80年代ニューヨークのカウンターカルチャーとしてはじまり、今や世界じゅうに広がった「ストリートアート」、あるいは「グラフィティ」と呼ばれるアートムーブメントは、ここローマの、特に郊外では、まったく普通の街角の風景となっています。どこに行けばどんなグラフィティが観れるか、市がマップを作って新たな観光名所としてプロモーションする、という状況でもあり、ローマには「欧州のストリートアートのセンター」になる、という壮大な野望もあるようです。
バスキア、キース・ヘリングあたりに遡り、Banksy、Roa、Jef Aérosolと、世界的に有名なライターたちが現れた頃から、そもそもは、ちょっとしたヴァンダリスムでもあった「グラフィティ」が、あれよあれよと言う間に市民権を得て、彼らの作品が街角の壁だけでなくアートギャラリーや、美術館でも展示されるようになりました。と同時に有名ライターたちは現代アートサロンのスターとなり、初期、彼らが表現したアンチシステム、アンチキャピタリズムのスピリットは、いつの間にか「投機」に踊るハイパーキャピタリズムそのものでもある、現代アートマーケットの巨額なお金の循環に飼い慣らされていったようにも感じます。
ストリートアートそのものも徐々に「主張よりファッション」に変化して、毒がなく安全な、ある意味「大人」の表現へと変遷していきました。そしてその様相は、現代の世界を支配する「市場」というものが、憤りであるとか、反発であるとか、そんな抽象的な空気のようなものではどうにも太刀打ちできない、自らを否定する者をもこともなく飲み込む、『神』のごとき寛容を秘めたリアリティであることを再認識させる現象かもしれません。そもそもアンチシステムを主張する表現が、いつの間にか巨大ビジネスとなる矛盾は、「自由市場主義」システムにおいては、きっとCoolなことなのです。
例えば、強烈な社会批判作品をあちらこちらでゲリラ的に発表し、あれこれと物議を醸す「アートテロリスト」の異名を持つ、正体不明のバンクシーの作品に、オークションで「億」という価格がつくという現状は、もはや彼の作品は、本人の意図から離れ(多分)、カウンターから「自由市場主義」にのっとったメインカルチャーストリームとなったと捉えるのが妥当でしょう。
といっても、バンクシーの有り様や他の有名ライターを批判しているわけではまったくなく、カウンターであれ、メインストリームであれ、作品が面白ければそれでいいではないか、とわたしは思います。ライターたちだって、食べていかねばなりません。いずれにしても現代アートにおけるグラフィティは、もはやクラシックとも呼べる表現です。それでも時には街角で、ハッとするようなアノニマスなグラフィティに出会うこともあり、そんなときは新鮮な気持ちで素直に面白い、と立ち止まり、誰もがそうするように携帯で写真を撮る、という具合です。何よりストリートをそぞろ歩きながら、誰もが平等に、しかもカジュアルに作品に驚ける、ということは、やっぱり素敵には違いありません。
ところでバンクシーといえば、ナポリの壁に描かれていた作品が、かつて別のライターに上書きされたという一件が起こり、「なんというヴァンダリズムだ!100000ユーロの損害」という批判が巻き起こりました。しかしそもそもバンクシーの作品も、その「ヴァンダリズム」が、ある意味「売り」なわけですし、上書き御免のストリートのライターなのですから、普通に考えればそう目くじらをたてる必要もないわけで、その作品が大好きであったのならともかく、「高額な値段!」という実感のない価値感で、世間が露骨にうおさおするのもいかがなものか、とも考えます。ストリートアートは本来、何が起こるか分からない未知の領域であるパブリックなストリート、いつ消されるか分からない諸行無常が面白いのです。
さて、それはさておき本題のローマのストリートアート。イタリアではグラフィティのことをMurales(ムラレス)とも呼ぶので(イタリア語ではなくスペイン語だそうで、単数だとMurale)、この項では以後、基本、ムラレスと統一することにします。いまやマップだけではなく、どの街角にどんなMuralesがあるか検索アプリができるほど(著名ライターによる主なムラレスだけの紹介アプリですが)、街の方々に多くのストリートアートが満ち溢れています。
例えば老朽化した公営住宅が建ち並ぶTor Marancia(トル・マランチャーかつてドラッグ売買をはじめとするマフィアが絡んだ犯罪が社会問題でもあったローマの郊外)のように、近年のストリートアートブームを評価したローマ市が、街興しの一貫として公営住宅の一棟一棟の壁にムラレスを描いた「オープンミュージアム」をサポートするプロジェクト(Progetto Big City Life)もあり、ローマ市が運営する観光サイトにも、まるでフレスコ画のように多くのムラレスが紹介されるようになりました。また、ガイド付きの地域のムラレスツアーも開催されるようにもなっています。さらにローマ市が主催するコンペで予算を得たライターたちが中心となったMURoというムラレスプロジェクトも存在し、Tor Bellamonaca(トル・ベッラモナカ- 移民が多く住む、ローマの社会問題が集約している地域)にはMURoのライター、Diavùによるローマでははじめてのアンチマフィアのムラレス「Mamma Mafia(マンマ・マフィア)」が描かれています。
わたしが住みはじめたその昔から、電車や駅、郊外の壁のあちこちが「落書き」だらけだったローマですが、2000年ごろから完成度の高い、そして2006年あたりから、規模が大きいムラレスが盛んに描かれはじめるようになったように思います。そして多分に漏れず、ここ数年の間に現代アートの若い世代のメインカルチャーストリームとなり、有名ライターの作品はアートマーケットで高額な値段が提示され、多くのスターも生まれています。しかしながらここでは、ギャラリーであるとか、オークションであるとか、通常の現代アートサロン的な動きには触れますまい。ソーシャル、という見地からムラレスというローマのアートムーブメントを捉えたいと思います。
というのも、ローマにおけるムラレスにおいて何より顕著なのは、アートをシンボルに、街に確実に存在する多くの社会問題、格差、移民問題、ドラッグをはじめとする犯罪の多発、マフィアの跋扈を積極的に解決しようという姿勢だと思うからです。また、実際、MAAMーMetropoliz(メトロポリツ)の例から見ても顕著なように、表現するスペースが違法であろうがなかろうが、カウンターであろうがなかろうが、多くのアーティストたちのアート表現が、ソーシャルな問題の解決を、現実的にサポートしています。
特にパソリーニが愛したPigneto(ピニェート)あたりからはじまり、ひたすらプレネスティーナ通りを突き進んだMAAM-Metropoliz を抱く地区、移民の人々が多く住むローマEst(東)の、Tor Sapienza(トル・サピエンツァ)は、ローマのアーティスト・ゾーンと言われ、ローカルのライターだけではなく、世界各国のライターたちが訪れ、多くのムラレスを描いています。特筆すべきは、やはり巨大なMAAMをぐるりと囲む壁ですが、さらにこの地区にはもうひとつ興味深い動きがあるのです。
それがMAAMのオーガナイザーのひとりであるCarlo Goriらが運営するトル・サピエンツァ地区・文化センター(Centro Culturale Municipale Giorgio Morandi ジョルジョ・モランディ文化センター) がプロモートするMorandi a coloriー「モランディを色とりどりに」というプロジェクトです。しかもGoriを含めるアーティストたちは、この文化センターがローマ市第5番目の地域の役所の管轄にも関わらず、公的な許可も、予算もまったく下りないまま、「これ以上、待っていられない」とゲリラ的にプロジェクトを突き進めています。
魂を見据えるがごとき独自の作風を貫き、イタリアの現代美術史に大きな足跡を残したジョルジョ・モランディの名を冠した、トル・サピエンツァのViale Giorgio Morandi(ジョルジョ・モランディ通り)。ゴーリが運営する文化センターは、70年代に建造された巨大な公営住宅群を突き抜ける、その通りのど真ん中に建てられた、背の低い、細長い建物の一角にあります。
戦後、ローマの産業地帯として発展したトル・サピエンツァも、今ではかつて隆盛を誇った大規模工場の多くが閉鎖、あるいは移転して、ローマの中心街とはかけ離れた、殺風景な風景ともなっている。そしてその、気さくで呑気な住民たちがつつましく暮らす日常の隙間に、ドラッグ、売春、移民ビジネスなど、マフィアが絡む犯罪が暗躍するのも事実です。長年、郊外の移民関係のソーシャル・ワークに従事する人物と話すうち、マフィアグループとおぼしき人物から「いますぐ手を引け」と脅迫電話がかかってきたことがある、と聞いたこともあります。マフィアにとって「移民ビジネス」は、「公共予算」という巨額なお金が動く重要な財源、移民の人々が団結して強い発言力、つまり政治力を持つことは極めて都合が悪いことだからです。
さて、ジョルジョ・モランディ通りは、そんなトル・サピエンツァのなかでも、特に問題を抱えた地区として有名な通りでもあります。Il Tempo紙(やや右寄り気味の新聞です)が2013年、10月に次のような記事を書いている。(抄訳)
ジョルジョ・モランディ通りはローマ東の郊外にある通りだ。509件のアパートを抱く7階建ての公営住宅が睥睨するその通りの背の低い、細長い建物には、違法占拠が横行している。Ater(ローマ市の公営住宅を管理するセクション)も近づくのを嫌がっているのか、ほとんど立ち入らないため、ほぼ無法地帯となり、見捨てられたような通りとなっている。ロム(ジプシー)の家族、スラブ系移民の家族、そして何人かのイタリア人が占拠する違法の王国であり、また極端な貧困が存在するゾーンだ。
しかもそこにあるのは単純な貧困だけではない。訪れる人を怯えさせる陰気な雰囲気が漂っている。公営住宅の公共施設として作られた平家の建物の図書館も教会も、人々の日用品を売る店も違法に占拠され、驚くべきことに、店であった建物の屋根の屋上に木製のバラックを建てて住んでいる者もいる。階段の下の駐車ボックスはゴミの山となっていて、悪臭が漂い、窓のない闇で暮らしている家族もいる。公営住宅の住民は、あとで仕返しをされるのを恐れて、匿名なら、という条件で「毎日、恐怖のなかで生活している。違法占拠している者たちが大声で騒ぎ立てるし、暴力的な喧嘩もしょっちゅうだ。Aterがここに立ち入るのを見たこともない」と語った。問題は占拠と貧困だけではない。誰もこの通りに関心を向けないことなのだ。
その年の夏、この公営住宅で殺人が起こったこともあって住民も敏感になり、区域の役所も足を踏み入れることのないこの通りについて、記事ではその様子がスキャンダラスに描かれています。しかしこのような危うい風景、世間を巡る経済循環から見捨てられ、周囲の住民からも恐れられる空間から、いつの間にかヴァイタリティに満ちた、明るい動きが現れるのがローマです。夜にはドラッグの売買など犯罪の温床ともなる、管理されることのない「陰」が極まった無法地帯には、限りない「陽」転の可能性、自由も秘められている。その可能性と自由に誘われて、嗅覚の鋭いアーティストたちが集まり、住民をも巻き込んで、問題を解決するための文化の流れを形成しようとする野心が生まれます。
カルロ・ゴーリもそんな野心を持つアーティストのひとりです。彼が中心となって運営するトル・サピエンツァ地区の文化センターは、Il Tempo紙の記事にもあった、かつて公営住宅のための図書館や、公共施設として建造され、いまやロムの家族やスラブ系の移民の人々に違法に占拠される、細長く背の低い建物の一番端。建築としては個性的な造りでも、老朽化し、退廃的な外観となっているこの建物ですが、文化センターのある一角だけ、明るい光がさんさんと降り注いでいるように思えます。というのも、狭いながらも地域の住人が集まるにはちょうどいい大きさの広場、壁、階段、センターの窓枠に至るまで、色とりどり、多様なタッチでそれぞれのテーマのムラレスが、賑やかに描かれているからです。
ネオリアリズムなモノクロの世界から、突如、総天然色の世界へ。これがゴーリたち文化センターの運営メンバーと、アーティストグループがゲリラ的にはじめた、Morandi a colori ーモランディを色とりどりにープロジェクト。発案者でもあるカルロ・ゴーリに、少し話を聞いてみました。
「ジョルジョ・モランディ通りというのは、トル・サピエンツァ地区のなかでも、最も暗い『影』だからね。物理的に太陽が当たらないという意味でも、地域から疎外された貧困と犯罪、という意味でもね。足元に注射器が落ちていることなんてザラだし、夜の闇にプッシャーが徘徊するような通りなんだ。しかし『ジョルジョ・モランディ』というイタリア現代美術を代表するような巨匠の名を持った通りなんだよ。通りそのものが、非常に強いアイデンティティを持っているに違いないはずだ」
「だから僕らはこの通りがモランディの名に恥じないよう、トル・サピエンツァの文化の中心となって、地域全体を循環させることできるくらいにまで発展させることができれば、と『モランディを色とりどりに』というプロジェクトをはじめたんだよ。僕らが運営するトル・サピエンツァ、ジョルジョ・モランディ文化センターのプロジェクト、Tor Sapienza in Arteの一環としてね。そもそもはこの広場で演劇やパフォーマンス、ちょっとしたフェスタを開くというのがオリジナルのアイデアだったんだけれど、『モランディを色とりどりに』は、そこから発展したプロジェクトなんだ」