア人グループと、非常に懇意にしていたというのが確かなことのようです。63年、ジェッリがフリーメーソンに加入を希望した際、過去、活発にファシスト活動に従事していたことを理由に、一旦は入会を拒絶された、という経緯もあります。

戦後、ジェッリはMSI (Movumento Socialista Italiana-極右政党)とも関わる『企業家』、マットレス会社のフロシノーネ支部のディレクターとして、同じ年に生まれたアンドレオッティと知り合い、以後、緊密な交際をすることになりました。さらにニクソン政権時代には、国家安全保障問題担当大統領補佐官であったヘンリー・キッシンジャーの周辺の人物たちと交流、南米、反共主義勢力、軍事独裁政権下のウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ブラジルとも深い関わりを持っています。特にアルゼンチンとは特別な絆を結び、76年のクーデターに続くその後の軍事独裁政権に資金援助など多く協力。また戦後から親交が続くファン・ドミンゴ・ペロン元大統領からは、イタリアにおけるアルゼンチン大使とも言える役割をも担っている。これら南米の軍事独裁国家には、ギリシャ同様、シンドーナの銀行を通して武器購入資金を供給していたとされ、その活動の不透明性から、ロッジャP2は76年、イタリア大東社から実質的に分離を迫られています。しかしその時期からメンバーはいっそう団結を強め、さらなる『独立性』を極めていくことになりました。

 

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Lucio GelliとJuan Domingo Peron

 

リスト発覚から1年経った82年には、ジェッリが中心となって76年に作成したPiano di rinascita democratica (民主的再生のための計画書)、民主主義下において理想とする『権威』主義的国家の構築をデザインしたー政治システムの改変(米国的な左右二大政党を核とした)、コリエレ・デッラ・セーラ紙をはじめとする具体的な新聞の名を挙げたマスメディア(国営放送であるRaiも含める)の統制、司法のコントロールプログラムなどー有名なドキュメントも発見されています。それはジェッリの娘が国外へ持ち出そうとしているところ、空港で取り調べを受け、二重になったスーツケースの裏地に縫い込まれていているのが見つかった書類でした。

このドキュメントの言う、『真の権力はマスメディア所有者の手の内にある』、つまりメディア統制というコンセプトにおいては、90年代、一挙に政治のスターダムにのし上がったメンバー、シルビオ・ベルルスコーニ元首相が継承したと言われ、2008年にはジェッリ自身が「イタリアが現在の危機を乗り越え、Piano di Rinascitaを実現できるのはベルルスコーニしかいない」と断言しています。また、イタリア最極右政党の北部同盟はこのプログラムを座右の銘としているそうです。しかし民主主義という政体において、権威主義的に市民を管理する計画書を作るとは、そもそも支配を目的とする『権力』の座にある者たちには、『市民主権』という概念など存在しないのかもしれません。『目的を遂行するためには、手段選ばず』と言う言葉を思い出しもします。

実際のP2によるメディアオペレーションは、イタリアの新聞市場の40%の読者をもつ最大主要紙であるコリエレ・デッラ・セーラ紙への巧みな介入、のちにP2のメンバーとなったアンジェロ・リッツォーリによる1974年、新聞社の買収計画からはじまっています。リッツォーリは、ENI、Agepなどエネルギー主要会社の総帥エウジェニオ・チェフィス(62年、当時ENIの総帥だったエンリコ・マッテイの飛行機事故、それを調査していたマウロ・デ・マウロの失踪、さらにパソリーニの殺害事件において、常に疑惑の中心にいる人物で、P2の真の創始者と言われる人物)の強い勧めにより資金繰りのメドがつかないまま、買収を決意。この有名な出版社はそれがどういう方向へと進んでいくのかまったく認識せぬままに、ジェッリの融資(ロベルト・カルヴィのアンブロジアーノ銀行とバチカン銀行頭取の大司教マルチンクスの持つIORを主な財源とした)を受けることになりました。やがてコリエレ紙は、買収に関わった人物たちの圧力に屈し、左翼的な編集方針を貫いていた編集長ピエロ・オットーネを解雇、ジェッリの意のままに動くフランコ・ディ・ベッラ(P2メンバー)をそのポストに据えざるをえなくなった。 なお、以前にこのサイトで紹介した、パソリーニ伝説の記事『僕は知っている』は1974年の12月にコリエレ紙で発表されていますが、P2の動きを知ったのちに読み返すと、かなり差し迫った時期に、強烈な挑発を詩的にメタフォライズした詩人と、編集長の勇気に、改めて強い感銘を受けます。

さて、ジェッリの死亡記事とともに、『鉛の事件』の代表的な事件としてイタリアの主要紙が主に取り上げたのは、いずれも未解決の、以下のような事件でした。なお、ヴァチカン銀行のマルチンクスが関与したと推察され、いまだに人々の関心を惹き続ける、法王ヨハネ・パオロⅠが1978年、在位33日間で急死した事件に触れている主要新聞はなかったようです。

1970年:ネオファシスト、Fronte Nazionale( フロント・ナチョナーレ)のリーダー、貴族ボルゲーゼ家の『黒い君主』ヴァレリオ・ジュニオ・ボルゲーゼが軍部とともに内務省を占拠したクーデター未遂事件(コード:Tora Tora)のオーガナイザーの一人にジェッリが存在していたことを、のちにSIDのラブルーナ司令官が明らかにした。このクーデターは、マフィアグループも動員して、当時の大統領ジョゼッペ・サラガドを拘束することまで計画されていたが、クーデターの最中、何らかの不都合でボルゲーゼが中止を決定、数時間の占拠に終わる。クーデターそのものをP2が計画したとも言われている。暗殺されたP2メンバー、ジャーナリスト、カルミネ(ミーノ)・ペコレッリの残した記録によると、当初の計画ではマフィアも動員して(4000人もの)、内務省のみならず、外務省、カラビニエリ本部、警察本部、外務省、防衛省、上・下両議院、国営放送RAIを占拠する綿密な予定だったことが明らかになっている。

1978年:いまだに新事実が次々と明るみに出る、極左テロリスト・グループ『赤い旅団』による『アルド・モーロ誘拐・殺人事件』では、誘拐の55日間、問題解決のために編成されたシークレット・サーヴィスの責任者のほとんどがP2のメンバーであったことから、ジェッリが関与しているに違いないと告発されている。アルド・モーロの55日間の監禁の間、解放のチャンスがあったにも関わらず、故意の見逃し、あるいは捜査の妨害もあったというシークレット・サービス内部の証言もある。当時選挙で大躍進したイタリア共産党議員を内閣に迎えることに積極的で、共産党側とも合意を結んだモーロを、アンドレオッティをはじめ、煙たく思う勢力があったことは周知の事実である。また事件の裏にはBanda della magliana、ndranghetaなどマフィアの存在も見え隠れしている。*ケネディと親交があり、ケネディ暗殺後、キッシンジャーなど米国首脳と対立していたモーロの事件については、さらにリサーチして、いずれ詳細をまとめたいと考えています。

1979年:P2のメンバーであり、常にジェッリの傍にいたジャーナリスト、ミーノ・ペコレッリが、「真実の記録と偽の記録」というタイトルでアルド・モーロ誘拐・殺害事件におけるアンドレオッティの動向を書いた数か月後に殺害される。P2の秘密をあまりにも知りすぎたこのジャーナリストの死を巡っては、アンドレオッティが主犯として、また最近ローマを賑わしたマフィア・カピターレの主人公、極右グループとも深い関わりを持つBanda della Maglianaのボス、マッシモ・カルミナーティが実行犯として起訴されたが、いずれも『無罪』となっている。

 

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ジャーナリスト ミーノ・ペコレッリ

 

1980年:いまだに人々の心に大きな傷跡を残す、85人の死亡者、200人の重軽傷者を出したボローニャ駅爆破事件。実行犯である極右グループのテロリスト(NAR)、爆発を計画したとしてジェッリ、SISMIの司令官ピエトロ・ムスメキ、ジョゼッペ・ベルモンテ(いずれもP2メンバー)、プランチェスコ・パツィエンツァが起訴される。ジェッリは「爆発はタバコの吸殻が誘発したもので、爆弾ではない」と主張。

 

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ボローニャ駅爆破事件を報じるコリエレ・デッラ・セーラ紙。「ボローニャでアポカリッセがはじまった 76人死亡、147人重軽傷ーかつてない大惨事、仕掛けられたのか、それとも大事故なのか」『アポカリッセ』という世紀末の混乱を暗示するタイトルがセンセーショナルすぎて、あらゆることが明るみに出た現在に読むと、嫌な気持ちを催させる。

 

81年、リストが発見とともにP2に捜査の手が伸び、ロッジャに関するあらゆる書類が押収されると(極秘中の極秘として、厳戒態勢で保管された)、ジェッリは偽造パスポートでスイスに逃亡。一旦は逮捕され、Champ Dollonの刑務所に収監されています。しかしそのスイスの刑務所からある日突然消え、いとも簡単にアルゼンチンに高飛びしています。「扉に鍵がかかっていなかったので外に出たら、玄関に車が停車していた。その車で空港まで行ったんだよ」とのち、TVのインタビューでその時の様子を、それほど驚くべきことではない自然なこと、とでもいうかのように、ジェッリは淡々と語っている。余談ですが、Youtubeに数多くアップされているジェッリのインタビューを観ると、揺るぎないというか、不動というか、すべての質問に淀みなく、饒舌に語る姿にうんざりもします。最近では、移民についての救援センターの創設についての質問に「移民には救援センターではなく、『強制収容所』が必要だ」など、とんでもなく乱暴なことを当然だとでもいうように語っていました。

一般にはロッジャP2とは、冷戦下、欧州の共産主義化を「地中海沿岸諸国を不安定化する」ことにより阻止するため、CIA、NATOにより張り巡らされたグラディオ作戦ーStay Behind、イタリアにおいてはStrategia della tensione『緊張作戦』として実行された一における中枢機関であり司令塔、あるいはCIA、NATOの作戦下、アンドレオッティの国内管理のアイデアを実行するためのスペシャル・フィクサー・チームであったと解釈されている。しかしあるいは1000人あまりのエリートで、権力とお金と権威を独占支配するために編成された、大がかりな詐欺集団でもあったのかもしれません。実際のところ、P2とはいったい何であったのか。冷戦の終結から長い時間が流れ、国際情勢が激変した現在も、その正体を正確に知ることはできませんが、その存在が確認され、あらゆるメディアで語られたにも関わらず、『鉛の時代』に起きた数々の事件の裁判では、P2という秘密結社の重要性はまったく告発されず、また議論されることもなく進められたのは不思議なことです。ジェッリはアンブロジアーノ銀行破綻、国家機密漏洩などの裁判でいくつかの有罪判決を受け、短い間でも刑務所で服役したこともありますし、脱税容疑でヴィッラが一時差し押さえになるという騒動もありましたが、結局は自宅軟禁という、実質的にはほぼ自由の身のまま、生涯を過ごしています。

最後に、YoutubeでP2に関するビデオをあれこれ見るうちに行き当たった、1990年にRaiのTg1(テレビニュース)が元CIAの諜報メンバー、Richard Brennekeに敢行したインタビューを少し訳したいと思います。これは2013年、Rainewsが当時制作にあたったジャーナリストのインタビューも加え、当時大問題となったインタビューを再編集して、放送したものです。Tg1のインタビューでBrennekeは、ためらうことなく「69年からP2のことを知っていて、80年まで交流を持った。米国がスイスの銀行を通して、P2に毎月1000万ドルにもなる資金を提供していたんだ。自分がそれを担当していたから間違いない」「その資金は、ドラッグや武器の購入のために利用されたが、特にイタリア国内を不安定化するために送金された」と証言。また、「ジェッリはP2の真の代表ではなかった。ジェッリの上にスーパーP2が存在した。その名前は知らないが、70年、80年代、ジェッリはスイス、あるいは米国にいる人々から指令を受けていた」などともさらっと語っています。ジャーナリストがBrennekeに、「あなたが、P2以上の存在、『P7』と呼んでいるシステムは今でも存在するか」と尋ねると、「もちろん今でもP2は存在し、70年代の方法を使って、同様の結果を引き起こすよう使われている」とも答えている。「ジェッリとはフォークランドを巡る戦争中、あるいはそのちょっと前にアルゼンチンで会った。その際の議題はふたつ。ひとつめは、イタリア国内でのオペレーションを進めるために資金の供給の継続について、もうひとつは、幾つかの武装勢力への武器の供給についてだった。その面会の際、ナチスのバルビ*もともに立ち会った」

*クラウス・バルビ、ドイツ元ナチス親衛隊で、ジェッリの助けを得て戦後、アルゼンチンへ逃亡。フォークランドの戦いで使われたのはジェッリが供給した資金で購入した武器だと言われている。

当時、政府、つまりDC(キリスト教民主党)のコントロール下にあるとされていたTg1のディレクターは、責任をすべて自身で引き受けて、この元CIAの諜報員という人物のインタビュー放送を決行しています。ちなみにBrennekeはインタビューの後、運転中に銃で打たれていますが、道路に開いた穴で一瞬車が揺れたたため、さいわい急所を外れて無事でした。このインタビューの放送直後、Raiは「全くの虚偽」とジェッリから1億リラという法外な損害賠償を請求され、ディレクターは解任、時の大統領フランチェスコ・コッシガもRaiを名指しで糾弾しています。その後、アンドレオッティ首相は、TG1を「親交国である米国がイタリアの不安定化を狙ったという、出どころが明確でない深刻な挑発」と国会で言及。当時のコリエレ・デッラ・セーラ紙は中傷的なタイトルで、Brennekeの発言はでたらめであると報道している。米国当局も、BrennekeがCIAの諜報員であったことを証拠を提示して否定し、イタリア当局も最終的に虚偽の情報であると断定しました。それでも放送に関わったジャーナリストたちは、当時の自分たちの判断、放送を決行したことは正しかったとの信念を貫いています。いずれにしても90年に入り、第一次イラク戦争がはじまると、人々の目は国内から世界へと向けられ、P2のことはあまり語られなくなる。過去の謎として置き去りのまま時が過ぎていきました。

しかし、緊迫した冷戦下とはいえ、ロッジャP2のような想像を絶する秘密結社が存在した事実は、劇場国家であるイタリアならではのことなのか、それとも命知らずの判事やジャーナリストが多いイタリアだからこそ、本来なら隠されるべきネットワークが次々に暴かれ、衝撃的なスキャンダルとして国家を震撼させたのか、残念ながら、何が真実で何が作り話なのか、わたしにはまったくわかりません。実際のところ、シークレット・サービスというのは、その存在と謀略が秘密であるからこそシークレット・サービスと呼ばれるわけですが、イタリアの明るい地中海の太陽は、本来秘密であるべきことにも光に当てずにはいられない、さらにそれをドラマティックに語らずにはいられないという精神性を持っているのかもしれない、と無難な事を考えるぐらいです。いずれにしても、P2のメンバー、例えばベルルスコーニ元首相などが、こんな秘密結社のリストに名を連ねていたにも関わらず、Piano di rinascitaのコンセプト通りにマスメディアを買収、瞬く間に躍り出て、20年もの間、滑稽ともいえる原始的なキャラクターと明るさを振りまきながら権勢を極めたこともイタリアの謎。いや、イタリアだけではなく、そんな状況こそがわれわれが住む世界の、謎に満ちたリアリティなのかもしれません。

ジェッリのお葬式はアレッツォの教会で、100人ほどの親類、知人が集まっただけでひっそりと行われ、”人形遣い”という異名を持つほど、かつては国の首脳クラスを操った人物だというのに、著名な政財界人はひとりも現れませんでした。ジェッリは『詩』を多く書き、批評家からも高い評価を受ける『詩人』としても名高い人物で、ネットでも彼の詩のいくつかを読むことができますが、お葬式でも『善悪を超え、種を植えることのみを目的とした人生』を謳った彼の詩が朗読されています。

「私が遺した種は果実を実らせるだろう。憎しみも愛情も捨て、私の記憶とともに私が投げた種が果実となることを熱望する」

その一節が終わると、集まった人々から、パラパラと疎らな拍手がいくつか上がったということです。

*勉強不足の由、文中、間違い、あるいは問題のある記述がありましたら、ご指摘いただければ、と思います。

 

 

 


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