ローマのレビッビア刑務所を舞台に、イタリア映画の鬼才タヴィアーノ兄弟が撮影したドキュドラマ映画、Cesare deve morire (邦題「塀の中のジュリアス・シーザー」ー2012年ベルリン映画祭金熊賞)では、シェークスピアを演じる受刑者たちの迫真の演技、全編に流れる生命の躍動に圧倒されました。レビッビアの受刑者たちが演じる芝居をいつかライブで見てみたい、と強く願い続けるうち、ようやくその機会に遭遇することになります。長い時間をかけて準備され、たった1日だけ公演された、受刑者によるシェークスピアの「オセロ」。演出家のGiancarlo Capozzoli(ジャンカルロ・カポッツォーリ)に話を聞きました。
念願かなって、レビッビアの刑務所の内部にある、ちいさいながらも近代的な劇場で観たOthello o della Verità(真実のオテロ)は、予想を大きく超え、度肝を抜かれる舞台でした。たとえば全員が足を激しく踏み鳴らし、台を叩く音のカオスで、刑務所という場を包む動揺と不安が演出され、受刑者たちの台詞の饒舌と沈黙の間には、あらわな怒りと疑い、そして嘆きが迸りました。1時間30分が夢のように過ぎてゆき、唸りのような歓声に包まれた観客のスタンディング・オベーションはなかなか終わらず鳥肌が立ったほどです。
しかし何といっても刑務所という場所柄、芝居のあとの客席で、周囲の人々と感想を述べあったり、余韻を楽しむというあたりまえの光景は許されません。やがて監視員が現れ、すみやかに席を立つことを促され、そのまま立ち止まることなく劇場の外へと向かわされます。劇場を出た途端、非日常空間である芝居のリアリティから、これもまた、われわれにとっては非日常空間である、「くまなく監視される」刑務所というリアリティに直面させられるわけです。
刑務所の出口で周囲の人々の顔を見渡すと、誰もが興奮冷めやらぬ、火照った顔で列を作っている。禁断の空間で演じられた、腹心の部下イアーゴーの奸計にまんまと惑わされ、嫉妬に狂って最愛の人デズデーモナを殺してしまった男、オセロを巡る「悲劇」に込められた渾身の感情があまりに強烈で、誰もがのぼせたような気分になっていたのかもしれません。
閣下、くれぐれも嫉妬にはご用心を。あれは緑の目をした怪物で、ひとのこころをなぶりものにした挙げ句、食いものにするという奴です。(イアーゴー)
社会的日常生活からは完全に隔離され、受刑者たちが監視のなかで生きる、日常においてはきわめて特殊な場所である「刑務所」という場所に足を踏み入れたのは、生まれてはじめての体験でした。ひとつのちいさい街ほどの面積はありそうな巨大な刑務所、レビッビアは刑期によって服役するインスティチュートが4つに分けられ(男性刑務所3つ、女性刑務所1つ)、それぞれのインスティチュートが独立した管理になっているそうです。地下鉄A線のレビッビア駅からティブルティーナ通りを10分ほど歩くと、鉄の柵が張られた殺風景な門にISTITUTO PENITENZIALI REBIBBIAー贖罪機関「レビッビア」という無機的な看板が設置されています。
今回、芝居を演じたのは重罪のため、長い刑期で服役しなければならない受刑者たちでした。ものものしく警備された刑務所には、水のペットボトル以外のものを何ひとつ身につけて入ることができず、携帯電話を含めるすべての荷物は身分証明書とともに、金属の扉が太陽の光に反射して眩しい、厳重な玄関に置いていかなければなりません。何の罪も犯していないのに、そこにいるだけで謂れのない罪悪感を感じる気分になりながら建物に入ると、映画やテレビドラマで観たことがあるような、窓がなく、薄暗い長い廊下が続きます。いくつかの鉄格子を横目に見ながら監視員に誘われ、受刑者たちの運動場の脇にある劇場へと、足早に向かいました。その見覚えのある劇場が、タヴィアーノ兄弟が撮った「塀のなかのジュリアス・シーザー」の舞台となった劇場でした。
今回の「オセロ」は、ローマのトルヴェルガータ大学で「演劇」を教えるジャンカルロ・カポッツォーリが、長い時間をかけて役を演じる受刑者たちとのワークショップを通じて構築、彼の大学の教え子3人もまた、受刑者に混じって演じる、という画期的なものでした。つまり、客席からは誰が受刑者で誰が学生なのか見分けがつかない、という趣向も芝居のコンセプトのひとつだったそうです。われわれは、塀の中で暮らしていても、塀の外で暮らしていても、みな「人間」である、というメッセージが発信されたということです。
このように、外国人のわたしも身元さえ確認できれば、簡単に入ることができ、受刑者による演劇がたびたびプロジェクトされるようなイタリアの刑務所は、「刑務所」とは言ってもかなり管理が緩やかなのではないか、という感想を持たれるかもしれませんが、現実はなかなかどうして、想像以上に酷烈に評価されています。劣悪な衛生環境、厳しすぎる処遇、あるいは尋問と称する拷問の疑惑が人権問題として、さかんにメディアに取り上げられ、大きな社会問題ともなっているのです。別の刑務所ですが、la Ripubblica紙は直近8月2日付で、肺癌の手術をした受刑者が刑期を保留しての治療の機会を得ることなく、術後すぐに刑務所に戻され、40kgまで痩せて亡くなったことを大きく問題視していました。
また、マフィアの幹部やテロリストなど「凶悪犯」と目される受刑者を拘留する、外部とはまったく接触できず、本や音楽も禁止、と言う無慈悲と残酷で悪名高いl’articolo 41bisという法律で監視されたインスティチュートには、「あまりに非人間的」という強い抗議が継続的にありますが、獄中のマフィアはあらゆる暗号を使って、外部にメッセージを送るため、今のところ、廃止される気配はありません。41bisに勾留されているのは、99%がマフィアだそうです。
その、イタリアの刑務所における惨状に、多くの知識人、政治家、政治団体、市民団体が、受刑者の人権を訴える活発な活動を行っているのが現状で、特にイタリアの70年代から、女性、ゲイの人権問題など、あらゆる人権問題を解決、法律化し、イタリアの社会を現実的に大きく変えることに貢献した、Partito Radicale(『革新党』)の創立者マルコ・パンネッラは、イタリアの刑務所における受刑者の人権保護を訴えるため、自らの病魔と闘いながら、晩年まで尽力しています。
少し話は逸れますが、先ごろ亡くなった、このマルコ・パンネッラとPartito Radicaleは『鉛の時代』、フェミニズム旋風をイタリアに巻き起こし、離婚、中絶を合法化、極左テロリスト『赤い旅団』との関係を取り沙汰された思想家トニ・ネグリを擁護するなど、常に近代史の要に存在する政党でした。特にイタリアの人権問題において、真に重要な役割を果たした政党と評価され、パンネッラが亡くなった際はイタリアの「ローリングストーン」誌まで、晩年までロックを貫いた、と氏を表紙にしたぐらいです。パンネッラは権力におもねることなく、あくまで市民の立場で差別と闘い、身体を張った過激な言動、行動で社会を変えたイタリアの人権運動の歴史を作ったともいえる重要人物であり、彼の創立した『革新党』についても、先でリサーチしたいと考えているところです。
さて、レビッビアの刑務所で受刑者たちに、社会教育の一環として、芝居や、文学などのワークショップが開かれていることを知ったのは、いまや10年以上前のことになります。そのころわたしの周囲にいた何人かの人々が、レビッビアの刑務所で文学を通して「イタリア語」を教えていたことから、イタリアでは刑務所において文化教育が行われていることを知ることになりました。そういえば、今年、イタリアで最も権威のある文学賞「ストレーガ賞」を受賞したエドゥアルド・アルビナーティもレビッビアでイタリア語を教えている時期がありました。今も通っているかどうかは確認していないのですが、かつてわたしが彼のスタジオに間借りしていた時期は、かなりの頻度でレビッビアに通っていたようです。
わたしはといえば、イタリアに来るまでは、犯罪をおかして刑務所で服役している「受刑者の権利」というものを改めて考えたこともなかったし、刑務所がどんな状況なのか興味すら持っていなかったので、普通の市民生活を営む友人たちが、刑務所に関わる仕事をしているという事実は、意外でもありました。もちろん刑務所ですから、そのなかには重罪を犯した受刑者たち、闇社会に暗躍した無法者たちも多くいるわけで、彼らを相手に授業なり、ワークショップなりを構築するには、かなりの胆力が要求されるに違いありません。現在の教皇フランチェスコも刑務所に受刑者を訪ね『洗足式』を行っていますが、信仰のあるなしに関わらず「罪は憎んでも、人を憎まず」と、受刑者たちの今後の人生が、よりよいものとなるように、なんとか手助けしようとする人々が多く存在することは、イタリア社会の懐の深さだとも思います。
ところで、今回「オセロ」を観に行った際、多少動揺したのは、受刑者のグループ100人あまり(もっと多かったかもしれません)が一緒に観劇した、ということでした。一般客が席に座った後、監視官に先導され、無秩序な列を作って入ってきた彼らをそっと振り返ると、「演劇鑑賞なんてどーでもいい」とでもいう太々しい態度で、窮屈そうに席について、怖いものなし、という強面で、のっけからきわめてリラックスして指笛を吹き鳴らし、かなり際どい野次を飛ばしては、どっと笑っていました。したがって芝居の導入は、一種異様、特殊な興奮が渦巻く雰囲気でもあり、しかし芝居が進行するに従ってやがて彼らも芝居に見入り、最後は拍手喝采、「ウォー、ブラビー」という声援の洪水で、それが一般客と受刑者たちが一体になった瞬間でもあります。
『芸術、文化はすべての人々に平等である』
刑務所の劇場の入り口には、このような碑が掲げられています。そういうわけで、前置きが長くなりましたが、今回の芝居の演出家であり、トルヴェルガータ大学で演劇を教授する、ジャンカルロ・カポッツォーリに詳しい話を聞いたわけですが、彼は、最近ハフィントン・ポスト・イタリア版に連載していたエッセイLì dove c’è il pericolo cresce anche ciò che salva (危険のある場所には救済も育つ)をまとめた本を出版したばかりの作家でもあります。
今回の「オセロ」の上演に大変感動しました。ところで、オセロが自殺を遂げる最後のシーンは省かれていましたよね。
そう。それを決めたのは、上演の数日前のことなんだよ。役者全員がデスデーモナの魔法を織り込んだハンカチ(200年もこの世にあって太陽の運行を見つめてきた巫女が、神がかりの状態で、あのも模様を織り上げたのみならず、神の前で清められた蚕の吐く絹糸をもちい、秘法をもって乙女の心臓のミイラからしぼりとった薬液に漬けて染め上げた)を持つシーンで終わりにしようと思ったんだ。彼らのあのハンカチの持つ姿勢を観ただろう? そうだよ。カラヴァッジョの「ダヴィデとゴリアデ」からインスピレーションを得たシーンなんだ。ハンカチをゴリアデの頭部に見立ててね。彼らの現実と刑務所の現実、そして「オセロ」の現実というドラマをメタフォライズして僕は芝居を終わらせることを決めた。芝居にはできる限りアートの要素を加えたい、と僕は思っているんだ。
舞台に3つの台を置いて、そこにオセロ、イアーゴー、デズデーモナの3人を配したのは、黒澤(明)の「羅生門」にヒントを得た演出だ。僕は黒澤が大好きで、ほとんど彼の映画を観ていてね。「羅生門」では、ひとりひとり、それぞれの証言者がカメラに向かって事件を供述する、という手法が取られているじゃないか。それを今回の演出に生かしたいと思ったわけだ。われわれは刑務所のなかにいて、オセロ、イアーゴー、デズデーモナのそれぞれの証言は、裁判を観客にイメージさせる、受刑者ひとりひとりの経緯を暗示するものでもあるわけだから。
こうして芝居のなかに、「刑務所」という、人々の日常から忘れ去られた状況を、文学、映画、そして絵画、さらにイタリアの伝統的な要素をメタフォライズして表現しなければならなかった。だから芝居の導入は、受刑者たちのリアリティ、つまり素のままの刑務所の日常から、次第に芝居へと移行していく、という脚本にしたんだ(芝居は、受刑者たちが現実に自らの経緯を、スピーディに読み上げることから始まった)。劇中での音楽を担当したのは、僕の友達でプロのピアニストでもあるエリック・ベウシュの演奏。僕の刑務所における演劇プロジェクトに興味を持って参加してくれたんだ。しかし導入で登場したアコーディオンの名手は受刑者だよ。彼は驚くほど上手だったね。才能を持った音楽家だ。
みな、とても芝居がはじめてとは思えない、迫真の演技でした。特にイアーゴーを演じた人物は、あまりの巧みさに目を見張りました。
そうなんだよ。イアーゴーを演じた彼は、信じられないほど完成度の高い演技をした。ピアニストのエリック・ベウシュも驚嘆していたよ。彼は実に多様な表現力を持っている。台詞を喋っている時だけじゃなく、彼が沈黙すると周囲が凍てつくんだ。そしてそれこそが、この芝居では重要な表現だった。彼は表現すべき以上のことを演じてくれたよ。上演後、「何度も『オセロ』を観ているが、君ほど上手くイアーゴーを演じた役者を知らないよ」と感動を伝えたのだが、僕が冗談を言っているのだと思って、彼はまったく本気にしなかったけれどね。
演劇の面白いところはそこだよね。僕は上演前に「これからの1時間30分の間、みなで舞台の上で好きなだけ遊んで、全身で自由に楽しんでほしい」と伝えたんだ。演じることを、英語ではPray、フランス語ではJouer、ドイツ後ではSpielen、いずれも「遊ぶ」という意味の言葉を使う。そしてそれが演劇だと僕は思う。遊ぶことが基本。誇りを持つこと、自分を、そして他人をリスペクトすることと同じように、遊ぶことは人生において大切なことだからね。
そういえば、今回オセロを観た女性のジャーナリストが面白いことを書いていたよ。彼女は、オセロに殺されるデズデーモナを男性に殺される女性、つまり女性が男性の暴力の犠牲になるべきではない、というフェミニズムの視点も、受刑者たちに認識してもらうために大切な芝居だった、と言うんだ。まさにその通りだよ。受刑者たちにとって最も大切なのは、「演劇」という素材を通して、自分自身にもう一度向き合うことなんだから。もちろん僕らにとっても大切なことだけれど、アートというものは、自分自身に向き合い、見つめ直すために必要欠くべからざるものだ。
実際、受刑者たちは、それまでの人生で一度もアートに触れることがなく、文化というものが何なのかすら知らなかったんだ。本を読んだことのない人生を送ってきたから、今回だって誰もシェークスピアなんて知らなかったよ。彼らはいままで演劇とは、遠く離れた世界に住んでいたんだから、それはしかたないことだ。彼らのほとんどは都市の中心部ではなく、荒涼とした郊外の出身者だ。ドラッグの売買、窃盗、強盗、さらには殺人という重罪を犯した者もいる。今回出演した人物たちのなかにも、17年、18年という長い刑期に服さなければならない者もいるんだが、その彼らにとって芝居を生きると言うことは、違う世界を体験する機会でもある。
また、ワークショップを重ねて構築した芝居を上演するということは、長い年月、まったく自由のない刑務所という場所にいなければならない彼らにとっては、非常に大切な機会だ。たとえば僕はこの刑務所のなかにある別のインスティチュート、Terza Casa(テルツァ・カーサ)というセクターでも演劇を教えているんだけれど、そのセクターには比較的軽い罪、短い刑期の者たちが収監されていてね。同じ受刑者でも、双方の態度はまったく違うんだ。
長い刑期に処された受刑者たちは、一生懸命学ぼうとするし、全力で取り組もうとする。一方、短い刑期の者たちは、正直いって、真剣味が足りない。そりゃそうだよね。「ここにいるのも3年の我慢だ。3年経ったら自由の身」そんな風に自由がすぐそばにある者たちが演劇を勉強するのは、ただの暇つぶしでしかない。それに刑務所で演劇を学んだ経験が、彼らの人生に何らかの影響をもたらすことは稀でもある。何もしないより、演劇でも勉強したほうが時間が早く過ぎる、ぐらいの取り組み方なんだから。
しかし長期の服役を課せられた受刑者たちの「オセロ」のグループは、みな非常に真面目に、僕の話すことを余すことなく理解しようとする。僕が使ったナポリ方言の台詞も、ナポリ出身者ではない受刑者も、しっかりと覚えた。大学はローマのサピエンツァを卒業しているが、僕はナポリ出身なんだよ。だから今回の「オセロ」の脚本にも、ナポリの方言をたくさん使ったんだけれど、途中、外国人の君には、よくわからない台詞もあっただろう? 実はオセロ、イアーゴーを演じた者もナポリ出身の受刑者でね。互いにナポリの出身ということで、僕らにははじめから共感があったことは確かだね。もちろん同じナポリでも育った環境は違うし、僕はドラッグの売買をしなければ生きていけないという状況ではなかったわけだが、同じナポリの方言を話すということは、あきらかに僕らの絆になったんだ。
ところで、ナポリ出身者の唯一の幸福は何だか知っているかい? 君もオセロやイアーゴーと話したら、演劇というものがどれほどナポリに大切なものであるか、理解できるはずだよ。というのも、ナポリはエドゥアルド・デ・フィリッポという偉大な演劇人を輩出しているんだからね。アルファベットも満足に知らず、本を読むことができない教育のない人間であっても、エドゥアルドの芝居を知らない者はナポリにはひとりもいない。エドゥアルドこそがナポリの最も重要な象徴であり、ナポリ文化を代表する、ひいてはイタリア文化を代表する、900年代の演劇史において特筆すべき演劇人だということに、ナポリ出身の受刑者たちも誇りを抱いているんだ。
もちろんエドゥアルドの作品のいくつかを彼らは知っているし、エドゥアルドこそがナポリ文化のバックグラウンドだということもよく知っている。そしてその文化の継承者たちは自分たちナポリ出身者である、とも感じているんだ。エドゥアルドの芝居の登場人物は、みな貧しい市井の人々じゃないか。「フィルメーナ・マルトゥラーノ」は売春婦だし、「リオーネ・サニタの区長」はカモリスタ(ナポリ・マフィア)だ。エドゥアルドはナポリの市井で成長し、自分の周囲で起こるナポリの物語を芝居にしていった。