2020.2.20 前触れなく訪れた新型コロナウイルスの拡大、ファイト、イタリア!

Eccetera Società

突然の不条理

ミラノ、ファッションウィーク真っ盛りの21日金曜日の朝、そのメトロポリスから、ほんの63kmほどしか離れていない「コドーニョ市で新型コロナヴィールスの感染者が出たようだ」という一報を聞いたときは、まさかこれほど凄まじいスピードで事態が急展開するとは思ってもみませんでした。

政治の揉め事や『サルディーネ=イワシ運動』の大活躍に気をとられ油断していたところ、虚をつかれた、というところでしょうか。感染者、そして亡くなった方々の数は、まさに「刻々」と増え続け、その後のイタリアは新型コロナ一色となってしまった。

あまりに突然のことだったので、TVや新聞などのメディアも市民と同じようにショックを受けたのだと思います。数日に渡って政治の話題には一切言及されないという、イタリアではほぼあり得ない状況となり、いよいよ「有事か」と、正直、すくみあがりました。切羽詰まったリアルな緊張感で、センセーショナルな情報が次々に流れ、しかも時間を追ううちに事態はひたすら深刻になっていきましたから、みるみるうちに恐怖心に囚われた。

しかし今にして思えば、その恐怖心は明らかにメディアの情報マジックでもあります。しかもイタリアという国は、悲劇も喜劇もちょっぴり大袈裟に、派手に表現しないと気がすまない『劇場国家』ですから、メディアに作為なく、特別な意図がなかったとしても、どうにもこうにも劇的になってしまうことは否めません。

やがて政府からも、メディアからも、行き過ぎた警告主義志向フェイクニュースに注意が喚起され、ようやく流れてくる情報が、冷静かつ分析的な報道に変わってきた感じです。政治、経済、シリアトルコの非常に心配な緊張状況やマフィア関係の犯罪など、新型コロナウイルス以外の情報も、随時、報道されるようになりました。

そもそも「新型コロナウイルスがどのような性格を持っているのか」、日本はもとより、中国や韓国、その他の国のウイルスに関する情報をすでに数多く収集し、曖昧ではあっても、ある程度の覚悟ができていたにも関わらず、瞬発的集団の恐怖というものは、本当に人の気を狂わせるのだ、と実感もしました。

目に見えないミクロの有機体への恐怖、不安というものは、見えないからこそ人から人へと瞬く間に感染し、やがてウイルスの存在よりも強大となって、社会のコミュニケーションを機能不全に陥れる可能性を孕んでいる。疫病にまつわる集団ヒステリーは、さまざまな文学で語り継がれた特殊な題材ではなく、やっぱり実際に存在するのだ、と考えた次第です。

ラ・レプッブリカ紙が、「再びの疫病の流行理想的な口実を提供したに過ぎず、真に、まさしく必要であった集団パニックの状態へと転換されただけである(意訳)」と、イタリア人の意識を評したジョルジョ・アガンベンの言葉を引用していましたが、確かにわたしを含める多くの人々は、ウイルスに感染するより何百倍も早くパニックに感染することを選び、同調することを望んだ、という印象です。

畢竟、恐怖、不安という防御本能は、とてつもない感染力を持っていますから、こんな状態で経済が崩壊し、戦争の話でも浮上しようものならえらいことだ、と悪い方向へと考えが向かい、ひとり悲観主義に陥ってしまいそうでもありました。ましてや現在の日本に、この混乱事、準備のないまま『緊急事態宣言』を法律化しようとする動きがあることには、細心の注意が必要だとも思います。

ともあれ、そのうちに政府から「行き過ぎた警告主義」を慎むよう要請されたジャーナリストたちも、ハッと我に返ったようで、次第にトーンが下がり「ちょっと熱くなりすぎたのだろうか」「こういうことは政府もわれわれもはじめてだから仕方ないんじゃないのか」「みんなよくやっていると思うよ」「いや、パニックを喚起しているのは、確かにジャーナリズムで、政府を混乱させていると思う」などと、トーク番組などでチラッと反省を垣間見せたのは、イタリアのジャーナリズムのヒューマンなところでしょう。

このような経緯を踏んだのち、現在、一部の極右新聞以外は、全体的に理性的な判断と批判精神のもとに状況が語られ、たとえばSNSでフェイクニュースが流れれば、逐一報告されるようになりました。

確かにイタリアにおける感染者は、目まぐるしい勢いで増え続けています。しかしISS (Istitute Speriore di Sanitaー国家高等衛生機関)と国家市民保護局(protezione civile)が毎日開くプレスでは、透明性を旨に、感染者数の詳細と状況の推移が逐一発表されるため、その数字が非常にショッキングではあっても、市民にとっては現状を正しく知り、正しく恐れて行動する基準になる、と思うようにもなりました。

毎日のプレスで発表される感染者数ー3月5日。左から州名、●症状があり入院している患者数 ●集中治療室患者数、●自宅隔離患者数、●現在の陽性患者総数 ●回復者数 ●死亡者数 ●現在までの陽性患者数総計 ●PCR検査数。Corriere della Sera紙より引用。なお、この投稿の末尾に、 Corriere della Sera 紙に掲載された、その日の感染者数の表を加えていきます。

さらに言うならば、イタリア国内以上にセンセーショナルな外国メディアの、「緊急事態におけるイタリアの人々のパニックシーン」ばかりを切り取った報道を目にするにつけ、世界中で恐怖が煽られているようにも思えます。

人間というのは不思議なもので、どこかでパニックが起こると、理由もないのになんとなく追随したい、しなくてはならない、と本能的な「群れたい野生」が騒ぐ、あるいは必要以上に怖がって、群れながら萎縮する傾向にある。

まず今回、初動から「クラスターが発生した北部イタリアの11市町村ロックダウン(封鎖)」「感染者の濃厚接触者は、無症状であってもすべて検査、14日間の隔離、観察」及び、北部イタリアにおける見本市、サッカーのチャンピオンズリーグ、イベントの中止、美術館、カタコンベの封鎖など、思い切った措置がとられたことは、衝撃的ではあっても、イタリアに暮らす外国人としては、とりあえず信頼に値すると思っています。

また、イタリア政府と地方自治体のきわめてスピーディな対応と、医療機関の門前スペースに青空テントを張っての検査など、イタリアのタスクフォースと多くの医療関係者たちの不眠不休、24時間体制の働きを知る身からすると、海外メディアのイタリアに関する報道のあり方は正直、「本当は灯台もと暗しじゃないの?」とも言いたくなります。

たとえば英経済紙の「北イタリアで封鎖された街には食物が不足!」というような記事や、「イタリアは欧州の武漢!」などという決めつけ記事には、完全な封鎖地域は現在のところ北部イタリアに限られており、「武漢とは、まず人口、面積の規模がまったく違うのでは?」と、経済紙特有の不幸レトリックに違和感を覚えた。

それにレッドゾーンで暮らす人々の現状はといえば、街の外には出られなくても、スーパーマーケット、ガストロノミア、パン屋さん、そしてもちろん薬局も開いていて、休校中の学校も、SNSの動画機能を使っての子供たちへの授業を検討、すでに実施している学校もあるそうです。まず、北部イタリアはきわめて豊かな地域だということを忘れてはいけません。

ヴェネト州で封鎖された街では、さっそく人々が広場に集まって「われわれに自由を!」「州知事はいますぐここに来い!」と集会が開かれた、というイタリアらしいニュースも流れています。また、隔離された人々の心理的なケアのために、セラピーも行われているそうです。

とはいえ、健康被害もさることながら、現在最も強い懸念となっているのは、イタリアの(そして世界の)今後の経済に、新型コロナウイルスがどれほどの影響を及ぼすかということでしょう。

クラスターが発生した北部イタリアだけでなく、今のところは少数の感染しか確認されていないローマにおいても、3月観光関係の予約が90%キャンセルになっているそうで、フィレンツェでは80%のキャンセル、イタリア全体では3月から5月の観光セクターの損失が70億ユーロ強(ラ・レプッブリカ紙と見積もられ、リセッションは、ほぼ確実視されています。

いずれにしても、ここ数日の世界市場の動きは恐怖バイアスがかかって、まるで市場そのものがウイルスに感染したかのような、一喜一憂の乱高下です。実際、市場及び経済ジャーナリズムというものは、世界の不安を常に探し求め、大袈裟に騒ぎたて、さらなる不安を掻きたてる。と思えば、まるでその過去は忘れたかのように、異常にはしゃぐ、言ってみればスキゾフレニアの傾向を持つ存在であることも、覚えておく必要がありそうです。

そういうわけで、自分自身の先行きもかなり危ういとは思いながらも、疫病というものは人の健康だけではなく、精神を病ませ、人間不信、排斥主義に拍車をかけるだけなく、経済をダイレクトに蝕み、社会の機能を破壊する可能性を秘めた、まさに「不条理」だということを、はじめて実感できる貴重時間となりました。

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