時代とともに変遷を続けるイタリアの「コーザ・ノストラ」は、戦後長い期間、内実を関係者以外に決して漏らさない上、警察、検察という当局者たちの一部までが「マフィアは人々が作った伝説に過ぎない」、と口を揃えるほど隠され続けたシチリアのタブーでした。その、マフィア最重要コードである「沈黙の掟(オメルタ)」と、マフィアに支配され、抑圧された人々の静寂が崩れることになったのは、パレルモ裁判所の司法教育局調査裁判官であるロッコ・キンニーチのアイデアから、気鋭の検察官、カラビニエリ、機動隊のグループ「プール・アンチマフィア(反マフィア特別捜査本部)」が結成されてからです。姿を見せないまま際限なく獰猛になり、非道な復讐に明け暮れ、片っ端から邪魔者を血祭りにあげる「コーザ・ノストラ」を追いかける「プール」の検察官たちの、文字通り命懸けの捜査は、ブラジルに逃亡していた大物ボス、トンマーゾ・ブシェッタという最強の協力者を得ることになります。その捜査の中核となった検察官ジョバンニ・ファルコーネとブシェッタの信頼関係が、史上はじめて、総勢475人の逮捕者を出した「マキシ・プロチェッソ(大裁判)」として結実するのです。 Continue reading
Tag Archives: コーザ・ノストラ
ラッキー・ルチアーノ以降、戦後イタリア「コーザ・ノストラ」の激変と巨万の富
現代のイタリアにおいては、潜伏中の大ボスが捕まったり、いまだ真相が明らかにならない過去の重大事件の断片が、ときおり浮上する以外、ほとんど「コーザ・ノストラ」の名を聞くことがありません。しかしながら「コーザ・ノストラ」は、「近代はマフィアとともに構築された」と言われるほど、戦後から90年代初頭にかけてのイタリアの歴史に、その痕跡と深い傷を残しています。しかも「コーザ・ノストラ」が連続して起こした1992年から1993年にかけての重大事件の真実は過去に置き去りにされ、『鉛の時代』に起こったあらゆる事件と、いわば「同質」の秘密に覆われたままなのです。というか、「これが真実であろう」と推測できる数々の情報がありながら、確実な証拠が見つからず、現在も検察による事件の再捜査が繰り返されます。それらの重大事件に言及するのはもう少し先の項になりますが、まず、第2次世界大戦以降の「コーザ・ノストラ」の発展過程、政治、および公権力との関係、マフィアを巡る検察の闘いを追うことで、事件の背景が浮き彫りになるのではないか、と考えています。
ラッキー・ルチアーノ Part Ⅰ : 「禁酒法」を経て、暗黒街の分岐点となった「コーザ・ノストラ」の誕生
ニューヨーク、ロウアー・イースト・サイドのストリート。徒党を組んで万引きや窃盗を繰り返していた、イタリア系移民のタフな少年サルヴァトーレ・ルカーニアが、巨万の富を誇るチャールズ・ルチアーノ、「ラッキー・ルチアーノ」としてその名を轟かすには、さほど時間はかかりませんでした。このルチアーノに関しては、単なるギャングというよりも、当時の米国に跋扈する、シチリア・マフィアの旧態依然としたシステムを一気にイノベーションした、「暗黒街の実業家」と呼ぶ方が相応しいかもしれません。資本主義に基づく市場の自由が保証された1900年代の米国のカオスを背景に、まるで小説か映画のようにゴージャスでシック、そして残虐なサクセス・ストーリーを紡いだのち、1946年、ルチアーノは国外追放となってイタリアへ帰還します。なにより興味深いのは、PartⅠで追う米国におけるルチアーノのイメージと、PartⅡで追うイタリアにおけるルチアーノのイメージに、明らかな差異があることでしょうか。その理由も推論しつつ、2回にわたって、ラッキー・ルチアーノの生涯をたどります。 Continue reading