ローマから世界に挑戦する若き地理学者 :ジュゼッペ・マリア・バッティスティ

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彼がヒップホップDJとして活躍していることは以前から知っていましたが、まさかローマの郊外をこれほど丹念に研究し、精密に分析する地理学者に成長していた、とはまったく想像していませんでした。最近街角で見かけないと思ったら、去年から英国で働きはじめたということ。たまたま道で会って立ち話をするうち、大学を卒業して1年経つか経たないにも関わらず、客観的で成熟した視点を持ったこの青年に、おおいに学ぶことがありました。そこで日を改めて、ゆっくり話を聞かせてほしいとお願いしてみました。

Giuseppe Maria Battistiージュゼッペ・マリア・バッティスティ。さながらバロックの建築家のごとき威厳のある名を持つジュゼッペは、詩人である彼のお母さまとも顔見知りであったことから、少年と呼べるほどのあどけない年頃から、バールや通りですれ違っては立ち話をしていた、ごく近所に住む青年です。数年前までは遅い朝、起き抜けという感じの彼に出会うことも多く、「昨日朝方まで友達と曲を作っていたから、さっき起きたところ」と呑気にエスプレッソを飲みながらバールのバリスタと話す、いかにも音楽に夢中今風の若者といった風情でもあり、いでたちもヒップホップなストリートな装いで、いつもなかなかファッショナブルでもありました。

そういえば、何年か前にバールで偶然会ったとき、「大学の専門課程ではGeografia(地理学)を選んだんだ」と話していて、アクティブなヒップホップDJのわりには、ずいぶん古典的な選択をしたんだな、と意外に思ったことを思い出します。そのころから「僕は社会学的な意味をも含む『環境』に興味があるんだ」と盛んにジゥゼッペは言っていましたが、ヒップホップDJのイメージがあまりに強く、わたしも「へえ」と思う程度で、彼がそれほど真剣に勉学に勤しんでいるとは、正直、まったく想像しなかったのです。

そういうわけで、ジゥゼッペはわたしとはジェネレーションも違い、街角ですれ違うと挨拶するぐらいの近所の知り合いでしかなく、もちろんゆっくり話す機会も話題もありませんでしたが、その物怖じのなさやオープンな性格、大人と対等に話す態度に、キラッと光る鋭さがある子だ、とは常々思っていました。

「大学を卒業したんだ」「それはよかったね」「仕事を探しているんだけれどなかなか見つからないんだよ。難しいね、ローマは」「そうだよね。この失業率じゃ、なかなか大変だと思うけど。でも、まあ、あんまり焦らずにゆっくり探すといいよ。君ならそのうち絶対見つかる」近所のバールでそんな話をしたのが最後で、それからずいぶん長い間、彼を見かける機会はなく、しかしローマの青年たちの多くは、夜の巷を気まぐれに彷徨う「夜行性」傾向にあり、われわれ大人とは街を歩く時間帯がまったく違うため、音楽活動が忙しいのだろうぐらいにしか考えていませんでした。

ところがごく最近、外出から家路につく途中、最後に会ってからそれほど時間が経っていないというのに、見違えるほどキリッと大人っぽい表情自信に満ちた立ち居振る舞いのジュゼッペにすれ違うことになります。「おや、久しぶり。最近見なかったけど、どうしてたの?」と尋ねると「実はあれからすぐに英国に移住したんだよ。今はちょっと帰国中でね」と、意外な答えが返ってきた。「えー!ほんとに? 英国に移住したとは全然知らなかった。ということは、仕事見つかったの?」「うん。友人と友人の父親と起業したんだ。はじめたばかりにしては、まずまずうまく行っているよ」「英国というとロンドンってこと? つまり音楽関係?」

矢継ぎ早に尋ねるとジュゼッペは、大きめのサングラスをひらりとはずして「いや、オックスフォードなんだ。学園都市を選んだんだけれどね。僕はGeografoー地理学者として、テリトリーの環境設計プロジェクトに参加しているんだ」と、人懐こい瞳をのぞかせ、にっこりと笑いました。「地理学者?」「そう、僕はローマ大学サピエンツァでGeografia Urbanistica(都市工学を専門とする地理学)、Gestione e Valorizazzione teritorio(テリトリーの運営と有効利用)について研究したんだからね。サテライト写真をベースに、テリトリーのデジタルデータベースを作り、科学的に環境を分析し、有効なプロジェクトを構築する、という研究さ。卒論は110 e lode(イタリアの大学の卒論における「称賛に値する」最高点)だったんだよ」

地理学者・・・・。大人びた表情で、そう話しはじめたジュゼッペを見ながら、わたしが今まで彼に持っていた、ヒップホップイメージは見事にガラガラと崩れ落ちます。そう、人というのは、こんな風にみるみるうちに変化するから面白いのです。しかし「面白い!」と思いながらも、道端で立ち話をしていたときのわたしには、あらゆる要素からテリトリーを掘り下げ、分析していく、モダンに洗練されたGeografia Urbanisticaという学問をまったく理解できず、彼の口から次々に飛び出す専門的なボキャブラリーについていくことができなかったことを告白せねばなりますまい。そこでもう少し噛み砕いて、具体的でありながらもシンプルに、大学でどのようなことを研究し、現在の彼が何を考え、何を目指しているのか、ローマ大学サピエンツァの教室をお借りして、じっくり話してもらうことにしました。

彼の話をあれこれ聞くうちに、ローマ郊外の問題は、もはやローマ特有の問題ではなく、多かれ少なかれ、同じような問題を、世界全体が抱えているのではないだろうか、という思いが脳裏を駆け巡ったことを付け加えたいと思います。

 生まれ育ったローマという都市については、そもそもどんなイメージを持っている?

何と言ってもローマは、世界的に有数の、歴史ある建築物がひしめいた稀有な都市だよね。長い歴史における幾度とない都市計画にそって、考え抜かれ洗練されユニークに形成されている。アーバンデザインとしても、多くのすぐれた機能を持っている都市でもあるんだ。

僕の当初の計画では、大学を卒業したらすぐ、ローマ市のオフィシャルな都市計画のセクターで働くつもりだったんだけれど、知っての通り、今のローマ市は閉鎖的で、何ひとつ十分に機能していないし、人の動きそのものがブロックされているような空気が流れているからね。せっかく飛び抜けて優秀な成績大学を卒業することに成功したというのに、市の都市計画セクターに仕事を見つけることができなくて、本当にがっかりしたよ。ローマ全体を覆うこの停滞感は、何か特別なことが起こらなければ、変わらないんじゃないかな。どこかでドラスティックに変わらなければ、僕ら大学を卒業した若者たちが、いつまでたっても仕事が見つけられない状態が続くにちがいないとも思っている。確かに新しい市長が新しい風穴になってくれればいい、とは考えているけれどね。

美学的な観点から言えば、僕はローマが、多分世界で一番美しい街だと思っているんだ。2000年を超えるさまざまな時代の建築同じ場所にをなし、共存して現在まで生き延びている。そしてそれこそがローマの美でもあるわけだけど。他の欧州の国々、いや、世界のどこにも、こんな個性的なメトロポリスはないんじゃないかな。ローマの中心街には、本質的な歴史観、シンボルとして重要な意味を持つ建築、都市計画の痕跡が数多くあって、それらは僕らのような若い世代にも、絶え間なくインスピレーションを与え続けているしね。

しかし、ローマという、この美しい都市に深刻な問題が蔓延していることは紛れもない事実だから。なにより中心街と郊外に、甚だしいコントラスト、格差が見られることは絶対に軽視できない。そもそもローマの郊外地区というのは戦後、違法に、無秩序に開発が進んできた場所だけれど、この10年の間、違う動き、つまり郊外の再開発という、違う方向性ではあっても、さらなる無秩序で乱暴な動きが起こって、そもそもあった問題さらに重大な問題へと変化していこうとしているんだ。これはあとからゆっくり説明するけれど、何故、ローマという世界的に重要な文化財で構成された都市でそんなことが起こるのか、簡単に言ってしまえば、ローマ市政の運営、都市計画の管理が隅々まで行き届いていないからなんだ。ローマの政治には、明確な方向性を決断する中枢が欠けている

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ローマ大学サピエンツァの窓から街を眺めながら話すジュゼッペ・マリア・バッティスタ。

それは具体的に言うと、どういうことですか?

つまりね、実のところ、ローマの政治家たちに影響を及ぼすのは、もはやかつてのように哲学者でもなく、知識人でもなく、また思想家でなく、限定された、ごく少数の建設業者と教会の関係者たちだからだよ。特に建設業者たちの政治への影響には凄まじいものがある。彼らはローマの建造物、土地など多くの不動産を所有しているし、政治家への賄賂も並大抵ではないから、郊外の都市開発に並々ならない影響力を持っているんだ。例えば2008年に始まったローマ市が中心となった都市開発プロジェクトのせいで、ローマの郊外には、いよいよ不規則で無秩序な動きが広がったんだけれど、開発という名で無節操に巨大な建築物が乱立した広大な土地は、ローマでも名の知れた建設業者の家族所有する不動産だったことが、あとになって判明した。

まず、この10年あまりの間の特筆すべき問題は、ローマをぐるりと巡る郊外に、25件ー27件の巨大ショッピングモールが建設されたことだよ。2008年以降のローマの都市計画では、郊外の再開発の中心にショッピングモールを置くことが中心になったんだ。その周辺を開発し、経済発展させる、という目的でね。その巨大なショッピングモール群はプロジェクトが決定されるや否や、あっという間に建設され、周辺に多くの住宅も建てられた。しかしその地域に快適に人が住める環境を作るには公共サービス、たとえば交通網の整備学校病院文化施設などソーシャルな設備が必要だし、それらのきめ細かい管理もなされなければならないはずだろう? 人の生活に必要なのは、ショッピングモールだけではないからね。しかし次々に建造物が建てられ続けたにも関わらず、その地域に住むことになった人々の快適な生活のために必要なサービスは、何も考えられなかった、というのが現実なんだ。

卒論は、その郊外の状況を都市工学的な地理学の見地からリサーチしたんでしょう?

そう。その卒論のために、僕はリサーチに選んだ郊外の地域を何度も訪ねたんだけれどね。建ち並ぶのはただ巨大なだけで、個性がまったくない、すべてomogeneizzati ー均一化された無機的な建造物の群れ。機械的でヒューマニスティックな要素が全然ない住宅群だよ。ローマという都市において、建築の美というのは、なにより大切な要素だというのに、その歴史建造物美術館のような都市の郊外が、こんな杜撰な景観だなんて。トゥーリストだって、ローマの建築の美を観に、わざわざやってくるわけだし、われわれ市民にとっても、「美」は欠くべからざるものなんだよ。

それにね、ショッピングモールのオープンと同時に、都市開発されたその地区に昔から住んできた人々が保ってきた、ちいさいながらもバランスがとれていた経済循環死んでしまったとも言えるんだ。広大な土地が商業化されることで、その地域の昔ながらのひかえめなビジネスが、グローバリゼーションの強い衝撃を受けた、ということだよ。僕としては、そのような強い商業的衝撃を、ちいさいながらもバランスのとれた地域にぶつけることは、きわめて愚かなことだと考えるんだ。それまでその地区で商いをしていたささやかな店々が、ショッピングモールに何百と並ぶインターナショナル展開の、アグレッシブなショップに太刀打ちできるわけないじゃないか。

だから今ではその地域にそもそもあった、例えば地域の人々の持ち物を修理する職人の工房はもちろん、雑貨屋や洋品店靴屋もみな潰れ、たったひとつ商売として成立するのはピッツェリアだけとなっているんだよ。ショッピングモールにあるピッツェリアなんて不味いからね。買い物に来る人々が、不味いピッツアだけには我慢ならず、モールから外に出て、ローカルの美味しいピッツァを探し求めたせいで、ピッツェリアだけは生き残った。そしてね、これがとても大切なことなんだけれど、この都市計画は、地域のそもそもあった経済循環を壊してしまっただけではなく、その地域から「文化」をも奪い去ってしまったんだ。

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ローマ郊外にあるCentro commerciale(チェントロ・コンメルチャーレ)と呼ばれる、巨大ショッピングモールの1例。

つまり僕が何を言いたいか、と言うとね、この都市開発は人々の「自由時間」まで商業化してしまった、ということなんだ。人々の気晴らし気分転換まで「商業化」するということは、文化の見地からいうと大変危険な問題だ。広大な土地の商業化よりずっと深刻な事態だと思うよ。人々はもはや自然を求めて、公園や庭園に出かけてピクニックをするようなことはなくなり、ローマの歴史的な庭園緑にあふれた広い公園は、いつも空っぽ。ローマ市民にとっては自由時間を「ショッピング」に費やすことが、何より重要になったんだからね。休日には誰もが郊外に出かけて、ショッピングモールで過ごすんだ。人々が気晴らしに出かけられる唯一の場所、それがショッピングモールというわけさ。子供も大人もみんなそろって、たゆみなく消費、買い物をし続けるために、一日中ショッピングモールで過ごすんだ。

しかもショッピングモールの建築というものは、よく考えられていて、計算され尽くした異空間に人々を閉じ込める構造になってもいる。広々とした建物のなかのどこにも窓がなく外界と完全に遮断されるようになっているからね。つまり買い物客が「商品」、ショッピングモールという「異空間」の内部のあるサービスにだけフォーカスせざるをえない構造の内部で、人々を「商品」や「サービス」で魅了し、熱狂させ、感性を破壊していくように作られている。ときどき、ふと思うんだけれど、いまの社会全体がおそらく、このショッピングモールの構造に似た様相を呈してはじめているかもしれないよ。いずれにしてもショッピングモールが地域に恩恵をもたらす、なんて戯言を信じてはいけない。地域の生活と人々の感性は確実に破壊されようとしているんだから。

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