イタリアの人々は、主要メディアの報道に対して、かなり不満を持っているようではありますが、外国人であるわたしには、イタリアのジャーナリズムには「禁忌となるテーマ」が、ほぼ存在しないのではないか、という印象を持っています。闇のなかに埋もれ語られずにいた「不都合な真実」に光をあて、徹底的に暴き尽くし分析する、なかなか気骨のあるジャーナリストがイタリアには多くいて、スクープのたびに国じゅうが大騒ぎになることも少なくありません。 Continue reading
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『鉛の時代』かけがえのない記憶 P.Fontana Ⅳ
1969年に起こった『フォンターナ広場爆発事件』の一連の捜査が、大きく方向転換をすることになったのは、事件から、なんと20年以上が経った1990年のことでした。