奇跡のキリスト像
ところで奇跡、といえば、ヴェネツィア広場からほど近いサン・マルチェッロ・アル・コルソ教会に、奇跡を起こすと伝えられる『十字架にかけられたイエス・キリスト』の木像があります。
パンデミックがはじまってすぐの、春のロックダウンの最中、この教会にフランシスコ教皇が歩いて祈りを捧げにいらしたことは、当時大きなニュースとなりました。
また、信者たちのミサへの参加が完全に中止された今年の復活祭には、誰もいない雨のサン・ピエトロ広場で、教皇が捧げたVenerdi Santo(聖なる金曜日)のVia Crucis (受難への道)のミサのため、この木像がヴァチカンに運ばれた、という経緯もあります。
しかしなぜ、このキリスト像が奇跡を起こすと考えられているのか。
ことの起こりは1519年。サン・マルチェッロ・アル・コルソ教会が大火に遭遇し全焼した際、この木像のキリスト像だけ、無傷で焼け残ったことが信仰のはじまりだそうです。
やがて時が経ち、1522年のこと、ローマにペストが蔓延し、猖獗をきわめました。1500年代、1600年代は欧州中にペストが広がり、何度も流行を繰り返した時代です。
その際、サン・マルチェロ・アル・コルソ教会の代表であるスペイン人の枢機卿の発案で、無傷で焼け残った、奇跡のキリスト像を櫓に載せ、ペスト終焉を神に祈願しながら、ローマの街中を裸足で練り歩くプロセッション(宗教的な行例、行進)が開催されることになりました。その行進には、大火をイメージして灰をかぶった聖職者、貴族、騎士、老若男女のあらゆるローマの市民、子供たちが大挙して参加。「奇跡を起こす、聖なる十字架のキリスト!」と大声で叫びながら、神の慈悲を願ったと言います。
行進は、ペストが蔓延するローマのあらゆる地域を巡り巡って16日間続き、市中で猛威をふるったペストは、いつの間にかすっかり収まったのだそうです。その後、奇跡のキリスト像の行進は、何世紀にも渡って継続されました。
聖なる金曜日、フランシスコ教皇がこのキリスト像をサン・ピエトロ広場に設置し、しのつく雨の中でひたすら祈った背景には、ルネサンスの時代にはじまった、こんな物語があったからです。
わたしがそのキリスト像に出逢ったのは、ヴェネツィア広場のスペラッキオを見に出かけた12月15日の夜のことでした。
轟音を上げながら絶え間なく車が通り過ぎ、クラクションと排気ガスがあたりに充満するコルソ通りを逃れて、古びた教会にふらっと入った時は、その教会に、奇跡のキリスト像が祀られていることなど、すっかり忘れていました。というか、その像は、復活祭のあともヴァチカンに残されたままだと思っていたのです。
典型的な後期バロック様式のサン・マルチェッロ・アル・コルソ教会の中は、壁ひとつ隔てた外界の喧騒とはうって変わって、清らかな静けさと、大理石の冷気に満ちていました。壁、天井に隙間なく施された装飾とフレスコ画、絵画の数々、印象的な木像のピエタ像などを、ひとつひとつ見ながら奥へ進んでいくと、5、6人の信者が、椅子に座ったり、跪いたり、祭壇に向かって熱心に祈りを捧げています。
照明と蝋燭の炎で明るく照らされた、その祭壇を見上げ、ハッと足を止めることになりました。現在はヴァチカンにあると思っていた、あの「奇跡のキリスト像」が、ふわっと存在感なく浮かんでいたからです。
その表情は、絶望すらもはや近寄れない永遠の諦めを湛え、現世的なところが少しもなく、無作為で投げやりにも思えました。その表情を見つめるうちに、何かこう、憐れみを乞う気持ちが湧き起こり、キリスト者ではないわたしも、思わずその場で祈った次第です。
大きな災いの物語の中にいるわたしたちひとりひとりが、それぞれの物語を歩んでいます。泣いている人もいれば、笑っている人もいる。怒鳴る人、蔑む人、お金儲けのことばかり考えている人がいれば、喜びを分かち合おうとする人、他人を助けることに生命を賭けている人もいる。
家族を失った人、友人を失った人、家を失った人もいる。買い物に夢中の人もいれば、今日食べるパンの心配をしなければならない人々もいる。ゴムボートで海を渡らなければならない人もいれば、戦いに挑まなければならない人もいる。騙す人、騙される人、与える人、与えられる人、所有する人、手放す人。
相対的な善悪による価値判断はともかく、その、あらゆるすべての人々の物語が尊いのだと思います。
ーイエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて行った。「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」(マタイによる福音書、第二章、第一節)
ベツレヘムの星。東方から訪れた3人の博士たちが、「イエス・キリストの生誕の証」として見たという、光り輝くその星はいったい何だったのか、今でも議論が続いていますが、1614年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、それは紀元前7年に起こった土星と木星が合体して見えるほどの、3回の大接近であった、と推論しています(Wikipedia)。
奇しくも2020年の年末から年始にかけての1ヶ月、特に12月21日から22日は、その土星と木星の大接近を肉眼で見ることができる、というニュースが駆け巡りました。しかもこれほどはっきりと見えるのは400年ぶりとも、800年ぶりとも言われています。
そしてその、肉眼で観測できる、土星と木星の「コンジャンクション」こそが、東方の3博士を導いたベツレヘムの星、クリスマスの星(BBC/スタンパ紙)というわけです。考えてみれば、あまりにできすぎたタイミングでの大接近です。
さて、間もなく訪れる2021年、「ウイルスとの闘い」というサイエンス・ノンフィクションの終焉を祈り、奇跡のキリスト像を共有して、今年を終わらせたいと思います。
輝くベツレヘムの星、クリスマスの星の光が吉兆でありますように。
メリークリスマス、そして、よい新年を。