2021年に向かって、なおいっそう閉じられたローマの街を照らし、瞬くクリスマスの光、ベツレヘムの星

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奇跡のキリスト像

ところで奇跡、といえば、ヴェネツィア広場からほど近いサン・マルチェッロ・アル・コルソ教会に、奇跡を起こすと伝えられる『十字架にかけられたイエス・キリスト』の木像があります。

パンデミックがはじまってすぐの、春のロックダウンの最中、この教会にフランシスコ教皇歩いて祈りを捧げにいらしたことは、当時大きなニュースとなりました。

また、信者たちのミサへの参加が完全に中止された今年の復活祭には、誰もいない雨のサン・ピエトロ広場で、教皇が捧げたVenerdi Santo(聖なる金曜日)のVia Crucis (受難への道)のミサのため、この木像がヴァチカンに運ばれた、という経緯もあります。

しかしなぜ、このキリスト像が奇跡を起こすと考えられているのか。

ことの起こりは1519年。サン・マルチェッロ・アル・コルソ教会が大火に遭遇し全焼した際、この木像のキリスト像だけ、無傷で焼け残ったことが信仰のはじまりだそうです。

やがて時が経ち、1522年のこと、ローマにペストが蔓延し、猖獗をきわめました。1500年代、1600年代は欧州中にペストが広がり、何度も流行を繰り返した時代です。

その際、サン・マルチェロ・アル・コルソ教会の代表であるスペイン人の枢機卿の発案で、無傷で焼け残った、奇跡のキリスト像を櫓に載せ、ペスト終焉を神に祈願しながら、ローマの街中を裸足で練り歩くプロセッション(宗教的な行例、行進)が開催されることになりました。その行進には、大火をイメージしてをかぶった聖職者、貴族、騎士老若男女のあらゆるローマの市民、子供たちが大挙して参加。「奇跡を起こす、聖なる十字架のキリスト!」と大声で叫びながら、神の慈悲を願ったと言います。

行進は、ペストが蔓延するローマのあらゆる地域を巡り巡って16日間続き、市中で猛威をふるったペストは、いつの間にかすっかり収まったのだそうです。その後、奇跡のキリスト像の行進は、何世紀にも渡って継続されました。

聖なる金曜日、フランシスコ教皇がこのキリスト像をサン・ピエトロ広場に設置し、しのつく雨の中でひたすら祈った背景には、ルネサンスの時代にはじまった、こんな物語があったからです。

雨の中行われた復活祭、聖なる金曜日のミサ。左側が奇跡の『十字架にかけられたキリスト』。il sole 24 ore紙より引用。

わたしがそのキリスト像に出逢ったのは、ヴェネツィア広場のスペラッキオを見に出かけた12月15日の夜のことでした。

轟音を上げながら絶え間なく車が通り過ぎ、クラクションと排気ガスがあたりに充満するコルソ通りを逃れて、古びた教会にふらっと入った時は、その教会に、奇跡のキリスト像が祀られていることなど、すっかり忘れていました。というか、その像は、復活祭のあともヴァチカンに残されたままだと思っていたのです。

典型的な後期バロック様式のサン・マルチェッロ・アル・コルソ教会の中は、壁ひとつ隔てた外界の喧騒とはうって変わって、清らかな静けさと、大理石の冷気に満ちていました。壁、天井に隙間なく施された装飾とフレスコ画、絵画の数々、印象的な木像のピエタ像などを、ひとつひとつ見ながら奥へ進んでいくと、5、6人の信者が、椅子に座ったり、跪いたり、祭壇に向かって熱心に祈りを捧げています。

照明と蝋燭の炎で明るく照らされた、その祭壇を見上げ、ハッと足を止めることになりました。現在はヴァチカンにあると思っていた、あの「奇跡のキリスト像」が、ふわっと存在感なく浮かんでいたからです。

その表情は、絶望すらもはや近寄れない永遠の諦めを湛え、現世的なところが少しもなく、無作為で投げやりにも思えました。その表情を見つめるうちに、何かこう、憐れみを乞う気持ちが湧き起こり、キリスト者ではないわたしも、思わずその場で祈った次第です。

大きな災いの物語の中にいるわたしたちひとりひとりが、それぞれの物語を歩んでいます。泣いている人もいれば、笑っている人もいる。怒鳴る人、蔑む人、お金儲けのことばかり考えている人がいれば、喜びを分かち合おうとする人、他人を助けることに生命を賭けている人もいる。

家族を失った人、友人を失った人、家を失った人もいる。買い物に夢中の人もいれば、今日食べるパンの心配をしなければならない人々もいる。ゴムボートで海を渡らなければならない人もいれば、戦いに挑まなければならない人もいる。騙す人、騙される人、与える人、与えられる人、所有する人、手放す人。

相対的な善悪による価値判断はともかく、その、あらゆるすべての人々の物語が尊いのだと思います。

ーイエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて行った。「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」(マタイによる福音書、第二章、第一節)

ベツレヘムの星。東方から訪れた3人の博士たちが、「イエス・キリストの生誕の証」として見たという、光り輝くその星はいったい何だったのか、今でも議論が続いていますが、1614年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、それは紀元前7年に起こった土星木星合体して見えるほどの、3回の大接近であった、と推論しています(Wikipedia)。

奇しくも2020年の年末から年始にかけての1ヶ月、特に12月21日から22日は、その土星と木星の大接近を肉眼で見ることができる、というニュースが駆け巡りました。しかもこれほどはっきりと見えるのは400年ぶりとも、800年ぶりとも言われています。

そしてその、肉眼で観測できる、土星と木星の「コンジャンクション」こそが、東方の3博士を導いたベツレヘムの星クリスマスの星(BBC/スタンパ紙)というわけです。考えてみれば、あまりにできすぎたタイミングでの大接近です。

さて、間もなく訪れる2021年、「ウイルスとの闘い」というサイエンス・ノンフィクションの終焉を祈り、奇跡のキリスト像を共有して、今年を終わらせたいと思います。

輝くベツレヘムの星、クリスマスの星の光が吉兆でありますように。

メリークリスマス、そして、よい新年を。

Il Crocifisso miracoloso. 『奇跡を起こす十字架にかけられたイエス・キリスト』

 

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