『赤い旅団』のテロは、「元首相アルド・モーロ誘拐殺害事件」で頂点に達した。78年、僕はそのころLotta Continua紙(政治活動グループとしては76年で解散したが、メンバーによる新聞は続いていた)に書いていたが、ピネッリとカラブレージの一件など、多くのテロ事件の裏側を鋭く分析する記事を掲載しつづけていたLotta Continuaも、「モーロ事件」については完全に拒絶した。そんなことが起こるだなんて、まったく信じられなかったからだ。
同じ極左に属していた僕らは、『赤い旅団』がどういう組織か、もちろん知っていた。互いの活動に距離はあったが、個人的に『旅団』のメンバーの中に交流のある仲間もいた。僕も彼らの何人かと言葉を交わしたこともあったから、自分の知っている人物が、あの事件を起こした人物と同一人物とは、とても思えなかったんだよ。
「本当に彼らがやったのか? 嘘だろう。真実が分かるまで待とう」僕らは間違いであってほしいと願いながら、事件の捜査を見守ったが、やはり彼らが犯人に間違いはなかった。極左の思想を持つ彼らが、モーロを誘拐殺害し、政府を危機に陥れたことを、嫌でも認めなければならなくなってしまったんだ。そしてここから、僕らの再考がはじまることになった。
そもそも僕がLotta Continuaで書くようになったのも、偶然のような経緯だった。当時Lotta Continua紙の記者だった友人が、ブラジル娘と結婚してブラジルに行くので、僕の替わりに記事を書いてくれないか、と頼まれたことがきっかけだったんだ。「いいよ」と軽い返事でそのポジションを引き受けたことがはじまりだ。1日5000リラしか貰えず、それもその日のうちに同僚と飲んでしまう、という毎日でね。でも、自分と同じスピリットを持つ同僚たちとともに仕事ができて、まあ、楽しい日々だったよ。
そのころの僕らは「革命のために、懸命に書いている」とみな思っていたが、いまになって思えば、なぜ「革命」を起こさなければならないか、そしてその「革命」とはいったいどういうものなのか、よく理解してはいなかった。
でも僕らのモットーは何がなんでも「リアリティ」。「真実を伝えなければならない」ということだったから、事件が起こると、その事件に関わった人物に直接会ってインタビューし、記事を構築するのが常でもあった。この姿勢は、のちに政治アスペクトに重点を置き、プロフェッショナルなジャーナリストとして仕事をするために、非常に役に立ったよ。
結局、『赤い旅団』が起こした事件について、再考に再考に重ね、われわれのたどりついた終着地点は、他の若者たちをテロリズムから遠ざけなければならないということだった。この事件のあと、大きくバランスを崩して、自分もテロリストとして彼らの後に続こうと決心する若者たちもいたからね。当時Lotta Continua紙は大きな影響力を持っていて、若者たちのオピニオン・リーダー的な存在でもあったんだ。まず重要なのは彼らを思いとどまらせることだ。
そこで「Lotta Continuaはテロリズムには反対である」という主張で一貫したんだが、アンドレア・マルチェナーロ、ガッド・レイナー(現在、ジャーナリストとして活躍)は勇気ある行動をしたよ。『赤い旅団』に射殺されたカッサレンニョ(La Stampa紙の副編集長)の娘にインタビューをして、新聞に連載した。そしてその記事を読んでテロに走ることを思いとどまった若者も大勢いたんだ。僕らは文化的(civili)であり、情熱にあふれていて、プロフェッショナルでもあったと思うよ。僕らこそが『鉛の時代』の息子であり、父親でもあり、また兄弟かもしれないね。
『鉛の時代』はある意味、革命を起こしたとお考えですか?
表面的にはあまり変わっていないが、メンタルな意味においては、革命は成功したと言えるのかもしれないね。たとえば、あのころ盛んであったフェミニズム運動のおかげで、女性の権利は守られるようになったし、「中絶」は解放された。「離婚」もできるようになったしね。当時のイタリアは、今よりも強烈にカトリックの戒律が幅を利かせていたから、中絶も離婚も法律化が遅れたんだ。処女性などはもはや重要でもなんでもなくなったし、社会的にも政治的にも女性「性」は解放されたよね。また、いい意味でも悪い意味でも、僕たちの時代から労働組合の力も強くなったし、労働者の労働条件も大きく改善された。あの時代を境にイタリアの風俗は大きく変わったよ。
しかし、何度考えても、あのころの僕たちは、なぜ毎日、「革命」のことばかり考えていたのか、まったくの謎なんだ。友達と顔を合わせれば、「革命」の話ばかり。そしてそうすることに100%納得していた。68年にフランスで知識人と学生たちの大きなムーブメントがあって、ベトナム戦争があって、ドイツには『ハーデル・マイノフ』という『赤い旅団』に似た組織が生まれたころだ。なにより、共産主義をあまりに理想化していたことは確かだ。実際の共産主義は、権威主義の専制だったにもかかわらずね。
実際のところ、僕らはあらゆる権威主義に対抗する、完全な自由を求めていたんだよ。その思想はアナーキーだった、といまとなっては思う。もちろん、あの騒乱の背景には、USA、ソ連、有象無象のシークレット・サービスたちが動いていたし、人々は謀略話が好きだしね。でも僕は、実は人生はもっとシンプルなものだと思うようにもなった。
あのころの一連のムーブメントは、社会がある次元で成熟しきって、変容を必要としたときに、自然発生的に起こった、というのが本質なのかもしれない。シークレットサービス、諜報たちには「社会基盤を揺り動かす」という彼らの任務があり、実際、若者たちの政治活動を利用したんだがね。それぞれの役割がそれぞれにあって、『赤い旅団』はしょっちゅうチェコスロバキアに行っていたし、ファシストたちはスペインに行っていた。パレスティナへ行った者も大勢いる。若者たちはそうして編成を修正され、利用されたんだ。なぜか。それは彼らが「利用されること」を望んだからだ。
マーシャルプランで経済ブームが起こり、僕らはそのときに生まれたベビーブーマー。僕らの両親は希望を託しながら僕らを育てた。爆弾の雨、強制収用所の辛い悲しい時代を経て、平和が訪れ、テレビが、車が訪れた。彼らの世代の行き過ぎた希望が、実はあの時代を生んだのかもしれない。
『鉛の時代』はすべて間違いだった、と今なら言い切れるね。極右、極左、それぞれの闘士たちの目標も間違っていた。あの時代は巨大な「エラー」でしかなかったんだ。資本家を殺すと誓っていた『赤い旅団』が実際に殺したのは、ミドルクラス、カトリック信者の罪もない大学教授だったり、そんな、まったく意味のない殺戮だらけだった。まるで通りすがりに人を殴るような殺人だ。モーロだってそうだよ。彼はファシストでもなんでもない、ただの進歩主義者できわめて退屈、いけすかないキリスト教民主党の人物ってだけで、彼を虐殺することには何の意味もなかった。
すべてが「エラー」だったんだ。希望、混乱、古い政治システム、新しい世界というヴィジョン、それらはすべて間違いながら前進し、実現したのは人々に脅威をもたらしたことだけだ。イタリアのあの時代は、ただの勘違いで構成され、意味のない果実しか実らせなかった。
「現代」をどう捉えていますか?
われわれは前人未到の歴史の前に佇んでいるよね。地球の歴史がはじまって以来、地球上に70億人以上の人間が存在したことはないんだから。その70億人の人間たちに資源を分割することができるのか、まったく未知の領域に突入したわけだ。いまや人間は90歳から100歳まで生き延びるのだし。現在、再び宇宙開発が盛んになってきているが、人類はなるべく早いうちに新しいフロンティアを探さなくてはならないだろうね。そして人類はそれをきっと見つけることだろう。
そうそう、インターネットは、確かに人類にとって偉大な発明だった。でも僕らの時代だって、世界中の若者が同じ情報を共有していたんだと思うよ。ただ、その情報が、音楽、文学、そしてさまざまな芸術からあふれ出す、「かたちなき情報」だったっていうだけの違いさ。